ロシアンラリー2000 参戦記
 


  4月28日(金) 出発 & 新潟での一夜

  4月29日(土) 新潟出発

  4月30日(日) 船内での1日

  5月 1日(月) ナホトカ−アルセーニェフ−ウスリスク−ハンカ

  5月 2日(火) ハンカ−テレホフカ−ザルビノ

  5月 3日(水) ザルビノ−クラスキノ−ザルビノ

  5月 4日(木) ザルビノ−バラバシュ−ニコライエフカ−ナホトカ

  5月 5日(金) ナホトカ周辺 & ナホトカ出発

  5月 6日(土) 再び船内での一日

  5月 7日(日) 帰国 & 帰宅

 
 
 
 
4月28日(金) 出発 & 新潟での一夜
 仕事を終え、0:00頃自宅をスタートする。今年の相棒も、「HONDA XR250 Baja」。こいつも5回目の参加である。しかし今年ははっきり言って整備不良気味。
 R409,R246,環状8号線とつないで関越自動車道を目指す。特に渋滞もなくスムーズに走行でき、0:45に関越自動車道・練馬ICに到着する。
 ここからはひたすら新潟を目指す。しかし、埼玉に入った頃から雨が降り始める。大した量ではなかったが、この先天気が回復する予報もなかったので、高坂SAに入り、合羽を着込む。毎度の事であるが、ロシアンラリーのプロローグ・ランは簡単には済まない。
 上里SAにて給油を行う。「今夜はバイクが多いね〜」とガソリンスタンドのおっちゃんが一言。ロシアンラリーに集う連中が、同様に北上していることを知る。
 その後も北上。関越トンネルを越えると雨はますます激しくなる。北陸自動車道に入るとこれに加えて強風が襲って来、思いっきり振られる。まことにヒヤヒヤ物であった。
 AM5:30頃、いつも時間調整に立ち寄る黒崎PAに到着。ここでロシアンラリー’99参加者によるお見送り部隊や、今年のエントラント達と遭遇する。中にはリピーターの雄、下司氏もいた。しかしいつもの「青ドミネーター」ではなく、今年は95年式のSUZUKI・DR250での参加であった。昨年のロシアンラリーで破損したドミネーターを修理するより安かった様子。
 時間調整を終え、6:30頃出発。集合場所である新潟西港を目指す。そして7:00過ぎ、港に到着する。時折雨の混じる強風の中、受付/車検を済ませる。車検時にアクシデント。リアブレーキを踏んだ際のブレーキランプの点灯が甘いと指摘される。リアブレーキスイッチの調整を行って車検を通過する。
 9:00頃、新潟の友人,望月夫妻の訪問を受ける。毎年、荷物を届けてもらっているのである。
 それにしても今年は何か様子が変。というのは例年であれば、午前中の早い段階で車両搬送&ホテルとなる客船‘アントニーナ・ネジダノバ’号が着岸するのだが、いつまでたってもやってこない。沖を見れば、折からの強風にあおられて、海は大しけ。防波堤を乗り越えて、波が襲ってきている。この悪天候に翻弄されて、船の到着が大幅に遅れているとの事。この悪天候によって、“ロシア時間(ロシアンラリーにおいて、予定がまともに進まない事の例え)”を余儀なくされる。
 昼になり、腹が減ったと言うことで、やはりリピータの雄,‘松チャン’こと松村氏とともに食物探しに港を出る。長年来ていて港近辺に食い物屋らしき物はないことは解っていたが、港にいても仕方がないので、散歩もかねて出ることにする。松チャン曰く、昔この辺りでラーメンを食ったことがあるという方向へ行ってみる。それらしいところはなかったが、揚げ物の仕出し屋さんのような店を見つける。小売りも可能とのことだったので、コロッケとトンカツを買って港に戻って食べる。揚げたてでもあり、非常においしかった。                        
 船が来ないまま、倉庫の中で14:00から開会式が行われる。そこで、船が到着するのは18:00頃になるだろうと言われる。外は雨で寒い。なので決して暖かくはないが、雨はしのげる倉庫の中でじっと待つ。風邪ひきそうや・・・。
 20:00頃、やっと客船‘アントニーナ・ネジダノバ’号が入港、着岸する。本来なら、税関による船内チェックや出国審査を経て乗船という形になるのだが、時間が遅くなったと言うこともあり、特例として、身の回り品だけを持って乗船することが認められる。
 乗船後、夕食。徹夜で走行してきたこともあって、爆睡する。
 
 
4月29日(土) 新潟出発
 目が覚め、外を見る。通年であれば日本海上を航行しているため、見える物と言えば、海だけの筈なのだが、まだ新潟港にいるため港の風景が見える。
 朝食後、いったん下船。それから大荷物を担いで再び乗船し、船内にて出国審査を受ける。
 今年の船室は130号室。いつもより船室内が広いように思われる。おまけに冷蔵庫やテレビまで付いているゴージャスぶり。しかしテレビは邪魔にしかならなかった。
 昼食前、レストラン入り口にてゼッケン番号とコマ図が配布される。コマ図についてはいつもなら、船内フォーラムの時に配られ、ロール状に仕上げるまでの時間が少なく、難儀するところであるが、今年は早めの配布であった。
 16:00頃、やっと船が出航する。丸一日、足止めを食らったような形になる。当初の予定では、ロシアにて6日間の走行日が設定されていたが、この分だと1日短縮されてしまいそうだ。
 
