『朔風ノ岸』

佐伯泰英著、双葉文庫刊 648

 居眠り磐音江戸双紙と題されるシリーズの第8作である。ごく簡単にシリーズ内容を紹介する。

 藩内の騒動がもとで、許嫁の兄を斬って国元を離れた主人公坂崎磐音は、江戸の長屋に住まい、居眠り剣法とあだ名される剛剣を振るって、用心棒稼業に辛うじてその日を送る。しかし、その用心棒の仕事は、幕府の屋台骨を揺るがす大騒動につながっていた。他方、国元の風雲も急を告げ、磐音のもとにも刺客が・・。

 このように紹介すれば、どなたも藤沢周平の傑作時代小説『用心棒日月抄』を想い出されるであろう。上述した点に関していえば、藤沢周平との違いは、斬ったのが許嫁の父か兄かという点だけである。要するに、この小説、悪くいえば、藤沢周平の用心棒シリーズのパクリなのである。

 しかし、多分こう言っても作者は怒らないと思う。なぜなら、この作品、決して作者にとって渾身の力作という訳ではないからである。よりはっきり言えば、書き飛ばしている作品であるに過ぎない。シリーズ第1作『陽炎ノ辻』の初版が出たのが2002年の4月であるが、その後、『寒雷ノ坂』『花芒ノ海』『雪華ノ里』『龍天ノ門』『雨降ノ山』『狐火ノ杜』と続いて、本書は20043月に刊行されている。丸2年で8作までが刊行されている、というスピードは、書き飛ばしとしか評しようがないではないか。この書評原稿が評者の手元を離れた後、皆さんの目にとまるまでの間に、第9作が出かねないスピードである。

 ついでに言えば、作者がこの間に書いているのは決して、この居眠り磐音シリーズだけではない。『古着屋総兵衛影始末』(徳間文庫)や『吉原裏同心』(光文社)、『鎌倉河岸捕物控』(ハルキ文庫)など、驚くなかれ10シリーズを同時進行で書いている。したがって、毎月確実に何かの新作が、場合によっては23冊も、書店に現れている状態にある。

 作者の他にも、このような勢いで、毎月のように文庫から刊行している小説家は何人かいる。そうした量産作品は、一般にストーリなど無きに等しく、殺伐とした暴力とエロ・グロ・セックスの描写を除けば、何も残らないような代物ばかりである。仮に皆さんが、何も読むものがないときに、やむを得ず手を伸ばしても、読んだことを後悔すること必至といえる。

 その中にあって、本シリーズは、 確実に爽やかな読後感を残してくれる佳作揃いである。ゆったりとした主人公の人物造形、藩内の騒動に巻き込まれて、自ら遊郭に身を売った幼なじみの許嫁へ寄せる思い、主人公を取り巻く市井の人々の温かさ等々が活写されており、藤沢周平の没後、彼のような作品が無いことに飢えを感じている人々にはお勧めできる。こうした量産小説とは信じられないほどに、時代考証も正確である。価格も、各巻350頁内外の量の割りには安い。

 作者は1942年に北九州に生まれ、日大芸術学部を卒業後、カメラマンとして活躍、一時期はスペインに住んだ。小説としての処女作『闘牛』以降、しばらくはスペインと関わりのある作品を発表し、あるいはフラメンコの演出までも手がける多才ぶりを発揮した。時代小説を書き始めたのは1999年からというが、今や年間売り上げ150万部近いという、隠れたベストセラー作家である。

 

 

 

『後巷説百物語』

京極夏彦著、角川書店刊 2000

「のちのこうせつひゃくものがたり」と読む。『巷説百物語』(以下、本編という)、『続巷説百物語』(同、続編という)と続いてきた3部作の最終巻である。そして、改めてお断りをするまでもなく、第130回の直木賞受賞作である。

 本欄で、直木賞や芥川賞の受賞作を取り上げることは滅多にない。本欄で取り上げるほど面白い作品とは思わなかった、という理由であることも多い。しかし、それ以上に、新聞や雑誌の書評が揃って取り上げている書について、わざわざ追加して推薦する必要を感じないという理由が大きい。

 ところが、今回の場合、芥川賞で20歳の女性ふたりが揃って受賞したという話題性に押されているためと思うのだが、直木賞受賞作についての書評をほとんど見かけない。今回は、本書ほどの傑作が選ばれているのに、これはもったいないことなので、本欄で取り上げる次第である。

 百物語というのは、簡単に言ってしまえば、怪談話の別称である。本編の第1話と本書の最終話にある程度詳しい説明が出てくるが、何人かで、順に怪異談を語るという趣向で行われる。だから本書でも、百の話が書かれているわけではない。実際には本編に7話、続編に6話、そして本書に6話の計19話が語られている。

 このシリーズの特徴は、怪談話に見えて、実は怪談ではない、という点である。表面的には怪異現象と見えるものに、すべて合理的な説明が与えられている。実は小股潜りと異名をとる又市とその仲間の小悪党達が、怪異現象と見せかけつつ、依頼された事件の解決を行っているのである。

 物語は、いずれも怪異現象に関する好事家である山岡百助の視点から展開される。彼は、偶然、又市達が仕掛けた事件に、本編の第1話で巻き込まれ、第2話からは又市の仲間の一人として仕掛けの一部を担うことになるのである。

 もっとも、物語の構成は、各巻ごとにかなり違っている。本編では、基本的に事件と同一の時点で物語が語られていた。それに対して、本書は、建前的には明治維新後の物語である。人々が合理的精神を持つようになった時代を背景に、そこでなおかつ起きた怪異事件の解決に、警視庁巡査とその友人達が思案投げ首する。あげくに、今は一白翁と名乗って隠棲している百助に相談を持ちかける。百助は、昔、又市達と経験した怪異談を物語る。それをヒントに、明治時代の事件も解決される、という複雑な入れ子構造のような話になっているのである。

 作者は、1963年、北海道生まれ。もとはグラフィックデザイナーという。講談社に持ち込んだ『姑獲鳥の夏』で1994年に作家デビュー。第25回泉鏡花賞を受賞した『嗤う伊右衛門』、第16回山本周五郎賞を受賞した『覘き小平次』など、その作品はすべて怪異談である。しかし、本書とも共通する合理的な説明が、いずれもきっちりとされているため、『魍魎の匣』では第49回日本推理協会賞を受賞している。横溝正史的な、おどろおどろしい合理性の世界である。人により、好き嫌いがあると思うが、私は、この作者は、本書のような連作短編が好きである。正直に言って、例えば『覘き小平次』のような長編を読んでいるとかなり疲れる、というか、気が滅入る。