旅のあとさき
| 海外旅行の日程を作成しました。関心を持たれた方、行ってみたいと思われた方、ご連絡をお待ちしております。 |
| 社団法人 日本添乗サービス協会 登録番号:60359674 村上 精紀 |
| アイルランド編 |
| ケルト文化の故郷を訪ねて |
| 一日目 成田発 ダブリン宿泊 二日目 終日:ダブリン市内観光 トリニティカレッジトとケルズの書、アイルランド国立博物館、ダブリン城、聖パトリック大聖堂 昼食 テンプルバー、ギネスストアハウス 夕食 ダブリン宿泊 三日目 ダブリン郊外観光 タラの丘、ニューグレンジ、メリフォント修道院、モナスターヴォイス観光 昼食 夕食 ダブリン宿泊 四日目 ダブリン〜パワーズコートハウス&ガーデン〜グレンダロッホ〜アヴォカ渓谷〜昼食 昼食後〜ウォーターフォード経由コーブヘ。 夕食 コーク宿泊 五日目 コーブ〜アデア(或いはキンセール)〜バレン高原、モハーの断崖観光 昼食〜アイルランド伝統音楽鑑賞 夕食 アッシュフォード城(古城ホテル)ゴールウェイ宿泊 六日目 イニシュモア島(アラン諸島)終日観光 昼食 夕食 アッシュフォード城(古城ホテル)ゴールウェイ宿泊 七日目 ゴールウェイ〜ダブリンへ。途中、クロンマックナス修道院(アスローン)観光。 昼食 午後便にてロンドンへ 夕食 ロンドン一泊 八日目 夕刻便に帰国の途へ ホテル出発まで自由行動。 九日目 午後、成田着 二日目:終日、ダブリン市内観光です。 ケルズの書は紀元前800年頃に書かれた、世界で最も壮麗な装飾を施された写本とひとつと言われます。 その書が保管されているトリニティカレッジはエリザベス一世時代のアイルランドでも最も古い大学です。 ガリバー旅行記を著したジョナサン・スウィフトが埋葬されている聖パットリック大聖堂やダブリン城、 紀元前2000年から20世紀に至るまで広範囲にわたる美術工芸品が展示されている国立博物館、 ギネスビールの博物館などを訪れます。 三日目:ケルト人にとって聖地であるタラの丘の観光。ここはハイ・キングと呼ばれたアイルランド王の政治の中心地でした。 そして、ニューグレンジ。ここは、エジプトのピラミッドより古く、 紀元前3200年頃に建てられたものだと言われています。 アイルランド語で太陽の洞窟の意を持つ、ニューグレンジは、アーチ型の天井と十字架のデザインを持つ世界でも最も古い建造物で、 ルーフボックスと呼ばれる入り口の上部にある小さな窓から冬至とその前後の数日間のみ、夜明けとともに光線が内部に通路に 差し込むように設計されています。 メリフォント修道院は、1142年に聖マラキーによって建てられたアイルランドで最初のシトー派の修道院跡。 その設計、建築はヨーロッパ大陸の当時の流行を取り入れ、後のアイルランド修道院文化にも多大な影響を与えた。 現在は建物の多くが廃虚となっているが、特徴的な8角形の手洗い所を始め、今も残る数々の建物からは大規模な 修道院であったことが伺い知れます。 そして、モナスターボイスは、アイルランドで最も巨大で複雑なレリーフを持つハイクロス(ケルト十字架)が残ります。 石の十字架には独特のケルト紋様とともに聖書のエピソードが彫刻されており、読み書きが出来なかった人々に その教えを説くためであったとされています。 四日目:アイルランドにも素晴らしい邸宅、庭園があります。 パワーズコートハウス&ガーデンは、ダブリン近郊ウイックロー県にある、アイルランドで最も有名な18世紀造園の美しい大庭園。 