『ナポレオン自伝』

アンドレ・マルロー編、春秋社刊 2300

 今月は、著名人の書いた書簡集を抜粋したものを二つ紹介することとした。

 ナポレオンは、自伝を書いたことはない。しかし、初期においても膨大な量の書簡を残しており、後には公的文書も大量に著している。それらが、ナポレオン三世という、この偉大な伯父の存在だけが自らの存在の正当性の根拠であった人物が編纂させた書簡集全32巻を筆頭に、膨大な一級の史料の形で存在している。編者は、この膨大な史料を読み抜き、ナポレオンの生涯における時間の流れに沿って、自由に抜き書きする形で、ナポレオン自身に、自らの生涯を語らせようと目論んだのである。本人が書いていないにも関わらず、自伝としてまとめようという、そのアイデアの奇抜さという点で、まさに奇書と言うべきであろう。

 編者は、日本でも伝記が公刊されているほどの著名な人物であるが、知らない人もいるかと思うので、簡単に紹介する。1901年生まれ。若き日にはインドシナなどで冒険的な活動をし、その後、小説家として成功する。スペイン動乱時には、ヘミングウェイ等と同様に人民戦線に身を投じ、第2次大戦中はドイツに対する抵抗運動の指揮官として活躍した。戦後は、ドゴール臨時政権に閣僚として参加し、また、ドゴールの政界復帰ととも文部大臣などを務めるなど、政治活動も積極的に行った。美術評論などでも一家をなした。1976年に死去している。

 同時代の英雄であるドゴールに深く傾倒していたという経歴から容易に想像できるように、編者はナポレオンの大ファンでもある。もし最初から、このような自伝を書くつもりで、書簡集等に目を通したのでは、不可能なほどの膨大な史料を自在に駆使しえたのも、ファンとして、日頃から抜き書きを行っていたからに違いない。

 これはかなり読みにくい本である。

 本来、伝記や自伝は、その対象となっている人物についてあまり知らない人を対象としているはずである。だから、巻末にはたいてい年表があるし、本文にはいっそう詳しい記述、さらには、主人公が働く重要な歴史上の事件に関する客観的な紹介などが含まれているのが通常である。

 ところが、書簡というものは、その発信者と受信者の間に、その書簡が、どのような状況の中で書かれたのか、というような基本的な要素については共通認識があるに決まっているから、第三者が読む場合に、必要となる様々な情報をわざわざ書き加えたりはしない。だから、どれほど大量の書簡が存在していようと、書簡を書き抜いただけで、自伝ができあがるわけがないのである。

 本書のようにして作られた自伝では、そのあたりの情報は、編者が補ってくれなければならない。ところが、先に述べたとおり、編者はナポレオンの大ファンだったから、彼の生涯の主な事跡などは皆頭に入っている。さらに言えば、たいていのフランス人も、その点についてはおそらく困らない。だから、本書は、文字通り書簡からの膨大な抜き書きだけで作られていて、そうした補完的な記述がないのである。翻訳者もその辺を気にしていて、巻頭に、前書きに代えてナポレオンの略年表を付しているが、決して十分とはいえない。

 そういう読みにくい本ではあるが、ナポレオンの肉声に触れられるという魅力には代え難い。

 

 

 

『漱石先生の手紙』

出久根達郎著、講談社文庫刊、552

 こちらは、現代日本文学の礎を築いた夏目漱石の書簡を、作者が自由に選択、紹介した書である。もっと正確に言うと、NHK人間教養講座の一環として、2000年に、児玉清が手紙部分を朗読し、作者がそれにコメントをつけるという形で行われたものを文章化し、NHKから刊行されていたものを、このほどさらに文庫化した本である。この作者については、先に直木賞受賞作を本欄で紹介したことがある。直木賞を取るくらいだから、小説家として一流であることは疑いない。しかし、この人の本領は、小説よりも随筆にあると思う。そして、本書は、漱石の手紙を素材にした随筆集として読むことができる。

 漱石という人は、生きている間も、その弟子とされる人からずいぶん愛された人である。今日、我々が漱石の活動を巨細にわたって知ることができるのは、その弟子の一人、小宮豊隆が、漱石の死後、その個人全集の完成に大変な努力をしてくれたからである。単に公刊された活動を収集しただけでなく、漱石がその蔵書の欄外に書き込んだメモまでも、整理し、全集に収録したのである。

 その一環としてその書いた手紙についても、今日、我々は日を追って読むことが可能である。漱石は手紙の保存の悪い人で、受け取った手紙はたいていすぐに破棄している。従って漱石が受け取った手紙の内容はわからない。しかし、漱石の出した手紙を受け取った側にとっては、漱石の肉筆は家宝である。小宮は、漱石の肉声を残すため、そうした手紙の内容を伝えるように一般に呼びかけたのである。そして、多くの人がこれに賛同して小宮の元に資料を寄せた。驚くのは、漱石が手紙の相手を非難しているような手紙までが提出されたことである。漱石が今日の我々だけでなく、当時の人々からさえもすでに日本を代表する文豪と信じられていて、そうした手紙までが保存されていたことがよくわかる。そうした膨大な、よく整理された資料のおかげで、時間の壁を越えて、我々は今日もなお、漱石の謦咳に直接に接することができるのである。

 作者は、単に漱石を一個人として客観的に見ているわけではない。それは、表題に、漱石「先生」の手紙とあることに端的に表れている。

 私は、大学で講義をする際、例えば美濃部達吉の業績について論究する際は、「美濃部は・・」と呼び捨てにするが、直接師事した清宮四郎について論究するときには、無意識のうちに「清宮先生は・・」と言っている自分に気がつく。憲法のイロハを教わった身として、どうしても呼び捨てにできないのである。

 おそらく同じことが、この作者と漱石の間にもあるに違いない。中卒で集団就職した作者は、普通なら高校や大学の教育によって得られる一般教養を、漱石の著述から学んだた人である。序文のタイトルに、「私の漱石大学」とつけていることに、それが現れている。

 その意味で、まさに時間の壁を越えて師事していることからくる敬愛の念が、にじみ出ている文章となっている。例えば、普段の随筆と違って、基本的に「あります」言葉で書かれていて、なんとなく先生の前で堅くなって話をしている感じがあるのである。

 漱石の総てのジャンルの書簡を紹介しているが、当然のことながら、正岡子規や寺田寅彦などの、友人や門下生に対する手紙が一番面白い。