 
4月30日(日) 船内での1日
 一日中船の上である。
 ゆっくりとコマ図のロール化作業を行う。ここはどんなコースなのだろうかとワクワクしながら作業を進める。ここでちょっとコマ図もロール化に便利な道具をご紹介。それは『両面テープ』。コマ図の張り合わせには通常、「糊」を使うが、乾くまでに時間を要する。しかし『両面テープ』であれば、その時間を短縮することが出来ます。その代わり、ゴミが大量に出ますが・・・。
 午後、船内フォーラムが開催され、出席する。やはり1日目のコースがキャンセルになるようだ。ロシアンラリーの初日のコースと言えば、短いながらも多彩なコース設定になっており、非常に楽しめる物が毎年用意されているので、残念な気がする。
 初日のコースがキャンセルになったと言うことは、明日は初日から300km以上の大移動が待っている。なので早々に寝る。
 
 
5月1日(月) ナホトカ−アルセーニェフ−ウスリスク−ハンカ
 目が覚めると、船はナホトカ港沖におり、入港待ちの状態であった。見慣れた風景が広がっている。
 11:00頃(これよりの時間表示はロシア時間。日本時間+2H)入国審査を終え下船。港にて歓迎セレモニーを受ける。ロシアでは、歓迎の意味として、大きなパンを一かじりさせる風習がある。ロシア料理はそんなに美味しいと思わないが、このパンは絶品。出来ればたくさん食いたいと思う。
 歓迎セレモニーの後は、両替である。今年は3人分,1万円を両替する。これが「2,500ルーブル」となった。即ち今年のレートは「1ルーブル=4円」であった。
 午後に入って場所をスタート地点であるナホトカ市庁舎前に移動する。ここでもまた歓迎セレモニーが行われる。今日は走行距離が長いので、早くスタートしたいところであるが、ロシアンラリーの大きな目的の一つには、「日露友好」と言うところがある。これを断る訳には行かない。ロシア市長やロシアンラリー実行委員会の方の挨拶が続く。が、どういう訳か最後に、今回チーム三菱の宣伝撮影も兼ねて(?)、タレント,シェイプアップガールズ・中島史恵が挨拶を行う。何のこっちゃと言う感じであった。ロシア人ライダー,コスチャも首を傾げていた。
 「タレント出走」で思い出されるのが、3年前の大会。『国生さゆり様御一行』による大混乱事件。その記憶があったので、今年またタレントが来ると聞いて、当初抵抗があった。しかしこの中島史恵と言う人、非常に気さくな人で、気軽に声をかけて来るし、声をかけて反応もある。マネージャーのガードも全くなく、ちょっと高級なエントラントというぐらいで、全く問題無しであった。なので日本での解散の日、ゼッケン番号にサインをもらうと言うミーハーな事をしてしまった。これから応援していこかな・・・。
 14:00過ぎ、やっとスタートである。今年のスタートはゼッケン番号66番の可愛らしい女の子のポケバイから。集まった観衆,エントラントの拍手の中スタートする。
 今年のゼッケン番号は「23」番。スタートはバイク・エントラントの中で中盤の位置である。
 さて初日とは言え、本日のコースは実は2日目のコース。300km以上を移動しなければならない。しかしスタート時で既に14:00を過ぎていたため、急がなければ日が暮れてしまう。日が暮れると一気に気温が下がり寒くなる。なのでペースアップして行きたいところであるが、スタート直後のところで、#11,LANZAに乗る鈴木(邦)氏が止まっていた。フロントブレーキキャリパを止めるネジが欠落し、タイヤロックの末、転倒したらしい。そのうち、#29,WR400F鈴木(伸)氏やORA(Offical Riding Advizer)の東福寺さんや小林さんが到着する。ワイワイやるものの、ネジがなくなっているのでどうしようもなく、キャリパーをフロントフェンダーに固定し、フロントブレーキ無しで走行させることにする。そんなこんなで、初日から最下方での走行となる。
 再スタート後、100kmほどは舗装路であり、一気に時間稼ぎをしたいところであったが、ロシアの道路は舗装路こそ怖い。突然大きな穴が開いていたりするからだ。100km/h程度で巡航する。
 スタート後、100kmを過ぎた辺りから、道がフラットダートになる。快適に走る。よくよく考えたら今年初めてのダート走行であった。
 しばらく行くと進路を川が横切るようになる。ロシアンラリーらしくなってくる。喜んでバシャバシャ走っていると、突然エンジンストップしてしまう。先ほどの川でエンジンに水が入ってしまったかと色々見てみるが、そうでもなさそう。電送系のトラブルか?などと考え込むが、原因は実に単純なことであった。燃料コックが「OFF」になっていた。
 実はその手間でトラブッているエントラントがいたので、その救助に向かったのだが、足場が悪く、XR Bajaのサイドスタンドではバイクが立てられないので、燃料コックをOFFにし、バイクを横倒しにして救助に向かったのである。そのことを忘れて再スタートしてしまったため、しばらく行ったところで、エンジンストップしてしまったのである。今更ながら、バイクはガソリンで走るものなのだと言うことを知る。
 気を取り直して再スタートすると、数キロ行ったところでエントラントが集まっているところに出くわす。どうやらその先の川が増水しており、バイクでは川渡りが困難と言うことで、ロシア名物の巨大トラック、「カマズ」にバイクを積み込んで川を渡しているとの事。皆で協力してバイクを数台ずつ積み込み、川を渡る。カマズがグラグラ揺れるので、バイクを押さえるのに必死であった。しかし対岸でバイクを降ろし、また戻るときは圧巻であった。川の中をドカドカ渡っていくカマズの荷台から見る風景は迫力があった。面白いので3往復もしてしまった。惜しかったのは写真が撮ることを忘れてしまったことか。
 川渡りの場所でついつい遊んでしまい、気が付けば時間は18:00を過ぎていた。慌てて先を急ぐことにする。
 今日は落とし物を良く拾う日であった。#29,WR400F鈴木(伸)氏の「唐草模様のバンダナ」や、#32,CRM250R松村氏の「工具箱」と言った落とし物を拾う。しかしそういう私も落とし物(忘れ物)をしてしまった。新品の「タイヤチューブ」を忘れてきてしまった。場所は先の燃料コックOFFにより、エンジンストップしてしまった場所と思われる。この落とし物は拾われることがなかったようだ。場所はわかっているので、来年拾いに行こう。
 CP(Check Point)2に到着する頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。暗闇の中、寒さをこらえつつ、ゴールを目指す。日本のように街灯のない本当に真っ暗な道では、XR Bajaの巨大とも言えるライトは頼りになる。暗闇の中、バイクのライトだけを頼りに走っていると、映画「マッドマックス」のラストシーンを思い出してしまった。妻を殺害した暴走族に対する復讐を終えた主人公が、あてもなく走るシーンを車のなから映し出すシーンがあるが、それにそっくりだなと一人ご満悦。
 23:00頃、今日のゴール地点であるハンカ湖に到着する。ロシアンラリーではその期間中の宿泊は船でと言うのが通例であったが、この日は内陸のハンカ湖まで来たため、船以外での宿泊となった。体育館にスタッフ,エントラント全て集まっての雑魚寝となる。
 寒い中を長時間走ったためか、頭が痛い。風邪を引き初めているようだ。風邪薬を飲んでさっさと寝ることにする。
                           [本日の実走行距離:332.0km]
 