広大な敷地を持つ大邸宅と共に一般公開されていて、四季の様々の種類の花を楽しめる。(3月〜9月) グレンダロッホは、別名『七つの教会の町』。ウィックロー県の中央、周囲を標高700m程の氷河によって削られた山々に囲まれた渓谷と 2つの湖を合わせた湖畔一帯の呼称。6世紀聖ケビンがこの地で修行したのが始まりで、その後数世紀に渡ってアイルランド初期キリスト教の 聖地の一つとして発展しました。 現在は往時の繁栄を物語る初期キリスト教教会、修道院の廃虚が残っている。アイルランドの史跡訪問には欠かせない遺跡です。 グレンダロッホの観光後、アボカ渓谷を走り海辺のリゾート地のアークローへ。昼食後、約4時間ほど走り、コーブへ向かいます。 コーブはは新大陸へ渡った多くのアイルランド人が利用した港町です。 タイタニック号の最終寄港地ということでタイタニックにまつわる建物も残ります。 五日目:バレン高原はクレア県の北西の端に位置する約300平方キロメートルのカルスト地形の石灰岩で形成された高原。 ヨーロッパで最大とされる。約2万6千万年前に起こった地殻変動によって海底から押し上げられてできたと言われる一帯には ドルメンと呼ばれる巨石の墓やケルトの遺跡が点在し、リンドウ、ランなどのアイルランドでは珍しい植物や動物の原生地でもあります。 モハーの断崖は、大西洋に突き出した長さ8キロメートルにもわたる高さ200メートルのダイナミックなスケールの断崖絶壁。 アイルランドで最も有名な観光地の一つ。先端に建つオブライエン塔(夏期のみオープン)からは、 アラン諸島やコネマラ地方の山々まで見渡せます。 六日目:アラン諸島の一島、イニシュモア島を観光します。ゴールウェイ湾に浮かぶ3つの島イニシュモア島、イニシュマン島、イニシィア島からなる アラン諸島はケルト文化の中心地で、およそ4千年前から人間が住んでいた記録が残されています。 島民は日常的にアイルランド語を話し、ケルトの遺跡が島中に点在しています。特にイニシュモア島にある馬蹄の形をしたドゥーン・エンガスと 呼ばれる古代遺跡は有名で、海面から100m近い絶壁の淵に残る半円状の石積みの砦は圧巻です。周囲は垂直に立った剃刀のように鋭い石の 防柵で守られています。島内にはどこまでも続く石積みの柵が、独特の風景を生み出しています。 七日目:ダブリンからロンドンへ移動する日になりますが、途中、クロンマックナスに観光します。 ここは、6世紀に聖キアランによってシャノン川沿いに建設されたこの広大なクロンマックナス修道院は、 2つの塔、大聖堂、 そして8つの教会から成り、創立後長い間ヨーロッパ中に名を知られる偉大な修道都市として発展しました。 その後ヴァイキングやノルマン人らの度重なる侵略は間逃れましたが、16世紀イギリス人の攻撃により破壊され、 現在は3メートル近いハイクロス、ラウンドタワー、修道僧たちの住居跡などが残ります。 そして、午後の便でロンドンに飛びます。 八日目:夕刻の便で帰国となります。 |
| ギリシャ偏 |
| ペルシャ戦争のギリシャと小アジア |
