『十八面の骰子』

森福都 著、光文社刊、1800

 いつも不思議に思うのだが、わが国にはれっきとした日本人なのに、中国古代に通じ、そうした時代背景の中で自在に作品世界を構築できるという不思議な作家達がいる。本欄でこれまでに紹介してきた作家では、宮城谷昌光、塚本青史、井上祐美子、田中芳樹といった面々である。彼らが中国文学科出身とでもいうならまだ不思議はないが、たいていの場合、およそ関係のない経歴である。本書の作者も、また自在に中国古代に遊ぶ一人だが、医学部薬学科の出身というから恐れ入る。

 彼女は、1996年のデビュー当時は講談社X文庫ホワイトハート(これは二十歳前後の若い女性を対象とした、夢と冒険と耽美に溢れる恋愛小説、ファンタジー小説の類をまとめたシリーズなので、乱読家の私もあまり手を出したことがない)で国籍不明小説を書く形で出発したが、それとは別に文藝春秋に書いた短編「長安牡丹花異聞」(同じタイトルの短編集に収録されている)で、第3回松本清張賞を受賞するという幸運に恵まれ、その後は、大きく中国ものに傾斜していくことになる。

 一口に中国ものといっても、宮城谷や塚本のような男性陣は専ら歴史書に名前の出てくるような人物を中心に作品世界を構築する。それに対して、女性陣はなぜか中国古代を背景に、歴史上の人物とは縁のない人物を描いている。これは、男性と女性の感性の違いを示しているようで面白い。

 本書は、中国の宋の時代の「巡按御史」を主人公にした連作短編集である。宋は、日本から見た場合には、平安時代中期、すなわち日本が中国と没交渉だった時代に建国された国だから、平清盛が貿易をしようとしたくらいが日本史上の出来事になる。だが、中国史という観点から見ると、実に面白い時代であるらしく、いろいろな作品に取り上げられている。この作者も好きであるらしく、『紅豚』という怪盗との戦いを描いた冒険小説もこの国を背景にしている。大きく北宋と南宋に分かれる。本書が背景としているのは、首都が開封となっているから北宋と判る。文治主義に徹したため、軍事的な実力は低かったが経済的には大変栄え、北宋だと遼や西夏、南宋だと金という隣国に対し金で平和を買うという政策をとった。

 本書の中心設定である巡按御史という制度は、本書の説明によると、皇帝直属の秘密捜査官で、身をやつして各地に赴き、地方役人の不正を発見すると皇帝から下賜された勢剣と金牌を示して断罪するのだそうだ。簡単にいえば、水戸黄門が地方に行って印籠を振りかざすようなものだと思えばよい。

 主人公の巡按御史である希舜は皇族の端に連なる身分で、過去に妻子もいたこともある24歳の男というのに、なぜか成長が遅い体質で15歳くらいにしか見えない。そこで、相棒のいかにも人品卑しからぬ伯淵が、もっぱら巡按御史と名乗ることになる。個々の短編で描かれるエピソードとは別に、物語の底流をなす設定として、この希舜と伯淵の過去に何かあるらしいことが、物語が進むに連れ、徐々に現れてくるのだが、本書の最後まで読んでもそれははっきりしない。本書は巡按御史シリーズの第一部ということらしい。

 

 

『風の向くまま』

ジル・チャーチル著、創元推理文庫刊、 740

 この作者については、以前に本欄で『ゴミと罰』(『罪と罰』をもじったタイトル)という作品を紹介したことがある。子育てに追われる専業主婦ジェーンを主人公としたコミカルなミステリ小説で、彼女を主人公とするシリーズの作品は、『クラスの動物園』(『ガラスの動物園』のもじり)『豚たちの沈黙』(『羊たちの沈黙』のもじり)といった特徴あるタイトルで知られている。

 なぜ、ただの家庭の主婦の周りに、シリーズ化できるほどに大量の殺人事件が起きるのだ、という基本的な疑問に目をつぶって貰えれば、なかなか面白いシリーズに成長している。少数民族でも、警官でも、探偵でも、売春婦でもない、ごく普通の白人の専業主婦という、従来わが国に紹介されてきた米国文学にはあまり描かれなかった人種が、都市の郊外でおくる日常生活とはどんなものなのか、という貴重な情報を伝えてくれる、という意味で、現代米国文化の重要な情報源なのである。

 本書は、その作者の第2のシリーズ作品である。19291024日におきたウォール街の株価大暴落にはじまった世界大恐慌の時代を背景にした、二人の姉弟の物語である。

 リリーとロバートの兄妹は、大暴落までは何不自由ない有閑階級として暮らしていたが、株の暴落ですべてを失った父親に自殺され、生活に役立つ何の技術も教えられていなかったため、ニューヨークで極貧の生活を送っていた。そこに、大叔父のホレイショが死亡したため、莫大な遺産を相続できる、という知らせが来る。ただし、大叔父の遺言には奇妙な条件が付いていた。第1に、今後10年間は、ニューヨークからかなり離れた大叔父所有の豪邸に住み続けなければ相続権を失うこと、その10年間は住居は提供されるが、生活費は自分で賄わねばならないことである。ニューヨークでの苦しい生活よりはマシだ、とその条件を受け入れて、田舎町に移り住んだリリー達だった。19318月のことである。しかし、実は大叔父は殺されており、殺人捜査の鉄則として、その死によりもっとも利益を得るリリー達はその容疑者ナンバーワンの地位にある。したがって、彼らは是が非でもその事件を解決しなければならない羽目になる。

本書は、こうして典型的な巻き込まれ型ミステリ小説になっていて、面白く読める。ただ、なぜ大恐慌の時代を背景にしたのか今一つぴんと来なかったので、米国では既刊の第2巻“In the Still of the Night”と第3巻“Someone to Watch over Me”を読んでみた。それで見えてきたのは、作者は、大叔父の遺言で示された10年間を利用して、米国の一般庶民から見た大恐慌の時代の年代記を描こうとしているらしいということだ。不況のもたらす日常生活への影響や、ルーズベルト選出にいたる庶民の意見が活写されて興味深い。ミステリ小説のため、殺人による年代記になるところが少々難といえるかもしれない。

 なおこのシリーズの各巻のタイトルは、本書の“Anything Goes”も含めて、すべて当時流行していたジャズのタイトルなのだとか。どんな曲か、一度是非聞いてみたいと思っている。