イギリス紀行

甲斐素直

[はじめに]

 この3月に、1週間ほどロンドンに行って来ました。この雑文は、そのロンドン行きの際の見聞を文章にまとめたものです。英語はほとんどの日本人にとって第一外国語であり、したがってイギリスは言語の壁を越していく外国としては一番行きやすい国です。だから、単なる紀行文なら今更、という感じがあると思います。私にとっても同じことです。今回のイギリス行きは私にとり4度目のイギリス行きですから、いわゆる観光名所にはあまり興味がなく、実際ほとんど行きませんでした。

 その代わりに研究目的で、普通の人とは少し違うところを歩き回ってきました。この文は、そういうあまり知られていないロンドンを紹介した一味違ったイギリス紀行です。ご笑読ください。

 

1 イギリス行きの理由

 皆さんは、おそらく大学の教師などというものは休み中は暇と思われていることと思います。しかし、夏休みはともかく、春休みというのは入試だの卒業式だのと様々な学校行事が目白押しにあることに加えて学会なども入っていますから、結構忙しく、丸々1週間の空き時間をひねり出すのには、かなりあちこちに無理を重ねる必要がありました。その分、出発の前日の日曜日にも出勤して仕事をしましたし、帰った翌日にはもう仕事というきつい日程になりました。そんなに無理をしてまでなぜイギリス行きを考えたのか、というあたりから説明をしたいと思います。

 今回、イギリス行きを考えた直接のきっかけは、イギリスとは直接関係のないドイツのヘッセン州の地方自治体財政外部監査制度にあります。ヘッセン州といってもぴんとこない人も多いと思いますが、ドイツの空の玄関フランクフルトのある州、といえば場所はおわかりいただけるでしょう。ドイツ全体のへそのような位置にあります。

 同州の外部監査機関の活動内容については、近日出版する著書『予算及び決算の法理』(信山社刊)の中で簡単な紹介はしてありますが、実に驚くべきやり方を採用しています。ヘッセン州会計検査院に設置されている外部監査機関の職員数はたった5人にすぎません。これがヘッセン州の全地方自治体の監査に当たっているのです。実はこの職員は、外部監査としてなにをするかを企画し、実際の監査は、その企画内容に適合した能力を持つ民間人と契約して、実施に当たらせているのです。民間人としては、当然公認会計士などである場合が多いのですが、テーマによっては建築士その他の技能者、あるいは大学教授という場合もあります。この結果、わずか5人の組織によって、毎年度、確実に数冊の分厚い監査報告が刊行されています。外部の監査人によって監査が実施されるという点では、我が国外部監査制度と似ていますが、各自治体が勝手に契約しているのではありませんから、契約を信頼することができますし、よけいな縛りが法定されているわけではありませんから、自治体の活動に対応して様々な人を起用でき、また、監査に投入する期間も自由に設定できる、という長所があります。私としては、将来の我が国地方自治体外部監査制度の進むべき方向を示す重要な制度である、と考えています。

それならなぜさっさとそれを紹介する論文を書かないのか、という疑問の声が当然挙がることと思います。実は、同機関を訪問して様々な質問をしたのですが、どこからこのようなやり方を思いついたのか、という質問に対する答えとして、イギリス地方自治体外部監査のやり方からヒントを得た、という回答があったのです。

 イギリスの現行地方自治体外部監査制度について我が国で公刊されている研究としては、会計検査院の林考栄氏が書いた「英国地方自治体の外部監査制度」(東京大学都市行政研究会研究叢書3 1991年刊)があります。が、それを読む限り、ヘッセン州の現行制度との関連というのはあまり見あたりません。しかし、ヘッセン州がそういう以上、イギリスでも似たやり方が行われているに違いありません。わざわざイギリスを持ち上げねばならない理由はないからです。従って、林氏の研究以降にイギリスのやり方が変化したのか、あるいは林氏がその点についての情報を十分入手できなかった可能性があります。林氏の研究は国内留学という形で行ったもので、現地に行っていないからです。これが、今回、イギリスに行く必要があると考えるに至った直接のきっかけです。

 しかし、実は前からイギリスに行って研究したい、ということを考えていました。その理由は大きく分けると二つあります。

 ひとつは、イギリス中央政府の財政制度を研究してみたい、ということです。我が国現行憲法の一つの原点に、マッカーサーがGHQ民政局に対してマッカーサー草案を作成するように指令したとき、渡したいわゆるマッカーサーメモというものがあります。このメモの一番最後にマッカーサーは、財政についてはイギリスの方式によること、と書きました。実際にはこの部分は完全に無視され、日本の伝統的な財政制度に、アメリカの財政制度をした時期にした理想主義的な要素が付け加えられて現行財政憲法制度が誕生しています。では、イギリス財政制度は、いったいどの程度に、我が国現行財政憲法と違うのだろうか。これが私が以前から持っていた疑問点です。イギリス法が日本の財政制度に全く影響がないわけではない、ということ明らかです。たとえば4月から新会計年度がスタートする、なんてやり方を取っている国は日本をのぞけばイギリスくらいのものなのです。

 今一つは、イギリス地方自治体法制度を研究してみたい、ということです。我が国地方自治は、憲法的保障が明文で存在しているという点で、世界に誇りうる非常にすばらしいものですが、その憲法的保障の中核概念を、我々は「住民自治」と「団体自治」と呼んでいます。簡単にいってしまえば、住民自治とは、地方自治を民主主義の原則に則って行うべきである、という概念であり、団体自治は地方自治体は中央政府から独立していなければならない、という権力分立制=自由主義の概念と理解することができるでしょう。歴史的にいえば、団体自治がドイツ地方自治の伝統であるのに対し、住民自治はイギリス地方自治の伝統であるということができます。つまり、イギリス地方自治法制を知る、ということは我が国地方自治の源流を知る、ということを意味するわけです。しかも、近時、イギリス地方自治制度は,特にその財政面において大変な激動期に入っています。どのような問題意識でそうした激しい改革が行われているのか、ということを知ることは、わが国地方自治法制の今後のあり方を考える上でも非常に有益であるに違いありません。

 第1のイギリス中央政府の財政という点に対しては、我が国では私の知る限り、ほとんど研究がされていません。それに比べると第2の地方自治という点は、かなりの研究量があります。その経緯から見て当然のことといえるでしょう。ただ、そこに私の関心と大きなずれがあります。我が国での研究はほとんどが政治学の分野で行われているのです。一応法制にも言及しているのですが、どうしても関心の中心ではないので、不十分です。イギリスは、成文法でも長い歴史を持っていますが、それ以上に慣習法の国ですから、そのあたりはどうなっているのか、というような関心から読むとさっぱり判らないのです。

 これらは、外部監査が民間委託をどのように行っているか、というテーマに比べるといずれもかなり大きなテーマで、ある程度の期間、じっくりとイギリスに腰を据えて研究する必要があります。しかし、近い将来、そのような長期留学をする機会はなさそうです。そして、2001年4月からの1年間に、日大本部から少しまとまった研究費を得ることができましたから、図書の購入に関する限り、かなり自由度が高くなりました。そこで、日本にいるままで、可能な限りの研究を始めようと、考えたわけです。本格研究は4月からの新年度ということになりますが、そのための基礎調査というわけです。研究成果については改めて発表していきたいと思いますが、ここでは、そのための駆け足旅行記を紹介しておくことにします。

