女性と労働

                                             甲斐 素直

[はじめに]
 私のゼミの1期生に女性はゼロでした。2期生に1人入りました。3期生に2人入りました。この調子で行くと、4期生には3人か4人は入るかな・・なんて考えていたら何と8人も入ってきたのです。男女比1対2というゼミは法学部には他にないのではないでしょうか。そこで、今回の巻頭言では、女性が社会に出て、男性に伍して労働していく問題について考えることにしてみました。だから、といって男性諸君は読まなくて良い、ということではありません。中身を読んで貰えば判りますが、女性問題というのは、要は男性問題の鏡像に過ぎないのですから、それは男性諸君にとっても切実な問題であるのです。

一 雇用者側がなぜ女性を忌避するかを理解しよう
(一) 就職戦線が、氷河期と言われるようになってから既に久しくなります。しかも近い将来に好転の見込みは全くたっていないと言って良いでしょう。そして、この厳しさは女性の側により強く現れています。
 これについて、ややもすると、封建的女性観からの女性差別だ、とステレオタイプの批判が行われることがよくあります。しかし、問題はそれほど単純ではありません。少なくとも、そのようなステレオタイプの批判をすることにより、あなた方の就職が容易になる可能性は少しもありません。
 これは単なる偏見という以上の現実の問題を伴っているものだということを理解しておく必要があります。すなわち、できれば女性の雇用を行いたいと考えている雇用主、例えば男女雇用機会均等法の下で、最低限の女性雇用を行っていないと指弾を受けてまずい、という事情のある官公庁でさえも、同一条件で女性を雇用することを躊躇わせる要因が現実に存在しているのです。それは、女性は簡単に辞めてしまう、特に結婚や出産を契機にして辞めてしまうという点です。しかも、その結婚退職という行動は、女性本人の日頃の考えとはあまり関係なく、配偶者との間の力関係で行われることがある、という問題です。
(二) このように抽象的に言っても判りにくいと思いますから具体例を中心に、以下、考えていってみましょう。
 ある年、某私大の女性(仮にAさんと呼びましょう。)が国家公務員T種試験で総合2番の成績をおさめたのだそうです。ついでに言うと、現在の公務員T種試験では、1次試験合格の段階でどの官庁も内定を出すようになりましたから、席次は問題にならなくなってしまいました。従って、この話は、最終合格が決まってから、やおら官庁訪問をして、それから採用が決まっていた、という10年以上も昔の、古き良き時代のことなのですが・・。いまでもそうですが、大蔵省というところは東大の絶対的な閥のあるところで、他大学、特に私大出身者はまずよほどのことがない限り採用は望めない、という通り相場があります。それでも、総合2番なら採って貰えるに違いないと、Aさんは勇んで大蔵省の面接試験を受けに行きました。実際、大蔵省の方でも、彼女の能力その他については異論はありません。だから男性であれば、それで採用決定です。
 大蔵省として、不安はただ一つ、女性である点にありました。そこで、聞いたわけです。「結婚したら仕事はどうしますか」と。Aさんは躊躇うことなく、「もちろん続けます」と返事しました。「夫が反対したらどうしますか。退職して家庭に入ってくれと言ったらどうしますか。」「そんな、女性の労働に対して理解のない人とは結婚しません。」とAさんは答えました。大蔵省の方ではこの返事に十分満足して、Aさんを採用したのです。ところが、それからわずか2年後、Aさんはある男性と結婚し、結婚と同時に退職してしまったのです。
 私は、採用の時、Aさんが嘘をついたとは間違っても思いません。T種試験に2番で合格するには、どれほど才能に恵まれていてもそれだけでは足りません。人並み以上の努力が必要なのは当然です。それだけの努力を結婚しただけで捨て去るつもりなんかない、というのは、少なくともその時点では掛け値なしの真実だったのでしょう。
 それと同時に、結婚は、憲法24条のいうとおり、両性の合意によって成立するものです。この人こそが、私の夫となるべき人だ、と思ったとき、理性が吹っ飛んで、相手が女性は家庭に入るべきだと思っているなら、それに従おうと考えること自体も一概に非難はできません。それほどに愛することのできる異性に巡り会えるということ自体、生涯の幸運というべきでしょうから。彼女自身についていえば、その後、この決断を後悔しなければ良かったが、と祈るだけです。
 しかし、このAさんの結婚退職という決断によって、大蔵省の門が、その後、女性にとって非常に突破困難な壁と化したことは厳然たる事実です。T種試験に2番で合格して、面接の時、あれほど立派な返事をした女性ですら、2年で辞めたのです。簡単には辞めない女性を採るには、採用試験の際に、後、どんな方法があるでしょうか。まず考えつかないと思います。だから、女性は当分の間、できるだけ採用しないにこしたことはない、と大蔵省側が考えるようになったのを、非難するのは難しいことです。
(三) こういうと、皆さんは、採用するしないは雇用者側の権利であるのと同様に、採用後にやめるやめないは労働者の権利ではないか、と反論したくなるかもしれません。それは確かにそのとおりです。問題は、採用する側としては、採用した者が勝手にさっさとやめられては困るので、できるだけ、長く勤めそうな人を優先的に採用するという方針をとっている、という点にあります。したがって、相当継続的に働いくという印象を与えられるか否かが、採用か否かの決断に当たっての重要な要素とならざる得ないのです。