(第一プラン) 一日目成田発 アテネ宿泊 二日目アテネからペロポネソス半島へ アテネからスパルタへ。途中、コリントス運河、アトレウスの宝庫観光。観光後ミケーネ市内へ。 昼食後、ミケーネ市内観光。観光後スパルタへ。 スパルタ泊。 三日目スパルタからオリンピアへ。 スパルタからミストラスへ。古代遺跡(世界遺産)観光。昼食、観光後オリンピアへ。 オリンピア泊 四日目オリンピアからデルフィへ。 午前中オリンピア観光。昼食後、デルフィへ。 デルフィ泊 5日目デルフィからテーバイへ 午前、デルフィ観光。観光後、ペルシャ戦争の舞台になったテルモピュライへ。 昼食後テルモピュライ観光。観光後テーバイへ。 テーバイ泊 六日目テバイからアテネへ 午前中テーバイ観光。昼食後アテネへ。アテネ着後観光。 アテネ泊 七日目アテネから帰国の途へ。 八日目成田着 (延長プラン) 七日目アテネからサモス島(ギリシャ)へ。 午後、船舶にてサモス島・バティへ。乗船時間は約9時間〜10時間。 バティ泊 八日目サモス島・バティからクシャダシ(トルコ)へ。 バティからピタゴリオへ。世界遺産のピタゴリオとヘーラー神殿観光。 昼食後、船舶にてクシャダスへ。クシャダスからミトレスへ。ミトレス観光。 クシャダス泊 九日目クシャダスからイズミールへ。 クシャダスから古代リュディアの首都サルディスへ。サルディス観光。 観光後イズミールへ。着後、昼食、昼食後イズミール観光。 十日目イズミールからチャナッカレへ。 イズミールからトロイへ。トロイ遺跡観光。観光後チャナッカレへ。 チャナッカレ泊 十一日目チャナッカレからテサロニキへ。 チャナッカレから船舶でボスポラス海峡を渡り、アレキサンドルーポリ(ギリシャ)へ。 昼食後、ギリシャ第二の都市、テッサロニキへ。 テッサロニキ泊 十二日目テッサロニキからアテネへ テッサロニキ観光後テッサリアのラリッサへ。 昼食後アテネへ。 アテネ泊 十三日目アテネから帰国の途へ 十四日目成田着 ペルシャ戦争は紀元前492年〜449年の約半世紀にわたってアケメネス朝ペルシャ帝国とギリシャ諸都市間で行われた戦争です。 紀元前480年、アケメネス朝の第4代王クセルクセス一世の大軍をギリシャ諸都市の連合軍が破ってクセルクセスを敗走させました。 ギリシャ本土のテルモピュレでの戦い、ピレウス沖のサラミス海戦での勝利。数の上では到底適わないペルシャ大軍と渡り合っています。 現在のトルコ領アナトリアの西部、エーゲ海岸沿いにはペルシャが台頭する前からイオニア人が植民都市を築いていました。 今回はギリシャ本土とアナトリア西部の古代ギリシャ都市を訪れます。 二日目 ペロポネソス半島の入り口に当たるコリントスを観て、1872年、ハインリッヒ・シュリーマンによって発掘されたミケーネの遺跡を観光します。 郊外のトロイ戦争のギリシャ軍の総大将であったアガメムノンの墓で言われるアトレウスの宝庫観光。 三日目 スパルタから西へ10kmほどに位置するミストラスの街で世界遺産のミストラスの古代遺跡群を観光。 午後、オリンピアへ。約190km。 オリンピアは世界の七不思議のひとつと言われるゼウス像があったと言われる場所です。。 四日目 午前中、オリンピアの観光を行い、デルフィへ。約230km。 オリンピアの聖域内のヘーラー神殿は聖域最古のドーリア式で造られ、ゼウス神、ヘーラー神等の神々が祀られていました。 紀元前8世紀に始まった古代オリンピックは神の前で行われるお祭りだったようです。美的な肉体は健全な精神を保つことが出来たのでしょうか。 古代ギリシャ時代、世界の中心はデルフィでした。 5日目 午前中、デルフィの観光。観光後、デルモピュライへ。 デルフィの神託は、ギリシャ最古の神託所であるアポロンの神殿で行われていました。 神託は古代ギリシャ世界において個人にも政治にも大きな影響を与えました。 ペルシャ戦争においてギリシャ勝利の流れをつくる「サラミス海戦」の神託もここで行われました。 