交通事故にあった話

甲斐素直

 この間、交通事故にあってしまいました。自転車で走っていて、無免許・飲酒運転の車にぶつけられ、頭部を強打してのびてしまった、という話です。事故そのものは、ゼミ室ホームページの掲示板にも一報を書いておきましたから、ご存じの方も多いと思います。ここでは、少し詳しい事故報告を書いておきたいと思います。

1 なぜそんなところを自転車で走っていたか

 時系列的に話をすれば、この20年くらいというもの、私の健康法の中心は犬の散歩でした。犬が走ればこちらも走る、犬が止まればこちらも止まる、というインターバルトレーニングを確実に毎朝やってきたおかげで、体重は少々変化しても、ウェストは76cm〜78cmという状態を維持してきたのです。ところが、2年ほど前、ドイツに行く数ヶ月前から、走ると太股の付け根が痛み出す(原因は不明。一種の腱鞘炎と私は考えています)ため、犬の散歩でも、ひたすら歩くだけにトーンダウン。

 そうしたら恐ろしいことに、わずか2〜3ヶ月で体重が一気に10kg増加し、ウェストも同じく10cm一気に太くなってしまいました。おりしも春休み。家ではトレパン、トレシャツ姿で暮らしており、あまりぴんときていなかったのですが、

 ドイツでは、水の代わりにビールを飲み、犬は飼えず、通勤時間はわずか15分という状態になりました。お昼はたいてい大学の学生食堂で食べるのですが、日本でも学生食堂の食事は森がよいことで定評があります。まして、ドイツ人用ですから、かなり多い。これだけ悪条件が重なっては、減らすのは至難の技です。

 ただ、足の痛みは、水泳をするとなぜかわからないのですが、とれるということがわかり、ミュンヘンに住んでいたときものですから、週に2回くらいはオリンピック公園で水泳をし、また日曜日にはせっせとサイクリングに出かけて運動量の確保に努めました。また、スキーも足の痛みを生じさせることはない、ということが判って、冬になってサイクリングができなくなると、ミュンヘン南方のスキー場であるガルミッシュ・パルテンキルヘン(第1回冬季オリンピックの会場です)に毎週日曜日にはスキーに出かけました。だから、体重増加はしっかり押さえこんだのですが、そこまでが精一杯でした。

 帰国後も何かと忙しく、なかなか体重減少にチャレンジする余裕はありませんでした。食を減らす、等というのはあまり好きでなく、これまで運動で押さえてきたのですが、足が動かせないと言うことはほとんどの運動がやれない、ということを意味するからです。日本だと近所にプールはなく、手の打ちようがないままに過ごしていたのです。したがって、ドイツにいたときに比べるとかなり運動量が減少していたことは確かです。

 この運動量の減少問題が表面化したのが、帰国後丸一年を経過した2000年5月の健康診断の時でした。血圧、コレステロール、ガンマgtpと一度に三つも赤信号がついてしまったのです。医者に対策を聞くと、どれも体重さえ下げれば解消するが、それは無理でしょうから薬で下げましょう、というのです。しかし、残る一生を薬の副作用に怯えつつ、様々な数値の上下に一喜一憂して過ごすなどと言うのはまっぴらです。となれば、いよいよ本腰を入れて体重減少に取り組まなければならないことは明らかです。そのためには運動量を増やさなければならず、その唯一可能な方法が水泳であることも明らかです。

 近所の屋内プールはどこにあるか調べたところ、公的施設としては筑波学園都市の中の洞峰公園にあるのが一番近いものでした。そこで、早速自転車で出かけていったのですが、片道20kmというのは少々きつい。行きはともかく、泳いだ後の帰りの20kmというのはかなりのものです。これでは続けられないと考えて、スポーツクラブで何かないか、と調べたところ、隣の駅前にあるアスレチッククラブが良さそうだ、ということになり、早速入会しました。私の家の辺りでは、駅間が少々離れていて、隣の駅といっても7kmほどあります。したがって、ドア・ツー・ドアであれば、10kmほどという計算。これなら何とかなる、というわけです。自転車で10km行って、1km泳ぎ、また10km自転車を走らせて帰ってくるということなので、私はこれをバイアスロンと名付けています。雨が降らない限り、家にいる日は出かけていくようにしています。平均すれば週に二回は行っているでしょう。