 雇用者側として、なぜ長く勤めて貰わなければならないかというと、職業訓練に投下する費用の回収ができないからです。ご存じのとおり、日本の大学というところは、職業訓練的な教育活動を一切しません。つまり、大卒を採用しても、そのまま現場に投入することは不可能なのです。単なるお茶くみなら、別に職業訓練は必要ないでしょう。2〜3日も現場でしごけば何とかなります。しかし、その職場での特殊な問題に専門家として対応できる実力は、そう易々と身につけられることではありません。そこで、どの官庁でも企業でも、幹部候補生の場合には、採用後、最低1年間は職場訓練の時間ということになります。
 私がかって勤めていた会計検査院などでは、U種試験合格者以上を対象として、断続的にではありますが、採用後最初の2年間はほぼ訓練期間でした。つまり、新人は、それを受け入れた課としては、2年目までは、面倒をみる人間が増えるだけで、まったく戦力としてカウントできないという状態でした。ついでに言うと、この職場訓練の期間は、その人間の将来の地位に応じて長くなります。T種の合格者であれば、5年程度が断続的にではありますが、訓練期間という感じになるでしょう。私自身についていえば、会計検査院採用後、毎年何かの研修に参加し、極めつけが5年目に出かけたドイツへの2年間の国費留学ということになりますから、7年間も研修期間が続いたようなものです。その後で、ようやく仕事に全力投球できるようになるというわけです。
 訓練期間中といえども、雇用者側としては、もちろん人件費が必要です。ついでに言うと、労働者は人件費というと自分が受け取っている給料額と思うのですが、これは間違いです。社会保険の雇用主負担分だの、福利厚生費だのが、実際の支払額に上乗せになります。常識的に言って、そうした雇用主負担額を全部併せれば、給料と同額程度計上する必要があります。従って、仮に初年度の年俸が250万円であるとすれば、雇用者側の負担は全部で500万円には達していると考えて良いわけです。そして、この人件費に対する見返りとしての労働は期待できないのが、訓練期間というものです。そればかりか、訓練費用。これがかなりかかります。常識的にいって、給料と同額程度はかかる、といわれます。つまり、人を1人雇うと、雇用側としては1000万円は見返りなしに出ていくことを覚悟しなければならない、ということになります。私の場合なら、全期間を合計すれば、訓練費用は億の桁に昇っているはずです。もっとも、それに対して、私が検査活動を通じて節減した国の費用は最低限に見込んでも数千億円に達しますから、国として投下した費用は十分に報われたはずだ、という自信を持っていますが。
 ここまで説明すると、2年くらいで辞めてしまう人を、お茶くみならいざ知らず、幹部候補生として採用することは、雇用者側としてはとてもできない、ということが理解できると思います。最低限に見積もっても2000万円くらいのお金をどぶに捨てることになるのですから、それだけでもとんでもない話です。費用よりも痛いのが、辞めないような人を採用していれば、得られたであろう、訓練済みの戦力が1人いなくなるという点です。企業はもちろんできるだけ少数の職員で活動しなければ採算がとれません。官庁では、採算は考える必要はありませんが、総定員法などの定めにより、公務員の数は極端に限定されていますから、どの官庁も慢性的な人手不足です。そうした中で、1人といえども訓練済みの戦力は貴重です。費用の方はあるいは何らかの形で取り返すことができるかもしれませんが、失われた時間の方は絶対に戻ってこないのです。
 これが、雇用者側が女性をできることなら採用したくない、と考える大きな理由です。要するに、女性は簡単に辞めるからです。その点、男は馬鹿でもちょんでもそうは辞めないから、同じ能力なら、女性よりは男性を採りたいと採用担当者が考えるのも無理のない話と言えるでしょう。
(四) 辞めない、ということが女性登用の決め手になる、ということを端的に示す話があります。かって、会計検査院には、調査官、すなわち会計検査を実際に実施する職員に女性は1人もいませんでした。これはどこの省庁よりも立ち後れていた、といえますが、それには、他の省庁にはない、会計検査院だけの特別の実際的な理由もあったのです。つまり、会計検査院の活動の主体は実地検査、すなわち実際に現場に出張に行って実態を把握して、そこから問題点を指摘する、という手法にあります。昔は年間100日なんてのが平均でした。そしてその頃の地方の旅館は皆大部屋ばかりです。したがって一番偉い主任官が個室に入るほかは皆大部屋で雑魚寝していたのです。女性調査官を出張に出した場合、しかし、男性と一緒に大部屋に寝かせるわけにも行かず、さりとて一番の下っ端を主任官並に個室というのも、職場規律の上で無理がある、ということで、女性を検査活動の現場に出すのは困難だったからです。
