『盗まれた記憶の博物館』

ラルフ・イーザウ著、あすなろ書房刊 上下各1900

 ベルリンに行かれたことのある人なら、誰でもペルガモン博物館には強い印象を受けていると思う。大英博物館だの、ルーブル美術館だのと、世界に有名な博物館・美術館は数あるが、素人が見に行って、受ける印象の強さから言えば、ペルガモン博物館が絶対に世界一と私は信じている。何しろ、小アジアにかつて栄えていた都市の神殿や市場、門を、そっくりそのまま、巨大な博物館の中に移築してあるのだ。単に古いものが、ショーケースの中に展示してある、というのではない。入館者を囲むすべての環境が古代の遺物なのである。しかも、どれも素晴らしく美しい。博物館の収蔵品には、歴史的な価値がなければ只のがらくたといいたくなるものが多いが、ここの収蔵品は、間違いなく時代を超越した一流の美術品である。

 もし、皆さんが、ここの古代の石段に座って物思いにふければ、タイム・ワープして過去の世界に飛び込んだという気がしてくるだろう。少なくとも、空間を飛び越して小アジア旅行をしている気分には間違いなくなれるほどの迫力である。

 ペルガモン博物館の素晴らしさと書評と何の関係があるのか、と首をひねっている読者もあると思うが、話は簡単。1956年にベルリンに生まれたというちゃきちゃきのベルリン子である作者が、その愛する博物館の収蔵品の中でも特に美しいイシュタル門が異次元世界への入口になる、という発想から紡ぎ上げたのが本書なのである。つまり、本書は、イシュタル門の、神秘的なまでの美しさが判っていないと、今ひとつぴんと来ないところのある作品なのである。

 ドイツで、ファンタジーといえば、ネバーエンディング・ストーリ等で知られるミヒャエル・エンデを思い出す方が多いと思う。作者は、ドイツにおいて、そのエンデの後継者と目される人気作家である。

 元々はコンピュータのソフトウェアプログラマーだったが、9歳の娘に贈るつもりで、書き始めたのが最初の長編『ヨナタンと伝説の杖』(あすなろ書房)である。これは結局、ネシャン・サーガと称される全3巻合計で2000頁に近い大長編の第1巻になった。これは、確かに面白い作品と思うが、キリスト教的な世界という印象が強く、また、主人公が危なくなると神が介入して助けてくれるあたり、ご都合主義的な感もあり、私は、あまり高くは評価しない。

 しかし、本書では、そうした欠点が消えて、緊迫感のある良い作品になっている。古代バビロニアの邪神クセハーノが、イシュタル門を抜けて、現代のベルリンに復活する。この邪神は、人々の記憶を盗むという能力を有しており、ナチスや旧東独の秘密警察の暴虐の記憶が失われていく。このあたり、現代社会に対する警鐘でもあろう。この邪神による世界支配を、双子の姉弟が阻むために活躍するのである。コンピュータに関しては天才の姉ジェシカが現実世界で、芸術に関して天才の弟オリバーが、邪神の本拠地であるクワシニアと呼ばれる異次元世界で、それぞれ邪神を倒す努力を展開する。双子ならではの心の繋がりが、次元の壁を越えての連絡を可能とするあたり、実に巧みな設定である。ファンタジー小説の好きな方には、是非記憶したい作家の一人となろう。

 

 

『続 御書物同心日記』

出久根達郎著、講談社文庫刊 514

 「でくね・たつろう」と読む。変わった名前だが、本名で、別に隠された意味などはない(と彼のエッセイにある)。変わった履歴の人物である。1944年に茨城に生まれ、極貧の中で育ち、中卒で集団就職で上京。中央区月島の古書店で小僧として働いて、古本屋としての技術を磨き、73年から杉並で自ら古書店を経営するようになった。

 多分、その書店経営のつれづれにふと書き留めた文章なのだと思うが、文庫版で1頁半程度の掌編エッセイを書きため、これをまとめた『本のお口汚しですが』で、平成4年度に、講談社エッセイ賞を受賞した。その翌年、月島の隣にある佃島の古書店を舞台にした小説『佃島ふたり書房』で、今度は直木賞を受賞した。多分、こうして本格的な作家として出発したのだと思う。NHKがテレビドラマ化した『女飛脚人』も彼の作品である。説明中に「多分」という言葉ばかり並べているが、この人、エッセイストという自分のプライバシーの切り売りみたいな仕事をしている割に、自らを語ることがひどく少なく、全体像がうまくつかめないのである。

 本書の表題になっている御書物同心というのは実在の制度である。作者の説明するところを掻い摘んで述べると、徳川家康が収集した書物を江戸城中の紅葉山というところの書庫に収蔵していたが、三代将軍家光が御書物奉行をおき、御書物方同心という職掌を設けて管理させたのが始まりである。以来三百数十年、その書物は、火災にも遭わず今日まで無事に伝えられた。いまでは、宮内庁と内閣文庫に分置されているという。

 今回取り上げているのは、頭に「続」がついていることで判るとおり、続編である。続のつかない『御書物同心日記』という本もある(正編と呼ぼう)。この正編と続編は、同じ人物を主人公とした作品なのだが、ずいぶん作品の感じが違う。

 御書物奉行は、勤務日誌を付けていたという。150年分、225冊が現在も内閣文庫にあるそうだ。正編は、この勤務日誌を種本に、平の御書物方同心の生活を、本好きで、他家から御書物方同心の家に養子に入った東雲丈太郎の視点から描いている。江戸時代の役人の日常生活をかいま見る面白い作品になっている。

 それに対して、今回取り上げている続編では、むしろ力点が江戸時代の古書店の営業に移っている。書物に造詣の深い丈太郎が、馴染みの古書店に頼まれて、古書店が巻き込まれた事件の謎を解く、という体裁である。市井の事件では、腕力が問題になる場合も出てくるから、丈太郎は、正編で描かれていた只の本の虫ではなく、それなりの剣の使い手でもあることになっている。

 どちらもそれなりに面白いが、やはり眠ったような城中の物語よりも、続編の方を私は好んでいて、それをここに取り上げた次第である。

 本好きと古書店は切っても切れない関係にあるから、古書店を舞台にした作品は数多いが、ややもすると、精神異常といいなくなるような本好きを描いていて、普通人としては理解が止まるところがある。その点、この作者は、理解のできる本好きを描いて、読んでいて、春風駘蕩とした気分になれるところに良さがある。