デルフィでは「ピュティア祭」と言われる、オリンピアの競技大会と同じような大会が4年ごとに行われ アポロン神に因んで、音楽、演劇、詩歌などが中心に行われ、運動競技も行われていました。 デルフィの北、パルナッソス連峰を越えてペルシャ軍とスパルタ軍(ギリシャ連合軍)の戦場となったテルモピュライへ。 ヘラクレスの系譜に繋がるスパルタのレオニダス王が210万といわれるペルシャ陸軍を相手に戦ったのがテルモピュライです。 210万人の大軍を相手に5200人ほどのギリシャ連合軍が三日間持ち堪え、アッティカ、ペロポネソスへの南下を遅らせました。 テルモピュライ観光後、テーバイへ。約120km。 六日目 午前中、テーバイの観光。観光後アテネ。約100km。 ボイオティア地方の中心都市、テーバイ。ペルシャ戦争時はペルシャ方に組みします。 テーバイの街中には、サラミス海戦に従軍した古代アテナの詩人アイスキュロスの悲劇、「テーバイの七将」の作中にえがかれた テーバイ城の七門の遺跡が残ります。観光後、アテネへ。アテネ市内観光。 (延長プラン) 七日目 アテネ・ピレウスからサモス島へ。 サモス島はゼウス神の正妻ヘーラー神の生まれた島と言われます。世界遺産となっているピタゴリオには約1.4kmの地下水路。 ヘーラー神殿は古代ギリシャ世界ではもっとも大きな神殿でした。紀元前1000年頃バルカン半島から南下した人々(イオニア人)が エーゲ海の島々に移住しています。 八日目 サモス島からクシャダシ(トルコ)へ。 アナトリア半島西部エーゲ海沿いには早くから多くの古代イオニア人の都市が造られました。 ペルシャにとってもイオニア人がギリシャ人だったのです。 そのアナトリアのイオニア人が対ペルシャへ反乱を起こし、ギリシャ本土を巻き込んだペルシャ戦争へと続くことになります。 イオニアの反乱の中心都市となったのがミレトスです。現在でも遺跡が残ります。 九日目 古代エジプトを除くオリエント全土を領土としていたアケメネス朝ペルシャにとってアナトリア全土を支配下に置くことも政策でした。 サルディスを首都とするリュディア王国への侵攻には、リュディアと友好関係にあったイオニアの諸都市を離反させることが重要と考えていましたが、 イオニア諸都市はペルシャの政策に従いませんでした。 紀元前498年、ミレトスの援軍要請に応えてギリシャ本土の都市国家ではアテネとエレトリアが船団を派遣します。 イオニア反乱軍はアナトリアの各地で対ペルシャ反乱の炎を上げますが、紀元前493年反乱軍の中心都市であったミレトスが陥落します。 以降、ペルシャの目はアジアからエーゲ海を越えてイオニア反乱軍に加担したギリシャ本土に向けられます。 十日目・十一日目 イズミールはトルコでイスタンブールについで2番目の規模を持つ港湾都市を有します。イオニア同盟国の主要な都市のひとつでした。 イズミールを後にトロイへ。約300km。 トロイ戦争ではペロポネソス半島のミケーネ人のアガメムノンがギリシャ軍の総大将として闘っています。「黄金のマスク」の人物です。 イオニアの反乱制圧後、ダレイオス一世はキリキアから600隻の艦隊をギリシャ本土に送っています。第二次ペルシャ戦争です。 ギリシャ連合軍の勝利した「マラトンの戦い」が行われました。 紀元前481年、クセルクセス一世はペルシャ本国のスーサを出発し、軍隊の数を増やしながらアナトリアの拠点であるサルディスで体制を整え、 一路、北上。第三次ペルシャ戦争です。陸軍はチャナッカレからへレスポントス海峡(現チャナッカレ海峡)を船橋でヨーロッパ側へ渡り、トラキア、 マケドニアと進軍しました。現在のギリシャ、テッサロニキは中央マケドニア地方の首府です。アレキサンダー大王が創建しました。 マケドニアからテッサリア、そしてテルモピュライでの闘い。進軍を続けたペルシャ軍はアッティカに入り、ついにアテネに侵攻。 アクロポリスを陥落させます。 しかし、紀元前480年、ピレウス沖のサラミス湾の海戦でギリシャ連合軍の艦隊に敗れ、クセルクセス王はギリシャから撤退します。 |
