『メリーゴーランド』

荻原浩著、新潮社刊 1700

 今月は、現代の神話(?)を二つ紹介することとした。こちらは大人の神話である。

 この作者、何とも絶品のユーモア小説を書く。1956年生というから、もう立派な中堅作家である。そろそろ直木賞あたりの声が掛かっていい人だと思うのだが、こういう優れたユーモア小説というのは、意外と賞に恵まれないのが、悲しい。わが国はユーモアというものを少し低く評価しているのではないだろうか。

 作者は、大学卒業後は広告制作会社に勤務していたということで、第10回小説すばる新人賞を受賞したデビュー作『オロロ畑でつかまえて』や、その続編の『なかよし小鳩組』では、倒産寸前の零細広告代理店を舞台にしているし、その後の『噂』とか『神様からひと言』といった作品にも程度の差こそあれ、広告代理店が絡んで来ることが多く、それが作品のリアリティを高めている。本書でも、その辺の構図は変わらない。

 なぜリアリティということを問題にするかというと、この人の作品は、リアリティとそれを無視したところの対比に、作品の面白さが存在しているからである。第1作に登場した過疎の村にしても、第2作に登場した暴力団小鳩組にしても、実に見事なステレオタイプの存在で、実態というより現代の神話そのものである。そのステレオタイプを前にして、広告という現代を象徴する存在がリアルに悪戦苦闘するところに、彼の作品の笑いが生まれてくる。

 本書でも、その辺、全く変わらない。本書の場合、主人公・遠野啓一は、都会でのサラリーマン生活に心身をすり減らして故郷の駒谷市へ戻り、市役所に勤務しているのだが、その勤めぶりが、まことに凄まじい。いわゆる三ない、すなわち休まない、遅れない、働かないという地方公務員の勤務の神話がこれでもか、というほどくどく書かれる。そんな啓一が突如異動を命じられるのだが、その先は、駒谷アテネ村という超赤字状態の市営テーマパークのリニューアル推進室である。つまり、テーマパークの建て直しを担当させられるのだが、そこがまた、それまでの職場が激務に思える(というせりふが作中に登場する)ほどに、暇。室長達は、肝心の自分の所のテーマパークを一度も見に行かずに、ディズニーランド等の視察予定を立てるのに忙しがっている始末。正に、公務員に関する現代の神話が描かれている。

 話は後半、突如テンションがあがる。アテネ村の運営母体である第三セクターの理事達相互の足の引っ張り合い等から、婆抜き式に、突然、啓一にゴールデンウィークの企画が押しつけられる。父親の仕事というのが子供の作文のテーマとなったことから、子供の目に映る父親像を良くすることを念頭に、啓一が突如暴走を始めるのである。無能なイベント企画会社を叱咤し、売れない前衛劇団だの、暴走族だのという、社会からの落ちこぼれをスタッフに集めて、見事経営の再建に成功するのである。このあたりは、サラリーマンの神話である。そして、それにも関わらず、選挙での首長交代によって施設はあっさり閉鎖、というほろ苦い結末。

 とにかく、彼の作品は、絶対にはずれがない。但し、通勤電車の中などでは読まれない方がよい。吹き出して、あわてて周りの目を気にするはめになることは間違いない。

 

 

『我が家のお稲荷さま』

柴村仁著、電撃文庫刊、第1550円、第2570

 こちらは、少年用の文庫本である。本欄を愛読して下さっている方なら、書店を覗かれることも多いと思う。すると、この数年、急速に文庫本用の棚のかなりの部分を、派手な少女漫画チックなイラストで飾った本が占めるようになっているのに気がつかれていると思う。もしかすると、その表紙のために、漫画の文庫本と思われているかも知れないが、れっきとした少年小説である。

 私が生活の拠点にしている本の町、神田神保町を例にとると、三省堂はかなり保守的でせいぜい文庫本売り場の一割弱という感じであるが、書泉になると文庫本用のスペースの三分の一強はこの手の本で埋まっている。それだけ売れているのであろう。

 乱読をモットーとする私としては、このように大きな存在となっている分野を無視する訳にはいかず、最近、時々手を出している。こうした本の出版社は何社かあるが、私の体感からいうと、もっとも急速にシェアを伸ばしているのが、電撃文庫である。そこで、今回は、この文庫について若干紹介してみたい。

 この文庫の面白いところは、著者を読者の中から発掘していることである。すなわち平成六年以来毎年、電撃ゲーム小説大賞と銘打って、大賞100万円、金賞50万円、銀賞30万円で、作品を募集しているのである。受賞しているのは、20代。できるだけ読者と同じような感性を持っている人を発掘することを狙っているのであろう。受賞作は直ちに文庫で刊行される。さすがに賞を取るような作品は、どれもそれなりに面白い。

 不思議なのは、その作品のかなりのものが、文字通り神話ないし怪神乱力を語っていることである。ギリシャ・ローマ神話や北欧神話から始まって、エジプトやアッシリア、インドまで、あらゆる神々のオンパレードと言っていい。あるいは、吸血鬼、狼男、犬神等々の妖怪が主人公であるものも多い。私は、子供時代、ジュール・ベルヌ等に目を輝かしていた口なので、このオカルトの氾濫をどう解すべきか、正直、首を捻っている。

 本書は、大賞ではなく、平成15年度の金賞をとった作品だが、なかなかに面白い。ここでは強大な神通力を持つ天狐が、中学生と高校生の兄弟を守って活躍するのである。対するは、通りすがりの妖怪や町内の神社に祀られている神様である。

 若者というのは、意外と保守的なところがあり、第1作が面白いと、そのシリーズを続けて読みたがる。そこで、電撃文庫では、作者の尻を叩いて、シリーズを続けさせようとする。だからわずか23年で数冊も書かれる。そこで、作者が作家として成長できる人間かどうかが分かれる。多くの作品は、悲しいことに、構想に時間を掛けた第1作を超えられず、編集者のおだてるままに惰性で書き殴っている感じがある。

 しかし、1作ごとに工夫を凝らし、徐々に向上していく者も確実にいる。例えば平成9年に『ブギーポップは笑わない』でデビューした上遠野浩平は、明らかに向上している一人で、近時刊行する作品はかなり読み応えがある。同様に、本書も、第1巻よりも第2巻の方が読み応えがある、という点で紹介に値すると考えた次第である。

 それにしても、少年小説のイラストが、なぜ少女漫画チックなのか? この点だけは電撃文庫編集者の趣味が理解できないでいる。