『ふたり道三』

宮本昌孝 著、新潮社刊、T及びU1600円、V及びW1500

 時代小説が好きな方なら、本書に無条件で手を伸ばすべきである。面白いことは保障する。

 ふたり道三とは奇妙なタイトルだが、意味は簡単で、歴史上斎藤道三の名で知られる人物は、実は一人の人物ではなく、親子二代のふたりの人物である、ということである。これはなるほど言われてみれば納得のいく話である。司馬遼太郎の『国盗り物語』を読まれた方はご記憶と思うが、道三は実にしばしば改名している。歴史書に現れた道三の名とされるものをあげていくと、法蓮坊、松浪庄五郎、松波庄九郎、西村勘九郎、長井新左衛門尉、長井新九郎規秀、斉藤新九郎利政ときて、最後は入道して道三となる。一人の人間がこれほど何度も、これほど大きく改名したというのは不自然である。そこで、これは親子二代分の名前というのが、近時の日本史学界の通説なのだそうだ。

 もっとも、本書は決してこうした学者の説にのって、単純に道三による美濃の国盗りの偉業を、親子二代にわたる苦労話に仕立てたのではない。美濃というと、刀剣で知られた関市がある。そこで、この関の刀工の源流として、櫂扇派という悲運の名刀工の系譜を作り出し、その10代目となるおどろ丸という異形の人物を作り出した。本書の物語としての成功は、多分にこのおどろ丸の強烈なキャラクタ設定にある。このおどろ丸が、武士になった後の名として、本書では最初、西村勘九郎とし、後に長井新左衛門尉となったという設定を採っている。その妻で、関の名刀工として知られる信濃守兼定の娘、関の方というこれまた異形のキャラクタ設定も、実に魅力がある。

 しかし、何と言っても魅力的なのが、後に美濃の国主となる息子の方の人物造形である。司馬遼太郎の作り出した道三が、国主になるという野望に向けてあらゆることをその一点に収斂させた、どちらかといえば陰性の人物であるのに対し、本書の道三は、その数奇な運命にもかかわらず、実に明るい性格として描かれている。

 父親のおどろ丸の数奇な運命が描かれる第1巻が、全体としてかなり暗いのに対し、息子の道三が活躍を始める第2巻以降は、その結果、巻をおくあたわず、といえる面白さとなる。また、彼のキャラクタに魅せられて集まり、後に家臣になる若者達の明るさも素晴らしい。ついでに言えば、物語が、道三が美濃の覇権を握ったところで終わり、何とも気が滅入る彼の晩年が描かれていないのも、作品として大きな長所である。

 この作者は、例えば『藩校早春賦』やその続編の『夏雲あがれ』に見られるように、明るい人物を造形することにかけては非常に秀でたものがあり、そうした長所が良く現れている。他方で、『剣豪将軍義輝』に示される室町という時代に関する正確な知識が、櫂扇派の刀工の悲劇や、美濃の国を取り巻く政治状況までも鮮やかに描き出し、作品に奥行きを与えている。本書の欠点は、おそらく出来がよすぎて、版元の予想を上回る売れ行きを示している点であろう。神保町の書店のどこでも売り切れていて、本を全巻手に入れられず、私は、第3巻は公立図書館で借りて読む羽目になった。

 

 

『ドゥームズデイ・ブック』

コニー・ウィリス著、ハヤカワ文庫 上下各940

 本書は、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞と、アメリカのSF関係の重要な賞を総ざらいにした傑作である。

 ただし、だからといって、日本のSFファンに無条件に推薦する、と言う訳にはいかない。日本人から見た本書の抱える問題は二つある。

 一つは、アメリカのSFには時々あるのだが、本書はひどく宗教色が強い作品なのである。作品中でキリスト教の聖書が繰り返し引用されるが、その前後は説明されていないから、ある程度聖書の中味が頭に入っていないと、何故その箇所の引用があるのか、意味が判らないところが出てくる。さらに、宗教に拒否感を持つ人は、キリスト教に対する強い肯定感を前提に書かれているから、かなり辟易させられることになると思う。

 もう一つは、本書は歴史学者が時間旅行によって、その研究対象の時代に行って研究できるという、歴史学者にとって夢のような設定で書かれた本である。時間旅行という設定は、例えばポール・アンダースンの傑作『タイム・パトロール』に代表されるように、これまでもよくあったが、それらの作品のメインテーマであった歴史改編という問題はタイムパラドックスは起こらない、という一言で切り捨て、ひたすら時代描写に力点が置かれている。対象となるのも、我々日本人が普通に習う英国史ではあまり触れられていない時期である。そして、それにもかかわらず、対象となる時代に関して、詳しい説明がなされているとはお世辞にも言えない。だから、英国の歴史に関して、平均を少々上回る知識がないと、現れる個々の記述そのものが理解しにくい作品になっている。

 この、日本人から見ての欠陥は、普通の欧米人から見れば欠陥どころか、逆に不要な記述を押さえたもので、長所になる。そうなれば、中世英国の農村に関する詳細な記述や言語の状況の描写は、実に興味深く読めるものである。この辺に、本書が多数の賞を得た理由があるのだと思う。

 物語の内容は、二つの疫病の描写である。功を焦った指導者のため、若い女性歴史学者が、時代設定を誤って黒死病が大流行している時代に送られてしまう。他方、送り込んだ21世紀のオックスフォードでも、正体不明の伝染病で死者が出て、町全体が隔離状態になる。過去に送り込まれた人間が、現代に戻るには、特定の時に送り込まれたその場所に戻る必要がある。ところが、過去の方でも現代の方でも疫病のおかげでそのための活動ができず、現代に戻れないという危機が生まれる。要するに、700年の時を挟んで、二つの疫病の荒れ狂う様が克明に描かれているわけである。

 本書のタイトルのドゥームズデイ・ブックは、英国史では、ウィリアム征服王がイングランド征服に成功した際、課税の確実を期して作った土地の調査簿を意味する。同時に、キリスト教においてドゥームズデイとは、この世が滅びる際に、キリストが再臨して、最後の審判を行う、その日の意味である。この物語は、黒死病のもたらした最後の審判の日を思わせる悲劇的な状況を、調査記録的に活写した点に、そのすばらしさがある。