 

2 イギリスでの交通手段

(1) 航空会社の選択

 今回の旅行、どこの飛行機会社を使おうかといろいろ考えましたが、結局、ヴァージンアトランティック航空を選びました。料金が安い、とか発着時間が便利ということも考慮要素ですが、それ以上にこの会社に少し関心があったためです。イギリスの航空会社も英国病の一環で悪戦苦闘したあげく、現在、ブリティッシュ・エア・ウェイBAというのが中心企業です。しかし、最近、ワトソンというカリスマ的企業家が、このヴァージンアトランティック航空をはじめて、急速に業績を伸ばしているのです。実をいうとBAには乗ったことがないので、その意味での比較はできませんが、全体として満足のいくサービスであったということはできると思います。もっとも各座席にサービス品の入った袋がおいてあったのですが、アイマスクや耳栓、歯ブラシなどは判るとして、かかとのない靴下が入っていたのには首をひねりました。確かにかかとがなければどんな足の大きさの人でもはけるでしょうが、そんな履き心地の悪いものをもらって喜ぶ人がそういるとは思えないからです。また、JALともANAとも提携していませんから、カードの距離をこの際稼ごうという人には向きません。しかし、人気があるらしく、私の乗った飛行機は、行きも帰りも満席でした。では、私自身がこの次にイギリスに行くときにもこの航空会社を利用したいと思うか、と聞かれたら、残念ながら、答えはノウです。理由はかなり簡単で、私は重いものを運ぶのが苦手の上に、行列をするのが大嫌いだからです。何でヴァージンアトランティック航空に乗るのと、この二つが関係してくるのか、については追々説明していきましょう。

 今回の宿は、パディントンの駅のすぐ前にとりました。理由は簡単で、現在、ヒースロー空港からパディントン駅まで、ヒースローエクスプレスという列車が直通で運行されているので、そこに宿を取れば荷物を持って歩く距離が最低ですむわけです。これに乗ると、都心のパディントン駅までわずか15分で運んでくれて、しかもこの列車が15分間隔で運行されているのです。成田エクスプレスと比べると、所要時間もさることながら、頻度もすばらしいというべきでしょう。1週間で帰る旅なので、往復切符を購入したのですが、22ポンドです。ちなみに、私の旅行時点では1ポンドは買いが190円弱でした。したがって、この切符は4000円見当ですから、少々高いのが玉に瑕ですが、地下鉄の中を重い荷物を引きずりながら降りることを思うと、ためらいなく乗りたい値段と思います。ロンドンの地下鉄駅は、かなりエレベータやエスカレータが完備していますが、どこかに必ず階段があり、担ぎ上げる必要が生ずるのです。

 

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 パディントン駅に停車しているヒースローエクスプレス

 

 実はパディントン駅の周囲に宿を取ることの魅力はもう一つあるのです。ブリティッシュ・エアウェイをはじめとする多数の航空会社がパディントン駅の構内にチェックインカウンタを開いています。だから、ブリティッシュ・エアウェイなどの切符を利用していれば、入国するときの荷物の受け取りも、出発するときの荷物の預け入れもパディントン駅で間に合わすことができ、楽々と移動することができる、というわけです。しかし、困ったことに今回私が利用したヴァージンアトランティック航空は、パディントン駅にカウンタを設けていないので、行きも帰りも、ヒイヒイいいながら重い荷物を運んだわけです。

 今の時点では、パディントン駅の周りには中下級のホテルばかりが集中していますが、駅にぴったりくっつく形でヒルトンホテルが建設中ですから、この駅周辺は、近い将来、外国からの旅行者の宿泊の中心地になるのではないでしょうか。

(2) 一週間定期券

 欧州では一般に地下鉄等の定期を1週間単位で買えます。ですから今回のように1週間滞在する場合には、1週間定期を購入するのが一番安上がりな交通手段です。1週間定期は、ふつうは月曜日から日曜日までの1週間です。今回の旅行日程を従って、私はまさにそういう形で用意しました。もっともロンドンに来るに当たって、ロンドンの地下鉄のホームページを一生懸命調べたのですが、どんな形で1週間定期を買えるのかは判りませんでした。そこで一抹の不安を持っていたのですが、地下鉄の駅に行けばパンフレットが用意されていて、いっぺんで判りました。現在のロンドン地下鉄の場合、7Day Travelcardというものがあり、ゾーン1&2で18ポンド90ペンスでした。ロンドンの場合、ゾーン1&2でほぼ都心の全域をカバーしていますから、郊外への遠征を考えない限り、何の問題もありません。ちなみに、一回限りの切符を買うと、1ゾーン内だけでも1ポンド50ペンスですから、どこかに6回往復するだけで、この定期代と同額に達するわけで、かなりの割引率です。

 参考までに紹介しておくと、ロンドンの場合には、この7日定期のほかに、1日定期、週末定期、家族定期など各種の割引制度がありますから、ロンドンで1〜2日程度の観光を考えている場合にも、普通の切符は買わずに定期を買うことを検討すべきです。

 なお、この定期券、日本のJRなどの定期券に比べてちょっと幅は狭いものの、ほぼ同じ大きさですから、買われるつもりのある方は、日本から定期入れも持参された方が便利です。欧州では、一般に乗車券は検札にあったときに見せるもので、乗降の都度引っ張り出すものではありませんから、財布にでもしまっておけば十分です。イギリスでも、国鉄の場合にはそうです。ところが、ロンドンの地下鉄の場合には、日本の駅と同じように、出入り口に自動改札機ががんばっています。だから地下鉄だけは乗降の都度定期券を取り出す必要があるのです。財布に入れておいてもかまいませんが、最近、ロンドンも治安がかなり悪化していますから、財布をたびたび公衆の面前で取り出すのは考え物です。スムーズな出し入れという点だけから考えても、日本の自動改札機用の定期入れが一番というわけです。

 

3 イギリス人の奇癖

(1) 行列好き

 定期券を買おうとしたときに、愉快ではありますが、私にとり迷惑だったのがイギリス人の性癖でした。

 イギリスの自動券売機は日本のものに比べるとかなり大型ですが、それだけに性能も高く、たとえばクレジットカードを使って購入する、などということも含めてたいていのことはやってのけます。上記1日定期も自動販売機で買うことができます。これに対して、1週間定期を買う場合には、写真のついたカードを作成して、その番号を定期券に書き込み、写真カードと定期券を一緒に持ち歩くという方法で不正を防いでいますから、どうしても人間のいる窓口に並ぶ必要があります。

 ところが、その窓口が長蛇の列で、券売機の方にはほとんど人がいないのです。こんなに長期の定期を買う人が多いのか、とびっくりしたのですが、見ていると、どの人も、せいぜい1日券程度です。つまり、自動券売機を操作すれば待たずに買えるものなのに、それをいやがって、わざわざ行列を作っているのです。ヴィクトリア駅のように大きな駅になると、行列があまりに長くなるものですから、恒常的にロープを張ってジグザグに並ぶように強制してありました。数台設置されている自動券売機ではなく、窓口に並ぶ人が確実に多いということを端的に示しているわけです。

