社会の相変化と江戸時代の財政改革
甲斐素直
最近、我が国財政のやりくりが非常に厳しくなってきたことから、財政改革の必要性が声高に叫ばれるようになってきました。しかし、そこで提言されている内容というのは、要は、増税により歳入を増加させ、支出を抑制しようというに尽きるようです。この増税+緊縮財政という組み合わせは、我が国の歴史においても、何度も繰り返されてきた財政改革の手法です。江戸期において、三大改革と呼ばれる、享保、寛政、天保の改革は、基本的にこの増税+緊縮財政を採用して行われた財政改革でした。それらの改革はどういう運命をたどったか、を考えれば、この増税+緊縮財政という手法の有効性も自ずと知られようというものです。
江戸期開始の時点で、あれほど盤石の経済的基盤を有していた徳川幕府の財政が、わずかな時間の経過とともに、なぜあれほどに揺らぐようになったのでしょうか。それは、社会・経済の状況が変化したにもかかわらず、幕府の財政構造をそれに追随して変化させるのに失敗したからです。それどころか、江戸幕府の財政改革は、ほとんどが、時計の針を元に戻し、幕府創世当時の社会・経済構造へと変化させることを目指したものでした。そのような時代逆行型の施策が成功するわけもなく、従って、いわゆる三大改革がことごとく潰えたのは、経済の必然ということができるでしょう。
その典型として、享保の改革をみてみましょう。吉宗は、幕府財政建て直しのため、支出を抑制するとともに収入の増加をはかったわけですが、享保の改革そのものが、封建体制の根幹に立ち返って農業中心の経済にすることでしたから、彼の収入増加策とは、要するに年貢米を増徴することでした。年貢米の増徴という点で特に有名なのが、老中松平乗邑(のりさと)と勘定奉行神尾春央(かんおはるひで)のコンビです。神尾は「胡麻の油と百姓は搾れば搾るほど出るものなり」の放言で知られます。享保の改革の一環として、天領の年貢については1722年から定免法*1が採用されていました。ところが、神尾は、突如、有毛検見法*2に切り替えて厳しく取り立てることとしました。その過酷な取り立てのおかげで、幕府の年貢米徴収量は、1740年代から50年代にかけて、すなわち、吉宗の将軍としての末期から世子家重に将軍位を譲って大御所として政治を行った時期において、近世最高の水準に達します。たとえば1744年の年貢米徴収量は180万石を上回っています。
しかし、これはかえって幕府財政を空前の窮地に追い込むことになりました。なぜなら、同時期に、同じように財政難に苦しんでいた諸藩がやはり吉宗を見習って年貢増徴策を採用し、これまた幕府と同様に、現銀収入を得るために大阪に米を集中させたからです。この結果、大阪堂島の越年米高(市場でだぶついている米の量を意味します)は、1752年に189万俵とそれまでの最高水準に達したものが、翌53年にはさらに増加して248万俵にまで達してしまったのです。
市場経済の下においては、需要が増加しないままに供給が増加すれば、商品の価格は低下するのが必然です。この結果、米の価格はそれ以前の半値近くにまで暴落します。こうして、幕府や諸藩の採用した伝統的な歳入増加策は、かえって大変な財政難を幕府などにもたらす結果となったのです。このように、経済構造がすでに市場を前提とした通貨経済の時代に入っている場合には、従来型の財政改革は無力であるどころか、かえって状況を悪化させることがよく判ります。
要するに、社会が変化をしている場合、その変化が一定の範囲にとどまっていれば、従来の政策を精力的に推進すれば、対応可能です。しかし、変化の範囲が一定の限界を超えた場合、従来の政策は無効などころか、かえって傷を広げる効果を持つのです。ところが、寛政の改革も、天保の改革も、この無惨な失敗をした享保の改革を目標に実施されたのですから、更に惨憺たる結果を迎えたのも無理はありません。江戸時代にあって、この相変化を見抜き、それに対応した財政構造に切り替えようとしたのが田沼意次です。しかし、彼の改革案は、保守派政治家の圧力の前に潰えてしまい、江戸幕府は近代に生き残るのに失敗することになります。
物理学に「相変化」という言葉があります。たとえば、水は一定の温度を境に、固体、液体、気体という根本的な形状の変化を起こします。こういう変化を相変化といいます。物体が相変化を起こした場合の最大の特徴は、それまで通用していた法則が原則として全く通用しなくなるという点です。たとえば、氷の状態で奈良通用する様々な法則も、液体の水には通用せず、液体の水に通用する法則は、水蒸気には通用しなくなります。
社会にも、やはり相変化というものがあると考えます。江戸時代、我が国は、封建農業国家から、近代市場経済国家へと相変化を起こしていました。これを見抜けず、あるいは否定しようとしたのが、一連の改革です。同じように、戦後五〇年を経た今日、我が国はやはりそうした相変化の時代を迎えつつあるのではないでしょうか。そうした時代に、土木事業に対する公共投資中心の伝統的な対策を推進することは、決して真の財政改革にはならないはずです。
現代社会に起きている相変化の正体が何か、ということはまだ私には見えていません。したがって、そうした相変化に対応した新しい財政改革は何か、ということもまた、浅学非才の身として、私自身としては未だ見極めることはできずにいます。しかし、社会が相変化を起こしていることを共通認識として皆が持って、多くの人が研究をすれば、自ずと我が国の進むべき方向も見えてくるのではないでしょうか。それを見いださない限り、我が国財政構造の抜本的な改革は不可能であろうと考えています。
*1 じょうめんほう:これは、過去数年間の年貢高の平均を基準として年貢高を決め、作柄に関わらず、年貢高を一定期間固定する方法です。徴収する側としても、納付する側でも、歳入が一定するから予算がたてやすく、急速に普及することになります。
*2 ありげけみほう:坪刈り、すなわち田圃の中の平均的な作柄の部分を一坪実際に刈り取って、その中の米の量を把握し、それを全体に延長して生産量を把握した上で年貢を課す方法。