| イタリア編 |
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ビザンチンの華とヴェニス共和国のアドリア海 一日目成田発 ミラノ宿泊 二日目午前中にミラノからパドバへ 昼食はパドバにて 午後パドバ観光 スクロベニの礼拝堂(入場)、エレミターニ美術館(入場) 世界遺産の植物園オルトボタニコ(入場)、バジリカ・デル・サント(入場) パドバ宿泊 三日目午前ヴェニスへ電車にて移動 サンタルチア駅かフォンダメンタ・ヌオーベへ徒歩 移動後観光 昼食はトルチェッロかブラノにて トルチェッロ島:ヴェニス本島のサンマルコ寺院より2世紀ほど前に建てられたサンタ・マリア・アスンタ教会、 「最後の審判」のモザイクの残るバジリカ(入場)等島内観光。刺繍の島ブラノではカラフルな建物の街並みを散策。 観光後、徒歩、電車にてパドバへ パドバ宿泊 四日目 午前ラベンナへ移動(190km) 午後市内観光 ポポロ広場、ダンテの墓、カテドラーレ洗礼堂(入場)、 アリウス派洗礼堂(入場)、世界遺産 サンタ・ポッリナーレ・ヌオーボ聖堂(入場) 昼食はラベンナにて ラベンナ宿泊 五日目 午前サンマリノへ出発(80km) 共和国宮殿、ラ・ロッカ、ラ・チェタ等の城塞塔からの展望 世界最古の共和国サンマリノは4世紀にイタリア半島の対岸ダルマティアで行われた ローマ皇帝ディアクレチアヌスの迫害から逃れて来た石工マリヌスと仲間たちが チタン山(現チターノ山)に潜伏したのが始まりです。 昼食はサンマリノにて サンマリノ観光後アンコーナへ(132km)。 古代から現代に至るまで通行の要衝であるアドリア海を船にてクロアチアへ 21:00(7/2〜9/26 月水木金) 船内宿泊 六日目 スプリト着6:00(7:00) 19:15(日曜日) 着後宿泊ホテルにて朝食(スーツケースはホテルにて保管) 朝食後市内観光 ディオクレティアヌス宮殿他観光 他自由行動 スプリト宿泊 或いは 五日目(7/11〜9/4 日曜日)7/13,7/20,7/27,8/3,8/10,8/17,8/24,8/31, 午前アンコーナへ出発(176km) 11:30 アンコーナ出航 スプリトへ 昼食は船内にて 19:15 スプリト着 着後ホテルへ スプリット宿泊 六日目 午前半日市内観光 ディオクレティアヌス宮殿他観光 半日自由行動 昼食は自由 スプリト宿泊 七日目 ドゥブロブニクへ出発。途中、マルコポーロの生家の町、コルチュラへ。 昼食はコルチュラにて 夕刻ドゥブロブニク着 ドゥブロブニク宿泊 八日目 ドゥブロブニク半日観光。午後、自由行動。 昼食は自由 ドゥブロブニク宿泊 九日目 ドゥブロブニク発、帰国の途へ 十日目 成田着 みどころ二日目:スクロベニ礼拝堂内はジョットによって1305年から1310年にかけて描かれた39 枚の新約聖書が主題のフレスコ画です。アッシジの聖フランチェスコ教会のフラスコ画以上に保存状態の良いジョットの作品です。 他に彼の作品はフィレンツェの大聖堂の鐘楼、フィッツィー美術館の聖母子像等があります。 