『マリア様がみてる 薔薇のミルフィーユ』

今野緒雪著、集英社コバルト文庫刊 440円

 ライトノベルをこれまでに2回、本欄で取り上げてみた。第3弾として、今回は少女向けの文庫を取り上げてみたい。この分野での老舗というと、なんといってもコバルト文庫である。それに次ぐのが講談社X文庫ホワイト・ハートであろうか。一番最近に、この分野に参入し、それを、強力な惹句でカバーしようというのが角川ビーンズ文庫で、なんと「史上最強の少女ファンタジー文庫」と名乗っている。

 しかし、何が少女向けなのかということは、限界部分になってくると、よく判らない。ビーンズ文庫で出ている喬林知の『今日からマのつく自由業!』から始まるシリーズでは、主役はもちろん、脇役にもほとんど女性は出てこず、なぜこれが少女文庫なのか不思議になる。また、X文庫からでている小野不由美の十二国記シリーズは、ストーリを追うだけならともかく、踏み込んで考え出すとかなり難解な哲学性を持っており、とてもライトノベルとして読み飛ばせる代物とはいえないのである。

 しかし、典型的なものということになると、かなりパターンが決まっている。第一に、それは名門の女子校、それもキリスト教系の私立校を舞台にしたものであり、第二に美しい同性の先輩に対する憧れが描かれ、第三に異性に対する好奇心が描かれている。そして第四に、主人公は美人でも秀才でもない普通の女の子という枠はほとんど共通である。この枠中で、作家が自らの創意を生かす形で、それぞれの作品は展開される。

 この枠に属するもので、最初に私が読んだのが、氷室冴子の『クララ白書』シリーズであろう。まさに抱腹絶倒の傑作で、文庫本から出世してハードカバーまで刊行されている。久美沙織の『丘の家のミッキー』シリーズも捨てがたい。タイトルそのものは、おそらく『赤毛のアン』の作者として有名なL.M.モンゴメリーの傑作『丘の家のジェーン』(新潮文庫)から来たものと思うが、内容は見事に日本的少女小説の骨格を持っている。

 現在、この伝統をきちんと承継しているのが、今回取り上げた『マリア様がみてる』シリーズである。その第1巻を読んだ時には、クララ白書が帰ってきたと私は喜んだ。女子校で、下級生達の憧れの的となっている上級生達が学園祭で劇を演ずるという設定も、ごく平凡な下級生が、強引にその劇に参加させられるという構成も、そしてユーモラスな語り口も、完全にクララ白書の伝統を生かしたものだからである。しかし、その一方で、上級生達が、紅薔薇さま、白薔薇さま、黄薔薇さまとそれぞれ呼ばれているとか、学校が上級生が個人的に下級生を指導する制度を認めていてそれを姉妹と呼んでおり、下級生が妹と呼ばれる。但し、紅薔薇さまの妹は、紅薔薇さまのつぼみと呼ばれる、といった洒落た設定を付け加えて、独自の雰囲気を盛り上げているのである。

 作者自身は、クララ白書の影響を認めてはいないけれど、このシリーズがそれを意識していることは、第1巻の時点から丸一年経って、再び行われた学園祭の劇が、氷室冴子の傑作『ざ・ちぇんじ!』と同じ「とりかえばや物語」であることに明らかと思う(第18巻『特別でないただの一日』)。氷室に対するオマージュであろう。

 第21巻である本書の表題は、この三色の薔薇達に関する3編の短編を意味している。

 

『氷の科学』

前野 紀一著 北海道大学図書刊行会 1890

この本は、200411月に刊行されたから少々古い。しかし、私が読んだのは年が明けてからであった。私が書評を書いてから、実際に本誌が刊行されるまでのタイムラグを考えると、読者の皆さんの目に触れるのは初夏くらいになってしまい、 本書のテーマとはあまりに季節的にずれすぎると考え、断念していたものである。しかし、今なら、冬に向かっていく時期なので、適当ではないか、と考え、紹介する次第である。

 作者は、本書の紹介によると北大名誉教授で、わが国氷雪科学の第一人者であるという。そういう方が、精一杯判りやすく自分の専門分野を説明したのが本書である。

 たぶんできるだけ取っつきやすくしようと考えたのであろうが、はっきり言って、最初のうち、本書はきわめて詰まらない。第1章の「氷と人間」とか、第2章の「水の循環と雪氷」なんてところは、わざわざ教えて貰うまでもなく、誰でも知っていることだからである。そのあたりは大急ぎで飛ばすしかない。

 本書が面白くなってくるのは、第3章の「氷結晶の構造と性質」あたりからである。実は、水自体が、分子レベルで見ると、実に変わった物質なのだそうだ。どなたもご存じのとおり、水は酸素原子1個と水素原子2個が結びついてできている。その結びつき方が、ちょうどミッキーマウスの影絵のように、水素2個が酸素の片側にくっついている構造になる。そして、水素というものは、1個の陽子の回りを1個の電子が回っているのであるが、酸素と結合してしまうと、水素の電子は酸素の方に行ってしまうから、陽子が剥き出しになっている状態に近い。陽子はプラスの電気を帯びている。すなわち、今のミッキーの例えを使うと、耳の方がプラスの電気を帯び、その分だけあごのあたりがマイナスの電気を帯びていることになる。つまり、水分子というのは、上がプラスで下がマイナスの電気を、一つの構造の中で持っていることになる。こういう性質を持つものを双極子というのだそうだ。水分子は、必然的に永久的な双極子であることになる。

 氷の結晶は、ご存じのとおり六角形をしているが、その理由も、このミッキーのような形の分子であることにある。また、氷がなぜ水より軽いのか等という理由もこのあたりに求められる。

 氷の結合は、むき出しの陽子が鍵を握っているわけだが、その結果、氷は電気的には一種の半導体としての性格を示すという。

 カート・ヴォネガットの傑作小説『猫のゆりかご』を読まれた方は、氷の、通常とは別の結合の仕方としてのアイス・ナインというものに、強い印象をお持ちと思う。常温・常圧のもとで、普通の水が凍ってしまう結果、世界が滅亡するのである。本書によると、実際に我々が知っている以外の構造を持つ氷の結晶というものが、何通りも存在するのだそうだ。そのあたりを詳しく書いているのが、第6章の「氷と圧力」である。ありがたいことに、小説のアイス・ナインと違い、氷\というのは、超高圧の下でしか観察できないから、小説のような事態は起こらないという。

 しかし、その様な高圧の氷は、木星の氷の月などにはあり得る。そのほか、月や火星、彗星、土星の輪などには、新たな氷の構造が発見される可能性もあるとして、宇宙雪氷学を説いている。