 高尾慶子という、イギリスでハウスキーパーなどをして長く暮らしていた人の書いた『イギリス人はおかしい(文芸春秋刊)』という随筆集の中に、「自動券売機が消えたわけ」という話があります。要はイギリス人は行列するのが苦にならず、性能の高い自動券売機が使いこなせないものだから、その操作法の説明に追われて駅員が仕事にならず、せっかくの機械を撤去してしまった、という話でした。その話が書かれたのは1998年のことでしたから、いくら何でももう馴染んだろうと思っていたのですが、どうしてどうして、いまだにかなりの人が機械の操作法を覚えるくらいなら、行列を作った方が増し、と考えているようなのです。

 確かにイギリスの自動機械は性能はよいのですが、マン=マシン・インターフェイスに今ひとつ配慮が足りません。これはイギリス人ばかりではなく、日本人にもちょっと難しい機械であるようです。行列に恐れをなした日本人女性が自動販売機にチャレンジしては撃退され、すごすごと行列に残っている友達のところに引き返して笑われている、なんて光景を見かけたのですから。そのとき見ていて感心したのが、この機械、日本語の説明まででてくるのです。それなのに撃退されるのは、機械が問答形式で操作することを要求するため、どこかで一つ答弁を間違えると、自動的にキャンセルということになり、撃退されるので、操作に慣れないと難しい、ということのようです。

 私の場合には、普段の生活そのものがパソコン浸りなので、ほとんど違和感なく操作できるのですが、普通の人には、日本の券売機のように、ずらっとボタンが並んだ形式の方が遙かに使いやすいはずです。イギリスは階級社会ですから、自動券売機などを開発するのはエリートで、それを使用する一般大衆の生活感覚を持っていないのが、こうした食い違いの発生原因ではないか、と思います。

 高尾さんは、イギリス人は待つことが人生だと思っており、だから行列額にならないのだ、と述べています。郵便局もいつも長蛇の列で、日本に小包を送ろうと思ったら一日仕事になる、とぼやいているのです。今回のイギリス行きは、本の買い出しを大きな目的にしていたので、買ったら片端から小堤に着くって日本に送ろうと、当初考えていました。しかし、高尾さんの文を読んで震え上がり、いくつかの郵便局を何度かのぞいてみたのですが、なるほどどこも長蛇の列ができていました。これではとても小包作戦は無理、とあきらめて、今回は持参したトランクの空きに入る限度のとどめることにしました。私は、前にもちょっと触れたとおり、行列が大嫌いで、例えば昼食時に、おいしいと評判で長蛇の列のできる店と、味はともかく待たずに座れる店の二つがあれば、ためらわず、待たずに済む方を選びます。

 前に、ヴァージンアトランティック航空にはもう乗らない、行列が嫌いだから、と書きました。実は、出国の時に大変な行列をさせられたのです。同航空はヒースロー空港第3ターミナルのAゾーンという入り口のすぐ脇に窓口を設けています。私は安全サイドに考えて、出発の時、離陸予定時間の2時間半近く前にヒースローに出かけていきました。そして、第3ターミナルに入るなり、棒立ちになったのです。大変な長蛇の列がそこに渦巻いていたからです。日本だと行き先別に窓口を分けますが、同航空は、すべての窓口であらゆる方面への搭乗手続きを同時に扱う、という方式をとっているのです。そして、そのすべての窓口への行列をたった一つ作らせ、行列の最後のところで、開いた窓口に行くように、と指示をするわけです。ちょっと考えると合理的なようですが、おかげで、どんな時間に行ってモカならず大変な行列に並ばされることになる、という仕掛けになっているのです。今回、ヒースローからの出国手続きを終えるのに要した時間は1時間弱。その後に昼食をとり、免税品を買い、そして搭乗20分前までに搭乗ゲイトまで行っていなければならない、ということは、2時間以上前にたどり着いていても、ほとんど時間に余裕がなかった、ということを意味します。ぎりぎりに駆け込んだら、どんな目に遭っていたか、想像するだに恐ろしいとは思いませんか。今後は、この航空会社は利用したくない、と思うのももっともでしょう?

(2) 大学教員は暇?

 高尾さんの随筆に論及したついでに紹介しますと、彼女はイギリスを悪くした人としてサッチャー女史を非常に激しく批判しています。特にサッチャーの政策で問題があったのが、彼女が産業活性化の資金を捻出するために教育費を削減した点だというのです。これにより、イギリスの初頭・中等教育の水準は非常に低下したのだそうです。サッチャーを中心とする保守党政権は18年間も続きましたから、2世代がサッチャー流の手抜き教育を受けたわけで、これによるダメージは将来も継続するので、このダメージ回復はまず無理ではないか、という悲観論を彼女は述べています。

 現在の労働党ブレア政権は、この点を何とかしようと、教育費に対し非常に大きな投資をしています。イギリスの会計年度は日本と同じで、4月から3月までですが、2001年度予算は3月7日に発表になりました4月からの予算がこんな時期に発表になるのですから当然ですが、イギリスの予算は、伝統的に年度開始前に成立したことがありません)。総額3940億ポンドのうち、教育関連予算総額は500億ポンドに達しています。

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予算発表を知らせる新聞。予算書は中央で大蔵大臣が掲げている独特の鞄に入っている。両側にいるのは、大蔵省に属する他の大臣達。

 しかし、そこで問題になるのが、長い保守党政権の下での教育軽視の結果、教師の絶対数が不足している、ということです。現在の教員の不足は、イングランドとウェールズだけでも1万人に達するのだそうです。そこで文部省では、この教員不足を解消するため、様々な施策を講ずるとしています。たとえば、教員の有資格者が、もう一度教壇に復帰する場合には2000ポンドのボーナスを支給するのだそうです。

 この予算案が発表される前日である3月6日のロンドンタイムズ紙を読んでいて、思わず笑ってしまいました。この教員不足対策の一環として、文部省では大学教授に対し、中学校の教員をやってくれ、と要請したのだそうです。「大学が教員を補給するよう依頼されている」という見出しを見て、最初、私は教職課程の採点を甘くしてたくさんの学生に教員資格を認めろ、というたぐいの話かと思ったのです。しかし、そうではなく、大学教授そのものに、休暇中などには中学に行って教えてくれ、と要請したのでした。教授たちは怒って「確かに我々は年に28週間しか講義を行っていないけれども、それ以外の時が暇というわけではない、一年中平均して忙しいのだ」と反論しています。いや全くその通り、休みでもあまり暇にならないのが大学教員というもので、私も今回の旅行の暇を作り出すのに苦労したことは、本稿の冒頭にも書いたとおりです。普通のサラリーマンと違って、いつでもどこでも仕事場なので、忙しいのが目立たないのが損なところで、イギリスの場合、文部省でさえもそういう誤解をしていた、というお粗末な話でした。

(3) イギリス人と傘

 三月の風と四月の雨が春と五月の花を運んでくる、という英語の詩を昔習ったことがありますが、この詩に明らかなとおり、イギリスの春の気候がきわめて不順であることは定評のあるところです。だから、出発前に服装にはかなり悩みました。出発数日前までの段階ではオーバーを着ていこうと考えていました。インターネットでロンドンの天気をチェックすると、毎日雪だの霙だのが続いていて、気温も零度プラスマイナス3度くらいの幅で変動していたからです。ところが出発前々日になって予報が激変しました。10度プラスマイナス5〜6度くらいの幅の変動に変わったのです。イギリスyahooの天気予報は4日先までしかでていないので、出発日には朝一番にチェックしてどうなっているかを調べました。気温はどんどん上がっていくことがはっきりしています。天気の方は非常に変わりやすそうです。結局、外がレインコートになっているスリーシーズンコートを着て、足にはレインシューズを履き、手には普通の傘をぶら下げるという格好で、晴天の日本を出発しました。

