+体温+

*読まれる前に。
 30万打人気投票の救済企画ラストです。
 ネタバレは特にありませんが、本編読了後に読まれるのをおすすめします。
 瀬名って誰? と思った方は、本編07話あたりをどうぞ。


  番外編 正しい選択  

 とりあえず、ここにいる誰よりも早く見つけてしまうのはやっぱり、それなりに特別で。
 認めます。
 周りにいるのは気のいいやつばかりだけれど、先を越されるぐらいなら多少の痛みには目をつぶることにする。
「柳原さーん」
 ひらひらと手を振ると、彼女はこちらに気がついて一通り視線をめぐらしてから微笑んだ。
 こういうところが好きだったなと思う。彼女からはゆったりとした風が吹く。
「今日はみんな何してるの」
「バスケ」
 と、きゅ、きゅ、とシューズが床をこする音と、重量感のあるボールが弾む音を示す。
 昼休み、クラスの男子で体育館のハーフコートを使って、試合をしていた。
 ほとんどが制服のまま参戦していたが、結構な量の汗をかくのでジャージ姿もちらほら。
 壁際に座った男子生徒が指折り、点を数える役だったが、指が足りなくなってからはどこまで正確な点数なのか不明だ。

 バスケットボールというものは本来、一チーム5人でプレイするもので、つまり相手チームを入れても、コートに入るのは10人までなのだけれど。
 やりたいやつだけが参加する、というスタンスで、交代も自由に行われていた。
 攻撃と守備も好きなタイミングで入れ代わり、ただシュートが決まれば盛り上がる。
 大事なのはどれだけかっこよくゴールにボールを入れられるか、で。
「瀬名くんはやらないの?」
「ん、今ハンデ中。バスケ経験者対一般人の試合だから。現役組は、20点差開いたら交代できるんだけど」
 そうなんだ、とコートに目が向く。
 次の芸術選択授業の、教科書類が胸の前で抱えられていた。
 リコーダーらしき細長いものがはみ出している。音楽選択なんだな、と思う。
 美術を選択した過去の自分をちょっと恨めしく思う。 

 教室の中に女の子が一人いるといないの差は大きい。
 ぐにゃりと曲がった背骨がしゃんと伸び切る感じ。
 今だって、隣にいる存在を意識して、うずうずしてくる細胞が。
 正直に未練たらたらで、少し笑える。

「いいところ見せたかったのに残念」
「……私も瀬名くんのかっこいいところ見れなくて、残念」
 何気なく微笑み付きで。
 当たり前にかわいい彼女に、こっそり感謝する。
 過去の自分を褒めてやる。どうやら選択は間違っていないぞ、と。
 ますますうずき始めた細胞をなだめるためにも、そろそろ登場機会がほしいところだった。
 が、先ほどから若干一名、一般人の身分をわきまえない輩がいる。
 元バスケ部の脇をドリブル一つで抜け、ミドルレンジからのシュートを決めた。
 きゃー、という黄色い声の演出が入るのは仕様で。いつのまにか三年女子の先輩たちが二階のギャラリー席に。
 もともと、遊びは遊びとして徹底的に楽しむやつだけれど、乱れた髪まで仕様なのか、様になっているのが気に入らない。
 隣に立った彼女も、その文武両道な生徒会長に釘づけになっている。
 ぎゅっと握りしめた手と、どこかキラキラとした目と。
 どこか落胆しているのに気づいて、瀬名はぐしゃぐしゃと後ろ髪をかいた。
 今も勝手に、彼女に特別を期待している自分がいた。

 経験者チームのシュートが外れた。
 いったい出番はいつになることやら。
 瀬名が肩をすくめると、今の今までコートで活躍していたはずの会長が、なぜか目の前まで来ていた。
 制服姿のくせして汗一つかいていないのもそういう仕様、なのだろうか。
 会長は、立ち尽くしている瀬名に一笑みを送ってから、隣の細い腕をつかんだ。
「まざる?」
 え、と瀬名は呟いた。
 彼女は声も出せずにただ目を丸くする。
「え、いいの?」
 え、と二度呟いた瀬名の声は届かず、代わりにリコーダーと教科書類が押し付けられた。
 手を引かれて、エスコートされていく。ぎょっとする顔たちに見送られながら、コートの真ん中まで。
 オレンジ色のボールと小さな身体が妙なバランスだった。

 たん、たん、たん、――
 ぎこちないドリブルに始まり、弱々しいパスが送られる。
 受け取った会長は固まっている敵チームの横を抜け、ゴール下まで来たところで再びパスを送った。
 フリースローラインのあたりで受け取ったそれが、山型に放り投げられる。
 すっと、リングの中に吸い込まれていった。
 いぇーい、と会長とハイタッチを交わした途端、とびきり仕様の笑顔が彼女を飾った。

 きゅ、きゅ、と、床とシューズがこすり合う独特の音階。
 聞き慣れたものに、靴下でコートを走り回る軽やかな足取りがまじる。
 瀬名はふー、と深くため息をついて、体育館のすみに座り込んだ。
 どうやら、今日は出番はなさそうだ。



 ひらひらと。
 きゅ、きゅ、とシューズが床をこする音と、重量感のあるボールが弾む音の狭間で揺らめく。

 つい、目が細く細くなってしまうのは、仕様だ。
 同じように、壁ぎわでギャラリーと化していた複数形の座高が少しずつ低くなっているのも。仕様だ。
 瀬名は咳払いして、自分自身を律した。
 それでも彼女が動くたびに揺れる、ひらひらの魔力には抗いがたい。

「あれ?」
 疑問符と一緒に、入り口に降り立った人影がいた。
 瀬名は目が合って、仕方なくその元凶を指差してやった。
 目がそれをたどり、コートの中の彼女へと行き着く。
 瞬きを増やしてから、瀬名に困ったような苦笑いを一つ、落とした。
 思わず頷きを返してしまう。
 あれは早く回収したほうがいいぞ、という忠告を込めて。
 灰谷は手にしていた袋から、ジャージのズボンを取り出した。
「柳原」
 名前を呼ばれ、彼女が駆け寄ってくる。
 肩で息をしていて、頬がうっすらと赤く染まっている。
 交替する? と訴えた目線に、灰谷は首を振って、代わりに片膝をついた。
 ジャージの端っこを持って広げて、差し出すようにして。
 あれのようだった、まるで、西洋の騎士がするように。
「左足」
 命令は短く。
 彼女はびくりとして、左足を上げた。そこにジャージを滑り込ませて、反対の足も同じように。
 ジャージを膝のあたりまで引き上げたところで、先は彼女が自分で上げた。
 なんとも奇妙なハニワスタイルのできあがり。
 余った、だらんと伸びた裾を灰谷の指が折り上げる。
「はい、これでよし」
「え、え?」
 戸惑う肩をくるりと回して、灰谷が押し返した。もう一度コートへと。


 ひらひらの魔力は、下に履いた青色のジャージによって封印された。
 ひらひらは決して、みんなのものではないのだぞ、というしるし。
 お見事。心の中で、瀬名は拍手を送った。
 そして、手にしたままだった音楽用具セットをちょっと乱暴に、隣に押し付けてやる。
「あ、さんきゅう」
 受け取った顔に、邪気はなく。何事もなかったように。
 自分の分の音楽用具と重ねて、コートの戦況を見守っている。

 選択は正しかったらしい。
 ちっとも慰めにならない過去の自分の評価に瀬名は後ろ髪をかく。
 さあて、出番はまだかな。
 青いジャージの上でスカートがひらひらと揺れている。

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