 しかし、日本の旅館もだんだんと変化してきました。少なくとも都市部であればビジネスホテルも普及して皆に個室を与えることも困難ではなくなってきたことではあり、何時までも女性調査官がいないのではいけないということで、いまから10年以上も前のことですが、ベテランの女性事務官(すなわち既にかなり勤続していた人)の中からこれはという人を個別に口説いて調査官を志願させたのです。その時選考の大きな基準になったのが、間違っても結婚しそうもない人、という点だったといいますからずいぶん女性を馬鹿にした話です。が、その意とするところはよく判ります。
 とにかく最初の女性調査官なのですから、その人達があっさり結婚退職でもされた日には、次代の女性調査官誕生の大きな障害になるのは判り切っていたからです。そして、女性の退職原因の最大のものが結婚であるとなれば、結婚しそうもない、というのは重要な条件とならざるを得ないのです。伝説によれば、最終的に候補者が決まった段階で、時の院長がわざわざ面接をして、うん、この顔ならば大丈夫だ、と納得がいって決断を下した、ということです。念のためにいいますが、この人達は、決して醜女ではないのです。ただ、いわゆる個性的な美人とでもいう型です。雰囲気的に、行かず後家の相がある、とでもいえばよいのでしょうか。
(五) 日本の終身雇用制は崩れてきている、といわれます。しかし、教育機関の側が真に変化して、完成した労働者を社会に送り出す体勢にならない限り、雇用者側として、職業教育を実施する必要はなくなりません。そして、職業教育を雇用者側の負担で行っている限り、労働者に短期に辞められては困る、という事情が存続し続けることは間違いありません。その場合に、短期に辞める見込みのある応募者の採用に雇用者側が積極的にならないのは無理もないことなのです。

二 なぜ女性だけが・・
(一) こういう話をすると、しかし、定年まで勤めずにやめるのは女性に限らないのではないか、男性だって早期に退職する人がいるのに、なぜ女性だけが採用に当たって差別をされるのか、という疑問が生ずるでしょう。
 確かにそれはそのとおりです。そして、実際、男性でも、早期に退職しそうな人は就職において差別されます。何を隠そう、私自身がその1人でした。私は、実は会計検査院を2度受験しています。1度目の時には、未だ司法試験に合格していませんでした。そこで、こいつは採用しても、司法試験に合格したらとたんに辞めてしまうだろうから止そう、ということで落とされたのです。翌年、もう一度公務員試験に合格して、ついでに言えば、司法試験にも合格して、受験にいったものですから、会計検査院の側でもこれは本気らしい、ということをようやく納得してくれました。そして、すぐに辞められても仕方がない、と覚悟した上で採用してくれたのです。それでも心配していた証拠に、私が受験新報に司法試験の合格体験記を書いて、その文の末尾に「会計検査院に少なくとも10年は勤めるつもりだ」と書いたところ、ちゃんとそれを人事課で読んでいて、「一安心したよ」と人事課の副長に新採用の日に言われたのです。そんな文章が読まれるとは計算していなかっただけに、そのときには、冷や汗が吹き出したものです。
(二) 私の例で判るように、男性の場合には、その人の個人的理由を重視して差別するのです。これに対して、女性の場合には、一般に女性というだけのことで差別されるということが大きな差異として存在するのは確かです。
 しかし、そうした差別は理由のあることです。男性で、結婚したからと言って、職を辞する人は例外に属します(皆無とは言いません。私の知人にも、結婚と同時に、奥さんの家の仕事を継ぐために退職した人が何人かいます。)。これに対して、女性の場合には、今日においても、結婚ないしは出産を契機にやめるという人は、決して例外とは言えないのです。むしろ通例といって良いでしょう。女性が職業を持ち続ける場合、その女性の地位が高くなればなるほど、円満な家族生活を犠牲にすることが必要となるからです。
 T県にK刑務所という、男性用の非常に大きな刑務所があります。私が会計検査で数年前にそこを訪ねたとき、そこの所長のBさんは、その奥さんが、近くのT刑務所という女性用の刑務所の所長ということでした。話を聞いたところ、公務員T種試験を合格して法務省に採用になった同期の間での恋愛結婚だったのだそうです。Bさんは、さっきのAさんの結婚相手と違って、奥さんのキャリアというものに理解があったので、退職させなかったわけです。その結果、長年の結婚生活を通じてほぼ別居していたといいます。一番ひどいときは、夫は北海道の刑務所に勤務し、妻は九州の刑務所に勤務していて、年に2回、盆と正月だけに、東京の奥さんの実家に飛行機で北と南から飛んできてあうという、牽牛と織女のような状況だったといいます。もちろん子供を手元で育てるなんてことはできず、奥さんのご両親の家で、つまり祖父母の手で子供達は育ったそうです。同じT県内の刑務所の所長同士になったので、いままでの中でもっとも互いの勤務地が近くなったと笑っていました。それでも、所長というものは、非常事態に敏速に対応できるように、平の所員と違って、かならず刑務所の敷地内に住んでいる必要がありますから、一緒に暮らすことはできないのだそうです。ただ、毎週末にはあえるようになったのが大きな違いだということでした。ちなみに、S県にあるH刑務所という女性用の刑務所を訪ねたとき、ちょっと調べてみたところ、幹部はほぼ全員が独身でした(女性用刑務所の場合には、力仕事用に、事務員の一部に男性がいるだけで、所長以下、全員が女性です。)