 結果的にはこれで正解でした。気温は滞在していた1週間を通じて高く、2日目からはスリーシーズンコートの内張をはずしたのですが、それでも汗ばむほどで、雨が降っていないときには脱いで手に掛けて歩いたりしたほどでした。

 天気は、最初の二日ほどは比較的恵まれましたが、その後は連日雨でした。朝から一日中しとしと降る日もあれば、晴れたり曇ったり、時にシャワーと呼ばれる驟雨が襲ってくる、という日もありました。しかし、身支度がしっかりしているからあまり苦労はしませんでした。なにより、気温が高いので、濡れても楽、というところがあります。

 ところで、イギリス人といえば、傘を手放さない、というのが日本での古典的イメージではないでしょうか。あれはたぶん嘘です。

 日本の場合には、ユーラシア大陸の東の端にあります。天気は地球の自転の影響で、西から東に動きます。だから、日本は西にある大陸の影響下にあって、島国としては比較的乾燥しています。これに対して、イギリスはユーラシア大陸の西の端にあり、その西にあって、イギリスの気候を支配しているのは大西洋です。海の規模が違うのですから、日本海や東シナ海が日本につぎ込むのとは比較にならないほどの湿気がイギリスに注ぎ込まれてくるわけです。イギリスの気候が日本に比べてひどく不順なことに、なんの不思議もありません。

 日本人は、雨が降れば傘を差すのは当然のことと思います。雨の多いことで有名な山陰地方では、弁当を忘れても傘を忘れるな、といわれますが、これが日本人の発想というものです。イギリス人と傘の伝説は、こういう日本的発想で増幅されてきたのではないでしょうか。

 私がイギリスに最初に行ったのは1980年のことで、それも含めて今回で4回目の訪問になります。特に最初の訪問の時には丸1ヶ月もいて、スコットランドやウェールズにまで足を延ばしています。だから、ある程度の自信を持っていえるのですが、天気の日にも傘を手放さないイギリス人などというものは見たことがありません。それどころか、朝から雨が降っている日にも傘を持たずに出歩いている人が圧倒的多数なのです。どのくらいの割合で傘を持っているか、すれ違う人を何度数えたのですが、平均して1割、よくて2割というところです。後は、手ぶらで歩いているのです。傘を持っている人も、そのほとんどは、折り畳み傘で、私が持参したこうもり傘などはまず見かけません。折り畳み傘も日本の場合には結構大きいものですが、イギリスで見るのは、折り畳んだ形で長さがせいぜい20〜30cmしかない小さな傘なので、頭はカバーできていても、肩はずぶぬれ、という有様で、差していないのと大して違いがありません。不思議に思って傘売り場をのぞいてみたのですが、そもそもそういう小型の傘しか売られていません。要するに傘は嫌いなのだ、と考えざるを得ないのです。

 前に「ドイツの傘」という随筆を書いたことがあります。その中で紹介したのですが、ドイツ人も傘を差さずに歩くのが普通です。でも、ドイツ人の場合には、少なくとも男性は帽子を、女性はビニールの三角巾を、学生はフード付きコートのフードをそれぞれ頭にかぶっています。ところが、イギリス人の場合には、老若男女の別を問わず、圧倒的多数は帽子すらかぶらず、むき出しの髪を雨に濡らしながら歩いているのです。

 もちろんイギリスは階級社会ですから、庶民は傘を差さなくとも、上流階級は違うのではないか、という意見がありそうです。これについては自信を持って反論することはできません。そういう可能性もあります。しかし、常識的に考えて、お抱えの運転手がいて、いつも車で移動するような紳士が傘を持ち歩く、ということはあり得ないでしょう。だから、上流階級と言っても普段の行動の足は、庶民と同じくバスや地下鉄を利用するような人でない限り、この伝説の基礎にはなりそうもありません。そして、そんな人はいない、ということはある程度自信を持って断言できます。

 裁判所の周りを歩いていると、いかにも法廷からでてきたばかりの弁護士という感じの独特の服装をした人を多く見かけます。彼らもまた、一般庶民と同じように、驟雨の中を、傘も差さずに友人とおしゃべりしながら平然と歩道を歩いていきます。天気がくるくる変わるので、歩いていて突然雨が降り出す場合も多いのです。日本人だとそういうときは小走りになったりして、できるだけ濡れない努力をします。しかし、そういう弁護士さんたちも含めて、誰も走り出したりはしません。行列を作ることを平然と受け入れるのと同じように、雨も平然と受け入れて、何もしないのがイギリス人なのです。

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 王立裁判所(Royal Courts of Justice)

 

 

4 キングスクロス駅9と4分の3番線ホーム

 この表題を見て、何のことか判らない人は、あまり興味のない話が書かれていますから、この節の文章は読む必要がありません。しかし、世界的なベストセラーですから、多くの人がこの語に思い当たることでしょう。そう、ハリーポッターが、憂鬱な夏休みが終わり、喜び勇んでホグワーツ校に帰るときに乗る不思議な列車が発車するプラットホームです。

 ここで書いているのは、いったいそれはどんなところにあるプラットホームだろう、とわざわざ見に行った、というだけの話です。

 話の枕として、キングスクロス駅について説明しておいた方がよいでしょう。ロンドンという町には中央駅がありません。東京に、東京駅のほかに、上野、池袋、新宿、渋谷などのターミナル駅が都心を取り巻いて環状にあるのと同じように、ロンドンの場合にもやはり都心を取り巻いて環状にターミナル駅が並んでいます。もっともいくつか違っている点があります。

 第一に、東京の場合には、そのターミナルで乗り換えるのはJRの路線である場合もあれば、私鉄である場合もあるのに対して、ロンドンの場合には、昔は私鉄でしたが、それをすべて国有化したので、現在ではどれも国鉄の駅であるという点です。

 第二に、各ターミナル駅をつないで環状に走っているのが、東京の場合には山手線というJRの路線であるのに対して、ロンドンの場合には地下鉄しかない、という点です。だから、東京のように地方からJRできた場合に、山手線内なら新たに切符を買うことなく自由に移動できるというような便利さはない、ということになります。

 第三に、東京だとたとえば小田急と京王が新宿駅に乗り入れているように、複数の異なる私鉄が同じターミナル駅に入っている結果、ターミナル駅の数が押さえられているのに対して、イギリスの昔の私鉄は、それぞれ異を立てて必ず自分固有の終着駅を造ったために、ロンドンの場合には、東京に比べてやたらとターミナル駅の数が多い、という点も違いの一つに数えていいと思います。その結果、ターミナル駅の数は、実に11もあります。特に、セント・パンクラス駅およびキングスクロス駅は、地下鉄の駅も一つで間に合わしてあるほど、指呼の間に並んでおり、日本人だったら、国営化した段階で整理統合しそうなものですが、イギリス人は今日も別々に駅を維持しています。セント・パンクラス駅は、ディズニーランドに持っていけば立派にお城として通用しそうな華麗な中世風の建物です。これを壊すのに忍びなかったというのが真相のようです。

