腱鞘炎奮戦記その一  キーパンチャー病の巻

甲斐素直

 目下私が付き合っている腱鞘炎には二種類あります。一方は私にとって古いなじみで、一方は新参です。
 古馴染みの腱鞘炎は、左手の手首の、小指側の筋にあります。これの発生原因はワープロの打ち過ぎです。
 昔、中学生の頃に私は英文タイプを覚えました。当時から文章を書くことは大好きで、新聞部の主筆として学校新聞の紙面のほとんどを一人で埋めていたほどでした。しかしその頃の私はなんとも筆圧が高く、ある程度大量に文章を書くと、手が痙攣してくるほどでした。これには参って、少しでも手の負担を軽くしようという努力の一環として中古の英文タイプを買い込んだのです。今と違って、国産のポータブルタイプは無いに等しかったので、中学生にとっては随分高い買物でした。これが結果としては、ワープロに習熟するために随分役に立ってくれたわけです。
 教則本はもちろん、素人向けのタイプ学校も無かった時代ですから、私の英文タイプはまったくの自己流です。しかし、とにかく十本の指全部を使って、ブラインドタッチをすることが出来るので、結構早いのが取り柄です。
 ワープロが出現したのは、もう何年前になりますか。当初は一台で数百万円(当時の私の年俸を軽く上回る額でした。)もする癖に、およそ機能的な機械ではありませんでした。例えば漢字はJISの第一水準しか入っておらず、単文節ごとにかな漢字変換をしなければならず、それを支える辞書も小さなものでしたから、何かというと一字づつ引っ張りだす必要がありました。このため大抵の人は「同じ文章を何度でも打つ必要があるような場合には役に立つかもしれないが、一般的な仕事にはどうかね」といった感想を持つに止まり、積極的に利用しようという人はあまり居ませんでした。
 しかし、私は魅せられました。書くスピードよりも、加除修正の楽な点に魅力を感じたのです。始めから完成した文章が書け、従ってほとんど推敲の必要がない、というような人には、ワープロの素晴らしさは理解できないでしょう。ところが私は書く事自体を通じて物事を考えていくタイプです。どうしても、推敲は激しいものになります。だからワープロの出現までは、文章を書くことは、根気との戦いを意味しました。どんどん文に手を入れていって、地の文と修正文との区別も判らなくなる一歩手前であきらめて清書し、それにまた手を入れて、読めない状態になったらもう一度清書する。普通ならその辺で根気が尽きますから、若干の修正はともかく、まだ文の構造にまだ気に入らないところがあっても、あきらめて発表する、というのがそれまでのパターンでした。自分自身でさえ不満を持っているのですから、はっきり言って人様にお見せできるほどの文ではありませんでした。
 だからワープロに触ったことのある人なら、なぜ私がワープロにそうも魅せられたかは判るでしょう。無限に書換をしても、常にきれいな状態で読み返すことが可能なのです。上記の通り、初期のワープロの価格は私の年俸を軽く上回る代物でしたから、なかなか買うことは出来ませんでした。ボーナスを全部つぎ込めば買える程度にまでようやく下がったところで、素早く購入して書斎に据え付けたときは嬉しかったものです。当時はパソコンデスク等と言う市販品はありませんでした。しかし長いタイプ経験から、普通の机よりも低い台が無いと肩が凝ると判っていましたから、日曜大工で作りました。雨の日曜日など、終日ワープロの前に座って様々なことを書き綴ったものです。その最初のワープロは、今使っているワープロやパソコンとは互換性がありませんから、その当時書いたものを−プリントアウトすればともかく−磁気情報として利用できないのは本当に残念です。
 仕事でワープロを何時でも使えるようになったのは、その前後の時期です。私の勤め先では、最初のうちワープロ兼用ということでワークステーションが配置されていました。あの頃は、プリンタ−がやたらと喧しかったので、ワークステーション自体が一般執務の邪魔にならないように、と別室に置かれていましたから、ワープロを打つということは、即、自席を離れていることを意味しました。