 並の決意では、大卒の女性が、少なくともキャリアを志す場合、労働を続けることはできない、ということがこの例で判ると思います。したがって、家庭生活というものを重視する人の場合には、夫婦のどちらかが、退職をする必要があるわけです。そして、いまの日本の場合、それは99%以上の確率で女性の側ということになります。
(三) なぜそうなるのか、ということについては色々な説明が可能でしょう。
  1 女性自身が既製の社会的価値観に毒されている、という点が一つの理由として存在していることは確かでしょう。つまり、我々は無意識のうちに、男性としてとるべき行動、女性としてとるべき行動、というものを親たちから受け継いで、心の中で規定しています。私自身、子供に対して、例えば転んで泣き出したとき、無意識のうちに「男のくせにその程度のことで泣くんじゃない」と気合いを入れている自分に気がついてぎょっとします。つまり、この言葉は、強くて我慢強いのが男、というステレオタイプの発想以外からでは説明のできないものであるからです。
 よその親はこういう点、もっと無神経のようです。その証拠に、幼稚園に行くようになってから、私だったら間違ってもいわないような性差別的発言が、うちの子に増えました。例えば先日、子供のスキー服を買おうと彼を連れて近所のアルペンに行って、色々見比べました。非常に安くて、しかもなかなか可愛い服があったので、これでどうだ、と彼に聞いたところ、裏地にあるちょっとした花柄を根拠に、これは女の子のだからイヤだ、と首を縦に振りません。パパのスキー服にだって花柄くらいあるじゃないか、と説得したのですが、どうしてもそれは女の子のだからイヤだとがんばられて、泣く泣く少々高いのを買う羽目になりました。
 子供達同士の会話を聞いていると、同じような性差別的発言は女の子の口から出ることも幾らでもあるのです。なるほど、こうしたところから、社会人である女性達の行動の基本的価値観は育っていくのだな、と納得したものでした。
  2 なぜ、そうした社会的価値観が生まれたか、という点も重要です。その一つの理由は、わが国の社会制度そのものが、女性の結婚退職を前提に組み立てられている、という点が挙げられます。すなわち、わが国の標準的な給与制度と、それに対応した形での、最低限度の生活保障だけを目的とする社会保証制度がそれです。
 労働の分野では、労使ともに、同一労働同一賃金の原則は守られねばならない、ということは大前提であるかのように言います。しかし、定期昇給制度の下ではそれが嘘であることは明らかです。同じ労働をしていても、勤続年数が長くなるほど、賃金が上がります。なるほど、初心者よりもベテランの方が経験が長いだけ、同じ労働時間でもより生産的な活動ができる、というのは確かでしょう。しかし、そうした経験による生産性の向上は、比較的短い期間で頭打ちになって、後は横這いになると考えられますが、定期昇級はより長期にわたって認められるのが普通です。さらに、結婚すると配偶者手当が、子供ができると扶養家族手当が、それぞれ支給されるようになります。しかし、配偶者や子供の存在によって労働内容が変わるわけはないのです。
 なぜ、実にもっともに思われる同一労働同一賃金の原則をわが国は採用していないのでしょうか。それは、わが国社会福祉制度が、最低限の生活保障を目的に構成されていて、平均的な労働者に支給することは考えていないからです。そのために、結婚して配偶者や子供の扶養の必要が起こると、雇用者側で、それによる生活費用の増加を負担しない限り、労働者として安定的な就労が不可能になるからなのです。
 では、なぜ欧米の場合には、同一労働同一賃金の原則を守ることが可能なのでしょうか。それは、社会福祉制度が、平均的な労働者の生活費の不足をカバーするような形に構成されているからです。子供が産まれると、企業から扶養手当を貰うことはできないけれど、国から児童手当を貰うことができるのです。ある労働法学者の研究によれば、そうした社会福祉からの支給額も含めた可処分所得額の生涯における変化をみると、日本も欧米も、ほぼ同一のカーブを描いているのだそうです。
 わが国の終身雇用制は、こうしたところにも、その基礎を持っています。つまり、同一労働でも、勤続年数が長くなるにしたがって、賃金が上がるからこそ、不十分な社会福祉制度の下において、人々は生活が可能なのです。逆から言えば、一つの職場に長く勤め続けなければ、わが国では、家族を養い、子供を進学させることは不可能であるのです。
 そして、この制度は、同時に女性が家庭にいて子供の面倒をみていることを前提としています。つまり、日本においては、結婚している場合、女性は働かなくとも、働いている場合に比較的近い報酬が社会の側から保障されている、ということができます。それならわざわざ働くのは、少なくとも、生活面からは必要がない、ということができるのです。逆に、扶養家族手当を、働いている女性が受けようとすると様々な軋轢が生じて場合によっては裁判にまで発展したりしますが、それは元々扶養家族手当というものは、女性がを受けることを想定して作られたものではないからです。
  3 このような社会制度そのものが、女性が家庭で育児に専念することを念頭において形成されているのはなぜでしょうか。単なる社会習慣とみるべきではありません。女性が労働に従事しないなどという習慣は少なくとも、明治期前においては、武士を除いて全く存在していなかったのです。すなわち、人口の大半を占める農民にせよ、商人にせよ、夫婦がともに働くというのが普通の姿であったのです。いまでも、そうした職業に従事する家庭においてはそれが普通でしょう。ところがサラリーマンの場合には、圧倒的に女性が家庭に止まるという形態をとります。こうした変化が生ずるには、それなりの合理性がなければならないのは当然です。