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 中世のお城のようなセントパンクラス駅

 

 

 

 さて、キングスクロス駅ですが、これはスコットランドやイングランド北部に向かう列車の発車駅です。ホグワーツ校は、物語の中では明記されていませんが、明らかに北部の方にありますから、魔法の列車もまた、キングスクロス駅から発車することになっているわけです。

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 味も素っ気もないキングスクロス駅

 

 キングスクロス駅に入って、最初、私はぽかんとしました。9と4分の3番線どころか、9番線そのものが見あたらないのです。広い構内にあるホームは8番線でおしまいなのです。そこで、最初、9番線や10番線そのものがフィクションなのか、と考えたのですが、よく掲示を見ると、小さな字で、9番線〜11番線はあちら、という表示があります。それについていくと、8番線ホームの途中に小さな出入り口がありました。とても大量の乗降客を通すようなものではなく、業務用としか思えない小さなものでした。だから、最初は通り過ぎたのですが、そこから先にはどう見ても分かれ道はありません。そこで戻ってその通路を抜けると駅の建物の外にでてしまいました。見ると、少し離れたところに別の駅舎があり、そこに9番線と10番線がありました。

Kingscross9,10,11.jpg (72429 バイト) とても長距離列車が発車するところとは思えず、何でここからホグワーツ特急が発車することにしたのか、ちょっと首をひねってしまいます。別の駅舎になっているだけに、周りの人の視線を遮る障害物がいろいろあって、人がふっと消えても目立たない、ということを考えたのかな、と想像するのですが、こればかりは著者のローリング女史に聞いてみるほかはありませんね。

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 写真の左側が9番線。だから9と4分の3番線にはいるには、たぶん自動券売機の脇当たりをめがけていけばいいはず?

 

5  ロンドン大学

 今回の旅行の目標の一つはロンドン大学図書館でした。充実したホームページを作っており、一般の人でも利用できることが判っていたのでその点では気楽に出かけることができました。大学は大英博物館のすぐ裏にあります。その住所は、単にセナートハウスという建物の名前と通りの名前があるだけで、番地が書いてないので少し気にしていたのですが、そのセナートハウスというのは実に巨大な建物で、その通りまでたどり着けば見落とすわけがない。なるほどと納得しました。

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 ロンドン大学の白い巨塔

 

 図書館はその巨大なビルの4階にあります。入館したいのだが、と申し出たところ、そういう人が結構いるらしく、入館料は1日7ポンドだといいます。日本円に直して千数百円。ずいぶんべらぼうな話だと思いましたが、この図書館を見るのを一つの目的にして日本から行ったのですから、否やはありません。

 しかし入館してがっかりしました。過去の法律に関わる官報とか、報告書はかなり充実しているのですが、図書そのものはお世辞にも充実しているとはいえません。最初は見て回ったのですが、憲法や行政法関係の本はほとんど見つかりません。まして、財政や会計検査に関する本は全くありません。私がドイツで研究の本拠地にしていたミュンヘン大学図書館に比べてあまりに少なすぎます。官報なども、ミュンヘン大学だとナポレオン戦争時代のものからそろっているのですが、ここにあるのは20世紀初頭以降くらいです。

 探し方が悪いのか、と図書館情報システム(これだけはかなり充実したシステムでした)を利用して、思いつく限りのキーワードで検索したのですが、少しもヒットして来ません。古いものはともかく、新しいものだけでも、と検索条件に1990年以降と入れて徹底的にチェックしたのですが、結局、来たのは徒労、ということが2時間ほどの悪戦苦闘の結果、でた結論でした。

 以前、ケンブリッジ大学の図書館をのぞいて、その蔵書量の少ないのにあきれたことがありました。イギリス人は大学の図書館について、どのような考えを持っているのか、一度じっくりと聞いてみたいと思いますが、今までのところ機会がありません。

 

6 書店

 ストランド地区のフリートストリートというところは、かっては新聞社の本社が軒を連ねたらしく、昔の小説を読むと新聞というのの代名詞にこの通りの名が使われています。しかし、今はすべてよそに移転してしまったそうで、全くそれらしいものはありません。その通りの一番西の端にロイヤルコート(王立裁判所)があります。東の端にはオールドベイリーと呼ばれる刑事裁判所があります。たぶんその関係だと思うのですが、そのロイヤルコートから少し東に行ったところに法律書の専門店があります(191-192 Fleet st.)。 Hammicksというこの書店は1階と地階の二つのフロアが文字通り法律書で埋まっています。日本の本屋の中心地、神保町で生活しているような私ですが、これほどの規模の法律書専門店は悔しいことながら、神保町にさえありません。

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 正面のビルの1階がハーミック法律書店

 

 下手にロンドン大学で時間をつぶしているよりも、あそこにいった方が話が早そうだ、と考えた私の判断は正しかったようで、数十冊の憲法・行政法関係の本がちゃんとここの本棚には並んでいました。今回行ったら、今の時代なのですから当たり前といえそうですが、本をオンラインで発注できるようになっていました。興味のある方もいると思うので、ウェブサイトのアドレスを次に紹介しておきます。

   www.hammickslegal.co.uk

 また、この筋向かいの位置に、かなり小さな店ですが、Wildy & Sonsという店があります。ここは新本のほかに古本も扱っています。こちらのアドレスは次の通りです。

www.wildy.com

 裁判所の周りなのですから、ほかにも同種の店があって悪くはない、と思って、かって渦巻き型に探し回ったことがあるのですが、今までのところ見つけていません。

 ほかにもう一軒だけ、ロンドン大学のそばにLambsという書店があります。あまり大きな本屋ではありませんが、法律書と医学書を専門に扱っています(21. Store street)。日本やドイツだと、大学のそばにはどこも新本屋や古本屋、文房具屋、食堂などがあるものですが、なぜかイギリスにはそれが見あたりません。それはともかく、ストランドまで行く暇はないが、大英博物館には行く、というような人は、そのついでにこの店をのぞくのもよいと思います。

 もし、この3軒以外で、ロンドンの法律書専門店をご存じの方があれば、是非お知らせください。

 これらは、単独で存在しているのですが、ロンドンで、東京の神保町のような書店街といったら、チャリングクロス・ロードCharing Cross Roadです。もっともその名に騙されて地下鉄のチャリングクロス駅で降りてはいけません。チャリングクロス・ロードはかなり南北に長い通りで、書店はそのうち、北半分、地下鉄の駅でいうとTottenham Court Road駅からLeicester Squer駅の間にあるのです。BrackwellとかBorderといった、神保町でいえば三省堂や書泉に相当する大型新刊書店もあれば、小さな古本屋もたくさんあります。Blackwellには、三省堂程度には法律書がおいてありますから、ここを訪問してもある程度の法律書を手に入れることはできます。このように神保町とよく似た町である以上、神保町でいえば丸沼書店のような、法律書専門の古本屋もありそうなものだ、と半日かけて探し回ったのですが、見つけていません。これについてももしご存じの方があればお教えください。

 このチャリングクロス・ロードの東側が有名なソーホー地区です。劇場が多く、またチャイナタウンもあって、ロンドン観光の一つのスポットです。また、西側にはRoyal Opera Houseなどがあって有名なコベントガーデンです。だから、ロンドンに行ったら、たいていの人はこのあたりに行かれると思いますが、その際には書店街も是非のぞいてみてください。

