気がつくと、空に大きな花が咲いていた。
どどーん、どどーんと胃の底に響くような音にせかされた。 ふらふらと席を立ち、窓を横に寄せ、夜風を誘い込む。 一つ前に座っていた背中が振り返った。 メガネのフレームを軽く上に持ち上げられて、露骨に不満を示される。
「ごめん、少しだけ」
いちおうの事後承諾を求めて、苦笑いをする。 直後。一際大きなどどーんとともに咲いた一際大きな花が、ご機嫌ななめのメガネのレンズに浮かび上がった。 この予備校に入って、一年とちょっとの付き合いになるけれど、初めて見た。 メガネの向こう、目じりが下がった顔を見て、北風と太陽のはなしを思い出した。
地平線のそばはまだ明るい。けれど高度が上がるほど空は色の深みをまして。 その中心点めがけて次々と空を花火がのぼっていく。 今夜は、お祭りらしい。 らしいというか、そういえばクラスの女子たちが騒いでいた気もする。
無言を許しと心得て、窓を開けたままにして席に戻った。
机の上の参考書が数学じゃ可愛げがないかなと思い、せめて古典か日本史にしようと鞄の中を探る。 こういうときに限って持ってないんだから、風流心のかけらのなさに恥じいる。
ため息をついた耳に、カランカランと祭り独特の音が届いた。 引き寄せられるようにして見た窓下の道路に、紺色の浴衣に黄色の帯をしめた女の子がいた。 カランカランを引き連れて、小走りにかけていく。
「あっさこー! 置いてくよー?」
待って。と前を行く友人たちに伝える余裕もないくらい、走り方がぎこちない。 あんまり滑らかじゃない、カランカラン。 ふと音を止めて、空を見上げたので。つられて見上げた。
どどーん。
空にまた一つ、大きな花が咲いた。
ふっと笑みがこぼれてしまうのを自覚した。 どんな面白い公式を解いているのかと、前のメガネがちらりと動いた。
慌てて机の中の数学の参考書を、鞄の中へとしまう。
「……町田、帰るのか?」 「うん。お祭りにいくことにした」 「ふーん」 の後ろに含みあり。また苦笑いで答えた。
一緒に行かない? という言葉がノドまで出かかっていた。 無理やり飲みこんで、また明日な、と言う。 夏休みは始まったばかり、夏季集中講座も始まったばかり。明日も明後日もこの挨拶だ。飽きるだろうなと思いながら。
予備校の自習室、花火より参考書を実行している頭はいくつか。 北風と太陽。参考書と花火。 かけ引きの続く夜。 早々に負けを認めて、退室する。 頭に残るカランカラン。 あんまり滑らかじゃない音を探しに出かけた。 |