『奇想、宇宙をゆく』

マーカス・チャウン著、春秋社刊 2300

 今月は、科学的なノンフィクションを二つ紹介することとした。

 この作品はサブタイトルに「最先端物理学12の物語」とある。すなわち、常識的にはとても信じられないような、最先端物理学の理論が、12話並んでいるのである。もっとも、SFファンの方なら、そう驚くようなアイデアではない。というより、気の利いたSFは、こうした最先端物理学のアイデアを頂いて形作られている、といっても良いであろう。

 例えば、第2話「多世界解釈と不死」という話は、我々がある選択をする度に、宇宙が二つに分裂し、その結果、現実の宇宙は無数の同時並行する宇宙によって構成されているというアイデアを紹介している。これは、キース・ローマーの古典的な傑作『多元宇宙の帝国』を始めとして、これまで数え切れないほどのSFで取り上げられてきたアイデアである。驚いたことに、本書の冒頭に序文を寄せている佐藤勝彦東大大学院理学系研究科教授は、これこそが「もっとも論理的な解釈」なのだと述べており、どうやら我々は本当にSF的な世界に生きているらしい。

 あるいは、以前に本欄でハードSFの傑作として取り上げたジョン・クレイマー著「重力の影」(ハヤカワ文庫)は、本書だと第7話「鏡の宇宙」で紹介されているアイデアをベースにした作品である。我々の太陽系そのものと共存して、ミラーワールドと呼ばれる、我々の既知の観測手段では認識不可能な空間が存在し、ミラー物質が存在すると考えると、様々な宇宙論上の謎が解決されるのだという。例えば、宇宙の質量の90%以上は、その正体が何か不明でダークマターと呼ばれているが、ミラー物質が存在することになれば、それはあっさり説明可能と言うことになる。

 しかし、私が本書で一番仰天したのは、なんといっても第11話「蔓延する生命」である。皆さんは、宇宙塵という言葉をご存じと思う。宇宙空間に細かな塵が浮遊しているために、遠方の星が霞んで見える。この塵はきわめて微細な粒子で、直径は1000分の1mm程度であることは、1920年代から知られていたが、その正体は不明であった。ちなみに、この大きさはほぼ典型的なバクテリアの大きさに等しい。

 当初は、鉄の粉と思われていた。しかし、鉄が核融合反応の最終生成物であることを考えれば、遠方の星を霞ませるほど膨大な量の鉄が宇宙にあるわけがない。1960年代に、スリランカのウィクラマシンゲという学者が、これが炭素の粒、すなわち黒鉛であるという説を出し、しばらくはこれが定説になっていた。ところが1970年代に、赤外線天文学の発達により、少なくとも黒鉛ではあり得ない事が明らかになった。

 そこで、ウィクラマシンゲは、それが何かの炭素化合物であると考え、様々な炭素化合物を調べた末、バクテリアの干からびた死骸に光を当てると、なんと宇宙塵と同じ特徴を示すことを発見したのである。天体観測でも同じ結果が得られた。つまり、宇宙塵が典型的なバクテリアと同じ大きさであった理由は、実はそれがバクテリアそのものであったからだ、というわけである。銀河宇宙の空間には、遠方の星を霞ませるほどの大量のバクテリアの死骸が浮遊している それが、どこからやってきたのかは本書をお読み頂きたい。

 

 

『数学をつくった人々』

E・T・ベル著、早川ノンフィクション文庫刊、TUV各820

 こちらは、現代数学の基礎をつくり出した、過去の偉大な数学者達の伝記集である。そうした数学者達の業績が古びることはあり得ないから、伝記そのものは古いものでも構わないことになる。実をいうと、本書の原著の初版がでたのは1937年と言うから、今から70年近くも昔に刊行された本である。しかし、日本では戦前に部分訳があっただけで、全訳は1962年に初めて行われたという。1997年に改めて翻訳・刊行されたが、本書は、その文庫化である。

 私は数学の問題を解くのはあまり好まない。決して苦手というわけではないのだが、出来れば数式などというものにはお目にかかりたくない口である。小学校時代の算数で、ひたすら忍耐を要求された後遺症であろうか。

 しかし、SFを読みたければ、ある程度は数学的説明が理解できないと、ストーリ展開について行けない、という問題がある。少なくとも、著名な数学者の名前と、それに対応する業績のラフ・スケッチ程度は頭に入っているのが好ましい。例えばポール・アンダースンの『魔王大作戦』では、地獄世界で数学者のロバチェフスキーが大活躍する。その時、いったいロバチェフスキーって誰だ、などと考えていたのでは、物語の感興を大きく削ぐことになる。

 本書は、そういう人に手っ取り早く数学者の情報を提供する書である。いわば『あらすじで読む日本の名著』の数学版みたいなものといえるだろうか。過去から19世紀までの主要な数学者の生涯と主要な業績を、全3巻計1200頁ほどで要領よく紹介したものなのである。

 冒頭に取り上げられた古代ギリシャの数学者・哲学者であるピタゴラス、ツェノン、プラトン、アルキメデスを別格とすると、本書の数学者列伝は、デカルトから出発する。

 私のような法律家としては大いに関心のある、弁護士フェルマの業績も紹介されている。ついでに言うと、数学者と法律家は案外近い職業らしく、ケイリーやシルヴェスタ(2332頁以下)など多くの数学者が法律を職業にしていた。

 先に名をあげたロバチェフスキーの場合、ロシア皇帝からの圧力の下、カザン大学学長として膨大な雑用をこなしつつ、「幾何学におけるコペルニクス」と呼ばれるほどの業績を成し遂げたことが紹介されている(2176頁以下)。

 本書は、29の項を立て、合計30数人の数学者の小伝を集めたものとなっているが、それらの小伝中で論及した数学者の数はさらに多数に上る。これについては、巻末に合計18頁にわたる詳細な索引が付いていて、項に立てられていない数学者について調べることも出来る。例えば、『魔王大作戦』で、ロバチェフスキーの助手役として、気の毒に猫に変身させられて登場した不運な天才ヤーノシュ・ボヤイを、この索引で調べると、その父ファルカシュ・ボヤイがガウスの友人だった、などということが判るのである。 

 本書の欠陥は、何といっても書かれた時点が古いものであるため、20世紀における数学の業績がまったく紹介されていないことであろう。そうしたものに関心があれば、何か別の書を捜す必要がある。しかし、カントールまでが紹介されているのであるから、普通のレベルの数学であれば、十分に間に合うものとなっている。