大学の一年間

甲斐素直


 その一 憲法講義の巻
 司法検査課長を最後に、二〇年間つとめた会計検査院を辞めて、平成五年四月に母校日本大学に還って教鞭をとるようになってから、ちょうど一年が経過しました。転職は誰にとっても大変なことでしょうから、私が特別な体験をしたということではないでしょう。しかし、転職先が大学というのはあまり例がないでしょうから、一応現況報告をさせてください。
 大学に戻って、最初に考えたことは、なんといっても遅れてきた新人であり、しかもその遅れたるや二〇年に達しているということです。したがって、この大きなギャップを埋める手段としていくつかの努力目標を設定しました。その一つは、講義に当たっては必ず事前に講義案を作成するということでした。
 これは言うのは簡単なのですが、するのは大変です。皆さんもご存じのとおり、私学は私学振興財団から巨額の補助金を貰っています。補助金では専任教員に対しては、その人件費が出ることになっているのですが、日大の、補助要綱の解釈によると、一週に五時間以上、一〇時間以下の講義を行うことが専任教員の条件だと言うのです。そこで初年度に担当した講義は、本来なら四時間で良いところ、しゃにむにもう一時間が追加され、全部で五時間です。ただ、日大の法学部には一部と二部の二つがあり、両方に同一科目を持っているので、実質的に講義案を作成する必要があるのは三時間ということになります。具体的には憲法と法学とゼミです。
 本来なら、大学に戻る前にある程度講義案を書きためていることができれば良かったのです。しかし、司法検査課は、裁判所、法務省、警察庁という三つの巨大な国家機関をその検査対象としていてもともと業務量の多い課であった上、私の在任期間中はやたらと不正行為が発生して業務量を増やしてくれました。ですから、母校に戻るということが決まったからといって仕事の傍ら、講義案を作るような暇はまったくありませんでした。したがって、教鞭をとった時点では準備はほとんどゼロに近いという状況でした。そこで毎週毎週、自転車操業で講義案を作り続けるという羽目に陥ったのです。
 そもそも最近の学生が憲法でどのような教科書を使っているのか、ということも、最初は判っていませんでした。まさか自分が学生時代に習ったことをそのまま教えるような横着もできません。そこで最初の授業の時に、各人からそれぞれの基本的教科書を聞き出し、その足で本屋にいってそれらの本を両手いっぱい抱えて研究室に戻る、というところからスタートしなけければなりませんでした。それ以外にも最近出版された教科書は片っ端から買い込み、一週間くらいの間に計一〇冊以上の教科書を読み飛ばすことにより、教科書レベルにおける最近の通説や用語を把握するところから出発して、ようやく講義案を作る基礎を確立する、というきびしい作業をこなす必要がありました。
 ところで大学で一時間というのは、実時間だと九〇分のことを言います。よく、最初はどのくらい話したらこの一時間が埋まるか把握できないものだから、時間の最後には用意した講義内容が終わってしまい、しゃべることが無くなって四苦八苦したなどという話を聞きます。しかし、不思議なことに、私は、その苦労だけはまったく経験せずに済みました。
 私のやり方というのは、憲法にしても法学にしても、その日にしゃべる統一的なテーマを決め、それについてそれぞれ想定した標準的な受講生が知るべきことを過不足無く話す、というものです。すると不思議なことに、ちょうど話したいだけ話して、さて時間は、と時計を見ると終了の一〇分くらい前になり、質問に応じたりしていると、ちょうどぴったり、という配分にいつでも収まりました。
 おそらくこれは偶然ではない、と思います。すなわち、大学の講義で普通に取り上げられるテーマというものは、いろいろな先生方が、ちょうど一時間の講義の中で話すのに適当な大きさ、というようなところから、長い年月の間に選択されてきたものだからに違いありません。
 ちなみに、その一時間のために用意しておく講義案は大体七〜八千字の量です。もちろんそれを読み上げるだけではとても一時間は保ちません。それを土台に、学生達の反応から理解状況を判断しながら、適当に脱線したり、膨らませたりしてながらしゃべっているのです。上記のとおり、週に三時間分作成する必要があるわけですから、毎週作成する講義案の量は、大体二万字程度ということになります。