 
5月2日(火) ハンカ−テレホフカ−ザルビノ
 起きてから朝食までの時間の間にバイクの整備を行う。
 スタート地点で恒例(?)のセレモニーが行われる。そこでハプニング発生。せれもにーの最後に一言言わせろと、道路警察のお偉いさんが壇上に登場。「君たちはスピードを出しすぎる。一般道は90km/h制限、町中は60km/hだッ。それからここは日本ではない。右側通行をしなさいッ。」と怒られる。
 11:00頃スタートとなる。今日もザルビノまでの400kmを越える大移動である。
 舗装路が切れ、道がダートになりだした頃、村の中で数台のバイクエントラントが止まっているのを発見する。何事かと寄っていくと、道に飛び出してきた犬を避けようとして転倒したらし。幸いにもエントラントの怪我も軽く、バイクのダメージも少ない。レース続行も可能なようだ。そういえば昔、道を横切っていた牛に激突したバイクエントラントがいたな〜と言うことを思い出す。先に行くことにし、走り出すと、私の目の前を犬が横切って行った。相当な馬鹿犬のようである。
 コース序盤はフラットダートであった。天気も良く、遠くまでが見渡せ、まさに‘大陸’を走っているんだと言う気になる。
 フラットダートが切れると、次は草原の中の道になる。この辺りはコマ図上、「CAP走行(方位磁石(コンパス)によるナビゲーション走行)」なのだが、五年目の参加ともなると、この辺りはズルをする。コンパスなど見ず、前に走って行ったバイクや四輪のタイヤの跡を頼りに走る。風景の良い場所はナビゲーションなどはせず、風景を楽しむ。これぞ‘不良リピータの知恵’である。
 途中、コマ図作成を行ったスタッフ,西巻さんのバイクと一緒になり後ろをついて走る。すると突然、西巻さんが指を指しながらスピードダウンし停車した。見ればそこには牛と思われる動物の頭蓋骨があった。実は船内でコマ図を張り付けているときに、骸骨のようなマークがあるコマがあり、何だろうな〜と思っていたのだが、実はこの頭蓋骨がそれなんだと説明を受ける。他のエントランにも解らないと悲しいから、と言う理由から、目立つように配置を変える手伝いをする。
 さて、コースがまたダートから舗装路と言う形になり、コマ図によるナビゲーション走行を開始する。すると、警察官が左へ行けと言う合図を送っている場所に出る。最初はその指示に従って左折するが、その先いくら走っても、コマ図に該当する風景が出てこない。先行していたエントラントも不審に思ったようで、一緒にさっきの警察官がいた場所まで戻ることにする。その場所まで戻ると警察官はやはり左へ行けと言う。しかし信用できないので、無視してその場でスタッフを待つことにする。するとしばらくして西巻さん登場。やはりこの場で左に行くという指示は聞いていないようで、無線で確認してもらう。
 そんなスッタモンダをしていると、エントラントが次々に集まって来、20人以上の大集団がその場に足止めとなってします。
 西巻さんが無線で確認したところ、やはりそこは左折で良いと言うことが解る。この先しばらくは警察官の誘導に従って行くという事になっていたようだ。そんな話し、朝のブリーフィングの時には聞いてなかったけどな・・・。これまたロシアンラリーの楽しみ(?)の一つである。
 その後は警察官の指示の元、大集団で走る。しかしまたトラブル発生。警察官の指示に従って走っていると、割と交通量のあるT字路に行き当たる。しかし、主要ポイントには立っているはずの警察官がこの場にはいない。既にコマ図によるナビゲーションは成り立たない状態だったので、またこの場で路頭に迷う。走行するうちに、ORAの東福寺さんや小林さんが追いつく。しかし正式ルートは把握されていないようで、やはり路頭に迷う。
 走行するうちに通りかかった警察官の協力などを得、手前の道で曲がらなければならなかったことが判明する。どうやらその場所にいなければならないはずの警察官が、我々が通過するまでに間に合わなかったようだ。来た道を戻っていくと、曲がらなければならなかったはずの場所に警官がおり、その誘導に従う。これまたロシアンラリーの楽しみ(?)の一つである。
 CP1通過後もフラットダートが続く。まだまだ先は長いが、時間もある。なのでのんびり走る。ここのところ、好天が続いているせいか、前方にバイクまたは4輪がいるとそれが巻き上げる砂煙がものすごく、前方視界が妨げられる。だが5回目の出場となると、砂煙の中でもある程度は障害物の有無が解る。しかし「カマズ」が通り過ぎていった後は最悪。その巻き上げる砂埃の量は半端ではなく、本当に何も見えなくなる。そのため、フロントタイヤを大きな石にヒットさせてしまい、転倒寸前になること数回。フラットダートで「カマズ」とすれ違う場合は要注意である。
 そんなこんなでCP2にたどり着くと、エントラント全てがプールされている。何で止められているのか思うと、この先は川渡りありマディありの楽しめそうなコースなのだが、相当コースが荒れているようで、なおかつ時間も18:00を過ぎており、この先にアタックすると、最後の一台が戻ってこられるのがいつになるか解らず、実行委員会が対応を検討しているとのこと。恐らくキャンセルされて、コースをショートカットする事になるんだろうなと思っていると、やはりそうなった。
 CP2からはバイクは5台毎のスタートとなり、ゴールのザルビノを目指す。車間をとることで、事故の危険性を避けるという、実行委員会の指導からである。しかしだんだん集まって来、結局は大集団になる。それでもそれまでのような固いフラットダートであれば、走行ラインが色々に取れるので、抜きつ抜かれつと言った感じで走れるのだが、そのころ道は、舗装前の工事中であるのか、路面にバラスが引いてあり、走行ラインが少なくなってしまっている。下手に走行ラインを外すとフロントをグラグラ取られ危険であるため、次第に一本の走行ラインにバイクが連なるようになってくる。バックミラーに点々と後続のバイクのヘッドライトが連なっているのがわかる。そうなってくると、下手にスピードを落とすと後ろから突っ込まれるおそれがあるため、アクセルが戻せない。勿論ブレーキもかけるとどうなるか解らないので、かけることが出来ない。なので途中広場のようなところでコースを離脱、集団が収まるのを待つ。
 一段落した頃、再スタートを切り、ゴールのザルビノを目指す。そして21:00頃ゴールであるザルビノの港に到着する。何とか完全に日が没するまでに港に着く事が出来た。
 部屋に戻って同室の方々と話をしていると、先の警察の誘導区間での警察官の誘導はまちまちだったようで、私を除く3人とも、警察の誘導に従って行くと、コマ図に記されていた川に出、コースも結構マディで楽しめたと言っていた。ウ〜ン、非常に残念。
                           [本日の実走行距離:436.5km]
 
