『生きて候』

安部龍太郎著、集英社刊、1900

 私は、この作者の力量は評価するが、彼の作品はあまり好まなかった。デビュー作にその人のすべてが現れるとよく言われるが、彼のデビュー作『血の日本史』は、その殺伐たるタイトルのとおり、古代から幕末までの血なまぐさい事件が連作短編の形で並んでいるのである。これが代表するように、彼の作品は、個々的には面白いものがあるのだが、一般に滅びる側を描いて救いがなく、読んで気が滅入ることが多いので、よほど活字に飢えている時でない限り、私は手を出さなかった。

 しかし、本書は、タイトルにあるとおり、主人公の生き様を描いた点で、従来とは正反対の新たな面を切り開いた傑作である。彼の作り出した主人公の中では、そのキャラクターのさわやかさはずば抜けている。しかし、取り上げた人物が、戦国末屈指の謎の人物というところが、いかにもこの作者らしい。

 加賀百万石のお膝元、金沢の兼六園のすぐ脇に『藩老本多蔵品館』という博物館がある。ここは加賀藩の家老職を務めた本多家の秘蔵品を展示してある。家老といっても石高5万石というから、さすがに加賀藩である。その初代、本多政重は、本多正信の次男である。本多正信というと、家康の右腕として謀略の限りを尽くした人物として有名である。また、その長男本多正純は、秀忠の側近として辣腕を振ったが、最後は宇都宮の吊り天井事件で失脚している。政重は、その弟でありながら、徳川家から出奔し、関ヶ原の合戦時には、西軍の主力部隊である宇喜多秀家に2万石の家老として仕えて奮戦し、合戦後はその関ヶ原の合戦に先行して徳川家の敵として追討の対象となり、会津120万石から米沢30万石に減封された上杉家の家老、直江兼続の娘婿となり、最後に、加賀百万石の家老になっている。要するに、徳川家の敵ばかりを選って次々と主君を変えた異色の人物なのである。家康・秀忠と二代にわたって幕閣の中心にいたその父や兄を考えれば、彼は、徳川家が仮想敵国に送り込んだ超高級スパイと見ることもできる。他方、彼個人の事績を追うと、雄藩取りつぶしを狙う幕府の野望を阻むために活躍しており、とてもスパイとは思えない。

 本書では、政重のこの謎に満ちた後半生は600頁近い大書の終わり9頁を使って駆け足的に紹介するにとどめ、ほとんど知られていない前半生を丹念に描いている。おそらく史実に拘らずに作家として自由に主人公を育て上げることができるからであろう。

 中心になる事件は、太閤秀吉の朝鮮出兵である。朝鮮出兵は、秀吉の晩年の汚点と言うべきものであるだけに、その実態をきちんと描いた作品はわが国にはほとんどなかったのではないだろうか。本書では、日本人にも朝鮮人にも悲惨の一語に尽きる実態を鋭く描きながら、それを通じて主人公の人物像を鮮やかに作り上げている。その父、本多正信が若き日に一向一揆に身を投じて家康に逆らったことは、例えば隆慶一郎の『影武者徳川家康』等でも取り上げられてきた有名な話だが、本書では主人公政重の軌跡を、その父の軌跡と重ね合わせることにより作品の奥行きを増させている。

 

 

『スタジアム 虹の事件簿』

青井 夏海著、創元推理文庫 620

 本書は、連作短編なのだが、その点から見る限り間違っても傑作ではない。共通の主人公を持つ連作短編は、一つ一つの作品は独立していながら、全体を通して見れば長編としての骨格を持っていて、主人公のキャラクターが描かれ、底流をなす物語が最後には浮かび上がって来る点が魅力なのだが、本書は、その点で見ればお世辞にも褒められるレベルに達していない。探偵役を務める超野球音痴の球団オーナー虹森多佳子という女性が、最後まで没個性の探偵役にとどまり、彼女のキャラクターが少しも描けていない。また、底流をなす物語もちゃんとあるのだが、それが最後まで完全に底流にとどまり、表面に浮かび上がることがないのである。

 しかし、単に球場を舞台にし、虹森多佳子を狂言回しとするだけの独立した短編を集めたものと見れば、話は変わってくる。近来まれに見る安楽椅子探偵ものの傑作ということができる。野球音痴でトンチンカンな質問を連発する多佳子に、周りの者がその日球場で行われたプレーの意味を苦労して説明しようとしていると、多佳子が、そのプレーの意味とたまたま小耳に挟んだ怪事件とを重ね合わせて、事件の真相を鮮やかに解明する、というパターンの作品が、5つ集められているのである。多佳子が球場から一歩も出ないで事件を解決するところが、安楽椅子探偵もののファンとしては、実に嬉しい。

 しかし、本書で、もっとも興味を引かれる点は、作品の中味以前に、その出版の経緯である。著者が後書きに書いていることによると、次のような経緯で、本書は世に出てきたらしい。

 「野球が好きで、ミステリが好きなわたしは、野球ミステリを書いてみたらおもしろそうだと考えた。そこで、2年ほどかけて5つの話を書き、自費出版の出版社に持って行って本にしてくれるように頼んだ。〈中略〉5ヶ月ほどで夢のようにすてきな表紙をつけた本ができあがった。〈中略〉この本は何冊か、友達に受け取ってもらった。それから『純パの会』というプロ野球パシフィック・リーグを愛する会員の方にも買っていただいた。書店でもいく人かのお客様にはお買いあげいただけたと思う。」

 要するに、典型的な自費出版の書なのである。だから、普通であれば、作者の自己満足に終わるべき運命の本であった。ところが、わずかながら世の中に流れたこの本が、一部の書評に傑作として取り上げられ、インターネットを通じて評判になり、いつの間にか限定500部の書は売り切れてしまったのだという。そして、それに目をつけた創元社によって、こうして文庫化されたというわけである。

 前回取り上げた恩田陸の代表作『三月は深き紅の淵を』は、そういうタイトルの自費出版の謎の傑作を追うという筋だったが、本書は、まさにそれを地でいく書なのである。そういう目で見れば、私が最初に取り上げた欠点は、素人の処女作としてはやむを得ないということもでき、むしろ処女作の段階でこれだけの推理小説を書けたのであれば、今後の発展が楽しみと言える。一人の作家を育てるつもりで、気楽にお読み下さい。