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学問のお部屋

(2003/10)


[ なぜ運動は変容するのか?――民族運動を例にして ]
 なぜ運動は、変容するのか。

 ○はじめに

 これは、私にとって大きな問題であります。民族論をやっていたときに、「なぜ民族運動は、独立や解放を志向した運動でありながら、抑圧的な排他的な運動になってしまうのか?」という素朴な疑問からはじまりました。
 民族運動に関しては、答えは正しいかどうかはしりませんが、一応の答えというものをもつことができました。
 これに答えるためには、「民族」とは何であるのか、という問いに答えなければならないでしょう。
 では、民族とは何か。これは簡単な様でいて、未だに決着の付かない問題であるといえます。

 ○定義の問題。

 民族は、集団である。「類的存在」である、ということに異論はないと思いますので、そこからはじめましょう。
 @民族は集団である。
 A民族は同質の人々の集まりである。(類的である)。
 B民族はアイデンティティを持つ。

 ある少数民族がいるとしましょう。その民族は他の大きい力のある民族によって抑圧され、虐げられていたとしましょう。民族は、言語・宗教・地域・国籍・肌の色・慣習などなど(これを客観的民族指標と呼びましょう)をもっています。どれか一つを同じくしても民族と呼ばれることがあります。また、民族は、アイデンティティ(われわれ意識)というものを持つことがありますし、もつものです(これを民族の主観的指標と呼びましょう)。
この二つの客観的、主観的なものが複雑に組み合わさったものが民族です。しかし、ここで大事なことは、民族とは客観的には捉えることができない、ということです。客観的に捉えるのは、他者です(学者や法律、他の国、他の集団)から定義されるものです。しかし、また大事なことは、民族が問題になる場面というのは、ある民族が民族としての自己意識(アイデンティティ)をもったときです。
 
 ○民族の自己意識。
 では、いつアイデンティティを持つのか。それは、民族が他の民族と衝突するときです。民族が共通のもの(言語・宗教・肌の色・国籍・慣習など)により、<同じ苦しみ>というものを味わうからです。
 なぜ同じ苦しみを味わうのか、といえば、たとえば、言語を例にとってみましょう。ある一つの集団間において、言語が持つ力の強さみたいなものを感じるときに<同じ苦しみ>を味わいます。具体的な例を述べることにしましょう。アイヌの例を挙げます。アイヌ語は日本語とは全く別の言語です。近代化の波により、アイヌ語は公共の場で使うことを許されなくなりました。学校でも近代化という名のもとに、江戸弁を共通の日本語として教育するようになりました。これは、様々な地方でも同じことでした。近代化、国民国家化とは、言語の統一ということをはじめに行います。それは、国民国家(ネイション・ステート)というものの性質上どうしても必要なものでした。国民国家は均一化された平等というものを重視します。差異を無くそうとします。封建制の下では、差別というものは、見えるものではありませんでした。それは当たり前のこととして捉えられました。国民国家とは、一つの超越の下における平等を前提としてはじめてなりたつ国家体制です。法の下の平等・貨幣の下の平等など、一つの超越の上の平等です。国家を作るときにこれは重大な関心事項となります。

 ○国民国家(ネーション・ステート)
 このような統一の国民国家を作る場合問題になるのは、<同じ>であるという意識を国民に持たせることが必要になります。経済的にも社会的にも慣習も同じである、という前提が国民国家には必要になります。

 ○民族問題の噴出
 <同じ>にするということは、言語・宗教・慣習・貨幣などを統一することですが、ここで問題が出てきます。同じにする場合に基準となる言語・宗教・慣習・貨幣というものが必要です。これはある力を持った集団の基準が、国民国家を作る上での基準となります。ようするに、力を持った集団(民族)の言語・宗教・慣習が基準となります。ということは、少数の力のない民族の自分たちの持っている言語・宗教・慣習は無視されて、統一されることになるということです。学校でもそれは徹底されます。
 そのため、ある民族は同化し、ある民族は排除され、抑圧されることになります。このような事情から、力ない民族(集団)は抑圧されます。

