『リーマン博士の大予想』

カール・サバー著、紀伊國屋書店刊 2500

 サブタイトルに「数学の未解決最難問に挑む」とある。フェルマー予想(フェルマーの最終定理)が解決された現在、整数論における次の最難問であるリーマン予想を紹介したものである。

 これは素数、すなわち235というように、それ自身と1以外では割り切れない数の分布に関する研究から生まれた予想である。素数は、数列の始めの方には多いが、数が大きくなるに連れて、急激に減っていくことは、簡単に予想が付く。問題は、どのように減っていくか、ということである。ガウスはそれを示すある公式を見出した。この式はマクロ的には正しいのだが、個々の数値に適用すると、数%程度の大きな誤差を示す。リーマンは、この式を改良して、数分の1%程度の誤差しかない公式を立てるのに成功した。さらに、リーマンは、その誤差を研究した結果、それを示すゼータ関数と呼ばれる式を発見した。リーマンのゼータ関数は実数ではなく、複素数(abi)を扱っている。リーマンが、この関数の値がゼロになる場合を捜したところ、彼が見つけた数個の数値は、すべて、複素数の実部aの数値が1/2になる直線の上に並んでいることが判った。そこで、あらゆる場合に、a1/2になるだろうというのが、ここでいう大予想である。リーマンが予想を立てて以来150年近くが経過し、既にゼータ関数のゼロ値は数億個も見つかり、すべて予想を満たしているが、予想が正しいか否かは未だ証明されていない。

 しかし、これが正しい(あるいは誤っている)ことを証明しようとする試みの中から、数々の重要な数学上の発見がなされた。さらに、今日我々がインターネットを使って安全に個人情報などを通信するに当たって欠くことのできない暗号の作成などにきわめて重要な寄与を行ってきた。そのためもあって、この予想の証明には100万ドルの懸賞金がかけられているというから、フェルマー予想などより、よほど重要な問題であることが判ると思う。

 本書は、「数学の楽しさと重要性を素人にかいま見てもらう」(本書冒頭の謝辞より)狙いで書かれた本であって、間違ってもリーマン予想そのものを解説した本ではない。だから、難しい数式の説明は余り出てこない。実は、著者の数学知識のレベルは、我々素人とたいして違わないことを示す記述が随所にある。

 フェルマー予想では、数式自体は単純なので、何が問題になっているのか、ということを表面的に知る事は、素人にもそう難しくない。それに対して、困った事に、リーマン予想は、式そのものがややこしいので、数式を抜きにして説明しようとすると、具体的説明が何もできない事になる。その結果、決して薄くない本書の終わり近くに、次のような記述が現れる。「これまで15章をかけてリーマン予想の話をしてきたが、じつはお知らせしなければならない悪いニュースがある。リーマン予想について知るべきことを、あなたはほとんど何も知らないのだ。明らかにそれは、あなたが知らないことをあなたに伝えるのは不可能だからだし、なぜあなたが知らないかといえば、それは伝えることが不可能だからだ。」(本書322頁)

 その代わりに描かれているのは、リーマン予想にとりつかれている数学者達の人間像である。彼らの生き様を面白く読んで頂ければよいと思う。

 

 

『ホミニッドー原人ー』

ロバート・J・ソウヤー著、ハヤカワ文庫刊、920

 本書は、ヒューゴー賞を受賞し、早川書房が、ハヤカワ文庫の1500番刊行記念作品に選んだ傑作である。

 現代の物理学では、多元宇宙モデルが正しいと認められつつあるというが、本書もそうした多元宇宙ものの一つである。我々の宇宙では、クロマニヨン人が栄えてネアンデアルタール人は滅びてしまった。しかし、多元宇宙の彼方には、逆にネアンデアルタール人が栄えて、クロマニヨン人が滅びた宇宙があった。その宇宙で、量子コンピュータの研究中に、ネアンデアルタール人の量子物理学者ボンダーは、不慮の事故で、我々の宇宙に転送されてしまう、という基本設定で描かれる物語である。

 作者は、カナダ在住のSF作家であるが、今までに発表した15作の長編のうち9作までが邦訳ずみで、さらに邦訳のうち、『さよならダイノサウルス』、『フレームシフト』、『イリーガル・エイリアン』(いずれもハヤカワ文庫刊)と3作が、星雲賞(日本SF大会参加者の投票で与えられる優秀賞)を受賞している。欧米では、ヒューゴー賞を本書で初めて受賞し、ネビュラ賞を『ターミナル・エクスペリメント』でとっている程度ということからみると、彼の作風は、日本人受けするタイプのものなのかもしれない。

 彼の作品の特徴としては、エイリアンの描写の巧みさが第一に挙げられるだろう。例えば『占星師アフサンの遠見鏡』で、恐竜人類の視点から巧みに異文化を描いていたのが印象に残る。本書もまたその系列の一つといえる。ボンダーの視点から見た我々の地球の描写は、それ自体が立派な比較文化的議論になっていて、興味深い。

 例えば、ネアンデアルタール人には宗教がない、とされる。そこで、地球人のネアンデアルタール人の研究者であるメアリ・ヴォーンが「神がいないのなら…あなた達はどうやって道徳性をつちかっているの」と質問する場面がある(本書338頁)。おそらく、この質問は、キリスト教信仰が社会のバックボーンにある欧米人の自然の発想なのだと思う。だとすれば、これという宗教も持たずに道徳を守っている我々日本人は、欧米人からみて、正にエイリアンなのかもしれない。実際、本書の中では、日本に対する違和感についての言及も各所に現れる。その意味で、これは架空の比較論というより、現代の地球における異文化比較論であるのかもしれない。

 また、ミステリの要素を大幅に取り入れていることも、この作者の大きな特徴である。例えば、先に挙げた『イリーガル・エイリアン』では、エイリアンとのファーストコンタクトの最中に、地球人の惨殺死体が発見され、その容疑者はどう見てもエイリアン、というわけで、世界が注目するなか、前代未聞の裁判が始まる、という物語であった。本書では、ボンダーが転送されてしまった後、彼が行方不明になったのは殺人事件ではないのかと疑われ、彼の共同研究者が被告となって、ネアンデアルタール世界で裁判が開かれる。しかし、それは我々の知る裁判形態とはおよそかけ離れたものであった…。

 本書は、全三作で構成されるネアンデアルタール・パララックスシリーズの第1作で、第2巻の『ヒューマン』、第3巻の『ハイブリット』も近日刊行される予定という。それが楽しみなシリーズといえる。