 ついでにいうと、チャリングクロス・ロードの北の端、トッテナムコート・ロードはロンドンの秋葉原で、ずらっと電気店が店を並べています。もっとも、チャリングクロスの書店街が神保町に比べるとずっと規模が小さいのと同じことで、トッテナムコート・ロードの電気街も秋葉原とは比較になりません。店に出ている看板は、ソニーだのパイオニアだのが目立ち、その点だけは秋葉原と変わり映えがしません。旅先で、何か電気器具が必要になったときには、是非この町の名を思い出してください。

 最後に、政府刊行物書店について紹介しておきます。イギリスの政府刊行物センターは、かっては女王陛下の刊行物事務所Her Majesty's Stationary Office=HMSOという名称で政府直営で存在していましたが、近年イギリスを吹き荒れている民営化の嵐に吹き飛ばされ、1996年にNational Publishing Groupに売却されました。その結果、現在は刊行物事務所株式会社the Stationary Office Ltd.の経営する書店になっています。書店は当然何カ所かありますが、ロンドンでは王立裁判所の裏手の方にあります(119. Kingsway)。もっとも直接に行く場合には、地下鉄ホルボーンHolborn駅で降りる方が便利です。その真向かいの位置です。

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 政府刊行物書店

 

 こちらのウェブサイトは次のものです。

www.national-publishing.co.uk

 ややこしい話ですが、元のHMSOというウェブサイトもまだ存在しています。

www.hmso.gov.uk

 こちらの方は、直接に政府の情報資源登録所government Infomation Asset Register=IARにつながります。

 

7 イギリス会計検査院

 イギリス会計検査院(National Audit Office=NAO)はロンドンの南の玄関というべきヴィクトリア駅のそばにあります。正確に言うとヴィクトリア・コーチ・ステーションという長距離バスの発着場があるのですが、その真向かいの位置です。以前はブリティッシュ・エアウェイの本社があったということですが、なかなか見栄えのするビルです。

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 英国会計検査院玄関上のすてきな彫刻

 

 今回のイギリス訪問の一つの目的はイギリス財政制度の研究で、それなら当然大蔵省に行くべきなのです。が、今のところ、イギリス財政に関する情報が不足しすぎていて、いってもどの辺から質問をしていったらよいのか判りません。そこで、土地勘?のある財政監督法から入っていこうというわけで、まずはNAO訪問となったわけです。

 外国関係課長のブルース・ビドウェル氏に半日つきあっていただいて、いろいろ質問をし、またずっしりと持ち重りのするほどの資料をいただきましたので、これから時間をかけて読んで、ある程度まとまったら論文の形にまとめたいと思っています。ここで紹介するのは、話にでてきた中で、私がおもしろい、と思ったいくつかの点だけです。

 職員の採用のやり方については、日本とよく似ている、という感じでした。私はこれまでに約半ダースの会計検査院を欧州で訪問していますが、ドイツに限らず、どこでも職員は、他省庁の職員をリクルートする、というやり方をとっていました。つまりそこで十分に時間をかけて、会計制度などについて習熟している人を採用して、その官庁について検査をさせる、というやり方です。日本のように、大学の新卒者を採用して自分の手で訓練して一人前の検査マンに育てる、なんてやり方を採っているところはどこもありませんでした。しかし、イギリスは日本と同じやり方でした。実をいうと、ちゃんとインターネットのホームページに職員募集が載っていて、応募者用のフォーマットまであるのです。もっともダウンロードしてプリントしてみましたが、非常に不鮮明で、このままで使うのは無理という感じでしたが。したがって、職員研修も日本と同様に積極的に行われているのだそうです。

 大卒者の場合、採用と同時にasistant Auditorになります。日本でいえば、事務官というわけです。2年たつとAuditorになります。直訳すると検査官ですが、もちろん日本でいう調査官補に相当します。3年目に調査官試験を受けて調査官Senior Auditorになります。この3年間は、職場で働くよりも、研修に服している方が長いとか。ただし、日本の安中研修所のような専用施設はなく、もっぱらNAOの本庁内部の施設で行われているそうです。

 ここで聞いていてうらやましい、と思ったのが、調査官になると公認会計士Certified Accountantとしての資格が与えられるということです。NAO職員数が約780名ですが、そのうち、約600名が検査担当者になっています。そのうちで400人が会計士だというのです。その公認会計士というのは勅許会計士Chatered Accountantとはどう違うのか、と尋ねたところ、同等の資格だ、という返事でした。つまり、会計検査院に勤務していれば、公認会計士になれる! それなら退職後の仕事も保障されているようなもので、実に魅力ある制度です。実際、ホームページの職員募集の箇所を見ると、その点を強調しています。日本の会計検査院にもそういう制度が導入されると、もっと能力のある人が集まるようになることでしょう。

 補足的に説明しておくと、日本の場合には公認会計士協会という組織が一つだけあり、すべての会計士がこの組織に属しています。これに対して、イングランドおよびウェールズに関する組織に限定しても、イギリスには、勅許会計士協会Institute of Chartered Accountants in England and Wales、公認会計士協会The Association of Certified Accountants、および公共財務会計士協会Chatered Institute of Public Finance and Accountancyの三つがあります。だから、第二の組織の会員資格が取得できる、という説明になります。

 日本だと、調査官は等級・号俸の差違こそありますが、官職としては皆同等です。しかし、イギリスの場合には平の調査官のほかに上級調査官Principal Auditorの職があります。これへの昇進は、能力によって決まるということで、試験などはないのだそうです。

 さらにその上に副長Audit Managerがいて、その上に課長Directorがいて、一つの課Areaができている、という点では日本と一緒です。一つの課に複数の副長がいて、検査チームを率いている、という点でも日本と同じです。ただ、その複数の副長を束ねる総括副長という官職はなさそうです。

 こういう課が集まって局unitになります。局はA局からF局まで6局あります。単にアルファベットの通し番号がつけてある、というあたりも、日本の会計検査院が第1局から第5局まで数字を振ってあるのとよく似ています。

 局あたりの課の数は?と質問したところで話が止まってしまいました。NAOが用意している組織図には局とその分掌事項だけで、課の単位では載っていないのです。単に外部発表用の資料にない、というだけではないらしく、ビドウェル氏は院内の電話番号表を元にして一生懸命数を数え、ようやく局ごとの課の数を突き止めてくださいました。だいたい7課又は8課なのですが、E局が11課でF局が4課とかなりばらつきのある点が変わっています。

 局長のことを副検査官Deputy Auditor Generalもしくは検査官補Assistant Auditor Generalといいます。正確に言うとC局だけが副検査官で、他が検査官補です。何で称号に違いがあるのかは聞きそびれてしまいました。局長の上に副会計検査院長Deputy Comptroller and Auditor Generalがいて、一番トップが院長Comptoller and Auditor Generalです。なお、補足しておけば、comptrolというのは会計検査という意味の英語です。発音はcontrolと全く一緒ですが、伝統を反映して、今日も会計検査者の場合には、会計検査院に限らず、一般にComptrollerという語が使用されます。