 ○なぜ運動は変容するのか。

 ここで、本題の「なぜ運動は変容するのか?」に入りましょう。
 少数で力のない民族は、抑圧され、排除されます。そうすることにより、少数の同じ言語・宗教・慣習をもった人々は、<同じである>ということにより、集団的に排除・抑圧されることになります。同じ苦しみを持つことになります。それが意識されたときに、<われわれ意識>=アイデンティティを持つことになります。ここで、少数民族は団結を始めます。

 そのことを意識しはじめた民族集団は、最初はそのことで団結することができます。集団の抑圧=個人の抑圧です。言い換えれば、個人的に抑圧されているのではなく、集団的に抑圧されているのです。集団的に抑圧されているのだから、解決方法は集団的に行われます。ネイションを希求する運動(集団的に解放を要求しようとする運動)をナショナリズムと呼びましょう。
 ナショナリズムは集団主義です。しかしながら、少数集団のナショナリズムは、はじめのうちは、個人主義的に働きます。どういうことかといえば、類的なもので抑圧・排除されているのですから、個人も類的なもので抑圧・排除されているのです。だから、この少数集団のナショナリズムは個人主義的です。
 しかし、この少数集団の運動が功を奏してきますと、だんだん運動自体が、言語・宗教・慣習など、集団的なものへの崇拝傾向を示してしまうことになるのです。運動が自己目的化されてしまうということです。運動が自己目的化されると、それはもう集団主義ですから、個人主義的な運動が、集団主義的な運動へと変容してしまいます。変容するというより、周りの環境が変わったことにより、集団の方へ力点が変わってしまいます。
 集団主義は、当初の目的を忘れ、集団の基準への忠誠を求めるようになります。運動の自己目的化です。

 ○「保守的」民族主義者と「進歩的」少数民族擁護者の言説の奇妙な一致。
 「保守的」な民族主義者と「進歩的」な少数民族擁護者は、言説上、奇妙な一致をしてしまうのも興味深いことです。同じ言葉でも、「伝統を守ろう」という標語も、前者が言うと、「国粋的」で排他的で抑圧的な意味合いになり、後者がいうと「多文化的」なものを守ろうという意味合いになるのです。

 

 
 
2003/10/31(Fri) 晴れ


[ わー!、コーンがこーんなにいっぱい。でも、うんこの中・・・。(その三) ]
(承前)

 C、うんこは「うんこ」以上のものかもしれない。

 この議論にうつる前に、少々議論の修正をしたいと思う。 
 というのは、「コーンはうんこか?」というところから出発したにも関わらず、生物(人間)とうんこの関係というように論点がシフトしてしまっていることに気が付いたからである。

   @、コーンは消化されてないんだから、コーンだ。
   A、コーンはうんこの中なんだから、うんこだ。

 Bのうんこ相対論を出す前に、Aの亜種として、A’コーン=うんこ一体論を出さねばなるまい。

   A’コーンとうんこは一体にして、うんこである。

 コーンとうんこは一体にして切り離すことはできない。コーンはうんこなのだ。コーンは、もうすでに消化はされていないかもしれないが、コーンではない。うんこなのである、という視点である。これが、A’の論点である。その二の議論の中で、私は、友人からのメールを引用したが、次の文章を読み飛ばしていたようだ。「ちょっとした勇気でそれは、コーンかもしれず、コーン以上の物かもしれない」(その二のメールより)
 この文が言いたいのは、消化されずコーンとして存在するが、コーン以上のもの=つまり、うんこの中のコーンであるから、うんこなのだ。紛れもない、うんこである。 その後で、うんことは?ということを言っている文章であった。うんこは相対的なものであると。

 かなり、議論が錯綜している。私も混乱している。うんこ=コーン論争は、A’うんことコーンは一体で不二である、ということだ。これを、コーン=うんこ不二論と名づけよう。
 ここにおいて、「コーン=うんこ論争」は終結を迎える。私はこれを、一応の結論としたい。