 
5月3日(水) ザルビノ−クラスキノ−ザルビノ
 本日はザルビノ近郊を周遊するコース。過去の経験から考えて、このコースは風景の良いテクニカルな物と思われ、当初から楽しみであった。しかし、ブリーフィングの際、やはり道が悪くなりすぎ、一部コース変更が告げられる。ウ〜ン、ちょっと残念。しかし「楽しんだ者勝ちのロシアンラリー」。それはそれとして元気にスタートする。
 メインルートから林道区間へ入るところ。ブリーフィングで言っていた目標が見当たらない。しかしマーカーが立っている。ここから林道区間に入れと言うのか〜と思うが、それにしてはどうもブリーフィング時に言っていた距離より短い場所。念のため、メインルートをもう少し先に行くことにする。するとまた荒れた林道入り口があり、またマーカーが立っている。どちらが正しいのかわからなくなるが、ブリーフィング時に言っていた距離にはこちらの方が近い。「エエイ、ままヨッ!」とばかりそこから林道区間に入る。所々道がえぐれている部分はあるが、面白いルートである。
 するとORAの東福寺さんが追いついてくる。そして、「こちらのルートのは間違っている。一つ手前のマーカーが正しいルートだよ。」と言われる。やっぱりそうだったかと今来た道を戻る。そして後から来た、バイクエントラントや四輪エントラントに、間違ったコースだから戻るように指示しながら戻る。
 が・・・今度はORAの小林さんがやってきた。小林さん曰く、「手前のマーカーを入っていくと、とてもじゃないが走れるものではない。こっちが正しいルートだよッ」と言われる。何が何だかわからなくなるが、今戻ってきたルートをまた戻ることにする。するとまた、東福寺さんに出会う。東福寺さん曰く、「朝のブリーフィングと全く違うよな・・・」。でもこれもまた、ロシアンラリーの楽しみである。少々ルートが不正確でも最終的に合えば何の問題もないのである。
 その後は見晴らしの良いアップダウンのある林道を快適に走る。途中大きめの川があり、ORAの東福寺さんが待っている。と言うことは結構危ない川なのかなと思うが、構わずキャーキャー言いながらジャバジャバと走り抜ける。東福寺さんにはあきれられるが、これこそ「楽しんだ者勝ちのロシアンラリー」なのである。
 その後は夏場は海水浴場になるんだろうなと思われる砂浜に出る。大の苦手な砂浜であるが、えっちらおっちら走る。するとまたマーカーが出てくる。これより先に予定されていたルートは荒れすぎていて、しばらくはマーカーによる走行区間に変更と朝のブリーフィングの時に言われていたところに来たことに気づく。そう言えば昨年もこの先は同じ理由からマーカー走行になっていたなと言うことを思い出す。是非走ってみたいものだという衝動にかられる。また来年来ヨッ!
 マーカー区間を抜け、再びメインルートに入るところにCP1があった。エントラントがたむろしていたが、先を目指す事にする。この先はしばらくメインルートになる。今日は大移動日ではないのでのんびり走る。
 CP2を過ぎると左手に日本海、右手に湖と鉄道の線路を望む実に風景の良いルートに出る。自然とアクセルが開いてしまうほどの快適ルートである。
 SCPにてゼッケンのチェックを受け、海岸線のルートから離れると、路面状況が一変する。路面がニュルニュル・ヌタヌタになり始め、ロシアンラリーらしい状況になる。ヒヤヒヤするところはあるが、やっぱりこれを楽しみに来ているのだからと十分に堪能する。
 途中、4輪がスタックしているところがあったが、助けに行けなかった。なぜなら、路面状況がヌタヌタの場所で、バイクのスタンドが立たず、バイクを降りられなかったのである。XR250のスタンドは設置面積が小さく、こういった路面状況の場所では使い物にならないことは重々承知していたが、今年もなんの対策もしてこなかった。まあ、他の4輪が救助にあたっていたので問題は無かったが、「ごめんねーッ!」と言う感じである。4輪がスタックを脱出するのを確認して先へ進む。