 それは、農民や商人の場合には、職住が接近しているのに対して、サラリーマンの場合には両者が離れているので、育児に困難が生ずるという点に求められるでしょう。母親が育児に携わる時間が短い場合、子供の情操に大きな悪影響を及ぼすのは、広く知られた事実です。小学校の低学年の担任の先生に聞くと判りますが、幼稚園育ちの子供と保育園育ちの子供とは、顔つきが違うので一目で判るといわれます。つまり、保育園育ちの子供は、表情が乏しいというのです。乳幼児期に、長いこと我慢を強いられるために起きる現象でしょう。
 先年、スウェーデン政府のある委員会が行った勧告によると、子供が産まれてから少なくとも6歳になるまでは、女性を家においておくべきだそうです。それによると、夫婦とも外に出て労働している家庭の子供と、女性が家にいて子供の面倒を6歳までみていた家庭の子供とでは、青少年の非行化率に顕著な相違があるのだそうです(もちろん前者が高い。)。仮に、その6年間、国家から女性に対して、社会にあって労働していれば得られるであろう報酬を支払ったとしても、非行少年の更生のために国家が費やす費用に比べるとよほど少ないということが指摘されていました。国情の違いがあるでしょうから、直ちに日本に妥当するとは思いませんが、参考になる話だと思います。
 その場合、なぜ、女性が家庭に止まるべきか、すなわち男性が止まってはなぜいけないのかという疑問があるかもしれません。しかし、人間としての理性が優越するようになる前の段階である乳幼児では、父親の役割は非常に小さいのです。私の子の場合、ちゃんと目が覚めている状態では、私に甘えてくることが多いのですが、病気その他、理性の働きが鈍っている状態になると、母親を要求し、父親ではどうしても駄目です。これは、社会的役割などと言うものではなく、もっと原初的な生物学的要求とみるべきものだと思います。だから、出産と同時に退職するというのは、健全な次世代を育てるという観点からみる限り、非常に有意義なことなのです。私の妻が、十分な社会的活動能力を持ちながら(結婚前は、小さな翻訳会社ですが、営業課長を務めており、会社の業績を単独で倍増させたと豪語しています。そして結婚後は、公認会計士の資格を得るためにわき目もふらずに勉強していました。)、現在のところ、家庭に止まっているのも、こうした理由からです。
 こうした意味において、女性が家庭に入って子供を育てる、ということは、確かに社会的ステレオタイプの発想には違いがなくとも、それにはそれだけの合理的根拠があるのだ、ということが言えます。
(四) このように、結婚とまでは言わなくとも、出産と同時に退職する、ないし休職するということが社会的生物としての人間として十分に合理的なことだからと言って、だから女性の権利として、特定の企業や官公庁に対して当然に主張できるのだ、と考えてはいけません。そうした合理性のサポートは、社会全体で行うか、個人の負担で行うかの二つに一つで、特定の雇用主の負担で実現しろと言っても、それは無理な要求と言うべきです。しかし、多くの女性は、その点を理解していません。
 わがゼミの1期生のC君はモテモテ男でしたが、そのガールハントの手段の一つとして私を利用していた疑いが濃厚です。ガールフレンドに就職問題やなにか、彼の手に負えない問題が起こると、その女性を私のところに連れてきて相談に乗らせるのですから。で、ある時彼が連れてきたのは、某大学の才媛で、頭脳、容姿ともに彼にはもったいないような人物であるDさんでした。その時の相談というのは、Dさんがジェトロ(日本貿易振興会)に入りたがっているが、どんなものだろう、ということでした。ジェトロは、わが国貿易の先兵とも言える組織です。私はその会計検査を行ったことがありますから、その活動内容についてはかなり詳しく知っていました。C君としては、その点を見込んでDさんを連れてきたわけです。
 話を聞いたところ、彼女は既にジェトロと連絡を取り、ジェトロ職員になっている同じ大学の先輩女性とも話をしていたのです。しかし、私が話を聞いてみると、どうもうまく噛み合わないところがあります。そこで彼女の持ってきた書類を調べた結果、ジェトロの方では彼女が一般職を志願しているものと取り扱っていたことが判りました。彼女は、是非総合職として海外勤務などもしたいのだ、といいます。そこで、結婚した場合にどうするか質問したところ、基本的にはさきのAさんの大蔵受験の時と同じ回答です。ただし、そのためには、家庭生活等がきちんとおくれるように、ジェトロの方でも夫の勤務先と近くになるように、彼女の勤務先等について配慮してくれるのは当然のことだ、ということが付け加えられていました。
 女性の権利主張としてはそれは間違っていないでしょう。しかし、私は、それではジェトロとしては間違っても採用しないだろうと断言しました。ジェトロという組織は、外務省と同じように諸外国に出先を持っています。例えば、アフリカのある地域に行くと、外務省のある大使館は、実に22ヶ国の大使館をかねています。同じところにあるジェトロの出先も、やはり同様に23ヶ国を管轄しています。両者の違いは、大使館員は、何か問題が転がり込んできた場合に対応すればよいから、ほとんどの場合、大使館から出ていく必要がないのに対して、ジェトロの職員の場合には、日本との貿易を考えていないどころか、日本という国名すら聞いたことのない人々の間を、そこに何か日本との貿易のチャンスを見つけだせないか、目を光らせながら絶えず巡回して、席の温まる暇もないような生活を送らねばならないと言うことです。