 この一応の結論の後に、「うんことは?」という問いが発せられることになり、(その二)で議論したようなことを取り上げねばならなかった。

 ここで、整理をしてみよう。
  @ コーンは消化されてないから、コーンだ。
  A しかし、コーンはうんこの中だから、うんこだ。
  A’コーンとうんこは一体にして不二の、うんこだ。(全く別のものではない)
 
 この後に、それでは、「うんことは何か?」という問いから、
  B うんこは、相対的なものだと。
との視点が得られる。
  
 そして、やっと、今回の視点、C「うんこ」はうんこ以上のものかもしれないとの論点に立つことができるだろう。これを、柄谷行人(『マルクス、その可能性の中心』)にあやかり、「うんこ、その可能性の中心」として、議論しようか。(笑)。

 C「うんこは、うんこ以上のものかもしれない」。

 ここで、歩みを止めるわけではないが、いったん筆を置く。新たに、Cの視点を取り入れ、考察してみたい。
 我々は、「わー!、コーンがこーんなにいっぱい。でも、うんこの中・・・。」の議論から、新たな地平に立つことができた。


 <「わー!、コーンがこーんなにいっぱい。でも、うんこの中・・・。」の章を終える。新たに、「うんこ、その可能性の中心」として、論考をつづけることにしよう。「どんな道であろうと、途中で止まるよりは、徹して歩むようがよい」(大澤真幸)。>            
            (「うんこ、その可能性の中心」として、つづく)

2003/10/25(Sat) 晴れ


[ わー!、コーンがこーんなにいっぱい。でも、うんこの中・・・。(その一) ]
 
 『さまーずの悲しいダジャレ』というお笑いの本の中に、こんなダジャレがありました。

   「わー。コーンがこーんなにいっぱい。でも、うんこの中・・・」

 日ごろ、うんこのことについて思索を深めている私にとってこのダジャレは考えさせられました。

 ここから、次のような論争的な議論が生み出されます。

「果たして、コーンは『うんこ』なのか? それとも、『コーン』なのか?」というものです。

 この答えには、おそらく二通りの議論をする方が多いと思います。
   @、コーンは消化されてないんだから、コーンだ。
   A、コーンはうんこの中なんだから、うんこだ。

 私は最初、科学的な意味では@だけど、Aであるという立場をとっていました。
 
 しかし! 僕がこの議論を持ちかけた一人の友人からのメールの影響を受けて、第三の道をとりたいと思いました。それまでの自分の常識的な議論を反省させるような内容でした。

   B、うんことは相対的なものである。

                  (Bの説明は次回。つづく)


2003/10/24(Fri) 晴れ


[ わー!、コーンがこーんなにいっぱい。でも、うんこの中・・・。(その2) ]
(承前)

  B、うんことは相対的なものである。

 ここで、うんこ相対論を述べる前に、ある友達からのメールを引用したい。

「考えた。/飯食いながら考えた。/うんこだと思う。が、が、ですよ。/ちょっとした勇気でそれは、コーンかもしれず、コーン以上の物かもしれない。/人はうんこを汚い物であるみたいに思ってるけれど、例えば動物の中にはさ、子供の頃とか親のうんこを食ったりする奴もいる。そいつにとったら、それはうんこでありながら、親が食う前の何か以上の食い物な訳です。/人間だってさ、牛乳をヨーグルト菌によってうんこにされたヨーグルトを食ってるのかもしんねぇ。/そこには大きな壁があるけれど、素敵な何かが待っているかもしれない。/お試しあれ!」(注:さすがに僕もこの「お試しあれ!」で結ばれた文章には笑えました。が、実践するつもりはありません。笑)

