放課後

 今日は何だか疲れていた。
 担当教科の授業が5時間もあったし(ちなみに数学だ)、
 放課後の職員会議も長かったし、テストの採点もなかなか終わらないし。
 いい加減、我慢できなくなってしまった。
 そういうわけで、私は保健室のベッドで横になっている。
 私は子供の頃から、病院が好きだった。
 消毒薬の匂い、白いカーテン。
 清潔な診察室。
 ここは保健室だけれど、放課後の誰も居ない保健室はそこそこ病院に似ていた。  
 秋の日差しがほのかに温かく、遠くで人の声とか、競技スタート用のピストルの音が聞こえる。
 ふと、ドアの開く音が聞こえた。
 養護教諭の笹野先生だろうか。
 保健室閉めるよ、とか言われたらどうしよう。お願いもう少し寝かせて。ああ、後生ですから。
「なんだ、先生居ないのか」
 しかしそれは、笹野先生のかわいらしい声ではなかった。
 男の子の声だった。
 私は体を起こすのが億劫で、ベッドの上をずるずるとナメクジのように動いた。
 足元のカーテンまで手が届くくらい動くと、そのカーテンに手を伸ばしてちょっとめくった。
 白いラインが2本入った黒いハーフパンツ。バスケ部の男子生徒だ。
 もう少しめくった。
 白いティーシャツ。薬棚に手を伸ばしている。
 あ、自分で手当てをしようとしているのか。怪我、してるのかな。
 そう思ったとき、薬棚のガラス扉に自分が映っているのに気づいた。
 彼も、気づいたらしかった。
 ば、っと振り向く。運動部らしい、素晴らしい反射神経で。
「あ…小野先生」
 私は、慌ててカーテンから手を離した。
 しまった。うちのクラスの生徒じゃない。こんなところを見られるなんて。
(この場合、「うちのクラスの生徒」とかいう問題ではないのだが)
 こつこつと足音が近づいてくる。
 しゃー、とカーテンがめくられた。
 私は頭まで布団に包まって、じっとしていた。
「センセー、具合悪いの?」
 高城くんの声。だけどそれは、心配そうな声だった。
 私は罪悪感にさいなまれ、布団を少しめくって顔を覗かせた。
「あ、センセー、大丈夫?」
「ごご、ごめんなさい。大丈夫。…眠くて…眠ってただけなのよ」
 高城君は、なんだか間の抜けた顔をした。
 その後少し沈黙があって、高城君は、ぶ、と吹き出した。
「ははっ、何だよー。昼寝かよ」
 私は恥ずかしくて、もそもそと体を起こした。
 不覚だ。一応、若いけどぱりっとしたやり手っぽい女教師、で通っていたのに。
(そんなの自称に過ぎないけどね)
「高城君は、どうしたの。怪我したの?」
「ちょっと、肩ひねっちゃって」
 高城君は左手で右肩を押さえて、肩をすくめて見せた。
「今、笹野先生居ないのよ。もうすぐ保健室閉める時間だし、すぐ戻るかと思うんだけど」
「ヘーキだよ。湿布もらいたいだけだし」
 高城君はそう言って、再び薬棚に向かって歩いて行った。
 私はベッドから降りて、乱れたスーツの裾と髪の毛を手早く直した。
「センセー」
 高城君の呼ぶ声がする。
「なあに」
 カーテンを開けると、ゴミ箱の近くで湿布の袋を破っている。
「ここで寝てたこと内緒にしててあげるから、湿布貼ってくんない?」
 …脅迫かよ。別に知られてもまずいこととは思わなかったけど
 何だかその言い方が、かわいくて、私は
「しょうがないなあ」
 くすくす笑いながら言った。
 高城君は袋から取り出した湿布を机に置くと、自分は診察用の丸椅子に腰掛けた。
 こちらに背を向けて、ティーシャツを脱いだ。
 私はその後ろに立って、高城君を見下ろした。
 短いこげ茶色の髪。毛先がぴんぴん立っている。
 首筋、肩、腕、肩甲骨、背中。
 私はじ、っと眺めた。
 さすがバスケやってるだけあって、いい身体してる。
「どこが痛いの?」
「この辺」
 高城君は、私の手をつかんで、患部らしい辺りを触らせた。
 均等に筋肉のついた右肩。
「湿布、取って」
 私は左手で湿布を受けとって、それが既にフィルムをはがしているのだということを確認すると 
 右手をずらしながら、徐々に貼りつけていった。
「あー、効くなー」
「ふふっ、オヤジくさい」
 私は丁寧に、湿布を高城君の肩に押し付けた。
 ぎゅ、っと押すと、張りのある筋肉の感触が手のひらに伝わってくる。
 思ったより、今時の高校生ってたくましい身体をしている。
 それでも、やっぱり大人とは違うけど。
 私の彼氏とは、違うけれど。
「センセー」
 高城君が言った。
「あんま触んないで」
「あ、ごめんね」
 私は手を離した。
「興奮するから」
 高城君はそう言って降り向くと、いたずらっぽく笑って見せた。
「ばか」
 私は笑って言った。
 高城君は左手で湿布を確かめるようになでると、机の上に乗せていたティーシャツに手を伸ばして
かぶるようにして着た。
 ほのかに、人工的なレモンの匂い。

 なんか、懐かしいな。
 煙草じゃなくて、制汗剤の匂い。
 未発達な身体。頭の中はテストとか部活とか友達とか、夢とか。
 懐かしい。いつか、こんな若い男の子と付き合ってたな、私。
 もちろん、その頃は私も若かったけど。

「サンキュー。先生」
 高城君は椅子から立ち上がって、こちらを向いた。
「どういたしま…」
 ふと、あくびが出そうになって、私は口元を押さえた。
 目だけで高城君を見ると、に、っと微笑んでいる。
「センセー、若くないんだから、無理すんなよ」
 そう言って、ぽん、と肩を叩かれた。
 ドアから出て行こうとするその背中に、私は言った。
「あなたは若いんだから、無理しなさいよ」
 高城君は振り向いて、ちょっと眉を持ち上げて、
 それから明るく笑った。
「当然」
 手を上げて、保健室を出ていった。

 私はドアがきちんと閉まるまで待って、それから思いっきり伸びをした。

 

 

 


正月ちあきさんの[夕方待ち](現在は、[ゆるゆるじてき])で、444を踏んづけた際に、先生と生徒(女教師と男子生徒)少しドキドキ要素があると嬉しいなんてリクエストを押し付けたら、こんな素敵な作品をいただいてしまいました!

なんというか、作品の雰囲気を壊さない程度に、さらりとドキドキさせてくれるの、すごくおしゃれだと思うのですよ。真似できません。
いちおうウチにも先生と生徒ものがありまして(まだ番外編のみ)本編はこれの姉妹作になる予定なんですけど・・・が、がんばらねば。
ちあきさん、ありがとうございましたっ。

 ちあきさんの、素敵なサイトへどうぞー → [ゆるゆるじてき]

 

 

 

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