 しばらく行くと、川のほとりでロシア人バイクエントラントが立っていた。ロシア語なので、何を言っているのかよくわからなかったが、どうやらタンデムで川を渡して欲しいと言っているようである。快く引き受け、タンデムで川を渡る。
 そのロシア人エントラントを先に行かせ、またチンタラチンタラと、ヌタヌタ道を楽しみながら走る。すると道の真ん中に出来た大きな水たまりのほとりで、先のロシア人エントラントたたずんでいた。やっぱりロシア語なので、何を言っているのかわからなかったが、どうやらこの大きな水たまりで水没し、一応の水抜きはしたが、キックペダルを何度蹴ってもエンジンがかからない。右足がくたびれたから交代してくれ、と言っているようである。水没上がりのエンジンなので、そう簡単にはエンジンかからんやろな〜と思いつつ、まあ「袖ふれあうも多生の縁」と言うからエエかと、これも引き受ける。ところがキックペダルを踏み出すと、二回目でエンジンが息を吹き返した。これには正直驚いた。それ以上にそのロシア人エントラントは驚いていた。古いロシア語−日本語対応表を見ながら、感謝の言葉を何度も述べられてしまった。ちょっと照れくさかった。
 そこを抜けると、先ほどまで走っていた、日本海と湖の間のメインルートを戻るコースに出る。実はこの日はタイムコントロールが設定されており、CP2−CP3間の規定時間は「2時間」とされていた。それを越えるとメインルートをゴールまで戻されることになってしまう。で、CP3へ到着した際の、私のCP2からの走行時間は「2時間6分」であった。本来ならメインルートを戻らなければならないところであるが、時間もまだ早かったので、オフィシャルから「この先のルート、行きますか?」と聞かれる。当然「行きますッ!」と回答、その先のルートに進入する。
 その先も所々に水たまりやヌタ場のある林道である。が、好天が続いているせいか、水たまりにもヌタ場にもしっかりとしたエスケープルートができあがっている。なのでコース取りさえ間違えなければ苦もない。
 が、ちょっと物足りないかな〜と思い始めた頃、悪魔が忍び寄ってきた。
 コース取りを間違え、目の前には大きな水たまり。まあ、大したことは無いだろうと、その水たまりの縁を回るように入っていくと、意外と深く、ヌタヌタになっていた。あっという間にフロントタイヤが沈み込み、右へ傾いてしまう。このままでは水没するッ!と思ったので、いったんエンジンを切り、とりあえず体勢を立て直す。
 さて、どうした物かと考えるが、どう見ても前に進むしかないので、タイヤのグリップ感覚を確かめながらゆっくり抜ける。落ち着いて走れば問題なく走り抜けられた。‘油断大敵’と言うところである。
 そんなこんながありながら、さらに進んでいくと、目の前に見覚えのある絶景が広がる。草原地帯がそのまま日本海になだれ落ちるダイナミックな風景である。ここへは3年連続来ているが、何度見ても素晴らしい。ただ惜しかったのは、まだ寒かったので青々とした草原にはなっていなかったことぐらいか。
 こういう素晴らしい風景のところは思いっきり快走したい物だが、路面がそれを許さない。あちこちに深い轍が刻まれ、よそ見をしながら走っていると大事故につながってしまう。なので慎重に走る。
 絶景ポイントを抜けると、ゴールはもうすぐの筈なのだが、ナビゲーションを狂わせる丘陵地帯に入る。ここも過去に走っている筈なのだが、やっぱり迷ってしまう。他のエントラントとルートを確認しながら進む。
 ゴールし、港に戻ったのは18:00頃。まだ陽は高かったので、十分にバイクの整備をする。本日の無茶な走行であちこちに泥が詰まっている。丹念にそれを落とす。
 早く帰るとお楽しみも多い。夜中遅くまで、日本人エントラント,ロシア人エントラント入り交じっての宴会が続く。明日はナホトカへの500km以上の大移動があるが、そんなことは関係ない。ぐでんぐでんになるまで酒宴を楽しむ。
                           [本日の実走行距離:178.7km]
 