 というものでした。
 このように、うんことは、生命循環の中において、相対的な意味を帯びる。つまり、片方の生物にとって、うんこでありながら、もう片方の生物にとって、食べ物であったりする。一概にうんこと断定することはできないのだ(!)。人間のうんこはバクテリアのえさにもなるだろう。そのバクテリアのうんこは土を肥沃にする。その中で、植物は生まれる。植物を人間が食べ、またうんこにする(and so on)。
 このうんこ相対論は、うんことは、ある生物と生物との関係性の中で決まるものであるとの立場である。ここでうんことコーンの常識的な二元論は打ち砕かれ、うんこ相対論(B)が誕生したわけだ(笑)。
 
 すでに、お気づきのことかと思われるが、この引用した文章の中に我々を第4への道へ導くものが含まれていた。

  C、「うんこ」はうんこ以上のものかもしれない。

 

 このうんこ論争、実は哲学史的に長い歴史を持つ論争の一つの形態(バリエーション)でしかない。
  @、コーンはコーンだ。うんこという名のコーンでしかない。(唯名論)
  A、コーンはうんこだ。うんこはコーンに還元できない。(実在論)
  B、うんこは関係の中で決まる。(相対論)

 社会学においても、社会の存在に関する議論と同様だ。
  @、社会は個人からなる。社会は名前にすぎない。(社会唯名論=方法論的個人主義)
  A、社会は個人に還元できない。 (社会実在論=方法論的社会主義)
  B、社会は個人と個人の関係性である。(社会相対論)


 議論を哲学史的な文脈から一般的に、大きく、位置づけ見てみたわけだが、またうんこに限定して、個別的にまた具体的な議論を行っていきたい。
 
                    (つづく)
 



2003/10/23(Thr) 晴れ


[ 差別――その根源へ  (その一) ]
  
 1差別へのまなざし――<普通><自由><身体>
 
 こういうことがあった。手と足と短い人がいた。いわゆる奇形の人である。後から気が付いたことだが、私はじっと見入ってしまったのだ。それに気が付いたのは、その人から、こう言われたからである。見入っている私の方へ向かって、一言。「○○○?」聞き取れなかった。「え?」と聞き返した。「朝鮮人?」と(もしくは「朝鮮人」といわれたのかもしれない)。
 私は一瞬、むかっときたのだった。「朝鮮人?」という一言に。
 私は今まで「在日韓国・朝鮮人」への「差別」というものについて勉強してきたつもりであった。さらに、その前提として「差別とは」ということについても勉強してきたのだった。それが、この一言によって、「何いってんだ?このおっさんは!」と思ったのだった。「アタマおかしいんじゃないか?」と思ったのだった。思った瞬間、奇形の人から発せられた言葉は「冗談だよ。冗談」というものであった。
 まったく訳がわからなくなってしまった。どういうことなのかと、ずっと考えてしまった。そして、気が付いたのだった。私がその人に見入ってしまっていたことに。蔑視していたのだろうか。

 私にとって奇形の人は、普通ではない。彼にとっては普通のことである。
 彼にとって朝鮮の人は、普通ではない。私にとっては普通のことである。
(いや、しかし、実際には普通のことではなかったのだった!)。

 活字の上では、慣れ親しんだ韓国・朝鮮人であるが、実際は<日本人>という<普通><日常>の中で生きていたのだった。だから、普通ではない奇形の人に「朝鮮人?」と言われたとき、「何言ってんだ!」と思ったのである。むかっときたのである。どこが、朝鮮人なんだよ、と思ったのである。

