『鉄と日本刀』

天田昭次著、慶友社刊 2800

 新撰組組長の近藤勇が使った長曽祢虎徹(ながそね・こてつ)、坂本龍馬の使った陸奥守吉行(むつのかみ・よしゆき)に代表されるように、名のある武士と名刀は結びついている。ここに名を出した刀の名前は、刀工の名そのものである。このことからすれば、名刀というのは優れた鍛刀法でつくられた刀という事になる。

 しかし、名刀は、正宗(まさむね)とか長船長光(ながふね・おさみつ)に代表されるように、鎌倉時代の古いものに多い。近世の刀工は、そうした古い時代のものをいかにすれば再現できるかに心を砕いた。通常、技術というものは時代とともに発展するものなのだから、これは非常に奇妙な事といわなければならない。先に名を出した虎徹は、古刀との違いは鍛刀法にあるのではなく、素材の鉄そのものにあるのだ、と考え、古い鉄を集めて作刀した。彼の号は、古鉄のもじりである。

 本書の著者は、人間国宝になっているという事に端的にしめされるとおり、現代作刀界を代表する人物である。作刀を開始した直後から、作刀技術発表会で毎年連続して優秀賞を受賞するという才能を示したが、本人は自らの作品に満足できなかった。そして、虎轍と同じように、古刀と現代刀の違いは、素材の鉄にあると考えた。そこで驚いた事に、自宅で古代と同じ方法で製鉄を行う事で、この壁を突破しようとしたのである。その悪戦苦闘が本書のメインテーマである。

 時代小説で作刀の場面を描いたものを読むと、それが江戸時代であろうと、室町時代であろうと、玉鋼(たまはがね)とか包丁鉄を使っているように描かれている。しかし、著者によると、玉鋼の名称が出現するのは明治中期以降という。また、玉鋼に相当する製品が一般化するのも、宝暦年間以降という。つまり、刀を古いものから順に古刀(平安時代から戦国末期まで)、新刀(慶長から安永まで)、新々刀(天明から幕末まで)、現代刀(明治以降現在まで)と分類するなら、玉鋼でつくられているのは新々刀以降ということになる。それ以前に、どのような品質の鉄で刀をつくっていたのかは、歴史のヴェールに隠されているのである。

 小規模に自家製鉄をすれば、当然品質に大きなばらつきが出る。著者は現代に生きる刀工らしく、それを科学の力で克服しようとする。最終的にたどり着いた結論は意外なものであった。古刀の正体は、チタン合金だった、というのである。一般に鉄は不純物としてチタンを含んでいる。これが製鋼上様々な悪さをするところから、製鋼技術の進歩は、そうしたチタンを確実に除去する方向に進んできた。それが刀の質の低下を招き、刀工はそれをカバーするために様々な鍛刀技術を開発する必要に迫られたのであった。

 本書の最大の特徴は、しつこいほどに豊富に付けられている注記である。よく時代小説では、刀の目利きをするシーンが描かれ、「地鉄(じがね)は小板目がよく練れ、地沸(じにえ)が白く、湾れ(のたれ)と小乱れごころを交え、匂い深く、細かい金筋、砂流し(すながし)がかかる」というような表現が出てくる。しかし、地沸とか湾れというような専門用語がどういう意味かの説明がある事はまずなく、我々読者としてはなんとなく気分を感じつつ読み飛ばす他はない。本書では、こうした専門用語について、徹底的に注記されている。残念な事に索引が付いていないが、もし索引があったら、そのまま刀剣事典として使えるほどの豊富な注記である。時代小説の熱狂的なファンにお薦めしたい書である。

 

 

 

『一輪の花』

鈴木英治著、徳間書店刊、590

 本書は、『父子十手捕物日記』『春風そよぐ』と続いたシリーズの第三作である。

 この作者は、1960年生まれというから、若手という年ではないが、デビューは非常に新しい。勤めていた営業所が閉鎖になったのをきっかけに作家を志したというから、スタートが遅かったのである。1999年に『義元謀殺』で第1回角川春樹小説賞特別賞を受賞したのがそれである。これは、織田信長の桶狭間の合戦の裏面史とでもいうべき物語で、上下巻1400枚という大作であるが、内容的には非常に盛りだくさんで、少しもだれることなく読ませる傑作であった。この1作で作家としての地位を確立したといえる。ただ、読んだ後味に何ともいえぬ悪さがあり、私としては繰り返して読みたいとは思わず、本欄で紹介する気にもなれなかった。

 その後、中公文庫の『手習い重兵衛』シリーズや、ハルキ文庫の『・・の剣』シリーズなど、いくつかの時代小説シリーズを書いているところは、最近の流行りといえる。この作者らしいサービス精神からの様々な工夫があって、いずれもなかなかに読める作品である。ただ、それらの作品でも、主人公には何かしら陰があって、単純に正義の味方という感じではなく、気楽に通勤電車の中で楽しむことができる、という作品ではなかった。

 そこから完全に一皮むけた感じのあるのが、本シリーズである。基本的には、息子のグローイング・アップ・ストーリで、父親の方もそれなりの悩みを抱えつつ、息子の成長を見守るというパターンである。それを江戸の治安を守る町回り同心という職を舞台に描いているところに、本シリーズの特徴がある。作者も書きやすいらしく、第1作が200412月に刊行されたというのに、第3作である本書が、もう20052月の始めには店頭に出ているのだから、驚異的なスピードである。

 主人公御牧文之介は駆け出しの定町回り同心。岡っ引きも使わず、仲間である勇七を供に江戸の町を駆け回っている・・というと聞こえが良いが、至って頼りない。町回りの途上では、美人を見かけるとついふらふらと、その後をついて行ったり、旨そうな匂いがするとふらふらと飯屋に入り込んだりという始末。供の勇七は、同い年で、子供時代からの馴染みだから、お互いの性質をよく飲み込んでいて、ちょっとした言葉で巧みに操り合うところが笑わせる。もっとも、気心が判っているのが行き過ぎて、時に殴り合いの喧嘩をしたりする。こういった調子の息のあった同心と仲間の関係は、重兵衛シリーズに脇役として登場するコンビがおそらく原型と思うが、良く発展させた、巧みな造形となっている。

 父親の丈右衛門は、敏腕の同心として知られた人物だったが、今は隠居の身。しかし事件が起きると、いそいそと町に繰り出し、密かに捜査をする。息子は、父親に助言を求めれば、捜査の助けになる事は判っているのに、それをいやがる程度に意地っ張りで、様々なすれ違いが起こる事になる。

 作者はかなり時代考証を行ったらしく、定町回り同心は、歯引きの長脇差しを差しているので、人を斬る事はできないなど、今までの捕り物小説には出てこなかった新しい話や、池波正太郎を思わせる、この時代独特の様々な食べ物の話をちりばめて、楽しく読める物語となっている。