+休日の過ごし方+

 

 反則 〜彼女ともと彼の弟〜

 

 ぴんぽーん

 家の中に響き渡るそれを、ベッドの上でうとうとしながら聞いた。

 しばらく沈黙に身を任せていて、今日が結婚記念日だったのを思い出した。
 だから、母親と父親は食事に出かけて、まだ帰って来てなくて。

 千華はとろとろと背を起こして、パジャマの上から母親の黄色いハンテンをはおって一階に降りた。

 こんな時間に誰だろう。

 と不機嫌に思ったら、まだ10時を回ったばかりだった。少し就寝するのが早すぎたらしい。
 春休みに入ってすっかり狂った体内時計を少し反省した。
 相手も確かめずに、一気にドアを開ける。

 今夜の空にぽっかりと浮かんでいるような、 

 黄色い、お月様がそこにいた。

 

 街灯に照らし出された髪が、きらきらと光っている。
 後頭部の少し長くなった髪を弄びながら、こんばんは、と言った。
 雲が月を隠したのか、辺りに一瞬影が射す。
 けらけらと笑っていた顔はすぐに引っ込み、気まずそうな顔に変わり、千華の眉が寄る様子を眺めて、黙った。

「……宮路くん」
「はい」
「これは、反則でしょ」
「……すんませーん」

 べ、と赤い舌を伸ばして、謝る。

 千華は頭のてっぺんから、つま先に抜けるようなため息をついた。
 どうかこの不機嫌が向こうにもきちんと、伝わりますように。
 そう、お月様に願いながら。

「どうしたの?」
「近くまで来たら、千華さんに会いたくなって」
「……でも、突然お宅訪問はよくないと思う。ルール違反だよ」
「いちおう、メール、したんですけど」

 言われて、千華は、ハンテンのポケットに入れっぱなしにしてあった携帯電話を見た。
 メールが三通。着信が一件。

「……ごめん、寝てた」

 だと思いました。って、宮路くんはじぃっとこちらを見ながら。
 なんとなく、身を縮める。パジャマに黄色いハンテンでは、見栄のはりようもなく。
 宮路くんは特にコメントもせず、邪気なく笑った。
 こういう言葉が足りないところはそっくりだと、こっそり思う。

「せっかくだから、上がっていく?」
「ええとー、千華さんのお母さんとかお父さんとかは?」

 一階が玄関以外真っ暗になっているのを見つけて、宮路くんが言った。

「今日は結婚記念日だから出かけてる。だからいいよ、気にしなくても」

 金髪にピアス。わざと目立とうとしているようにしか見えない彼は、思ったよりも世間体というものを気にする。

 元彼氏の弟と偶然再会して、メール友達になって、時々遊ぶようになって。
 一緒に並んで歩こうとしない彼の、妙な気遣いに気づいた。

 千華さんまで、変な目で見られる必要ないでしょ。

 いまどき、宮路くんぐらいの格好をする子はたくさんいて、道ですれ違う人たちが特に自分たちのことを気にしているようには思えない。
 宮路くんが心配しているのは、そういう、道ですれ違う人たちのことじゃなくて。
 家族とか友達とか、もっと身近な人たちのことで。
 だから、今日は誰に気にしなくても大丈夫だよ、と千華は言いたかったのだけど。
 だけど、宮路くんは手で口を覆うようにして、今度こそ本当に申し訳なさそうにした。

「あーすんませんでした。じゃあオレは、おとなしく帰ります」
「え?」

 くるりと向きを変えた、思わずその後ろ髪を引っ張る。
 あたっと声を上げて、宮路くんがその場にしゃがんだ。なんだよ?と訴えた目が、心なしか涙目で。

「だって、帰るって。来たばっかりで言うから、つい」
「だからー、反則しちゃったんで、おとなしく退場しますって」
「そんないきなり聞き分けいいフリされても、信じられないし」
「わ、ひでえの」
「日頃の行いのせいでしょ」