 予想していなかったのが、講義という行為そのものが非常に自分自身の考えを整理する上で役に立つということです。別に学生が具体的質問をして来ないときでも、私の講義を聞いている学生の顔をながめていれば、一応理解しているか、それとも全く判っていないか、という程度のことはわかります。そこで反応が鈍いときには、何とか説明を工夫することで、理解させようとします。
 すると、そうした緊張状態の中から、いままで考えても見なかった説明方法が見つかるのです。それは、学生に対する有効な説明方法であるばかりでなく、学説として主張するにも優れた論法であることがしばしばです。その結果、講義を終えると早速にパソコンに向かって、事前に書いた講義案の改訂を行うというのは、いわばルーチンとなるほどでした。
 事前に講義案を書こうとしたのですが、どうまとめていいかどうしても判らず、レジメ程度の殴り書きを持っただけで講義をしたことも、一年の間には何度かありました。驚いたことに、そういう時も、意外と良い講義ができました。というより、事前にがっちり講義案を書いていたときよりも出来が良かった例が多いというべきでしょう。これは、講義案を書こうとしても書けないということは、知識がないというよりも、むしろそれだけたくさんの情報が私の中で渦巻いていて、それに圧倒されて整理がつかないでいる為だろうと思います。それが学生により容易に理解させようと、その筋道を発見しようとする緊張の中で、一気に整理されるのです。せっかくの講義を忘れないうちに、文書化しようというので、そういう時は、それこそ一刻を争ってパソコンに向かったものでした。
 憲法の講義で、自分として印象が深かったのは人権です。少なくとも公務員時代には、関心は主として統治機構に向けられていましたし、学校に戻ってより深く研究したいと思い詰めたのも、その統治機構の分野に対する学界の研究の低調さに対する怒りが主たる原因と言っていいでしょう。これに対して人権論というものには従来はほとんど興味がもてず、したがってまともな論文は一つも書いていません。もちろん、学生時代に徹底的に勉強したことのある領域ですから、それをベースにすれば恥ずかしくない程度の講義は出来るはずだと思っていました。ただし内容的には通説の紹介にとどまるだろう、と予想していました。
 自分で自分に驚いたことには、人権の個々の問題について、今の私は、学生時代には間違いなく持っていなかった広い知識と、それに対応した深く考え抜いた独自の理論というものを持っていたのです。
 それはどこから来たのだろう、といろいろ考えた結果、行政実務そのものに違いないという結論に到達しました。
 すなわち、今日の民主主義国家においては、行政活動は、そのすべてが何らかの意味で国民の人権を実現するために行われているといえるはずです。したがって、行政の現場にいる方々が、自分の個々の活動を、憲法的な意味での人権の実現のためのものと考えていることはまず無いでしょうが、実質的には、人権問題について真剣な考察をしているのに等しいのです。そして会計実地検査において、そうした実務の当否を検討するということは、即、国民の人権そのものの、より妥当な実現の方法を考えるということに他なりません。
 そういう観点から検査を把握するということは、私自身、会計検査院時代には理論的に考えたことすらもなかったことです。が、実際にはまさにそういう活動を通じて私の人権知識は深まっていたのです。
 以前に発表した「検査の観点概念の再構成」(「会計検査資料」昭和六二年二月号〜六月号掲載)という論文の中で、検査の観点として、公平性という概念を四番目のEとして考えられる、という意見を主張したことがあります。いま、さらに一歩進めて、公平性、すなわち平等主義ばかりでなく、他の憲法原理もすべて検査の観点として、構成することもできるのではないかと考えているところです。

 その二 法学講義の巻
 大学によって、「法学」という科目の取り扱いはずいぶん違うようです。