 これまで私が一番不思議に思っていたのが、この院長とNAOの関係です。

 会計検査院制度に論及した我が国内外の文献では、イギリスは、アメリカ会計検査院=GAOと同じく、議会付属機関と書かれていることが多いのです。理由は簡単で、NAOの根拠法である1983年イギリス会計検査院法では、院長は庶民院House of Commonsの職員である、と書かれているからなのです。確かに、組織のトップが庶民院の職員とされるなら、組織全体が庶民院付属機関であると理解するのは、一般的には間違いではありません。

 それにも関わらず、私はこれまでに発表した論文でNAOに論及したときには、頑として、「イギリス会計検査院は、わが国会計検査院と同じく、三権のいずれからも独立した機関である」と書いてきました。私の方の根拠も単純で、NAO自身が外部に発表する文書には、すべてそう書いてあるからなのです。本人がそういうのに他人が、おまえの法律解釈はおかしい、とけちを付けるのはそれこそおかしいわけです。

 しかし、なぜ院長が議会職員であるのに、NAOそれ自体は独立機関足りうるのでしょうか。それが今回の訪問で一番知りたかった点でした。

 答えは、NAOは国家機関ではなく、そこで働いている職員は国家公務員ではないから、NAOが議会に付属している、ということはない、というものです。すなわち、次長以下のNAO職員は院長との間の私法上の契約により勤務しているのだというのです。もちろん、勤務条件の内容は一般の国家公務員の勤務条件と全く同じで、その意味では国家公務員でないことによるデメリットはありません。

 本書の冒頭で、林考栄氏が書いた「英国地方自治体の外部監査制度」に言及しましたが、その中で、林氏は会計検査委員会は法律上は民間機関で、その意味で委員会それ自体がサッチャー政権が積極的に推進した民営化Privatizationの一環だと述べていました。私は読んでいて、それがなにを意味しているのかさっぱり判らず、首をひねっていました。ビドウェル氏より説明を受けた瞬間、そのことが頭にひらめいて、では、NAOの設置それ自体が民営化といえるのか、と聞いたところ、その通りだ、という返事でした。

 確かに、国家公務員としての身分を持たなければ、議院その他の国家機関からの指揮監督に服することはあり得ず、その意味で、NAOは三権のいずれからも独立した機関である、というのは間違いのない話です。検察官の独立を確保するために、法務大臣は検事総長にたいしてしか指揮権がない、という形で我が国の法制は作られています。それと同じように、イギリス庶民院は、会計検査院長に対してしか指揮権を持たないのですが、それを私法上の契約という形式で実現するとは、実におもしろいことをイギリス人は考えるものだ、と感心しました。

 最後に、NAOは憲法機関といえるのか、と尋ねましたところ、ビドウェル氏は一瞬考え込んでいましたが、その通り憲法機関である、ただし、イギリスは軟性憲法だから、根拠法を議会が改正することによって、いかようにもその組織や権限内容を変更できるのだ、という返事でした。この辺、軟性憲法という概念自体、もう少し研究する必要がありそうです。

 イギリス会計検査院に興味をお持ちの人のために、そのウェブサイトを紹介しておきます。

   http://www.nao.gov.uk/

 

8 検査委員会

 検査委員会は、「イングランドおよびウェールズにおける地方自治体および国民健康サービスのための検査委員会Audit Commission for Local Authorites and the National Health Service in England and Wales」という、恐ろしく長い正式名称を持つ機関ですが、根拠法自体が「検査委員会法Audit Commission Act」となっており、建物の外にある表示にも検査委員会とだけあり、ここが出版しているおびただしいパンフレット類にも、単に検査委員会とだけあるくらいです。本稿でもそれにしたがって検査委員会と呼ぶことにします。

 検査委員会の中央機関の建物は、ヴィクトリア駅から線路を挟んで反対側ですが、NAOの近所にあります。ウェストミンスター校の運動場が街のど真ん中にあるのですが、検査委員会は、これを囲むヴィンセント・スクェアという四角形の街路の一つの頂点の位置にあります。

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 検査委員会本部の全景。

 

 検査委員会で対応していただいたのは、法律チームの法律顧問、フィオーナ・チャドウィク氏と財務課長のジョナサン・ムーア氏でした。どうも忙しい時期に応対をお願いしてしまったらしく、ムーア氏は途中で、検査委員会に対する提案説明が始まる、と呼び出されていってしまいましたし、チャドウィク氏の方も、最後になったら、申し訳ないが、後5分しか時間の余裕がない、といわれ、結局、訪問時間は1時間程度になってしまいました。だから、質疑応答はあまり徹底しておらず、細部については判らないところがまだ多いのです。しかし、ここでもかなりの量の資料をいただきましたから、これからゆっくりと読んで中味を研究し、論文の形で発表したい思っています。そこでここでも、NAOの場合と同じく、はなしていて、おもしろい、と思った点だけに絞って紹介するにとどめたいと思います。

 これまで何度か林氏の労作に言及してきましたが、結論的に言うと、それは現在の検査委員会の活動内容を紹介するものとしては少々古くなっている、ということができそうです。というのも、その研究は検査委員会の設置の根拠法となった1982年地方政府財政法Local Government Finance Act 1982だけを対象として行われているのですが、その後、今日までに実に5回の法改正、すなわち検査委員会の権限拡充が行われていたのです。順にあげると、1990年国民健康サービス(以下、NHSと表記)および地方自治体医療法NHS and Community Care Act、1992年地方政府法Local Government Act of 1992、1996年検査法Audit Act 1996、1997年教育法Education Act 1997および1999年地方政府法Local Government Act 1999です。それぞれの法律で行われた検査委員会の権限拡充については資料をいただいていますが、これらの改正の背景には過去10年ほど行われてきたサッチャー政権崩壊後のイギリス地方自治制度そのものの激しい改革があります。そちらを正確に理解していない現時点で、これら個々の法律による検査委員会の権限を紹介すると、誤った記述をしかねない、という恐怖を感じるので、ここでは単に名称の紹介にとどめておきます。なお、検査委員会の設置法は、現時点では1998年検査委員会法Audit Commission Act of 1998です。

 検査委員会は、基本的には我が国の独立行政委員会型の組織です。すなわち、委員会があって、この指揮監督の下に事務総局が存在しています。

 委員会は、15名以上20名以下の主任の国務大臣によって任命される委員により構成されます。また、大臣は、その中から1名を委員長、もう1名を副委員長に任命します。この任命は、関係各団体と協議した上で行うのであって、大臣の一存で行うことはできません(法1条)。実際の委員の数は、2001年春時点では17名です。地方政府から6名、健康サービスから3名、民間機関から3名、慈善団体から2名、会計士1名、他省庁から1名、学者1名となっています。これが同時に関係団体を示していることになります。任期は3年で、再任されることができますが、再々任は許されません。現在の委員長のヘレナ・ショベルトン女史は、その履歴を見ると、官僚出身者です。

 事務局は、事務総長Controllerを頂点とするヒエラルキー構造を持っています。この事務総長だけは大臣によって任命され、公務員としての身分を持っています。これに対して、各部長Director以下の職員は、すべて事務総長より任命されます。この点で、NAOから、NAOではこの任命は私法上の雇用契約であり、なお職員は公務員としての身分を持たない、と聞いているが、こちらはどうか、と尋ねたところ、チャドウィク氏とムーア氏はそんな風に考えてはいなかったらしく、ちょっと相談していましたが、結論として、その通りだ、我々もNAOと同じく、公務員としての身分を持たない、という答弁になりました。