 これはもちろんかなり過酷な勤務先の一つです。しかし、わが国並の良い生活条件を享受できる勤務先は、ジェトロの出先の1割にもならないことは確かです。ほとんどのところは、単に、文化水準が低いだけでなく、マラリアなどの病気がはびこっているため、絶えず予防薬を飲んで勤務しなければならないような地域です。そうした薬には副作用があるため、時々、薬の連用から内臓を休めるためだけの休暇が与えられるほどです。総合職とは、そういう生活に耐えられる人が志願する職種です。女性だからといって、先進国の条件の良いところだけに勤務させるわけには行きません。それでは平等取扱いではなく、男性に対する逆差別となるでしょう。また、そう何人も駐在員をおくこともできない小さな出先も多いのです。結婚している相手の勤務先まで考えて、配置を決めるのは無理というものです。
 私がDさんに強調したのは、自分の価値観は大事にすべきだし、そしてそれはジェトロの価値観とは出発点から噛み合っていないから、断念した方がよい、もっとあなたの価値観を尊重してくれるような職業ないし会社を探しなさい、ということでした。
 ついでに言うと、いま、外務省の勤務はずいぶん楽のように書きましたが、それとてもジェトロとの比較の話であって、厳しいものであることに変わりはありません。外務公務員の場合、扶養手当とは別に、かなりの高額の手当が配偶者に対して出されます。それは実際問題として、外交官としての仕事は1人でできることではなく、配偶者も事実上職員と一緒になって様々な活動をすることを要求されるからです。会計検査院時代、何度か在外公館の活動をみる機会がありましたが、それはまさに24時間勤務というのに近いものでした。例えば、私がインド大使館の検査に行ったとき、飛行機が延着して、夜中の3時に到着したのですが、公使がちゃんと空港まで出迎えてくれたものです。こういう職業に就いた配偶者を持った場合に、女性が自分の固有の労働の権利を主張するのは、非常識というものでしょう。外務省では昔から女性のキャリアを採用しているのに、大使以上の地位にたどり着いた女性と言えば、国連大使になった黒河内さん以来絶えていないのも、その辺に理由がありそうです。
(五) このようにみてくると、女性が社会的に活動したいと考える場合、今日の日本にあっては、かなり慎重に職業ないし勤め先を選択する必要があることが判ります。未来永劫に結婚なんて考えていない、という女性であれば、かなり選択の幅はあるでしょう。しかし、結婚もしたいし、子供も欲しい、そしてなおかつ職業的キャリアも積みたいとなれば、そういう要求を満たしてくれるような特殊な職場を探さなければなりません。
 民間企業の場合、その職種で要求される勤務の実態が何かを正確に把握しないと、幾らアタックしても始めから相手にされない事態が起こるのは当然です。
 その意味で、司法試験のような資格試験に合格する、というのは悪い選択肢ではありません。ただし、このような分野でも女性差別があるということは覚悟しておかなければなりません。去年、検察官の志願者が非常に多かったお陰で、何十年ぶりかで検察官の定員が満杯になったという珍事が発生しました。その原因は、実は女性達が、居候弁護士の口を見つけられれず、ために判検事に殺到したからだ、という噂です。小学校の女性教師を父母が忌避して、なるべく男性教師を求める、という現象があると言われますが、それは弁護士の場合も一緒です。なぜか弁護士を依頼する人は、女性よりは男性の方が有能であるかのように感じます。そして、現在のように景気が冷え込んでくると、どこの弁護士事務所でも戦線を縮小します。その場合、顧客に受けの良い男性新人に優先的に声がかかるのは当然なのです。その結果、弁護士にあぶれた女性達が性差別を禁止されている判検事に向かったというのです。
 官公庁は男女雇用機会均等法を遵守しなければなりませんから、公務員になることも、同じように悪い選択肢ではありません。ただ、この場合にも、同じ能力の場合であれば、男性の方が優先採用されるのは覚悟しておくべきです。また、採用後の目に見えない男女差別がいまだに存在していることも、また覚悟の必要があります。少々古い話ですが、上記の会計検査院最初の女性調査官の場合、人事課では色々考えたあげく、女性の労働に一番理解のありそうな官庁ということで、文部検査と労働検査に配属したのです(どちらの省にも女性局がありますからね。)。ところが、労働省はともかく、文部省の方では「会計検査院はうちをなめているのか」と人事課まで向こうの偉い人が怒鳴り込んできた、という、これも伝説があります。