 私はこのときの出来事を、振り返ってみると、このように思うのである。振り返らいとわからないのである。意識と行動との違いがわからなかったのである。

 私は時々考えることがある。私が美しいものや人に目が行くのも、不細工な人やものに目をそらすのも、嫌悪感を抱くのも、<普通のこと>ではないかと。
 <普通のこと>とは、私から我々へ、人間というもの一般論へ、広げてしまうことだ。普通のことである。というのは、<普通のもの>への渇望(あるいは欲望)がなければ、私たち人間はみな調和を無くしてしまうのではないか、ということだ。つまり、<奇異のもの>へ心が引かれるのであるとすると、残る子孫は<奇異のもの>になるからである。当然、普通のものの方がいいに決まっている。五体満足で、奇形でもなく、病気もなく、目も見える、耳も聞える、走れる、歩ける、ということだ。言い換えれば、身体が<自由>ということである。
 身体が<自由>でない人は、自由でない体が<普通>なのである。だから、<自由>という概念が違うということだ。あの身体の自由と私の身体の自由とは違うのだ。その自由を決定しているのは、その身体に対する<慣れ>だけである。どれだけ慣れているのか、ということである。
 これを人間の<自由への渇望>と呼ぼうか。自由への渇望・欲望がなければ、生きてはいけない。人は自由になりたいのだと。

 ここで、振り返ると、<自由>には二つあった。「自由への渇望」と「慣れることでできる自由」との二つである。束縛からの自由と、慣れることでできあがる当たり前の自由との二つである。


 小学校のころ、卒業式で言っていた。「普通の人になってください」と。これが一番難しいような気がする。難しいとは、普通とは、数が多いということである。多数ということだ。多数と少数ということにも発展するだろう。
 <慣れ><当たり前>ということも関係してくるだろう。
人が虫や動物を殺し、平気で食べられるのも、<慣れ>ということと大きく関係があるだろう。あるいは人間ではないモノとして捉えられたとき、殺すことは出来なくても、モノとして食べることは出来るようになるだろう。慣れる、慣習、習慣というのは、人を麻痺させる。当たり前になるということは、人が人を殺すことでさえ平気にさせるからだ。

 人間でないモノとして捉えられるようになる、とはどういうことだろうか。普通でないものとして捉えられるようになる、とはどういうことだろうか?
 身体をキーワードとして考えてみたい。
 風呂に入っているときの身体はどこからどこまでか、わからなくなる。また、赤ちゃんは、自分の身体をコントロールできない。おねしょをする。目が見えない。自分の体がどこからどこまでなのかを把握することができないのだ。
自分の身体がどこからどこまでなのか、ということに答えるのは容易ではない。それがわかるということは、その身体に<慣れ>、<自由>を手にいれたときである。
 身体は大きくなったり、小さくなったりするものだ。決して固定しているものではない。メガネは身体になりうるし、杖も身体になりうる。車椅子も。病気の人は薬さえもが身体になりうる。普通の人は、食事で身体を作るし、はいせつもする。排泄したものは、もちろん身体ではなくなるのだ。メガネははずせば身体でなくなる。薬を飲まなければ、体は異常をきたし身体はいうことを聞かなくなる。自由は無くなるのだ。
 普通ということ、自由ということ、身体ということ、これらは関係しあっているのだ。決してこれらの範疇は固定的ではないのだ。流動的でダイナミックなものである。
 私は、このようなまなざしから、差別ということを考えていくことに有効性があると考えている。
   

(以下、予定)
 2なぜ差別はいけないのか。
近代規範への根本的問いかけ

 3差別とは何か。
さまざまな定義
  意識論・行為論

 4共生の作法
  ともに生きるとは。



2003/10/22(Wed) 晴れ


[ 日本人論再考 (卒業論文) ]
     日本人論再考――日本人概念の揺れをめぐって――

  T序論
  第1章  主題と方法
    1−1 問題関心
    1−2 問題設定
    1−3 接近方法

  U本論
  第2章  日本人論概観
   第1節 日本人論の系譜
    1−1 日本人の<自己>意識
    1−2 日本人論とその批判

   第2節 日本人論批判の系譜概観
    2−1 歴史学・民俗学から――ポスト・モダンの文脈から
    2−2 自然人類学――遺伝人類学から
    2−3 知識社会学――日本人論の担い手とそのサンプル
   
  第3章  揺れる日本人の概念
    第1節 「日本人」とは何か――日本人の多義性・多様性
    1−1 「“重ね餅”構造」としての日本人
    1−2 「タルの構造」としての日本人
    第2節 日本人の変動過程と流動性
    2−1 「日本人」から「非日本人」まで
 