 これはかなり効果があって、体重減少は5kgほどですが、ウェストは7〜8cmほど細くなり、以前に着ていた背広のほとんどはまた着られるようになりました。

  こういうわけで、事故にあったのも、プールに行った帰り道だったのです。

2 事故対策

 私は、かなり交通事故には神経を使っている方だと自分では考えています。私の乗っている自転車は、テントウムシというライト、つまりくらくなるとこちらが特に意識していなくとも点灯するタイプです。後輪のライトは、その時には点滅するようになっています。横方向からライトがあたったときに、確実に反射するよう、前後輪ともリフレクターは三つも取り付けてあります。また、バックミラーを両側に取り付けて、どちらの側の後方もいつでもチェックできる体勢になっています。自転車として採りうる事故対策としてはほぼ万全ではないでしょうか。

 もっとも、ヘルメットは着用していません。日本にはなぜか自転車用のヘルメットが売られていないからです。バイク用のヘルメットはありますが、あれはご存じのとおり、耳まで被ってしまいます。私は両耳ともいくらか遠いだけに、あのように耳まで被ってしまうと、車の接近の気配などが感じられなくて、かえってこわいと思うのです。その代わり、自転車に乗るときには、ぜったに帽子をかぶるようにしています。今回の場合も、それが命拾いの原因ではないか、と思っています。

3 事故

 事故が起きたのは、2001年7月8日日曜日の午後3時過ぎでした。その時には時計を見ていませんが、プールを出た時間と私の平均走行速度から逆算すれば、3時20分頃と考えています。

 事故現場は、その日始めて通った道でした。水泳の帰りに、市立図書館によろうと考えたのです。普通は、道幅の広い自動車道の脇の歩道をまっすぐ登り、登り詰めたところから左に走っていたのですが、その日、ふと、坂の下から斜めに登って図書館のすぐ脇に抜けるルートがあるのではないか、と思いついたのです。次の写真がそこで走り始めた道です。

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 全体として緩やかに右に向かってS字状の上り坂になっているのが判ると思います。私としては、当然、右の方からおりてくるかもしれない自動車に警戒をして、道路の左端を走っていったわけです。

 突き当たりにカーブミラーがあるのが判るでしょうか。しかし、そこのところで、左の方から合流してくる道がある、とはちょっと判らないのではないでしょうか。実際、事故にあったときには全く気がついていませんでしたし、この写真を撮るために改めて現場に行ったときにも、その予備知識があっても判らない、と改めて痛感しました。とにかく、ずっと高いブロック塀が続いていますし、道路に、左からの道路の存在を示唆するようなどんな印もないので、判りようがないのです。、

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曲がり角にかなり近づいたところです。この写真になると、一応左からの道はある程度判りますね。しかし、ごらんのように、側溝が完全に前を横切っていますから、私は、ちょうど正面の門と同じように、個人の住宅からの出口くらいに考えていて、ほとんど注意を払っていませんでした。この段階では、カーブミラーに神経を集中していたわけです。

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 これが問題の脇道を正面から見たところです。かなり薄れてしまっていますが、白線が向こうの道路を遮る形で引かれており、私の方が優先道路であることは問題ないと思います。相手の運転者は、この道路の奥から手前に向かって走ってきたわけですが、当然、私と同じように上の写真の右手の坂道を上っていくつもりだったはずです。この写真にはっきり映っているとおり、この道は出口のところが右手の方に向かって幅が広くなっています。したがって、相手も道路を道なりにきちんと左側通行していてくれれば、少しは余裕もあったはずです。ところが、一時停止もせずに、道路のむしろ右寄りを走って、私の走る道に飛び出してきたわけです。

 その時、自転車をゆっくりと立ち漕ぎしていたのは覚えています。

 話が少し脇道にそれますが、一時はやった万歩運動というのは筋肉の強化には全く役に立たない、ということをご存じでしょうか。筋肉は、負荷をかけなければ増強させることができず、歩くだけでは負荷をかけていることにはならないのです。それと同じことで、自転車の場合も、単に長い時間乗っているだけでは運動になりません。大事なことは負荷をかけることです。そのためには、低いギアでは役に立ちません。私の自転車は6段変速ですが、私は普通、5段目か6段目で自転車を走らせます。しかし、スピードを上げては、負荷になりませんから、ゆっくりとペダルを踏むのがこつです。

 前に書いたとおり、私の身体は大きな負荷だと短時間でもすぐに壊れてしまいますが、小さな負荷を長時間かけるのは大丈夫です。そこで、私は自転車を漕ぐときには、わざとギアを高めに入れておいて、ゆっくりと漕ぐことで、確実に負荷をかけるようにしているのです。