ジョットは13世紀後半から14世前半期にかけた活躍したゴシック期の画家ですが、ビザンチン描写の装飾的で平面的描写法を、 写実的で表現豊かなルネッサンス描写法へと先鞭をつけた最初の近代西欧画家です。世界遺産のアルトボタニコは1545年開園の西欧で最も古い植物園です。 1585年に植えられた椰子や西欧で最初にひまわりの開花に成功、イタリアで初めてじゃがいもの栽培が行われた植物園です。 三日目:この日は宿泊ホテルの場所によるが、パドバの駅までは徒歩か路線バスを利用して移動します。 パドバからヴェニスまでは電車を往復利用します(片道約30分)。ベニス島は外します。 トルチェッロ島へはfondamenta nuoveから水上バス(N)か水上タクシーで移動。ブラノ島はトルチェロ島とは隣接します。 7世紀異民族の侵入から逃れたヴェニス人(先祖)が最初に住み着いた島。ヴェニスの始まりの島です。10世紀には島は隆盛を迎えましたが、 その後、マラリア伝染により多くの島民が亡くなって衰退へ向かいます。島民もヴェニス本島に移住して最盛期には2000ほどあった世帯も 現在は10世帯ほどになっています。ヘミングウェイやダイアナ妃も訪れた島で、ヴェニスの盛衰に思いを馳せるのはどうでしょう。 ブラノ島はカラフルな家々の立ち並ぶ島です。そこで自由に散策してもらいます。 四日目:4世紀古代ローマ帝国は東西に分裂。首都ローマはゲルマン民族の侵入により荒廃の一途を辿っていました。 その荒廃したローマからミラノに首都が移され、402年にはミラノからラヴェンナへと西ローマ帝国の首都が移されました。 西ローマ帝国が滅びて、6世紀にはイタリア半島は東ローマ帝国の領土に組み込まれる事になりました。 ラベンナには東ローマ帝国の芸術手法の一つであるモザイク(ビザンチン)が使われた教会が多くありますが、この時代に作られました。 サンビターレ教会、ガラ・プラシディア廟ではない、別の教会を回ります。十分にビザンチンモザイクを楽しんでいただけると思います。 五日目:アンコーナ発の船の時間によってふた通りの日程にしました。ひとつはアンコーナが21:00発の場合はアドリア海の航行時間帯が 夜になるのでサンマリノに立ち寄ります。サンマリノの起源は対岸のダルマチアから逃れてきた人たちによります。 高台から眺望するアドリア海も素晴らしいと思います。 ふたつ目はシーズンの毎日曜日だけ運航の11:30アンコーナ発の船利用です。これを利用した場合、同日夕刻にクロアチアのスプリトに到着です。 昼間のアドリア海クルーズです。現在もアドリア海は交通の要衝である事。そして、古代、中世そして近世と、交通機関は船舶でした。 アドリア海を船で対岸のスプリット(クロアチア)に渡ります。アドリア海クルーズも目玉になると思います。 七日目:マルコ・ポーロの生家といわれる町のコルチュラへ寄ります。マルコ・ポーロはヴェニス人ではなくヴェニス共和国の人でした。 ジョットと同時代の人です。彼は「東方見聞録」を記して当時の西欧に未だ見ぬ東洋の世界を紹介しました。 古代から中世まで地中海に制海権を持っていた東ローマ帝国の力が弱まっていくと、入れ替わるようにイタリア半島で力をつけていた ヴェニス共和国がアドリア海に進出してきます。中世にはスプリトはヴェニス共和国に組み込まれスパーラトと呼ばれた都市です。 ドゥブロブニクは11世紀からヴェニス共和国の影響下にありましたが、14世紀ににはラグーサ共和国として独立しヴェニス共和国と 同じように海洋貿易によって繁栄します。 日程の時間:毎日、9時ぐらいのホテル出発になります。五日目のアンコーナ出航が11:30の船になる場合、 ラベンナのホテル出発は7時から7時半です。ツアー催行日:五日目の船を利用する曜日に応じた成田出発になります。 |
