由美子の想い出 | ||
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今年も由美子の命日!2月17日がやってきました。とうとう由美子が逝って28年が経ちました! 小学校5年生で発病し、長い闘病生活を送ることになってしまった由美子! でも、その病気にも負けず、地頭方小学校、御前崎中学校、相良高校と 頑張って卒業してくれました。その間、諸先生方や同級生のみなさんには 本当にお世話になりました。・・・しかし、16年間の闘病生活の甲斐もなく 平成7年2月17日27才で他界しました、そして今日は28回目の祥月命日です。 ちょうど28年前の1995年1月17日「阪神淡路大震災」が起きました。 その二日後の平成7年1月19日の月曜日の朝!のことです。 勤務先の相良町役場(現牧之原市役所)を通院のため休み、 いつもの通り単行本の入ったナップサックを背負って東京王子の病院へ出かけて行きました。 でも、それが由美子との生活の最後になろうとは?! 出掛けるときいつもの通り「点滴やりに行って来るからネ」・・・と言って 元気に出掛けて行ったときの言葉が今でも耳に残っています。 いつも通りの点滴通院のつもりが?今回はいつもと違っていました。 いつもなら点滴で体調が上向く頃・・・日ごとに体調が悪化!? 薬もうけつけず嘔吐が続くようになり、むくみもひどくなってきました。 本人からの電話でびっくりして家内も私も飛んで駆けつけました。 頻繁な嘔吐で顔は青ざめむくみがひどく、あまりの変わりように驚きました。 それからまもなくますます吐血がひどくなり・・・ついに救急車で前にいた お茶の水の順天堂大学病院へ救急搬送されるはめになってしまいました。 ・・・・そしてとうとう治療の甲斐もなく2月17日18:20息を引き取りました。 あれから28年が経ちます。従ってあの時の「阪神淡路大震災」と 由美子との別れは決して忘れることができません。 県立こども病院をはじめ、榛原病院、順天堂大病院など入退院を繰り返え しながら、高校を卒業するのがやっと・・・とても就職など考えられませんでし た、が強い意志と根性で、相良町役場(現牧之原市役所)へ採用させていただきました。 しかし、残念ながら役場での仕事は9年間と短かく終わってしまいました。 教育委員会、住民課の各上司、諸先輩の皆様には大変お世話になりました。 そして、多くの職員の皆様やお友達に助けていただき本当に有難うございました。 由美子の青春は本当に短かい青春でしたが、唯一夢中だったのは サッカージュビロ磐田のサポーターだったと思います。今思えば メガホン持って友人と競技場へ出掛ける時が一番幸せだったかもしれません。 今、そのジュビロ磐田も奮起しています! 頑張れ!ジュビロ磐田!天国の由美子もきっと応援していることでしょう。 こうして皆様から可愛がっていただいた由美子は本当に幸せものでした。 今頃きっと好きだった久保田利伸や岡本孝子、ミスチルのCDを聴きながら、 趣味のアニメのイラストでも描いていることでしょう。 平成19年、我が家も新築し、新しい家で由美子と一緒に暮らすのが夢でしたが、 残念ながらその夢は叶いませんでした。あれからもう28年が経ちました。 闘病生活で一緒に苦労した家内も亡くなって11年!・・・・・・・・。 きっと二人であの時の長かった闘病の苦しさと悔しさを話し合っていることでしょう。 令和3年2月7日27回忌の法事はコロナ禍のため身内のみで執り行い その代わり「ミニアルバム:由美子27年忌の思い出」を作成して 兄弟親戚、友人知人へお渡しすることが出来ました。 由美子よ!あれから長い年月が経ちましたがどうぞ安らかに、 そして、私たちを見守っていてください。 昨日は邦明と二人でお墓参りに行ってきたよ! 合掌! |
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由美子がお世話になった 相良町役場でのスナップ |
最近見つけた由美子 のイラスト遺作集 |