『神様のパズル』

機本 伸司著、角川春樹事務所刊、1700

 この小説、理想をいえば、内容に関して全く予備知識を持たずに、つまりこの書評をこれ以上読まずに、いきなり読んでほしい。作品のジャンルさえ判らないで読む方が面白いと思うからだ。

 しかし、書店に行って購入しようとすれば、本の帯に大きく「第3回小松左京賞受賞」と書いてあるのが目にはいるから、これがSFのジャンルに属する作品であることは判ってしまう。確かにSFとしても一流の作品である。実際、本の帯に付いている小松左京本人の評価は、もっぱらこの点に向けられている。

 SFとしては実に古典的な設定の話である。かつてのSFの巨匠ヴァン・ヴォークトの作品には、ずばり「宇宙製造者」というものがあり、その他の彼の作品も大なり小なりこのテーマを取り上げていた。

 本書もまたそうである。「『宇宙は無から生まれた。』と彼は、言った。『すると人間にも作れるのですか? 無ならそこら中にあるー』」(本書47頁)

 誠に意表を突いた、しかし聞かれてみればなるほどもっともな問いかけである。この問いかけに答えて、宇宙の作り方を研究する、というのが、本書のタイトル、神様のパズルというわけである。これは何でもアインシュタインの言葉に由来するのだとか。

 ヴァン・ヴォークトの昔だと、宇宙を製造するといっても、個人の超能力で何とかなってしまうという設定で読者も納得していたのだが、現代SFではそうはいかない。おそらく、この手のテーマがすっかり影を潜めてしまった理由はそこにあるのだろう。

 しかし、本書は、そこを圧倒的な情報量と考証力でカバーする。その点だけから言えば、本書はガチガチのハードSFである。しかも、その研究が、落ちこぼれ寸前の劣等生も交えた、大学生のゼミ研究という体裁で進んでいくから、内容的には現代物理学の実に平易な解説というレベルに留まっている点も、実にフェアで、しかも読みやすい。こんなレベルの研究の話から、本当に宇宙が作れるのだろうか、と心配になってしまうほどに平易である。

 しかし、本書の魅力は、SF面にだけあるのではない。主人公は、精子バンクを利用して正体不明のドナーから精子の提供を受けて生まれた天才少女である。それも、わずか9歳で彼女が確立した基礎理論に基づき、巨大な素粒子加速器建設というナショナル・プロジェクトがスタートしたという超弩級の天才なのである。しかし、今現在、わずか16歳であってみれば、当然その内面はもろくて壊れやすい思春期の少女であるに過ぎない。本書は、いわばそういう多感な若者の成長物語と読んでいくのが一番正しいように私は思っている。凡人なら、その青春の苦悩の行き着くところは自殺騒ぎだが、このくらいの天才になると、ついでに宇宙全体を破壊してしまおうとする。実に説得力あるマッド・サイエンティストの設定といえる。語り手として、落ちこぼれ寸前の劣等生を配したため、青春小説としても文句なく面白い。アニメ調の表紙も好感が持てる。SFが食わず嫌いの人にもお勧めできる作品である。

 

 

『不安な童話』

恩田 陸著、新潮文庫 514

 本書も、できれば予備知識なしにいきなり読んでみてほしい作品である。もっとも、この作者は、およそ既存の小説のジャンルに納まる作品を書く人物ではなく、本書もまたその例外ではない。その意味では、予備知識はあってもあまり邪魔にならないかもしれない。

 この作者のことをホラー作家だと思っている人は多い。例えば彼女のデビュー作である『6番目の小夜子』をNHK教育テレビでは少年ドラマに仕立てたが、それは明らかにホラーという解釈でかなり書き換えられていた。その他の作品にも、確かにホラー色は強い。ただ、厳密に言えば、ホラーというより日常というものの裏に隠れている非現実感、不安感を見据えた作品という方が正しいのではないか、と思う。少なくとも、キングやクーンツのようなおどろおどろしいホラーとは明確に一線を画したものである。

 彼女をSF作家であると主張する人もいる。彼女の作品に純然たるSFは少ないのだが、作品の構造上にSF的仕掛けが隠されていることが多いことは確かである。例えば本書の場合、主人公が超能力者である。ただ普通のSFだと、例えば小松左京の『エスパイ』のように、その超能力を駆使することで物語が展開する。これに対して本書のヒロインの超能力は、ごく日常的な感じに作品世界にとけ込んでいて、SF的な展開を見せるわけではない。

 このように、既存のジャンルに納まる人物ではないことを承知の上であえて言えば、彼女の本籍地はミステリだと思う。彼女は、様々な作品で、作中人物に繰り返しミステリファンといわせているのが、なによりの証拠である。そして、そういう目で見れば、小夜子も最後に来ると、一応の謎解きが存在している。『三月は深き紅の淵を』という小説の場合、4部構成の作品のうち、第1部や第2部ははっきりミステリ短編の構造を持っている。第4部あたりになると、実験小説的色彩が強まって訳がわからない作品になっている。しかし、この部分だけを長編化した『麦の海に沈む果実』では、最終的には鮮やかなミステリ的解決がはっきりついている。

 彼女の作品のいまひとつの特徴が、作中に現れる作品のタイトルが、同時にその小説のタイトルになっている場合が多いと言うことである。小夜子の場合には戯曲、三月は・・の場合は小説、麦の海・・の場合は詩と、作中の作品の形態はそれぞれ異なるのだが。そして、本書の場合、25年前に殺された新進画家の童話をテーマにした画集のタイトルということになっている。

 本書は、彼女の作品の中では、ミステリということにあまり異論が生じない作品であろう。ヒロインが、実は25年前に殺された女性の生まれ変わりではないか、という中心となる謎も含め、物語の中で提起される様々な謎に対して、作品の最後では、名探偵が事件の現場に事件関係者全員を集めて、その推理を語り事件を解決してみせる、という古典的なミステリ定番のシーンが登場してくるからである。それでも、日常生活の裏に隠れる恐怖という、彼女ならではの味付けが行われていて、奥行きの深い作品となっている。