なんて言わないから。
「あの」
せめて教室の果てまで。たった十数メートルの距離。 届け、と願う。
「あのっ」
声は無情に、笑いの渦の中へと消えていく。 騒がしい教室の中。教卓の前で、一人ぼっちだった。
「あの、今日のホームルームの議題なんですけど」 返事の代わりに、がははという笑い声。 議題は、冬季球技大会の種目決めです。 と、心の中で言う。 音にする前に、ため息になった。
瞬間。
ばーんっ!に続けて、がたーんっ!って。 けたたましい音を二回たてて、教卓の一番近いところにあった机が倒れた。
「あのって言ってんだろ!」
最前列のど真ん中から染み入るように、教室に静寂が広がった。 口を大きく開けたまま。 自分で倒した机に、自分でもびっくりしているみたいだった。
「……ひっしーてば。なんなのよ?」 騒ぎの中心にいた女子生徒が怪訝そうに眉をひそめた。 ひっしーこと、中山久司くんはまるでリンゴみたいに、顔を真っ赤に染めた。
「だからぁ……小山内の話を聞こうよって、言ってんだ。オレは」 ちらっとこちらを一瞥する。 え。私? と思って、私を指差して確認してみる。 こくん、と一つ頷かれた。 「で。今日のお題はなんなのさ?」 「きゅ、球技大会の、種目決めです」
(あ) しん、と静まった教室の果てまでなら、私の声だって届く。
「じゃ、決めれば」 ぶっきらぼうな言い方もよく響く。 聞き逃すほうが難しい、張りのあるいい声。 「うん」 私は夢中で頷いた。
「ありがとう」 ホームルームが終わって次の授業が始まる前に。 最前列の、ど真ん中の席まで、お礼を言いに出かけた。 甘いもの好きのひっしーには、飴を添えて。との友人のアドバイス。 実行したら成功した。嬉しそうに、どういたしまして。
「私、あんまり人前でしゃべるのって得意じゃなくて」 頑張って声張り上げてるつもりなんだけど。 って。頭をかきながら言い訳したら、ああ。って普通に肯定された。 「小山内の声って、か細いもんな」 「……か細い?」 「高くて。でもキンキンしてなくて。なんていうか、柔らかくてくすぐったい感じ?」 言っているうちに自分でも首をかしげている。一緒になって首をかしげる。 でもなんだか、分かる気がした。 議長なんて、私ができるわけがないっていうことだ。 そもそも素質的に問題ありなのだ。 「私、自分の声が嫌いだー」 「なんで?」 「だって、聞き取りづらいでしょ?いっつも何回も聞き返されるもん。みんなも私も疲れちゃうよー」 議長なんて引き受けるんじゃなかった、と今さら思った。 推薦されていい気になって、あんまり深く考えずに引き受けたこと、すごく後悔した。
「あのさ、使い分けの問題だと思うんだけど」 がーんとなって落ち込んでいるのが伝わったのか、どこか困っている声音で。 「小山内の声は、世界の果てまでは届かないけど、教室の果てぐらいなら届くし」 一生懸命選ばれた言葉。 励ましてくれてるんだ、と途中から気付いた。 「まして、目の前の人になら十分・・・じゃん?」 言いながら、また自分でも首をかしげている。 私。一緒になって、首をかしげる。 「だからあ、彼氏とかの耳元で囁くための声なんじゃん?」
真っ赤な顔して言われたもんだから、照れてしまった。 ふと気が付くと、放課ならではの騒がしさが教室から失せていたり。 ホームルームのときより静かだったり。 (あ) 声、張りがあって、よく響くから。
「……そうかな」 しん、と静まった教室の果てまでなら、私の声だって届く。 そこで、ちょっと意地悪したい気持ちになった。 今、目の前にいる人にだけ。 すっと耳元に口を近づけて、呟く。
(ありがと、ひっしー)
まるでリンゴみたいに真っ赤に染まった顔を見たら、バレバレかもしれなかった。
「……なぜにひっしー?」 ひっしーこと、中山久司くんの困惑した声だけが教室に響いた。
世界の果てまではさすがに厳しい。 でも、私のか細い声だって、ひっしーにならちゃんと届くのだ。 |