『ダヴィンチ・コード』

ダン・ブラウン著、角川書店刊 上下各1890

 本書は、ハーヴァード大学の宗教象徴学教授であるロバート・ラングトンを主人公とする、『天使と悪魔』に続くシリーズ第2作である。

 この主人公の肩書きにある「宗教象徴学」なる言葉は、およそ普通の日本語にはありそうもない(手近の何冊かの辞書を調べたが、載っていなかった)が、それがまさに本シリーズのキーワードである。

 第1作は、かのガリレオ・ガリレイが反ヴァチカン活動を行う秘密結社の有力メンバーであった、という事実を物語の背景に据える。その組織では、ローマ市内の宗教的記念碑の中に、反ヴァチカン組織に参加しようとするものに、組織の所在地を告げる道標を巧妙に隠していた。その道標のある施設を枢機卿の誘拐・虐殺という悪辣な犯行に利用する犯人を見いだすべく、主人公は象徴学の知識を駆使して、秘密の道標を発見しようと苦闘する。

 本書では、タイトルのとおり、レオナルド・ダ・ヴィンチが、反ヴァチカン組織の長の地位にあったという事実を物語の背景に据える。ルーブル美術館長が、美術館の中で殺害され、その現場に、正体不明の暗号とともに主人公の名が残されていたことから、主人公は警察に容疑者として追われつつ、象徴学の知識を駆使して暗号を解くことで、殺人事件の謎を解明しようとする。それは、「モナ・リザ」、「岩窟の聖母」、「最後の晩餐」といったダ・ヴィンチの名画に隠された謎解きにつながっていくのである。

 もっとも、象徴学がどのような学問なのかがわからなくとも、物語を楽しむ上ではまったく問題にならない。主人公の傍らに、我々同様、そうした知識に全く欠けている人間を配して、誠におもしろく懇切な説明を展開してくれるからである。

 欧米で、本書が爆発的なベストセラーになった理由は、彼らの常識の破壊にあると思われる。

 本シリーズは、一方において、欧米人の精神的基盤と言うべきキリスト教の中に混在する異教のシンボルや異端の表れを、目から鱗が落ちる感じに明確に指摘している。例えば、聖書が明確に安息日を天地創造の最後の日と述べているのに、なぜキリスト教では日曜がそれとされているのか、あるいは単にイエスを生んだにすぎないマリアが、なぜカトリックではイエス以上に信仰を集めているのか、というようなことに疑問を感じたことはなかっただろうか。そうした様々な謎が前書や本書で、見事に解かれているのである。

 他方、ガリレオやダ・ヴィンチという現代西欧文明の建設者というべき偉人が、少なくとも正統派のキリスト信仰とは異なる位置にいたという指摘もまた、強烈なインパクトを持っている。それに関する指摘も多数に上る。判りやすい例としては、本書下巻の巻頭に掲げられている最後の晩餐で、その絵の中央に、キリストに並んで書かれているのは、明らかに女性であるという指摘である。これは、先入観をもってこの絵を見ていた西欧人にとっては、完全に意表をついた指摘であったことは明らかといえる。

 このような解説をすると、何か堅い話のように思われるといけないので強調するが、主人公の教授は、渋い中年の魅力あふれる独身男で、本書でも前書でも、007そこのけに、美女とともに冒険を展開するのである。惹句のとおり、読み出したら止まらないおもしろさの本である。

 

 

『地獄小僧』

小杉健治著、角川春樹事務所刊、680

 1年ほど前に、本欄で佐伯泰英という作家を紹介したことがある。スペインを舞台とするミステリ小説では、作家として確立した地位を持ちながら、それでは飯が食えず、時代小説に手を染めて、今では年間発行部数が150万部を超えるという無敵のベストセラー作家に成長した人である。

 妙なことから書き始めたが、本書の筆者も似たような状況にあるのではないか、と私が勝手に憶測しているからである。この人の名は、ミステリ作家としては一応通っている方だと思う。1947年生まれと言うから、わたしと同世代であるが、コンピュータ会社でSEとして勤務する傍ら執筆した処女作「原島弁護士の処置」で昭和58年にオール読物推理小説新人賞を受賞するという幸運な文壇デビューを飾った。その後、昭和62年に「絆」で第41回推理作家協会賞を受賞、平成元年に「土俵を走る殺意」で第11回吉川英治文学新人賞、とそこそこ賞にも恵まれいるから、今では立派に中堅作家といえるであろう。これまでの作品は、処女作のタイトルに明確に現れているとおり、法廷ミステリが多い。当然冤罪ものなど社会派ミステリがメインとなる。先に挙げた「絆」では、直木賞候補にもなっているのだから、この調子で書いていけば、近い将来、それがとれることも確実と思われる作家である。

 ところが、21世紀になったくらいから、幾つか時代小説を書き始めた。光文社、詳伝社などでの文庫書き下ろしである。大佛次郎が、ある随筆で、鞍馬天狗のことを、財政的に苦しいときの実に頼りになる友と書いていた。日本人の時代小説好きをあてにして、佐伯泰英と同じように、頼りになる友をこの著者も探し始めたのではないかと、私が勝手に憶測しているわけである。実際、書かれた時代小説の中には、はっきりとシリーズ作品と銘打っているものもある。しかし、あまり売れなかったらしく、現在の時点で、インターネットでこの著者の作品中の売れている順位を調べてみても、時代小説はあまり芳しくない。そこで、敗者復活戦と新たに書き下ろしたシリーズ第1作が本書であろうと思っている。

 サブタイトルに、「三人佐平次捕物帖」とある。アイデアとしては実におもしろい。悪徳岡っ引きのために、岡っ引き全体の悪評が高まるため、岡っ引きの使用を禁止されるのではないかと憂える同心が、美人局で捕らえた三人兄弟を、評判のよい岡っ引きに仕立てることを思いつく。役者顔負けの美貌の三男佐助を対外的には親分ということにし、実際の推理は頭のよい長男の平助が、怪力の巨漢である次男次助が捕り物は担当するという調子に、3人で一人前の岡っ引きを作り出そうというアイデアである。その名も三人から1字ずつとって佐平次と名付けた訳である。

 なにしろ、様々な賞を獲得していることで明らかなとおり筆力はある人だから、基本的なアイデアがしっかりしている以上、なかなかにおもしろい作品に仕上がる。外では親分として格好良く振る舞う三男が、家の中では、兄の腰を揉まされるなど、ユーモア表現も十分にある。また、この佐平次の虚名に、過剰に反応して追いつめられていく凶盗地獄小僧などもよく描かれている。

 是非、佐平次親分が、作者のよい友と言えるようなシリーズに成長して欲しいものである。