 
5月4日(木) ザルビノ−バラバシュ−ニコライエフカ−ナホトカ
 本日はザルビノからナホトカまでの500km超の距離を走る大移動日。長距離移動については少々飽きてきたところはあるが、過酷なところに挑戦しに来たのだから文句はない。
 9:30頃ザルビノをスタートする。しかし、いつものような2台ずつのスタートではなかった。ここから50km先のスラビアンカの町から本格的なスタートを切るため、ローリングスタートのような形になる。ザルビノでのブリーフィングでは、メインルートに入るまではコンボイで、そこに入ってからは自由に走って良いということは聞いていたが、10:30までにスラビアンカに入れば良いという事なので、メインルートに入ってものんびり走る。他のエントラントもそういう腹づもりだったのか、あまりスピードを出して走って行く者はいない。結局大部隊によるスラビアンカまでの移動になる。
 10:00過ぎにスラビアンカの町に到着する。そして、この町でのセレモニーを待つ。例年この町にロシアンラリーに来るのは、メーデーの休日と重なるため、もの凄い数の見物客が集まっていて、まさにお祭り騒ぎになっているのだが、今年はメーデーからずれていたため、見物客の数が非常に寂しい。なんか気抜けする。
 それにしても寒い。天気がはっきりしないということもあるが、昨日に比べてグッと気温が下がっているように思われる。これからこの寒さの中を450kmも移動しなければならなくなるのかと考えるとゾッとする。
 さて10:30頃からセレモニーが始まるが、ここでまたちょっとしたハプニング。それまでガンガン音楽を流していたスピーカーがセレモニーが始まる直前に故障、うんともすんとも言わなくなる。仕方がないので、オフィシャルのハンドスピーカーを使用してのセレモニーとなる。観客の少なさといい、ハンディスピーカーによるセレモニーといい、気温もさることながら、今年のスラビアンカは寒いという気になる。
 セレモニーを終え、11:00頃、スラビアンカの町をスタートする。ここではゼッケン番号の大きい順にスタートした。それにしても寒いので、タオルを顔に巻き付けて走る。これで少しは寒さをしのげる。
 スラビアンカを出発して、50kmほど行ったところにSCP(Special Check Point)があった。本来のルートであれば、ここから昨年集団で道に迷った林道に入っていくところだが、今年は路面状況が非常に悪いらしく、キャンセルとなる。ナビゲーションには苦しんだが、気持ちの良い林道だったので楽しみにしていたが、非常に残念であった。
 その後はひたすら固いダートのメインルートを走る。このころには太陽が顔をのぞかせてきたので、気温があがって来た。非常に快適な走行を楽しむ。
 今日の走行距離が非常に長いと言うことはわかっていたので、前半は押さえ気味に走る。すると#8,DEGREE・守谷嬢に抜かれる。元気にサクサク走って行くので、あっという間に差をつけられる。だがマイペースは崩さない。しばらく行くと、道路工事現場のようなところで、一台のバイクが転倒しているのを見つける。近づいて行くと、先ほど抜かれた守谷嬢であった。本人もバイクも元気そうだったので安心する。それにしてもこの守谷嬢、このロシアンラリー期間中に様々な神話を残してくれた。最も有名となった事件は最終日の‘死んだふり’事件であろうか。本人の名誉のため(?)、詳細はここでは未記入。ロシアンラリー2000を語るにふさわしい人物ではあった。
 CP1に到着する頃、また太陽が顔を隠す。従ってまた寒くなる。給油車を待つまでの間、たき火を焚いて暖をとる。オフィシャルの話によるとここの気温は7℃らしい。たき火の有り難みを知る。
 CP1をスタートしてしばらく行くと、また太陽が顔を出す。とともに気温もあがって来る。また快適に走る事ができる。「お天道様」の有り難さを身をもって知る。気温が上がってくると走り易く、路面もハードダートだったので、風景を楽しみつつ淡々と走る。
 CP2手前の広場で、地元のロシア人の面白い車を発見する。形は乗用車なのだが、エンジン音はどう聞いても「耕耘機」。他のエントラントが面白がって乗り回していた。さすがはロシア。変わった物がたくさんある。
 CP2では近所の子供達がたくさん集まっていた。「乗せてくれ!」と言ってくるので、後ろに乗せてしばらく走ってやる。一度やってしまうと、次から次によって来るのできりがない。隙を見て逃げ出す。
 CP2からは再びフラットダートとなり、その後交通量の多い舗装路を走る。そしてまたフラットダートになり、快適に走っていると、#33,XR250佐藤さんが日本人,ロシア人バイクエントラントとワイワイやっているところに出くわす。何をやっているのかと近づいて行くと、「OK! Let's GO!」のかけ声とともに走り去っていってしまった。遊んでただけだったのかな? と思ったがそばにいた日本人エントラントに聞いてみると、これが大事であったことを知る。話によると、カマズと接触事故を起こして、右手親指を脱臼、バイクもハンドルの左側がほとんど折れ、フロントホイールのスポークも数本折れていると言う。そんな状態で走り続けると大事故につながりかねないので、追っかけ組と通報組に分かれて行動することにする。私は通報組に回り、オフィシャル関連の二輪/4輪を待つことにする。しばらく待つと、ODAの増岡号が通りかかり、通報していただく。
 ついでにその場で休憩し、再び走り出す。路面がフラットダートから舗装路に変わり、さらに走っていくと、峠の茶屋のような店があり、スタッフやエントラントでごった返していた。ここは、ジンギスカンのような料理を食べさせてくれる店なのだが、これが非常に美味しい。鶏肉のような食感なのだが非常にジューシーである。みんなで何だろうと話し合っていると、あるエントラントがポツリ。
「さっきまで走り回っていた犬がいなくなったな・・・」。もちろんこれは冗談。
 それにしても料理を食べている間にまた空には雲がかかってき、霧まで降りてきた。そして非常に寒くなってきた。時間も18:00を過ぎており、このまま日が暮れるとどれくらい冷え込むかわからない。食後早々に走り出す。
 嬉しいことに、なぜか走り始めるとお天道様が顔を覗かしてくれ、気温も上がってくる。快適に走行出来る。なのでCP3に到着した時、遊んでいこうかな〜と思ったが、また止まっていると曇ってきて寒くなるのでは? と言う予感が走り、チェックを受け、すぐに走り出す。
 CP3で休憩しなかったのにはもう一つ訳があり、戦闘機のオブジェのある町にちょっとしたマーケットがあり、買い物ができるため、そこへ急ぎ行きたかったという理由もあった。風景には目もくれず一心不乱に走るが、その町が近づくにつれ、不穏な雰囲気になる。また‘霧’が発生してきたのである。それにつれて気温が急激に下がりだし、走りながらガタガタ震える。そんな中、目的の町に着くが、寒さのため買い物をする余裕など残っておらず、そのまま通過。一路ゴールのナホトカを目指す。
 21:00過ぎ、ゴールであるナホトカに到着する。
 寒い中を延々走ったためか、その夜、体調の異変を感じる。悪寒が走るし、頭痛もする。最終日である明日、走ることが出来るのであろうか・・・と思いつつ就寝。
                           [本日の実走行距離:500.8km]
 
