『フクロウは夜ふかしをする』

コリン・ホルト・ソーヤー著、創元推理文庫刊 920円

 本書は、ロサンジェルス近郊の架空の町、カムデンにある、倒産した豪華ホテルを改造して作られた超高級老人ホーム「海の上のカムデン」を舞台に、老人たちが、格好の暇つぶしとばかり、その老人ホームで起きた殺人事件に、警察の迷惑顔をよそにちょっかいを出す、という基本設定のシリーズ第3作である。

 第1作『老人たちの生活と推理』、第2作『氷の女王が死んだ』に続いて、本書でも彼らが住む老人ホームで殺人事件が発生し、例によって150cmに充たない小柄ながら剃刀のように鋭い舌を持つアンジェラと、縦も横も巨大な女傑キャレドニアが、嬉々として事件に介入する。いくらアメリカとはいえ、一つの老人ホームで、そんなに殺人事件が続発してたまるか、などという野暮はこの際押さえて、老人の間で繰り広げられる丁々発止のおしゃべりを楽しんでいただければよい。

 これまでも老齢の探偵が活躍する作品は、ミス・マープルや隅の老人、ドルリー・レインと枚挙にいとまがないほど存在してきた。しかし、彼らはいずれも社会の中で活躍していた。その意味で、老人ホームの中だけを舞台に、そこに関する専門知識を駆使して活動する探偵というのは、本書の作り出した新しいタイプである。

 わが国の高齢化は着実に進捗し、気がつけば、身の回りに老人ホームのお世話になっている人が増えてきた。今後の少子化傾向の中で、読者の皆さんの中にも、老後は老人ホームで、とお考えになっていらっしゃる方も多いに違いない。とはいうものの、では老人ホームでの生活がどういうものかというのは、きれい事を並べたパンフレットなどを読むだけでは実感がつかめないし、少しぼけてきている入居者の話を聞いても隔靴掻痒の感があり、意外に判らない世界である。

 その点、本書では、明るく楽しい物語に仕立ててはあるが、第1作の邦題に端的に示されているとおり、老人ホームにおける老人の生活の様々な局面を描いて考えさせるところがある。

 例えば主人公の二人は、いずれも海軍提督未亡人という設定で、その意味では社会的地位は対等だが、それでも経済力はキャレドニアが遙かに大きく、そこから発生する葛藤は、この息のあった親友間にも存在することになる。まして、他の入居者は、様々な過去を引きずっているわけで、それが本来入居者として平等であるべき彼らの間に、様々な問題を引き起こすことになる。それこそが、第1作から本書までの各巻で語られる事件の原因に他ならない。

 例えば第1作に登場する、他の入居者の過去を暴いては恐喝の種にしていた人物は、その典型といえるであろう。同時に、互いに耳の遠い同士だから、本来密やかに語られるべき恐喝の言葉が大声で話されているため、例外的に耳の良い入居者に筒抜けになっていた、などという、これまた老人ホーム以外ではあり得ないストーリへと展開していったりする。

 こうして、単に老人ホームを舞台にしたのではなく、まさに老人ホームでなければ起こらない事件を描いた傑作シリーズである。

 

 

4TEEN』

石田衣良著、新潮社刊1400

 2003年度直木賞受賞作品である。実を言うと、受賞するまで、私は作者の名前自体を知らなかった。変わった名だが、これで「いら」と読むそうだ。1960年東京生れというから43歳という計算になる。成蹊大学を卒業し、広告制作会社勤務を経て、コピーライターとして活躍していたという。1997年に『池袋ウエストゲートパーク』を書いて作家デビューし、それがオール読物推理小説新人賞を受賞するという好調な滑り出しを示して、以来今日まで本書を含めて9冊を刊行している。

 本書は、新しい超高層のマンションと路地裏の長屋が共存する、という東京でも最も奇妙な一画である月島を舞台に、14歳の4人の男子生徒を主人公にした8編の連作短編からなる物語である。帯の惹句に「14歳は、空だって飛べる」とあって、何となく明朗青春小説を思わせるが、それに騙されてはいけない。内容的にはかなり重い短編が並んでいる。惹句に対応している物語は、実は安易に行われた自殺未遂事件を描いたもので、命の価値がまだ判っていない14歳の危うさを描いた作品と見るべきである(「飛ぶ少年」という短編、以下同じ)。

 現在の中学生をリアルに描いている、とした書評を見かけるが、かなりピントはずれに思える。主人公の一人、ナオトは早老症、すなわち容赦なく老化が進行し、中学生にして既に白髪で、男性の機能も喪失しつつある病に苦しむ人物だし(びっくりプレゼント)、ダイは、貧困と酒乱の父に苦しみ、ついには父を死に至らしめる人物(空色の自転車)という調子で、間違っても普通の中学生ではない。こうした主人公像からも、本書がリアルとは対極の世界の物語であることは、明らかであろう。

 作品の時代は、現代とされている。確かに、現代の若者の抱える問題が、そこには描かれている。しかし、そもそも、既に40歳をすぎた作者が、今の中学生の生理や心理を正確に把握しているわけがない。その意味でも、本書に現代的なリアリティを求めるのは無理な話である。

 本書に現れているのは、40歳過ぎの大人の知恵を備えた中学生という、あり得ない存在である。例えば、拒食症と過食症に悩むクラスメイトを優しく見守るテツロー(月の草)や、夫の暴力に悩む人妻を、彼女に代わって毅然として夫の暴力を受け止めることにより、彼女に自立のきっかけを与えるジュン(14歳の情事)の行動を、普通の中学生の判断として理解するのはむしろ不自然であろう。 我々は、誰でも中学時代に、今備えている大人の知恵を基準に、あの時こうすることができたら、式のほろ苦い悔恨の思いを、多かれ少なかれ持っていると思う。本書の主人公達は、まさにその夢を叶えてくれるという意味で、本書は、現代の神話を描いたものなのである。本書の読後感の爽やかさは、そこから来ているといえよう。

 先月号で、出版社のホームページで、本の一部が読めるということを紹介したが、はやっているらしく、本書も一部がインターネットで読める。http://www.shinchosha.co.jp/books/html/4-10-459501-2.htmlである。