| ドイツ編 |
| ドイツ中世ルネッサンス紀行9日間(古代ローマから中世ルネッサンスの華を求めて) |
| 一日目成田発 空路フランクフルトへ マインツ泊 二日目午前マインツからトリアーへ トリアー着後市内観光 2000年の歴史を持つ世界遺産のドイツ最古の街。 ローマ時代の遺跡として貴重なポルタニグラ(黒い門)、ローマ風呂、円形競技場そしてロマネスク様式の大聖堂、ゴシック様式の聖母教会等。 昼食を挟んで市内観光を行います。 観光後マリアラーハへ。 ドイツロマネスク様式でもっとも美しいベネディクト会の大修道院を観光します。。 宿泊は湖畔のホテル。 マリアラーハ泊 三日目午前マリアラーハからケルンへ。 ケルン着後市内観光 ドイツで最初のゴシック様式の大聖堂、ローマ・ゲルマン博物館、旧市街を観光します。 昼食後アーヘンへ。 アーヘン着後市内観光市内観光 カール大帝によって建てられた八角形のドームをもつ世界遺産の大聖堂と宝物殿。 アーヘン泊 四日目午前アヘンからゾーストへ。 ゾースト着後市内散策 ロマネスク様式の聖パトロクルス教会等旧市街を観光します。 昼食後ヒルデスハイムへ。 ヒルデスハイム着後市内観光 世界遺産の聖マリー大聖堂、聖ミカエル教会観光(共に世界遺産) ヒルデスハイム泊 五日目ホテル出発してクヴェトリンブルクへ。15世紀からの木組みの家が1200件以上も残る世界遺産の街です。 着後市内観光 聖ゼルヴァーティウス教会、城博物館等を観光 昼食後ゴスラーへ 着後ゴスラー旧市街観光 11世紀の皇帝城、市庁舎、マルクト広場を観光します。。 観光後、ヒルデスハイムへ ヒルデスハイム泊 六日目午前ヒルデスハイムからアイゼナハへ 着後昼食 その後市内観光 世界遺産のヴァルトブルグ城、ルターの家、バッハが洗礼を受けた聖ゲオルグ教会を観光します。 アイゼナハ泊 七日目午前アイゼナハからコーブルグへ 着後市内散策 コーブルク要塞と旧市街を散策します。 昼食後バンベルグへ 着後市内観光 大聖堂、旧市庁舎、新旧王宮を観光します。 バンベルグ泊 八日目午前中自由行動 午後便にて帰国の途へ 九日目 成田帰着 フランク王国から欧州連合へ 西暦800年、フランク族のカール大帝は西ローマ帝国の皇帝となりました。 1967年、欧州連合(EU)の基となる欧州共同体(EC)が発足します。
古代ローマ人は現在のドイツ領土内にも多くの植民都市を造りました。 火口湖畔にあるマリア・ラーハ修道院は11世紀に建てられはじめて13世紀に内陣、身廊そして西正面が完成した、 ケルンは古代ローマ時代からフランク王国、ザクセン王国時代と栄華を誇った町です。 ロマネスク、ゴシック様式の建造物を現在でも残しています。その例が大聖堂です。 アーヘンの西にはオランダ領のマーストリヒトがあります。フランク族がライン河を超えて活動拠点とした地域でしょうか。 ゾーストは北部ドイツの町です。中世、ハンザ同盟の一員として栄えました。 ザクセン朝の華 ヒルデスハイムには世界遺産の教会が二つあります。聖マリー大聖堂と聖ミカエル教会です。 ゴスラーは歴代の皇帝の居留地として利用された住まいが「皇帝城」として残っています。 アイゼナッハのヴァルトブルグ城は11世紀に建てられました。13世紀初頭には吟遊詩人たちによる歌合戦が行われたと言われ、 バンベルグはローマと同じように七つの丘に築かれた街で、「フランケンのローマ」と呼ばれる事があります。