 
5月5日(金) ナホトカ周辺 & ナホトカ出発
 朝目が覚めると、昨夜の悪寒や頭痛が嘘のように治まっていた。今日も走れるぞッ! と喜ぶ。
 今夜中に参加車両を全て船に積み込んでロシアを出国しなければならないため、今日は遠出はしない。ナホトカ近辺の砂浜で、久々の「砂浜タイムトライアル」である。
 しかし、その砂浜に向かうまでにミスコースをしてしまう。コマ図にあるポイントが見つからず、とりあえずフラットダートを直進していくと割と交通量のあるT字路に行き当たってしまう。しかしこのような風景は今日のコマ図上にはない。ここで明らかにミスコースとわかったので、今来た道を引き返す。するとマーカーが打ってあるのを見つけ、その先がONコースであることを知る。でも朝のブリーフィングではマーカーの存在は言われてなかったよな〜。でもこれがロシアンラリーなのだと言うことは身にしみて知っているので、別にブーブー言うほど大した問題ではない。マーカーの指し示す方向に走る。
 どんどん山の中に入っていき、コマ図によるナビゲーションもうまくいかなくなり、本当にこのまま行って、海を望む砂浜に出るのかな〜という気がするが、海の香りはしてくるので、何とかなるわいと思い、そのまま走る。そしてやはり何とかなった。「砂浜タイムトライアル」の会場となる砂浜に到着する。
 私、「砂地走行」は大の苦手であるが、苦手克服のため「砂浜タイムトライアル」に挑戦する。まともに走れる訳がないことは最初からわかっていたので、どうにでもなれッ! とばかりスタートする。予想通り大転倒する。
 何とかコースの半分まで来た頃、砂地はさらにフカフカになり、エンジンパワーがドンドン食われていく。動けなくなってしまったので、バイクを降り、押して脱出を試みる。しかし押せども全く動かない。おかしいなと思い、ふとリアタイヤに目をやると、エンジンをかけ、クラッチをつないでいるにも関わらず、リアタイヤが回っていない。・・・クラッチがいかれてしまった。
 長年の酷使に耐えかねて、とうとうクラッチが逝ってしまった。エンジンの不調はわかっていたので、だましだましここまで来たが、クラッチにもガタが来ていたとは思わなかった・・・。と言うわけで、ここで走行不能となってしまい、あと50kmを残して、初の「リタイア」となってしまう。自らの整備不良が招いたことなので、誰も恨むことは無かったが・・・。悔しい・・・。動けなくなったXR−BAJAは、カマズに乗せての帰還となった。
 非常な落ち込みはあったが、途中リタイアも悪いことばかりではない。ナホトカまでの足が無くなったので、ODA参加されている、あのパリダカで有名な増岡さんの車に乗せていただいての帰還となる。さすがにパリダカで名をはせるだけのドライビングテクニックは違う。大胆さと繊細さをなにげに使い分ける走行は見事としか形容のしようがなかった。
 その車内での雑談。実は増岡さん、バイクの免許を持っているらしいが、奥さんに止められて、バイクが買えないらしい。「バイクに乗るなら、私と離婚してからにして下さい。」とまで言われているらしい。四輪での‘パリダカ出場’と国内での‘バイク乗車’、どっちが危ないのだろうか?  ウ〜ン・・・。
 最終日なので、恒例の洗車が待っている。いったんカマズからバイクを降ろし洗車。そして洗車後再びバイクをカマズに乗せてナホトカ港へ戻る。洗車場からナホトカ港までは、カマズの荷台に載って、バイクと一緒に移動する。今年で5回目のロシアンラリーでありナホトカであったが、車,それもカマズの荷台からナホトカの町を見るのは初めてであった。新鮮な物があった。しかし、また写真を撮るのを忘れてしまった・・・。
 その夜、これまた恒例の、ロシア人/日本人のエントラント/スタッフ全て集めてのパーティーが開催される。しこたまウォッカを飲んで楽しむ。するとロシア人エントラントから、「これ、おまえだろう。」と言って、一枚の写真を渡される。その写真はまさしく私であった。それもゼッケン番号「19」を付けていたので、1998年のロシアンラリーの時の物であった。ヌタ場から脱出したあとのスナップであった。懐かしさとともに、長く来ていて良かったな〜と思える瞬間であった。
 ロシア人にもらった写真(RR'1998の時の物)
 パーティー終了後、あわただしく出国審査となる。建物を出て、船に戻ると今年も終わったな〜と言う気になる。しかし終わらないのは‘宴会’である。夜中遅くまで飲みふける。そんな中、深夜2:00頃、船はナホトカ港を出航していった。
                              [本日の実走行距離:50km]
 