 暫らくして管理職の端くれになると、自席に不在の時間が長いのは実にまずいことになりました。しかしその頃には完全にワープロに毒されていて、ワープロに自分で向かわないと、頭の中にある事を、整理した文章にすることはできなくなっていました。
 幸い最初のワープロを買った後で、ワープロはさらに小さく、さらに安く、さらに高性能になってきました。そこで自腹でもう1台買い込んで勤め先に置きました。
 これが結局は悪かったのです。つまり、いまだに続く左手の腱鞘炎とのなれそめとなりました。それまではワープロを長時間叩くといってもそれは週末だけのことで、週日、仕事の必要で叩くときは、その時間を出来るだけ短く出来るように努めていました。それが週日も毎日ほとんどの時間、ワープロを叩くようになったのです。手に大きな負担が掛かるようになったのも当然のことでした。
 腱鞘炎の真の原因は、英文タイプの文字配列の不合理さにあります。英文タイプの文字配列と言うのは、誰が見ても実に訳の判らない代物で、特に初心者は正しいキーを見つけることに苦労していることでしょう。あれが英語で最も打ち易い順になっているのだと思っている人が結構いますが、それは間違いです。実はタイプが発明されたときには、もっと単純な、ないし合理的な配列だったのです。ところが最初はその機械としての性能は非常に低かったものですから、ちょっと習熟すると、文字のバーが戻るのよりも早く次のバーが飛び出して団子のように絡むという事態になったのです。そういう時には日本人なら「寒い夜に霜の降りるように」静かに打てとでも指導するところでしょう。しかし欧州人は、意識的にゆっくり打つ代わりに、文字配列を意識的に不合理なものとする道を選んだのです。すなわち、良く使う文字ほど動きの鈍い指の守備配置に置くという風に変えることにより、少々習熟した程度では、早く打つことを難しくしたのです。英語で一番良く出てくるEが左手の中指が上がっていった場所という変な位置にあるのはそのためです。その後の機械技術の進歩のおかげで、バーが絡むという恐れは余り無くなりましたが、その頃には余りに多くの人がこの不合理な文字配列に習熟していたので、もはや変えることは出来なくなっていたのです。
 この不合理な文字配列で一番困るのが左手の小指です。フレミング作の007シリーズで、ジェームズ・ボンドが悪人の手に落ちて拷問される際に、無くて困らない指はこれだろう、といわれて左手の小指を折られるシーンがありました。しかし英文タイプの場合、左の小指がもっとも要になる指です。Aだけでなく、シフトキー、コントロールキー、タブキーと、文章作成のほとんどの場面で大活躍です。昔、英文タイプをせっせと叩いていた頃は、良く小指の筋肉を酷使し過ぎて、動かなくなることがありました。今のワープロはタッチの圧力が非常に軽くて済むので、そういうことはもうありません。その代わりに起きるのが腱鞘炎という訳です。
 これは左手の手首の骨の中を通っている小指を動かすための筋が、この手首という狭い部分で負担が掛かるために起こす炎症です。初めて起きたときには、当然しばらくワープロを叩くのを休むという形で対応しました。しかし、休む期間を1週間から1ヶ月、2ヶ月と延ばしても、叩き始めるとすぐに再発し、半永久的に止めるというのならともかく、ワープロを使い続ける心算がある限り、休むと言うのは抜本的な対策にはなりませんでした。いろいろ試行錯誤をした末に、最後にたどりついたのは、労働省のキーパンチャーの労働基準でした。労働省では、キーパンチャーの職業病である腱鞘炎を防ぐために、キーパンチ作業は1日5時間、4万ストローク(キーを叩く回数です。シフトキーなどを叩く数も入りますから、書ける字数はこれからかなり減ります。)を限度とし、1時間打ったら1時間休むという基準を定めています。ストローク数は自分では数えようもありませんからこちらは無視するとして、とにかく1時間ワープロに向かったら1時間は他のことをする、ということを励行してみたら、なるほど腱鞘炎は起こりません。さすがお役所の定める基準は、アマチュアにも十分に価値があるものだ、と改めて感心しました。