 三ヶ月章法務大臣、すなわち元東大教授の書かれた「法学入門(弘文堂)」には、かなり長い序文があるのですが、それによると東大では、法学は、定年直前の教授が担当することになっているのだそうです。そこで、この序文には、長いこと訴訟法一筋に研究してこられて、定年直前の、いわば長年の研究の総決算のため、きわめて時間が不足する中で、それらを犠牲にして、「茫漠として果てしない法の全分野にわたって」「あまり自信のない講義を」「しかも一回限り担当させられることの苦しさ」が綿々と書きつづられています。
 日大のやり方は、これとは完全に対照的です。法学教育は若手教員が担当することになっているのです。しかも、東大の場合には、定年直前の教授がそう何人もいるわけはありませんからおそらく大講堂の講義でしょうが、日大の場合には五〇人くらいづつの少人数のクラス単位で行います。従ってかなり多数の法学の教師が必要になるわけです。
 ついでに言うと、日大では、全新入生をクラス別に振り分けているのですが、法学の教師は、たいていそのクラス担任と言うことにもなっています。もっとも一年生といえども、その受講科目は各人の選択ですから、クラスの全員が顔を合わせるのは、一週間の中でも法学の時間だけですが。
 そういうわけで、私は憲法の教師であるはずなのに、法学の担当も、当然のこととして命ぜられました。
 前回は、自分でも知らぬ間に、人権感覚が育っていた、という話をしました。人権に関する知識で、私が自分自身に驚いたという表現を使うならば、法学に関する自分の知識には、まさに仰天したというほかはありません。
 そもそも法学というのはよく判らない科目です。私は学生の時には、ご丁寧にも法学と法学研究と二つも受講したのです(というより、必須だったので、させられたというのが妥当でしょう。)が、いくら考えても、その時、講義で何を聞いたのか、記憶を蘇らすことができません。決してさぼっていたわけではありません。念のため、大学時代の友人に何人か聞いてみましたが、やはり彼らも思い出すことが出来ませんでした。
 どうも法学というのは、そういうもののようです。理論的に説明するならば、法学部における勉強の根底をなしているために、その後に積み重なったさまざまな分野の学習に覆い隠されて、それ自体として思い出すことが出来ない、ということなのでしょうか。
 とにかく、講義をしてくれと言われたものですから、出来ないと言うわけにもいかず、講義案を作るために、図書館に行って何冊か法学の教科書を読んでみました。少なくともその時読んだ限りでは、どれも中身はどれも憲法の教科書を易しくしたような代物です。これなら憲法の教師である私にとっては訳はない、別に特別の準備もいらないだろうと高をくくって、最初の講義に臨みました。
 そしておやおやと驚いたのが、学生達を前にしたとたん、自分の舌が事前には考えてもいなかったことをどんどんしゃべっりだした、ということです。そして最後には、来週にはこれこれのことを話します、と予告までするのです。約束した以上はそれを守らねば、といろいろ調べ、講義案を作る羽目に陥りました。
 問題は、自分の講義が将来どういう方向に進んでいくものなのか、自分でもさっぱりわからない、という点にありました。その週に、自分が何を話したいのか、ということははっきり判ります。それを受けて翌週に何を話したいのか、ということもはっきり判ります。しかし、四〜五週後の講義はどのようなテーマか、ということは判らないのです。
 他の人の法学の教科書を読み、今がこのあたりに対応しているから、先はきっとこういう問題の講義になるに違いない、と何度か予想を立てたことはあるのですが、実際にそこまで進んでいった時に予想通りだったということは一度もありませんでした。結局一年間、毎週毎週手探りで法学の講義を続けました。
 最後はいったいどんな形で終わるのかかなりぎりぎりになるまで見当もつかず、講義をしている本人が一番やきもきしました。というのは、期末試験の問題というのはかなり早めに教務課に出さなければならなかったからです。
 一年の悪戦苦闘を振り返って判ることは、私の頭の中に、かなり完成度の高い法学が存在していたということです。ただ、それが全く体系的に整理されておらず、子供がおもちゃを箱に押し込んだように、ごちゃごちゃに詰まった形で納まっていたのです。そのために、漠然と体系を考えたのではそれを見ることはできず、特定のインプットをした場合にのみ、情報として取り出すことができるという状況だったのです。