 
5月6日(土) 再び船内での一日
 船の上で過ごす1日である。行きであれば、コマ図の作成などであわただしく過ごすところなのだが、帰りは何もする事がない。朝食後、ひたすら寝て過ごす。
 午後、船内フォーラムが開催される。ロシアンラリーの感想の発表などが行われる。私が言いたかったのはただ一言。「誰か東京まで、乗せてって〜」。
 明日は日本に到着である。
 
 
5月7日(日) 帰国 & 帰宅
 早朝、まだ船は頑張って走っていた。例年であれば、早朝には新潟沖に停泊しており、入港待ちをしているところなのだが、今年はまだ外洋であった。少々遅れているようだ。
 それでも11:00頃(ここからは日本時間)には新潟港に入港し、入国審査のあと下船する。バイクや車の荷下ろしを待つ間、また港の倉庫で待つ。
 車両が全て降り、閉会式も終わったあと、お別れ会をかねて飯でも食いに行こうと言うことになり、新潟市内へ繰り出す。その数、最終的に20名を越える大集団となる。
 お別れ会も19:00頃には終わり、私はクラッチトラブルで動けなくなったバイクを、#34,DR250R徳井氏のトランスポーターに乗せていただき、新潟の友人,望月宅へ向かう。東京方面へのトランスポーターが見つからなかったので、一時友人宅で預かってもらうことにしたのである。そしてそのまま新潟駅まで送ってもらう。
 21:28発の「あさひ338号」に乗って、新潟をあとにする。出発した際には、新幹線で帰ることになろうとは思いもしなかった。東京からは、JR東海道線,JR南武線と乗り継いで帰る。この辺りはいつも通勤で使っている路線。何かロシアンラリーからの帰りとも思えない。
 そして0:55、帰宅する。とは言え相棒のバイクが戻ってきていないので、何かへんな気持ちである。とは言えこれにて「ロシアンラリー2000」の一応の終了である。
 
 
【総括】
 今年のロシアンラリーは「ミレニアム・イヤー」と言うこともあり、“走行距離、2,000kmを目指す”と言うことが言われていた。そういうこともあって、メインルートをひたすら走るコース設定が多くなされており、正直「疲れた」と言うところがある。ロシアンラリーと言えば、「川」と「ヌタ場」という印象が身にしみているため、この辺りがほとんど無かったのが残念。
 また、『整備不良』と言うところが今年のキーワードであろうか。それがためにクラッチを壊してしてしまい、あと50kmというところで「リタイア」となってしまった。今年の大会の前に、既に4回もロシアンラリーにつれてきており、相当ガタが来ていたようだが、整備が不十分であったことは否めない。素直に反省。
 
 
【後日談】
 会社の同僚で回収部隊を組織し、5月13日(土)に、新潟の友人宅までバイクを取りに行く。
そしてその翌日にバイクショップへクラッチの修理と、エンジンのオーバーホールを依頼する。しかし長年の酷使と整備不良のため、エンジンを止めているメインボルトが内部で腐食してしまっており、どうやっても外せず、従ってエンジンが降ろせず、オーバーホールは不可と言う報告が入る。エンジンのオーバーホール無しに今後走り続けられる状態で無いことはわかっていたので、思い切って廃車にすることにする(5月27日(土))。
 5年3ヶ月もの長い間、ご苦労様でした。そして、有り難う。
 
 
 
 
     長々とお読みいただき有り難うございました。
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