初期中世は王権とバチカンの蜜月時代の社会です。社会全体がキリスト教に輝きを与えた時代です。 |
| フランス偏 |
| フランク王国を辿るベルギーからスペインの旅 |
| 一日目成田発ブリュッセルへ ブリュッセル泊 二日目ブリュッセルからトゥルネーへ(約90km) 着後、市内観光。トゥルネーはフランク王国メロヴィング朝のクローヴィス一世の生誕地であり、王国の首都となった。 三角形のグランプラス。ロマネスクとゴシック様式の組み合わさったノートルダム大聖堂と12世紀の鐘楼(世界資産) 13世紀の市壁の名残であるトル橋のかかるエスコー川の遊覧。 観光後ホテルへ。 トゥルネー泊 三日目トゥルネーからソアソンへ(約190km) ソアソンはフランス国内で最も古い都市のひとつ。486年、ソアソンの戦いでクローヴィス一世はローマ軍を破り、メロビング朝に領土を拡大しています。 ソアソン大聖堂観光。12世紀の建てられた大聖堂はロマネスクからゴシックの様子をのこしています。 ソアソン観光後、ランスへ(約60km) ランスはフランス国王の聖別戴冠式の行われた大聖堂があります。ガリアと言われたローマ帝国時代の3〜4世紀の凱旋門(マルス門)も残っています。 大聖堂、トー宮殿、サン・レミ聖堂(以上、世界遺産)、マルス門 観光後ホテルへ。 ランス泊 四日目ランスからサン・ドニへ(約160km) サン・ドニ大聖堂観光。フランス王家の墓所として歴代の王が埋葬されています。建築的にはフランスゴシック様式としてフランスで初めて建てられました。 観光後、サン・ドニからシャルトルへ(約100km) シャルトル大聖堂のステンドグラスはシャルトルの青を言われるほど有名です。 大聖堂(世界遺産) 観光後ホテルへ。シャルトル泊 五日目シャルトルからオルレアンへ(約80km) 着後市内観光。百選戦争時のフランスの象徴となったジャンヌ・ダルクの町です。 マルトロア広場、ジャンヌ・ダルクの家、オルレアン大聖堂 観光後トゥールへ(約120km)ロワール川渓谷を走り、途中、アンボワーズ城観光。 城はフランスで初めてルネサンスの装飾モチーフが取り入れられ、庭園もフランス式と呼ばれる最初のものになります。 フランソワ一世の客人であったレオナルド・ダ・ヴィンチはアンボワーズで亡くなり、サン・ユベール教会堂に埋葬されています。 アンボワーズ〜トゥール(約25km) トゥール泊 六日目 トゥール観光。サン・ガシアン大聖堂、トゥール城観光後トゥールからポアティエへ(約100km) ポアティエ観光。ロマネスクのノートルダム・ラ・グランド教会、旧い街並みを残すモンティエルヌフ地区。 ポアティエ泊 七日目 ポアティエからボルドー(約250km) 着後観光。カンコンス広場、大劇場、サン・タンドレ大聖堂、シャルトロン地区。 観光後ホテルへ。 ボルドー泊 八日目 フランス・ボルドーからスペイン・ピレネー山中のロンセスヴァリエ(ロンスヴォー)へ(約270km) 11世紀に成立した古フランス叙事詩の「ローランの歌」の舞台となったロンスヴォーの観光。 カール大帝伝に残るロンスヴヴォーの戦いの舞台になった場所を観光します。 観光後ボルドーへ。 ボルドー泊 九日目 TGVにてボルドーからパリへ パリ着後自由行動 パリ泊 十日目 ホテル出発空港へ。日本へ帰国。 十一日目 成田着 |