『不思議のひと触れ』

シオドア・スタージョン著、大森望編、河出書房刊 1900

 今月は、ファンタジー作品二つを紹介してみた。

 こちらは、SF、すなわちサイエンス・ファンタジーと呼ばれるジャンルに属する。この作者が没したのが1985年のことだから、もう没後20年に近い歳月が流れている。当然、彼の全盛期はその2030年前と言うことになる。

 最近のSFファンの中には、彼の名をもう知らない人も多いかも知れない。彼の作品のほとんどが邦訳されているにもかかわらず、今、入手するのは非常に困難な状況が続いているからだ。彼のファンタジーを代表する長編『夢見る宝石』すら、古本屋歩きをしない限り、もはや手に入らないのである。翻訳・刊行の年次が1950年代や60年代に集中していることを考えれば無理もないといえるが・・。

 本書の解説によれば、作者は米国で最近再び脚光を浴びだし、彼の全作品を再刊行する動きが出ており、それに触発されて本書も刊行されたということである。米国における編集者が「広く読まれ、新しい読者を獲得し続けるためには、その作家の作品が常に出版され続けていなければならない」と述べたというが、誠にもっともである。本来、文庫というのは、岩波文庫に代表されるように、そのような息の長い出版物として企画されたものだと思うのだが、最近は、廉価出版の手段に愛用されている感がある。おかげで、過去に広く読まれていた作者に触れるためには、本書のような新企画を必要とするのである。

 このような本書の内容自体に関係のない駄弁はいい加減にして、本書について紹介すると、これは、決して米国におけるアンソロジーの翻訳ではなく、編者によってわが国で独自に編まれた短編集である。解説で紹介してあるところによれば、本邦初訳のものも多い。また、過去にSFマガジンなどに紹介されたことがある作品についても、すべてが新たに翻訳し直されたという。

 先に述べたように、この作者の作品がわが国に紹介されたのは5060年代であるから、評者自身も、まだSFをあまり読むことができなかった昔である。その結果、名作の誉れ高く、様々なアンソロジーに取り上げられた「雷とバラ」を除くと、ほとんどがはじめて読んだ作品であった。

 編集にあたっては、この作者の幅を示すように配意したという。実際、巻頭に載せられている「高額保険」は、作者の処女作というが、内容的には純然たるミステリで、サイエンスともファンタジーとも何の関係もない。そういう多才な作者が、SFの分野に定着したのは、「『友愛組織めいたSF界』(ロバート・シルヴァーバーグ)の特性が彼をあたたかく迎え、さびしさを癒し、居場所を与えた」ことにある、と編者は解説で述べている。そうだとすれば、そうしたSF界の体質自体が、SFファンにとり、幸運を呼び寄せたことになる。

 表題作「不思議のひと触」は、作品自体は大したことはないが、この語そのものが素晴らしいと思う。これはa touch of strangeの訳語である。この作品は、かつて「奇妙な触合い」という訳語で邦訳されていたというが、今回の訳語の方が良い。どこにでもいる平凡な男に、不思議のひと触れが加わると、それから先、彼の人生はずっと本物になると作中人物が述べているが、これはこの作者の作品の魅力そのものを示している。

 

 

『しゃばけ』

畠中恵著、新潮文庫刊 514

 こちらは、2001年に第13回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した作品の文庫化である。作者は1959年生まれで、この作品が処女作というから、作家としては遅いデビューである。作家を目指すに当たり、都筑道夫氏が講師をしていた小説講座に通ったという。ああいう市民講座に参加して小説家になろうと志ている人にとっての希望の星と言えるような人である。

 もっとも、本来は漫画家で、すでにいくつかの漫画雑誌で主婦向けの読み切りのストーリ漫画を発表していた人というから、ゼロからの出発ではない。初めて書いた長編小説で直ちに受賞となったし、続編の『ぬしさまへ』(新潮社)もなかなかに読ませるから、基本的な力量は確かな人と思う。

 小さい時から漫画家になる、と決めていた、というあたり、漫画に親しんで育った世代だということを痛感させる。そして、漫画家アシスタントなどの苦労を重ねて一応プロの漫画家になれたけれど、実は、根本的に作画が上手な方ではなく、それに対して物語を創ることは好きだった、というのが路線変更の理由というのが面白い。

 本書は、表紙の絵にも明らかなとおり、基本的に妖怪話であるが、前回紹介した京極夏彦の作品に見られるような、不気味な雰囲気のものではない。主人公は16歳になる商家の一人息子なのだが、幼い時から病弱で、外に出歩くこともあまりせず、商家の手代に化けている妖怪に育てられたため、普通の人に交わるよりも、妖怪とのつきあいの方が深い、という設定なのだから、おどろおどろしいものには、なりようがない。商家は、本業は回船問屋なのだが、病弱な息子のため、各地から薬を集めているうちに、薬種問屋も開業することになってしまった。息子は、一応そちらの責任者ということになっているので、若旦那と呼ばれている。

 物語そのものは、口喧しい両親や手代の目を盗んで夜歩きにでた若旦那が、殺人事件に遭遇するところから始まる。その後、薬種問屋ばかりを狙った殺人事件が起こり、若旦那自身も狙われて危うい目に遭う。だから、何となく、この連続殺人事件の解決を目指す推理帖かと思わせる。しかし、実際のメインの謎解きは、若旦那自身の素性の謎解きである。それはそうだろう、普通の人間がどう転んでも、妖怪の手代に育てられたりするわけがないからである。

 若旦那の育ての親ともいうべき二人の妖怪は、犬神と伯沢ということになっている。作者はこの名前さえ出せば、それがどんな妖怪かは、誰でも知っていると思っているらしく、一度もその本性に関する説明が出てこない。犬神の方は、名は体を表すで、誰にでも想像は付くからまあ良いとして、伯沢の方は必ずしもポピュラーな妖怪とも思わないので、この辺は少し不親切と思う。続編の『ぬしさまへ』の表紙絵で、ちょうど帯の下に寝ているから買わないと見られないが、基本的には牛の形をしているが、あちこちにやたらと目がある妖怪がそれである。

 続編の方は、病床に過ごすことの多い若旦那が、自分の身の回りに起こる事件に関して、妖怪の助けを借りて安楽椅子探偵を演ずる短編集である。この調子では、さらに続々編もありそうである。うぶな若旦那の恋物語が、今後の楽しみということになろうか。