『シラクのフランス』

軍司泰史著、岩波新書刊 700

 新書というタイプの書物を、私は原則として好まない。ややもすると大きすぎるテーマを選んでいるために、外形同様、内容も非常に薄手で、読んで時間を損したような気分になることが多いからである。しかし、本書は、タイトルにあるように、ジャック・シラクという一個人がフランス大統領であった時代、という比較的短い期間に対象を絞り、かつ、シラクという個性と関連する政治問題に内容を絞り込んだおかげで、新書版の中に、要領よく問題の全貌を描きあげるのに成功している、と評価できる好著に仕上がっている。

 ここに描かれている個々の事件は、新聞やテレビの国際面を飾ったものだから、多くの方が記憶にとどめているものと思う。しかし、相互の関連なく、バラバラに見ていたときに受けた印象を、シラクという一つの個性を媒介に整理して示されると、これほど印象が変わるものか、と驚かされる。

私は、時代が人を作ると同時に、人が時代を作る、という歴史観をもっている。例えば小泉首相は、違う社会状況の下であれば、風車に突撃するドンキホーテよろしく、むなしく自民党の総裁選に出馬するだけの人生だったかも知れないが、今の時代だから首相となれた。それと同時に、小泉首相以外であれば、絶対に自衛隊のイラク派遣は起こらなかったに違いない。

 それと同じように、シラクがフランス大統領になれたのは一つの時代であるが、彼が大統領であったがために、フランスの、ひいては世界の歴史は大きく変わったのである。そのことを、短い字数で要領よく示した点に、本書の価値がある。

 シラクが大統領に就任したのは、19955月のことだった。本書はその後のシラクとフランスの歩みを、ジャーナリストらしいドラマチックな筆法で紹介する。例えば、シラクは選挙時にはユーロ導入の前提となる財政赤字の削減に消極的な姿勢を示して国民の支持を獲得した。しかし、EUの発展とフランスの発展が分かちがたく結びついていることを理解して、就任後5ヶ月に赤字削減に乗り出す。その手段として社会保障費に切り込んだため、パリの交通機関は未曾有の山猫ストにおそわれる。本書は、3週間も首都機能を完全に麻痺させた、そのストの光景から始まる。

 この不人気を打開すべく、シラクは1997年に議会を解散して国民の信を問うばくちに打って出たが、大敗する。その結果、政権を構成する大統領と首相が反対党から選出されるという保革共存状態(コアビタシオン)が、なんと延々5年間も続き、フランスの政治機能を麻痺させることになるのである。

 私が本書で一番考えさせられたのは、「アメリカ・コンプレックス」と題された第8章である。フランスは他国に対する武力発動をためらう国ではないが、イラク戦争には、米国との関係悪化を覚悟で、最後まで反対を貫いた。それがなぜかという点については、本書をお読み頂きたいが、その説明の一環として、非常に印象的なある米国人の言葉を本書は引用している。「テロとは他者がわれわれに対して行う行為であり、われわれがどんなに残虐なことを行っても『防衛』とか『テロ防止』といわれる(本書200頁)」。ブッシュの採る道の危険さを感じさせる言葉である。

 

 

『タングステンおじさん』

オリヴァー・サックス著、早川書房刊 2500

「化学と過ごした私の少年時代」とサブタイトルが付いている。作者が、文字通り化学に浸かって過ごした少年時代を回想した書だからである。先にお断りしておくが、現在の作者は決して化学者ではない。職業は脳神経科医であるが、医学エッセイの名手として知られており、『妻を帽子と間違えた男』(晶文社)、『火星の人類学者』(早川書房)、あるいは映画化もされた『レナードの朝』(早川書房)など、邦訳も多い。そういう人の書いた化学への憧憬の書である。

 本書の作者は、化学という点に関しては、ひどく恵まれた生まれであった。母親は18人兄弟の16番目の子供であり、作者はその母の4人兄弟の末っ子という。だから一族は100人以上になるという大家族である。ロシアからの亡命ユダヤ人であった祖父は自学自習の人で、ライト兄弟とも交友があったという人物だったから、その影響下に息子たちは数学や自然科学の分野に進んだ。だから、親戚の中には科学者がごろごろいたのである。

 とくに、タイトルになっているタングステンおじさんというのは、電球工場を経営している母方の伯父で、フィラメントの材料であるタングステンという素材に惚れ込んでいたために、このあだ名があったのである。この伯父の工場内にある実験室を訪ねると、かなり危険なものも含めて様々な実験をやらせてくれた。タングステンや金の比重を自分で計算する、というような経験を積めば、確かに誰でも化学への関心が高まるであろう。

 さらに恵まれているのは、両親がともに医師で、家庭内に本格的な器具や試薬があったことである。最初は台所で実験をやっていたが、そのうちに使われていない洗濯室を専用の実験室に使うようになった。さらに、運のよいことに、彼の子供時代はいまと違って、青酸カリのような物騒な薬品も含めて、たいていのものが自由に近所の薬局で買えたのだという。彼の実験室は、直接庭に出られる場所にあったから、そうした試薬類を使って実験をしていて、反応が止まらなくなって、猛毒ガスが発生したりしても、すぐに芝生にフラスコを放り出せるという好条件にあるおかげで、事故は起こさなかったが、芝生はあちこちが茶色く変色してしまったという。

 それだけ自由に実験ができれば、初めてメンデレーエフの周期律表を見たときには、興奮して眠れなかったというのもよくわかる。それを構成するほとんどの元素を自分の手で実際に取り扱った経験があって初めてわかる興奮であろう。

 今日、理系離れがいわれ、理系教育の振興が叫ばれたりする。しかし、本書を読んでつくづく思うのは、理系の学問に対する本当の関心は、実物に触れることに依ってしか惹起できない、ということである。いまの学校に於ける化学の実験は、事故をおそれるあまり、ほとんど危険性のないものしか、子供たちに扱わせないものとなっている。しかし、それでは理系の振興は難しいのではないだろうか。本書は、初歩の化学実験便覧的な性格も持っている。もし折りがあれば、ここに書かれている実験を、家の台所でお子さんと一緒に行うのも一興であろう。口で説明するよりも、よく理解してくれるに違いない。