 って、こんな、無意味な掛け合いを、家の前でしたいわけじゃなくて。
 これじゃただの近所迷惑だった。
 しゃがんで、目線を同じにする。こういうとき、正面からきちんと受け止めてくれるほうが宮路くん、だった。

「なんか、いやなこととか、あった?」
「……別に、なんも。て、なんで?」
「この間より、ピアスの数が増えてるから」

 恥ずかしさを隠すようにして、宮路くんが耳を両手で覆った。
 それから、べ、とまた赤い舌を出す。今度は自分自身に対して、らしい。

 どうしようもなく淋しくなったらいいよ。

 適当に出した条件を、今でも彼は忠実に守っていて。
 こうやって直接会いに来る理由を放っておけるほど、無関心にはなれなかった。

「それはまた今度で、よくなったんで。とにかく今日は帰ります」
「どうして?」

 信じられない、という感情を顔いっぱいで表現された。
 それから、宮路くんは深く深く息を吐き出した。 

「やっぱり、ちっとも認識が変わってない気がする……」
「は?」
「宮路の弟、から一歩も先に進めてない気がする」

 そんなことはないと思うけど。
 すぐに否定できなかったのは、どこかにこっそり後ろめたい気持ちがあるからかもしれない。
 どうしても兄を引き合いに出して、考えてしまうのは自覚があって。 

「あー別にそれはいいんです。単なるやきもちの独り言だからそっとしておいてやってください。
 ……オレが言いたいのは、もっと、根っこのほうのことで」
「根っこ?」

 思わず足元を見やる。
 母親の健康サンダルを履いていることに気づいた。どおりで足の裏が痛いはずだった。

「千華さん、あのね。兄貴の元彼女だからって、好きな女と密室で二人きりになって、何にもしないでいるほど、オレはいい子じゃねえ、んですよ」

 見た目まんまだから、わかってるとは思うけど、いちおうって。
 健康サンダルごと、根っこから掘り起こされたような気持ちになった。

「だから、相手を確認もせずにドアを開けたり、パジャマに黄色いハンテン姿で出てくるのはやめてください。オレの生命維持装置がぶっ壊れるんで」

 数秒間、固まって。
 素直に、頷くことしかできなかった。

「ん、じゃ」
 よっこらしょ、とじじくさい掛け声と一緒に立ち上がった宮路くんは、数歩進んでまた引き返してきた。
「そういえば、反則っていくつか重ねてやったら、退場になるんでしたよね、確か」

 わけがわからない。

 それは競技によって違うんじゃないか。
 バスケットなら5個だし、サッカーなら、イエローカードなら2枚で、レッドカードなら1枚じゃなかったっけ。
 そもそも高校の試合なら、その格好だけでアウトじゃないかな。宮路くんの場合は。
 どう答えたものかと悩んでいると、手首を掴まえられて、ぐいっと前のめりにさせられた。
 頬にぶつかった軽い感触は、痛みとそれから。
 遠ざかっていく口が、笑みを含んでいるのに気づいた。

 千華は別れの挨拶も放棄して、ぴしゃりとドアを閉め、用心して鍵をかけた。
 そのまま自室への階段を駆け上がって、布団をかぶった。

 うとうとしてきた気配の中で、ポケットに入れっぱなしだった携帯電話が震えているのを感じた。
 無視して、千華は目を閉じた。

(元気出ました。ありがとうございました。おやすみなさい)

 短いメールは、明日の朝まで、黄色いハンテンの中でぐっすりと眠ることになる。

 

 

 

 

 

 おしまい

 

 

 

 

 


最初、お日様の下でデートの模様を書き始めたのですけど。
で、書き終えたのですけど。どうもしっくりこなくて。
お月様の下に変えました。
はたして、兄の影から逃げられる日はくるのか。
結構もうすんなりと行けそうな気も、久しぶりに書いてみたら、しました。
難題ばっかりの弟にごほうびをあげてみました。次こそ兄に挑戦してみたいです。

 

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