バスケットボールというものは本来、一チーム5人でプレイするもので、つまり相手チームを入れても、コートに入るのは10人までなのだけれど。
やりたいやつだけが参加する、というスタンスで、交代も自由に行われていた。
攻撃と守備も好きなタイミングで入れ代わり、ただシュートが決まれば盛り上がる。
大事なのはどれだけかっこよくゴールにボールを入れられるか、で。
「瀬名くんはやらないの?」
「ん、今ハンデ中。バスケ経験者対一般人の試合だから。現役組は、20点差開いたら交代できるんだけど」
そうなんだ、とコートに目が向く。
次の芸術選択授業の、教科書類が胸の前で抱えられていた。
リコーダーらしき細長いものがはみ出している。音楽選択なんだな、と思う。
美術を選択した過去の自分をちょっと恨めしく思う。
教室の中に女の子が一人いるといないの差は大きい。
ぐにゃりと曲がった背骨がしゃんと伸び切る感じ。
今だって、隣にいる存在を意識して、うずうずしてくる細胞が。
正直に未練たらたらで、少し笑える。
「いいところ見せたかったのに残念」
「……私も瀬名くんのかっこいいところ見れなくて、残念」
何気なく微笑み付きで。
当たり前にかわいい彼女に、こっそり感謝する。
過去の自分を褒めてやる。どうやら選択は間違っていないぞ、と。
ますますうずき始めた細胞をなだめるためにも、そろそろ登場機会がほしいところだった。
が、先ほどから若干一名、一般人の身分をわきまえない輩がいる。
元バスケ部の脇をドリブル一つで抜け、ミドルレンジからのシュートを決めた。
きゃー、という黄色い声の演出が入るのは仕様で。いつのまにか三年女子の先輩たちが二階のギャラリー席に。
もともと、遊びは遊びとして徹底的に楽しむやつだけれど、乱れた髪まで仕様なのか、様になっているのが気に入らない。
隣に立った彼女も、その文武両道な生徒会長に釘づけになっている。
ぎゅっと握りしめた手と、どこかキラキラとした目と。
どこか落胆しているのに気づいて、瀬名はぐしゃぐしゃと後ろ髪をかいた。
今も勝手に、彼女に特別を期待している自分がいた。
経験者チームのシュートが外れた。
いったい出番はいつになることやら。
瀬名が肩をすくめると、今の今までコートで活躍していたはずの会長が、なぜか目の前まで来ていた。
制服姿のくせして汗一つかいていないのもそういう仕様、なのだろうか。
会長は、立ち尽くしている瀬名に一笑みを送ってから、隣の細い腕をつかんだ。
「まざる?」
え、と瀬名は呟いた。
彼女は声も出せずにただ目を丸くする。
「え、いいの?」
え、と二度呟いた瀬名の声は届かず、代わりにリコーダーと教科書類が押し付けられた。
手を引かれて、エスコートされていく。ぎょっとする顔たちに見送られながら、コートの真ん中まで。
オレンジ色のボールと小さな身体が妙なバランスだった。
たん、たん、たん、――
ぎこちないドリブルに始まり、弱々しいパスが送られる。
受け取った会長は固まっている敵チームの横を抜け、ゴール下まで来たところで再びパスを送った。
フリースローラインのあたりで受け取ったそれが、山型に放り投げられる。
すっと、リングの中に吸い込まれていった。
いぇーい、と会長とハイタッチを交わした途端、とびきり仕様の笑顔が彼女を飾った。
きゅ、きゅ、と、床とシューズがこすり合う独特の音階。
聞き慣れたものに、靴下でコートを走り回る軽やかな足取りがまじる。
瀬名はふー、と深くため息をついて、体育館のすみに座り込んだ。
どうやら、今日は出番はなさそうだ。
つい、目が細く細くなってしまうのは、仕様だ。
同じように、壁ぎわでギャラリーと化していた複数形の座高が少しずつ低くなっているのも。仕様だ。
瀬名は咳払いして、自分自身を律した。
それでも彼女が動くたびに揺れる、ひらひらの魔力には抗いがたい。
「あれ?」
疑問符と一緒に、入り口に降り立った人影がいた。
瀬名は目が合って、仕方なくその元凶を指差してやった。
目がそれをたどり、コートの中の彼女へと行き着く。
瞬きを増やしてから、瀬名に困ったような苦笑いを一つ、落とした。
思わず頷きを返してしまう。
あれは早く回収したほうがいいぞ、という忠告を込めて。
灰谷は手にしていた袋から、ジャージのズボンを取り出した。
「柳原」
名前を呼ばれ、彼女が駆け寄ってくる。
肩で息をしていて、頬がうっすらと赤く染まっている。
交替する? と訴えた目線に、灰谷は首を振って、代わりに片膝をついた。
ジャージの端っこを持って広げて、差し出すようにして。
あれのようだった、まるで、西洋の騎士がするように。
「左足」
命令は短く。
彼女はびくりとして、左足を上げた。そこにジャージを滑り込ませて、反対の足も同じように。
ジャージを膝のあたりまで引き上げたところで、先は彼女が自分で上げた。
なんとも奇妙なハニワスタイルのできあがり。
余った、だらんと伸びた裾を灰谷の指が折り上げる。
「はい、これでよし」
「え、え?」
戸惑う肩をくるりと回して、灰谷が押し返した。もう一度コートへと。
ひらひらの魔力は、下に履いた青色のジャージによって封印された。
ひらひらは決して、みんなのものではないのだぞ、というしるし。
お見事。心の中で、瀬名は拍手を送った。
そして、手にしたままだった音楽用具セットをちょっと乱暴に、隣に押し付けてやる。
「あ、さんきゅう」
受け取った顔に、邪気はなく。何事もなかったように。
自分の分の音楽用具と重ねて、コートの戦況を見守っている。
選択は正しかったらしい。
ちっとも慰めにならない過去の自分の評価に瀬名は後ろ髪をかく。
さあて、出番はまだかな。
青いジャージの上でスカートがひらひらと揺れている。