  第4章 日本人の概念の問題性
    第1節 日本人の概念の問題性――事例を中心に
    1−1 「「日本人」とは何か」から「誰が日本人と認定するか」
    1−2 第二次大戦による中国残留者――事例(1)(2)
   
    第2節 揺れる日本人の二つの傾向
    2−1 「国民国家」日本の相対化の時代――事例(1)(2)からの考察
    2−2 「〜系日本人」の日常的存在の困難性
    2−3 「日本人」という言葉の問題性

  V 終章
    1−1 要約と結論
    1−2 今後の課題
 
  注釈
  参考文献


   (これは1996年度卒業にあたり卒業論文として大学に提出したものの目次です)
2003/10/21(Tue) 晴れ


[ 「従軍慰安婦問題」について思ったこと ]

   「従軍慰安婦問題」について思ったこと――「人間」という概念を通して――(93/12/07)


 いわゆる「従軍慰安婦」にされた人々の証言のビデオをみて、日本政府、あるいは日本軍は、朝鮮の人々を「人間」とみなしていなかったのではないか、と感じた。あるいは、「日本人」=「人間」であり、それ以外は「人間」ではなかったのかもしれない。また、その「人間」も「日本人男性」であったのかもしれない、と感じた。
 我々が、虫や動物を平気で殺し、食べられるのも、観念的には、それが「人間」ではない、あるいはそれがモノである、という意識があるからであろう。また、それに「慣れ」というものが加わるのだろう。「従軍慰安婦」の問題にも少なからず、この「意識」が関わっているに違いない。
 よく、戦争とは人間と人間が殺しあうものである、と言われる。しかし、それは本当だろうか。何の恨みも無いはずの、人と人とが殺しあうことができるのか。本多勝一は「ソンミ事件に潜むもの」の中で、ラッセルの「広島や長崎の原爆も、ベトナムにおけるアメリカの虐殺も、そしてそれを黙許している欧米人の態度も、同じ思想から出ている。アジア人を人間以下の存在とみているのだ」という言葉や、サルトルの「米兵のなかには反アジア的な民族意識が強まっている」との言葉を引用しながら、ソンミ事件という米軍による虐殺事件と、人種差別主義(レイシズム)が大きく関連していることを指摘している(本多勝一 1982:47-58)。この指摘から考えられることは、近代における戦争とは人と人が殺しあうものではない、ということである。すなわち、集団と集団が戦争をすることができるのは、それぞれの集団により「人間」の概念が違う、または、故意に、自集団=「人間」、他集団=「本当の人間ではないもの」というイデオロギーを浸透させることと関連があるのではないか。特に、それが際立った場合、他との様々な要因と結びつくことによって、虐殺などが起こるといえるのではないか。
 「従軍慰安婦」の問題は、特にそのことが関連しているように思える。具体的には、日本政府(日本のエリート男性)は、また兵士(男性)は、女性を「人間」とみなしていなかった。さらに、「日本人」以外を「人間」とはみなしていなかった。二重に「人間」とはみなされていない「朝鮮人従軍慰安婦」がいた、ということである。戦争という極限状態において、一つの集団の「人間」でない女性は、二重に「人間」でなくなるのである。つまり、「人間」でない集団(敵)の、さらに「人間」でない女性なのである。それはどのような方向へ向かうのか。それは、性的略奪の方向へと向かうのである。ただ性的な欲望の対象としてのモノとして、まさにモノとしてしかみることができないのである。強姦する対象物としてしか見ることができないのである。また、国家による計画的な場合には、それは、極限的な状況に置かれた兵士(男性)たちの、セックス処理(金一勉 1975:116)のためのモノとして利用される。つまり「慰安婦」として利用されるのである。戦争時の兵士(男)たちの士気を高めるための道具としてしか見なされないのである。
 金一勉は、「天皇の軍隊の恐るべき体質――いわゆる『日本軍隊の慰安婦』が置かれた背景」には、五つの要素があると指摘している(金 1975:278)。その中で、「日本では、女性を極度に蔑視して、人権のカケラもあり得なかったこと」と、「朝鮮総督府は、戦争という狂気に乗じて、植民地の未婚女子をすべて日本軍用の“女郎”に投げ込んで朝鮮民族の衰亡を謀ったこと」を挙げている。
 次のような事実をみても、朝鮮人女性が二重に「人間」ではなかったことがわかる。それは、日本軍が「慰安婦」をつくるにあたり、日本人女性を「慰安婦」にする場合は、もともと「売春婦」であり、それもその人の了解をもとにおこなわれるのに対して、朝鮮人女性の場合は、「売春婦」ではなく、詐欺的に「慰安婦」にし、さらに戦争が悪化してくると、まるで「狩り」のように女性を奪って「慰安婦」にしてしまった、という事実である。また、ビデオに出てきた朝鮮人女性の証言がなにより、日本軍兵士が朝鮮人女性を「人間」とは全く見なしていなかったということを物語っている。