 その正体は何なのか、といろいろ考えたのですが、結局、私の中に蓄積された特殊な行政法の解釈技術なのだ、という結論になりました。
 会計検査を行っていると、特定の行政分野だけを支配している特殊な法規の解釈を行う必要に迫られることは良くあります。いわゆる合規性の検査です。
 そういう特殊な法令には、憲法や民法のような一般法と違って、判例だの学者の解説だのという客観的に頼りになる文献はいっさいありません。唯一頼りになり、最終的に基準に使えそうなのは、行政庁の行う有権解釈です。しかし、会計検査院の仕事の場合には、そうした条文に関して有権解釈をしうる行政庁とは、普通は当の受検側そのものです。
 もっとも、当の受検側である方が検査そのものはやり易いのです。全く別の省庁が解釈権限をもっている法令を取り扱ったことが何度かありますが、自分のところの解釈が他省庁の利害に影響すると言うことで、遠慮するのでしょうか、確定的なことをなかなか言ってくれないので、検査を進めて良いのか、打ち切るべきかすらも決定できず、非常にてこずったものでした。
 普通は受検側に、その有権解釈を求めるのですが、まさに検査で問題になっている特定の場面に対する特定の解釈だけを尋ねたのでは、当然受検側に都合の良い解釈しか回答されませんし、会計検査院としてそれに反駁することはできません。
 そこで、会計検査院としては、その法規の属している法体系そのものから総合的に法令を解釈する、という手法を導入する必要があります。それにより、初めて、単に特定の場面の都合の良さだけを採ったのでは全体として見ればかえって破綻を起こすということを示して反論を封じることができるからです。
 そうした特殊法令の体系的解釈技術とは、第一に憲法の与えたフレーミングであり、第二に一般的な法学体系から割り出したところの標準的な解釈ということになります。ある意味で、私は会計検査院で二〇年間そういう作業を続けていた訳です。その間に蓄積した膨大なノウハウから、法学とはどのようなものであるべきか、という一つの体系的存在が、知らず知らずのうちにできあがっていた訳です。
 ところが、そういう形で場当たり的に身につけた知識ですから、ごちゃごちゃに詰まっているのは当然です。それを自分の頭の中から発掘しては一年間講義を続けたのですが、これは誠に大変な経験でした。いくらいろいろと手を広げて読んでみても、既成の法学の教科書でいくらかでも私の体系に近いものはないのです。したがって、頭の中にある漠然とした概念にどのように肉付けするか、毎週とっくみつづけなければなりませんでした。一年間、破綻を起こすことなく続けられたのは好運だったと思っています。
 とにかく、学生に対して一つの真理として話すのですから、単に私はそう思っている、世の中ではどう考えているかは知らない、という訳にはいきません。少なくとも、その特定の問題に対する学説の現況や判例の傾向は、最低限調べ上げておかねばなりません。論点となっている問題には、古い時代の出典があったはずだ、という曖昧な記憶を頼りに、図書館に潜って文語体の本を頭の痛くなるほど読みまくったこともあります。
 そういう自転車操業を重ねていたものですから、いつ、今週はまだ研究中ですから休講にします、と言う羽目になるかと、びくびくしながら毎週過ごしていたものです。実際、講義案が間に合わず、レジメだけで講義に臨んだことも一〜二度はありました。
 が、幸いなことに、危なくなると夏休みや秋休みなどの長期休暇がきてくれて、研究の暇を与えてくれました。大学の休暇がこれほど長いのは、決して理由のないことではない、と納得したものです。

後日談
 今では日大法学部は、法学を選択制にし、その結果、クラス制度がやめになりました。おかげで、毎年法学の受講者が激しく変動します。多い年は200人くらいになりましたが、99年度の場合にはわずか30人ほどでした。こう極端に変動すると、最初の講義前に作るレジュメがどの程度の部数必要か判らなくて、かなりやりにくいですね。