 また、男女平等に扱われたら扱われたで、辛いことも覚悟しなければなりません。先に挙げた法務省のBさん夫婦の例をみれば、それはよく判ると思います(ちなみに、転勤による苦労は、転勤のない官庁、例えば、衆参両院や会計検査院などを選ぶことで、回避することは可能ですから、そういうところを狙うというのも良い選択です。)。しかし、一度その道を選んだら、辛いからといって投げ出すことは、少なくともあなた方の世代では未だ許されません。男性なら、だからあいつは駄目なんだ、と個人の資質にされる問題でも、女性の場合には、だから女は駄目なんだ、と一般論に転嫁されて、その後、その同じ道に進もうとする女性達の障害になるからです。だから、自分を十分に批判的にみて、挫折する可能性が少しでもあるなら、後進のため、始めからそうした道は選ばない、という程度の配慮は必要です。会計検査院の女性調査官で、官側が非常に慎重に事を進めたのも、女は調査官には向かない、という定評が第1号で定着してしまうのをおそれたからに他なりません。
 逆に第1号がうまく行けば、後進が楽になります。誠に古い話ですが、私の母は、第2次世界大戦の始まった昭和16年に薬大を卒業し、いま、立川の昭和公園になっているところにあった陸軍航空研究所に判任官待遇で採用されました。ちなみに、明治憲法下における官吏は、勅任官(天皇が直接任命する官吏)、奏任官(任命した事実を天皇に奏上する必要のある官吏)、判任官(各行政庁限りで任命可能な官吏)と分かれますから、判任官は官吏としては最下級になります。しかし、いやしくも官吏と称しうるのは、戦前の役人のヒエラルキーでは、そのごくトップの限られた人です。その時、研究所にはお茶汲み以外に女性はいなかったそうです。男でさえ、大卒は例外の時代だったので、彼女も大卒ということで、そういう処遇となったのです。しかし、純然たる判任官ではなく、判任官待遇と「待遇」の2字がついているところに、未だ女性差別が感じられますね。
 日本の大学が職業教育をまともにしないのは薬大だって一緒です。しかし、幹部要員ですから、いきなり10数名の男性の工員や特別幹部候補生(トッカンと略称されていました。海軍のヨカレン=予科練習生とほぼ同じものです。)達を部下に付けられ、聞いたこともない様々な作業を要求されることになりました。
 木製飛行機という言葉を聞いたことがありますか? 戦争で金属資源が乏しくなったので、航空研究所では金属の使用量を最低に抑えて、後は全て木製の飛行機を作ろうとして、その研究をしていたのです。空前絶後の研究なのですから、学校時代にまったく聞いたこともないことばかりやらされたのも無理はありません。ちなみに、この研究は、その後、デコラ板その他の積層構造を持つ化粧板製造技術となって、戦後日本の発展の一翼を担ったのです。
 新卒で、そんな調子で仕事をさせられたら、誰だって辛いのは当たり前です。しかし、母は、ここでくじけたら女がすたる、と研究しても判らないことは図書館通いをして調べたり、母校の先生に問い合わせたりしてがんばったのです。その結果、薬大出身の女は結構使えるものだと研究所では考え、翌年はたくさん採用したのですが、彼女たちは役立たずだったのだそうです。そこで初めて研究所では、薬大出身の女が使えるのではなく、母が有能だと気がついた、というのが話の落ちになります。戦争が終わった時点で、判任官待遇の女性は相変わらず母1人であったのです。しかし、これで2代目もがんばっていれば、さらに広く門戸があいていて、日本女性の労働の歴史も少しは違っていたかもしれません。

三 まとめあるいは提言
(一) 話がずいぶん長くなってしまいました。結論を申しましょう。これから社会に羽ばたこうとする女性としては、一般職で十分とする比較的楽な道と、男性に伍して総合職として生きていこうとする厳しい道の二つが待っています。公務員であれば、V種が一般職に相当します。これに対して、T種とU種は総合職です。楽な道を歩こうとする人については、この際は何も申しません。そうした選択もまた一つの人生でしょう。
 一人前の社会人としての厳しい道を選びたいならば、男女平等などという妄想は捨てなさい、といまの時点では言わざるを得ません。
 その場合、社会的少数派として、被害者意識から、強く権利主張を行うのも一つの方法です。そうした活動もまだまだ日本に必要なことは確かです。少数者による、そうした理論闘争がない限り、社会が変わることはありません。しかし、同時に、少数者による単なるそうした理論闘争だけで社会が変わったことは、いまだかってないのです。社会を変えることができるのは、大きな社会的力だけです。社会的な力とは、要は、社会の中の人数×個々人の力です。すなわち、人数をたくさん集めて多数派となるか、少数ではあるが十分に力のある人が動かない限り、社会は変わりません。
 私の愛読書の一つに、司馬遼太郎の「竜馬が行く」があります。竜馬は、幕末動乱の中で、正義感に燃える若者がむなしく死んでいくのを横目に、勝海舟の下でひたすら自分の実力を高める努力を続けます。その上で動き出したものですから、彼が動いたとき、「坂龍飛騰」といわれるほどの衝撃力を持ち、事実上個人の影響力だけで回天の偉業を実現できたのです。また、互いに敵視し、憎悪しあっている薩長を、議論によって説得したのではなく、実質的利益を基盤にして協調体制を作らせた、という点も注目すべきです。すなわち、食糧の不足する側に食糧を、武器の不足する側に武器を、というように、現実のファクターを交換させることにより、相互の感情を緩和させ、最終的に同盟を作らせることに成功したのです。
 議論だけで社会を動かすのには限界があります。かっての好景気の時のように、社会の側に余力があるときには、それだけでもかなり変化が起こるでしょう。困ったことに、その時の女性達は、進出に当たっての苦労の少なさのせいでしょう、余りよい前例を残してきていません。そうした実例の前には、百の議論も威力を持ち得ません。