 話していて私が一番震え上がったのが、私が、検査Auditという言葉と査察Inspectionという言葉の違いを押さえていなかった、という点でした。イギリスで活動する重要な外部検査機関としては、検査委員会のほかに会計検査院および欧州会計検査院があるわけですが、その二つと検査委員会の権限の最大の相違は、イギリス会計検査院や欧州会計検査院は検査をするだけだが、検査委員会は検査のほかに査察もする、というのです。先に書いたとおり、非常に時間が限られていたので、この二つの概念区別で時間を費消するわけにも行かず、ただ驚くばかりでした。

 組織的に言うと、この機関は三つのはっきりと分かれたセクションが存在しているのです。すなわち、中央管理組織Central Derectorates、地方検査官District Auditorおよび査察組織です。職員数は中央管理組織が約200名、地方検査官が1215名、査察組織が400名です。地方検査官と査察官が、実際の活動の実働部隊ということになるのですが、この二つははっきり分かれていて、たとえば地方事務所すら別々に存在している、というのです。

 中央管理組織を、官房機能を有するところ、と理解してはいけません。これこそが、そのユニークさでヘッセン州など、他の検査機関に影響を与えた組織なのです。

 ここが、地方検査官などの行う検査テーマの選択を行います。たとえば今度は地方自治体の管理する病院の検査を行おうというようなことを決定するわけです。この決定が認められると、この中央管理組織自らが会計検査を開始します。このあたり、私が日本会計検査院に在職していた当時行っていた官房審議室による各種調査活動と同じように理解してよいようです。だいたい20カ所くらいの現場に実地検査に行き、それで検査手法を確立するわけです。これに約1年を投入する、ということです。検査テーマと、それに対する検査手法を確立すると、検査の手引きを作成し、これに基づいて地方検査官等を訓練します。訓練期間は約半年使うそうです。それから地方検査官等による実施検査が始まります。この実地検査期間が1年間です。検査が終わると報告が提出されてきます。それをまとめて、発表して検査活動が終了ということになります。だから、検査はテーマの選択から始まって、結果の公表までだいたい3年から3年半というサイクルを必要とする、というのです。

 検査委員会と地方検査官の関係はちょっと複雑です。地方検査官は検査委員会の腕として、先に述べたとおり、事務総長との契約で雇用されます。そして、委員会から、特定の地方団体の検査担当者に任命されます。検査活動に当たっては、その権限は独立であって、委員会の指揮・監督は受けません。

 地方検査官の採用は、NAOの調査官の採用と同じように、大学の新卒者を採用し、やはり3年間程度、会計士として訓練をする、ということでした。こちらも公認会計士になれるのか、と聞いたところ、公認会計士もいると思うが、中心となるのは公共財務会計士協会の会計士資格だと思うという返事でした。前にイギリス会計検査院の説明で言及したとおり、これもまた公認会計士協会と同格の機関です。検査委員会では、新人に対して、この協会の定める訓練手続きに従って訓練を行うのだそうです。

 なお、中央管理組織の職員の場合には、各方面からの一本釣り的なリクルート活動によって採用する、という返事でした。もちろん、地方検査官から採用される人もいるそうです。

 地方公共団体の検査者として、委員会が任命できるのは、委員会の職員、委員会に属さない個人および民間企業とされています(法3条)。この委員会の職員というのが、通常の検査では、地方検査官ということになるわけです。だいたい、1チーム12名程度で編成されていて、このチームが複数の地方公共団体の検査を担当するわけです。地方公共団体の規模に応じて3名程度で実地検査にはいることもあるし、大きな地方公共団体の場合には10名程度で行くことになる、という話です。

 検査委員会の検査の今ひとつの大きな特徴が、民間企業を地方公共団体の検査者に任命することができる、という点です。実際にはプリンス・ウォータハウス・クーパース等6つの会計事務所です。この6企業が引き受ける検査割合は全業務量の30%に達し、これに支払われる検査費用は、年間34百万ポンドになるそうです。つまり、本稿の冒頭に言及したドイツのヘッセン州会計検査院による地方自治体外部監査は、上記中央管理組織の検査テーマ確定権プラス民間機関の活用という部分を取り出して、自らの組織を作ることにしたわけです。

 査察についてはあまり詳しい話は聞けませんでした。イギリス政府は、非常に査察の好きなところで、政府の各省庁の中に分野別に100を越える地方公共団体に対する査察機関があるのだそうです。この多数の査察機関と調整しながら行うので、かなり複雑なものであるようです。

 検査委員会に興味をお持ちの人のために、そのウェブサイトを紹介しておきます。

   http://www.audit-commission.gov.uk/

 

[おわりに]

 昔はイギリスの治安は非常に良好で、警官は拳銃をまったく持っていないのが自慢でした。ところがサッチャー政権下に人心が荒廃した性だ、と高尾さんはいうのですが、今では、拳銃を常に所持しています。それどころか、街頭での普通のパトロールの時まで、防弾チョッキを着込んでいます。当然、それだけの危険性が今日のイギリスにおける警官の勤務には存在しているのでしょう。それを証明するかのように、私の滞在中、毎日、夜昼なしにひっきりなしに街角にパトカーや救急車、消防車のサイレンの音が鳴り響いていました。だからあまり緊張の解けない旅でした。

 日本だと、セルフサービスのレストランなどでは荷物を置いて場所取りをしてから料理を取りに行くものです。ドイツだってそうですし、昔はイギリスもそうでした。しかし、今回の旅のために買ったガイドブックには、イギリスは治安が比較的よい、と書きつつ、一方で荷物を置き放しにしてそこから離れるのは、盗んでくれと頼んでいるようなものだ、と明記してあるものですから、一人旅ではずいぶん行動が制約されて、そういう点でも落ち着かない旅になりました。

 実はイギリス出国の時、小さな失敗をしています。前に書いたとおり、ヴァージンアトランティック航空での搭乗手続きで、延々と行列をさせられたのですが、そこで、待ち時間をつぶすために、いろいろな書類を確かめたりしていたのです。成田までの荷物輸送は、往復の宅配便を頼んでいたので、帰りの宅配便の券を持っていることも確かめて・・そこで、その券をどこかに落としてしまったらしく、搭乗ゲイトでもう一度確かめたときにはなくしていたのです。

 成田に無事に帰ってきたとき、機内に流れたアナウンス曰く、「成田の気温は零度、天候は雪です。」。寒いイギリスに行ったつもりだったのに、実際にはいる間中暖かく、戻ってきた日本が震え上がるほど寒かったわけです。しかし、宅配便業者の所に行って、復路の券を落としたと訴えたところ、さっとコンピュータの端末機を操作して、私の話の内容を確認するとあっさり荷物を引き受けてくれたのです。その時に、やっと日本に帰ってきたという実感を覚えました。やはり日本人には日本がいいですね。

 イギリスの一般的な紹介文の最後に、突然個別官庁の説明が入る、というちょっと奇妙な文になりましたが、まさにそういう旅行であった、とご理解ください。文中にも書きましたとおり、最後に紹介した二つの検査機関の活動内容については、近い将来に論文の形にまとめたいと考えています。ご期待ください。