 また、立ち漕ぎというのも大事です。座ったままで自転車を漕いでいる限り、足の筋肉の強化にはなっても、腹筋を引き締める役には立たないのです。腹筋を引き締めるには、坂道を立ち漕ぎすることだ、と前にテレビで行っており、私はそれを忠実に守っているのが、ウェストを小さくする上で、かなり役に立っている、と自賛しています。

 この時は、しかし、水泳の帰り道でしたから、確かギアは4段目に入れていたと思います。そこでこの緩い坂道を立ち漕ぎでゆっくりと登っていたのでした。平地であれば、私は時速15kmていどは出します(プールまでの所要時間から逆算するとちょうどこの数字になります。)が、この時には坂道ですから、早くて10kmていどと考えています。

 突然目の前に自動車が飛び出してきました。

 事故の瞬間に関しては、意識が飛んでしまっており、どこにどんな風にぶつかったのかは記憶していません。

 しかし、車や私の身体に残った傷から推定するに、まず私の自転車が相手車のヘッドライトのすぐ脇あたりに衝突したのだと思います。私の自転車の前籠は、新聞配達用の大型の籠を特注して取り付けたもので、普通の自転車の籠に比べるとかなり頑丈ですが、これがかなりひしゃげており、これを構成している直径5mmほどの鉄の針金が一箇所ぶっつりと切れているのです。このひしゃげからから見て、私の自転車は、私から見てぐいっと右の方に激しく押しやられたと思います。

 私は左前額部に三針縫う裂傷を負いました。この裂傷は三日月型にカーブしており、自分自身の眼鏡の縁で切ったのではないかというのが私の想像です。また、左目が事故後二日ほどしてから、目の回りが真っ黒になり、腫れ上がってあけれいられなくなりました。また、私の顔には路面につっこんだときになるような擦り傷は少しもありません。右膝に打撲傷を負っていたのですが、その傷の位置も、膝小僧そのものではなく、そのすぐ上の位置でした。

 事故の時に立ち漕ぎしていたということと合わせて考えてみると、衝突の瞬間に私の身体は自分の自転車のハンドルを飛び越えて、相手の車のボンネットかフロンドガラスの上に叩き付けられたのではないか、と想像しています。

 とにかく、気がついたときには相手の自動車の前に横たわり、足には自分の自転車が絡まって身動きのできない状態でした。

4 事故の後

 相手の人が私を助手席に乗せて最寄りの病院に運んでくれたのですが、その後が大変でした。

 病院で私は妻を呼んでくれるように頼んだのです。彼女は事故現場に残してきた私の自転車を回収しようと、改めて相手の人の車に乗って出かけていったのですが、驚いたことに、事故現場を相手の運転手は見つけだせず、30分も車で走り回ったあげく、空手で病院に引き上げてきたのです。

 その時、妻は相手の息が酒臭いことに気がつきました。事故の場所さえ覚えていないというのはかなりの明定状態です。そこで病院に戻った段階で、始めて110番通報をしたわけです。

 驚いたことに、単に飲酒運転であったばかりでなく、無免許運転でした。後から聞いた話では、その時乗っていた車は免許が失効した後で購入したものであったとか。さらに、ご丁寧なことに、この車は既に車検が切れていました。したがって当然に自賠責の強制保険も失効していました。もちろん、任意保険に入っているわけがありません。さらに、家がなく、伴場で暮らしているのだとか。

 警察では悪質ということで、無免許運転で逮捕し、身柄を拘束しました。身元引受人になってくれるような親類や知人もないらしく、事故から丸2週間を過ぎた7月21日現在では、いまだ保釈になったという連絡すら、警察から来ません。

 慰謝料どころか、治療費も、あるいは自転車の修理代もすべて自腹ということになりそうです。

 何とか事故を回避する方法がなかったものか、といろいろと考えてみるのですが、どう考えても私の方からは回避手段はなく、やはり運が悪かったというほかはなさそうです。

 頭を打ったということの怖いところは、自分がどの程度のダメージを受けたのかが自分で判定できないことです。つまり、私としてはかなり軽いダメージのつもりで、事故の翌日はともかく、その翌々日の講義はするつもりでいたのです。私は、授業前に必ずレジュメを作り、それを配布して、それに沿って講義をします。そこで、レジュメを作りにかかって愕然としたのです。何をしゃべったらよいのか、さっぱり判らなかったからです。そこで、始めて自分の脳震盪の影響というものを認識したわけです。幸い、夏休み前の最後の週でしたから、あきらめて全部休講にしたのです。

 結果は幸いにも良好で、MRIや脳波測定でもほとんど以上はなく、経過観察ということになりました。せいぜい夏休みの間に体調を万全にもっていくつもりです。