 「どうして、そんなむごいことができたのだろう?」「あんなことは人間のやることではない。」我々は、戦争時の虐殺など、残虐行為を考えるとき、このような思考をしてしまうものである。しかし、それは間違いであることに気づかねばならない。「人間、この非人間的なもの」と言ったのは、なだいなだ(1985)であるが、この一見論理矛盾に見える言葉が成り立つのは、人間的行為・非人間的行為があることに他ならない。そして、虐殺などの「非人間的行為」を「人間的行為」と区別することにより、「人間がすることではない」というように、「人間」である自分たちの行為でなくしてしまう。
 「従軍慰安婦問題」のビデオの証言は、はっきり言って私には想像がつかない。しかし、だからといって、それが「非人間的」であるとして、自分たち(人間)から遠ざけようとするのは、なだのいうように、卑怯である。それも「人間」のやったことである、それも「日本人」のやったことである、との認識をしなければならない。

 参考文献
本多勝一 1982 『殺される側の論理』朝日新聞社。
金一勉 1976 『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』三一書房。
なだいなだ 1985 『人間、この非人間的なもの』筑摩書房。


(これは、93年ころ、「人種・民族論」の課題として、「従軍慰安婦」の取材をしたビデオを見ての感想文です)
2003/10/20(Mon) 晴れ


[ ホームレスソシオロジストとは。 ]

 私が、自己紹介のところで、ホームレスソシオロジストと自称しているのは、社会学の一番大きなサイトである「ソキウス」の野村一夫さんの自称「さすらいのソシオロジスト」「さまよえるソシオロジスト」(a homeless-minded-sociologist)にあやかっています。野村さんは國學院大學の教授であり、所属するところがあり、間にマインドが必要でしょう。

 が、しかし、私は、本当にどこにも所属していない、ホームレスのようなお金の入らないソシオロジスト(社会学徒)なのです。このようなわけで、私は、ホームレスソシオロジストと名乗りたいと思います(笑)。

2003/10/13(Mon) 晴れ


[ まむのやっている学問とは? ]
 私は、文学部の社会学科を卒業したため、
学問的志向は、社会学にあります。ですが、学問的関心領域は、
社会学だけではなく、社会人類学、民族学、民俗学、哲学、
言語学、精神医学、心理学、経済理論、社会史などに及びます。

 問題関心(テーマ)は、差別、身体、ネイション(民族、国家)、ジェンダー、社会運動、などなどです。
2003/10/11(Sat) 晴れ


[ 学問の部屋とは? ]
 ここには、僕がおもに趣味としてやっている
人文社会科学系の学問的なレポート、論文、エッセイ、ノート、
覚書などを載せて行きたいと思っています。

 まずは、過去に書いていたものなどを載せていきたいと
考えております。 


2003/10/10(Fri) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:まむ 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]