『ヴィネトウの冒険』

カール・マイ著、筑摩書房刊 上下各2900

 今月は、あまり日本に紹介されることのないドイツ作品の翻訳を2冊、紹介する。期せずして、どちらもアメリカ人を主人公にしているという点でも少々変わっている。

 本書の著者は1842年、つまり日本でいうと天保13年だから、天保改革の最中という時代に生まれ、明治末年に当たる1912年に死んだ人である。だから、我が国なら明治時代が、その中心的な活動期であるドイツ作家ということになる。

 小説顔負けの実に数奇な運命をたどった人である。本書の解説に依りつつ、著者の略歴を紹介したい。赤貧洗うがごとき家に生まれ、幼時は栄養失調のため失明していたという。奇跡的に視力を回復し、奨学金を得て師範学校を卒業し、教職に就くが、同僚と衝突して横領の罪を着せられ、教員免状を剥奪された上、6週間の禁固刑を受ける。以後生活に困って、10数年にわたり、押し込み強盗や詐欺罪などの犯罪に手を染め、それにより、逮捕、服役、出獄、犯行、逮捕、脱走、再逮捕、服役といった調子の暗黒の時期を過ごした。通算8年間の刑務所生活を送ったというから、犯罪者としてはお世辞にも腕がいいとはいえない。

 しかし、33歳ころから通俗雑誌の編集者になり、その一環として小説を書くようになった。やがて専業の小説家となり、爆発的な人気を得るに至る。ドイツ人なら読まない人はいないといわれるほどの国民作家に成長するのである。しかし、晩年には犯罪者だったことなどを理由に青少年を害する者というような非難を受けたという。

 これがナチ時代になるとヒトラーが著者の愛読者であったこともあって、一転称揚されるようになった。そのため、戦後はその反動で再び非難されるようになるが、1980年代頃に再評価が行われ、今日では広く読まれるようになったのである。このように激しい毀誉褒貶にあった、ということ自体、彼がきわめて優れた作家であることの証左であったといってよい。

 1980年というのは、私が人事院の留学生として初めてドイツに行った時期であるが、たびたび彼の名を聞くことがあり、こうした国民的作家の作品が日本で全く紹介されていないことは、我々日本人がドイツを理解する上で、一つの障害と感じていた。それだけに、今回、彼の代表作である本書が我が国で刊行されたことを非常に喜んでいる。

 本書はアパッチの若き酋長、ヴィネトウを、ドイツ人の「わたし」の視点から描いた作品である。今でこそ、被迫害民族としてアメリカインディアンを理解するのは普通になったが、かつては撲滅するべき野蛮人ととらえる方が普通であった。それだけに、明治時代に既に「誇り高く、勇猛果敢であり、正直で真実を愛し、その友にはいつも誠実な」存在としてインディアンの生き様を描写した本書のユニークさ、あるいは著者の人権意識の確かさには、感嘆の他はない。これだけの作品を、官憲に追われて一度ミラノに行った他は、生涯一度もドイツから出国したことがない、という人が書いたということ自体、一つの驚異ということができる。絶対に楽しめる作品であることは保障する。

 

 

『イエスのビデオ』

アンドレアス・エッシェンバッハ著、

ハヤカワ文庫刊、上下各800

 SFの場合、ドイツの作品は必ずしも我が国に紹介されてこなかったわけではない。たとえば早川書房の宇宙英雄ローダン・シリーズは、現在もなお続々と刊行中で、300巻を超えるのは時間の問題である。また、かつては東京創元社のSF文庫から何冊か刊行されていて、非常におもしろかった記憶がある。しかし、残念なことに、こちらの方は全て絶版になって久しい。

 しかし、ローダン・シリーズのような膨大な供給を楽々吸収できるだけの市場を持つドイツSF界が、低調なわけがない。ドイツでも、我が国と同じように、アメリカSFの翻訳がかなりの量に達しているが、独自の作家も多数存在しているのである。当然、そこには良質の作品も多数あるわけである。

 特に、本書の作者は、そのドイツSF界におけるスター的な存在である。シュツットガルト大学で航空宇宙工学を学び、かたわらコンピュータのソフトウェア開発に乗り出し、1996年にSF作家の専業になるまでは、コンピュータ・コンサルタント会社を経営していた、というから、SFに関する基礎実力は疑う余地がない。本書の解説によると、今日までに長編小説だと6編が上梓されているというが、そのほとんどが何らかの賞を受賞している、という。

 本書は1998年に発表された第3長編で、ドイツSF賞とクルト・ラスヴィッツ賞のダブル・クラウンに輝いたという。クルト・ラスヴィッツといっても私は知らなかったが、先に紹介したカール・マイと同時代に活躍したドイツ・SFの先駆者とでもいうべき人物という。

 この作者の作品は、遙かな異世界を舞台にした作品と、近未来の地球を舞台にした作品に分かれる。近未来を舞台にした作品の場合、ほとんどドイツにこだわらない舞台設定になっていて、たとえば第2長編は、日本が作った宇宙ステーションで発生した殺人事件を扱っているという。

 本書の場合、主人公スティーブン・フォックスはアメリカの学生だが、著者と同様、ソフトウェア開発で当たり、すでに百万長者で、いわば余暇を過ごす手段として、イスラエルの砂漠で発掘に協力するボランティアとして活動していた。すると、2000年前の墓の中から、ソニーのビデオカメラの取扱説明書を発見したのである。しかも、そのビデオカメラは、数年後に発売になる予定で、未だ研究途上にある、という。ということになれば、イエス本人が写ったビデオカセットが近くに眠っている可能性がある。

 この発掘は、CNNに対抗するアメリカのテレビ会社のオーナーが資金を出していた。オーナーは当然そのビデオの独占を目指して活動を開始する。他方、バチカンでは、異端審問官がその奪取を目指して活動を開始する。こうして、砂漠で、三つどもえの争奪戦が展開される、というのが本書のストーリ。異端審問官というと、80年代に東京創元社から刊行されたサイモン・クィンのインクィジター・シリーズ(絶版)が思い出されるが、本書の異端審問官もなかなか迫力満点で、おかげで手に汗握る作品に仕上がっている。今後も彼の作品が紹介されることを祈りたい。