 したがって、女性の労働問題について、皆さんに勧めたいことは、竜馬の歩んだ道です。女性としての権利主張を声高に行うよりも、女性が社会人として男性と対等の実力と、長期にわたる活動能力を持っているという実績を積み上げる努力を地道に重ねていくことです。
 私の母の例で判るとおり、戦前の女性差別が法的にも認められていた時代であっても、そして陸軍のような極端な男尊女卑の社会であってさえも、十分に有能だと認めて貰えれば、門は開かれたのです。まして、今日です。能力があり、努力さえすれば、それが報われないことはあり得ないのです。
 現在の雇用状況の下においては、男性と同じ能力なら、雇用者側が男性を優先的に採用することを非難することは難しいことは述べました。したがって、女性が実質的に男性と対等に扱われるためには、相手の男性に明確に上回る優れた能力を持っている必要があります。学生の身としてできることはひたすら勉強して、文句のない学力を身につけることです。
(二) その際に、忘れてならないのは、協調の姿勢です。自分一人の努力で達成できることには限度があります。学校の中でも、社会に出てからでも、人の努力をできるだけ助ける姿勢というものが大切です。そうすることが、同時に自分の実力も増加させることになるからです。
 助けあうというのは、決して、べたべたと馴れ合うことではありません。ゼミ案内のサブゼミの説明に「できるだけ険悪な雰囲気で相互に叩き合うことを目指す」と少々誤解を招きやすい表現をあえて使いました。これは、馴れ合うのではなく、真の助け合いをして欲しいということの端的な表現です。これをもう少しブレイクダウンすれば、サブゼミで第一に必要なことは、人の報告の悪い点は互いに遠慮したりせず、指摘できる雰囲気が必要だ、ということです。一方言われた側でも言われっぱなしにしていてはいけないのであって、自分の方に理屈があると信ずる限り、どこまでも反論しなければいけません。ただし、それはいずれも理論闘争でなければいけません。何とか、報告に含まれている問題に対する自分の理解を相手に伝えるべく努力を重ねれば、その努力により、自ずと自分の問題に対する理解も整理され、自分自身の論文も優れたものとなるはずだ、ということなのです。
 女性に対する私の偏見をここであえて書けば、女性は、一般に、友達と互いに無条件に密着したつき合い方、例えばトイレまでも常に一緒につながって歩き、相手の主張は全て肯定するようなつき合い方、を好み、ここでいうような激しい議論を嫌う傾向があるようです。その場合、人の前で自分の理解の不足を指摘するのは、友達ではない、なんて受け止め方をすることさえあるようです。しかし議論における問題点の指摘は、決して自分そのものを人格的に非難しているのではない、ということを判っていなければなりません。むしろ遠慮なく言い合えるようでないと、友達とは言えないはずなのです。
 そして女性の場合、人の力を伸ばそうという姿勢が一般に欠けていることが多いと思っています。女性がなかなか管理職になれない、ないしは良い管理職になれない理由もこの辺にある、と考えています。
 私はかってのサラリーマン時代、身分的には平でも、課内では中堅という位置に達した頃には、課内の若手の連中が何をやっているかに目を配り、自分一人で一つのテーマをこなせるほどの実力のない者であれば私の仕事を手伝わせ、実力はあるが仕事のテーマを持っていないようなら手頃なものを与えてやり、持っているテーマがうまく発展しないでいるようなら相談に乗ってやるというような配慮をしていました。こうしたことはもちろん、私の負担になります。私の仕事を手伝わせる、という場合にも、本当は頼んだりせず、自分で片づけてしまった方がよほど手早い場合の方が圧倒的に多いからです。しかし、そうすることで、明日の戦力を育てることが会計検査院にとって大切だという意識でしていたわけです。それは、後に自分が管理職になったときに、その予行演習とも言える大事な経験であったことが判りました。
 そこで、管理職だった時代、部下のうち、近い将来、昇進させたいと思うような有能さを示す人たちには、若手を助っ人として付けて、その人の仕事の手伝いをさせる一方で、そうした若手訓練の経験も積ませるように努力しました。そうした時に、「私1人で十分にやれます。手伝いはいりません」と抵抗したのはいつも女性でした。昇進の可能性などというあやふやなもので人を操縦するのは私の好みではありませんから、そういわれれば引き下がらざるを得ないのですが、いつも困ったものだと思っていたものでした。
 わがゼミの女性達が、私の女性に対する偏見に該当しないような人々であることを祈っています。友達や後輩からの質問には、少々邪魔と感じるときでも、せいぜい時間を割き、誠意を持って相手が納得するまで説明するような人になって下さい。その前に、質問されるほどの実力のある人にならなければならないのはもちろんですが。
(三) そして、男性諸君! サブゼミの時に、女性だからといって、問題点の指摘を控えるようなことは間違ってもあってはいけません。ひょっとすると、女性の中には泣く人も出るかもしれませんが、何、それは単なる生理現象です。気にせず、歯に衣着せぬ攻撃をして下さい。それが同じゼミ生仲間としての友情の見せ方です。