7月7日。
七夕。
その日は、崑崙町の蓬莱稲荷神社で七夕祭が行われ、神社の参道に夜店が建ち並び、多くの人で賑わう。
「…もう、そんな時期なんだね。」
商店街の七夕飾りを見上げて、普賢が呟いた。
「そうだのう。」
片手に持ったアイスキャンデーをかじりながら、太公望も同じように飾りを見上げる。
大きな笹に色とりどりの短冊が揺れる。
二人、夕食の買い物に出かけて初めて気付いた。昨日までは何の飾りもされていなかったアーケード街が、急に賑やかになっている。
「今年は、金曜と土曜にお祭りするんだよね。」
「週末だから、すごい人出だろうのう。」
てくてくと歩きながら、自然に祭りの話題になった。
「人ごみは好きじゃないけど、お祭りって何だかワクワクするよね。」
「そうだのう〜。綿菓子、りんごあめ、トウモロコシにたこ焼き、焼きそば…。」
「…望ちゃん…食べることばっかり…。」
食べ物の名前ばかり挙げつらねる太公望に、普賢が少し呆れた顔をする。
「よいではないか!今年もジジイから小遣いをせしめて、食べ歩きするぞ!」
「…お天気だと良いね。」
カカカと笑う従兄弟の姿に、更に苦笑しながら空を見上げる。
吹く風は、少し夏の匂いがした。
「フゲンーー!!行くぞーー!」
玄関先で、太公望が大声を出す。
「そんなに大きな声出さなくても、聞こえてるよ。」
夕食の後片付けを終えた普賢が、奥からゆっくりと姿を現した。
金曜日。祭りの1日目。
早めに夕食を済ませ、二人で出かけるのは毎年の恒例である。
両親が健在だった頃は、二家族一緒に出かけて賑やかだったけれど。
すでに7時を回っていたけれど、7月ともなればまだ外は明るかった。
二人並んで、神社に向かってゆっくりと歩き出す。
空はすっきりと晴れ渡り、夕暮れ時の風が心地よかった。
道筋にある商店街に差し掛かると、辺りの人の数もだんだんと増えてきた。
中には浴衣姿もちらほら見える。
「やはり、人出は多そうだのう。」
「お祭りだしね。」
商店街を抜け更に10分ほど歩くと見えてくる神社の長い参道には、夜店が建ち並び、すでに多くの人で溢れかえっていた。
「おおっ!みたらしだんご発見!!」
人ごみの中、走り出そうとする太公望のTシャツの裾を普賢がつかまえる。
「待って、望ちゃん。お参りが先だよ。」
「…むう。」
太公望は少し不服そうな顔で振り向いたが、にっこり笑って返す普賢に何も言えず、渋々とりあえず大きな笹が飾られている本殿の方へと足を向けた。
人を掻き分け、賽銭箱の前にようやくたどり着くと、100円玉を放り込み拍手を打つ。
「これでよかろう?さあっ!夜店探訪じゃーーっ!」
「…やれやれ。」
お参りもそこそこに、やる気満々の太公望。普賢は少し呆れた顔をしながらも、食い意地の張った従兄弟の後に従った。
「むう〜っ!このベビーカステラは絶品だのう!」
「…夕御飯食べたとこなのに、よく入るね。」
袋から、カステラを2〜3個ずつ取り出しては口に頬張る姿を、呆れと感嘆の入り混じった表情で見つめる。ベビーカステラだけではない。それまでにすでにみたらしだんごにりんごあめ、チョコバナナにかき氷が太公望の胃に収まっていた。
「お腹壊しても知らないよ?」
「しょーもないことを言わずに、ほれ、おぬしも食え!」
普賢の前に、特大のベビーカステラの袋が差し出される。中から一つ摘み上げると、口に頬張った。
「しかし、おぬしはホントに無駄遣いせぬのう〜。」
太公望が色々買い食いしてる間に普賢はチョコバナナを1本買っただけだった。
「望ちゃんがしすぎだよ。」
「むう〜。」
突っ込まれて、太公望は少しふてくされた顔をする。そんな子供っぽい表情に普賢がぷっと吹き出す。
「しかしせっかく夜店が出ておるのに、何にもせぬのでは面白くなかろう…。」
そう言って辺りをキョロキョロ見回す太公望の目線が、ある一点で止まった。
「普賢!あれやろう!」
指差す先にあるのは、ヨーヨー釣り。有無を言わさず普賢を引っ張りこむ。しょうがないね、というような顔をしながらも、普賢は太公望に付き合うことになった。
「かーっかっかっか!おぬし、ホントにこーゆーモノは不器用だのうっ!」
勝ち誇ったように太公望が高笑いする。ヨーヨー釣りの結果、太公望が3つ釣り上げたのに対し、普賢は一つも釣り上げることなく失敗していた。
「別に不器用でも困らないけど。」
そういう普賢の目の前に、赤いヨーヨーが差し出される。
「ホレ、一つ分けてやる。」
「…ありがとう。」
ヨーヨーを受け取ると、ゴムを指にかけ、数回ついてみた。
「では、次行くぞ!」
そういうと、太公望はまた人ごみを掻き分け歩き始める。普賢が、その後に続こうとした時――。
どんっ!
前から勢いよく飛び出してきたカップルに突き飛ばされた。
「あ…。」
弾みでヨーヨーが指からはずれ、石畳の上に落ちて、弾けた。
ぱしゃん…。
わずかな音と共に、飛沫が普賢の足元を濡らす。
少し離れた所で、浴衣姿の女性がすいませんと頭を下げるのが見えた。答えるように、普賢も少し頭を下げる。それから、割れてしまったヨーヨーの残骸を拾い上げた。
「…望ちゃん?」
目線を上げて、辺りを見回す。が、太公望の姿が見えない。
この人ごみである。人とぶつかった一瞬の間に、はぐれてしまったらしい。
「望ちゃん、意外と足が速いから…。」
そんなことを思いながら、人ごみの中、太公望の姿を探す。
行きそうな店先を覗きながら、人波にもまれ、注意深く探し歩く。
どれくらい探したろうか…。
もう、ずいぶん時間がたった気がするけれど、その姿は一向に見つからない。
「どうしようか…。」
出掛けには明るかった空はもうすっかり真っ暗になり、参道に並ぶ夜店の電球がぼんやりと浮かび上がって、楽しげに道を行く人々を照らしていた。
人ごみから少し離れて立ち止まり、その光景を眺めていると、急にふと淋しいような不安な気持ちになる。
――雑踏の中、一人ぼっち…。
迷子の、小さな子供ではない。
帰り道だって、ちゃんとわかっている。
家には祖父がいるし、門前でまちぼうけをくらうことだってない。
先に帰って待っていればいい。
もしかしたら、望ちゃんの方が先に帰ってるかもしれない。
頭の中ではわかっているのに、どことなく心細いような気持ちは拭えなかった。
いつも一緒にいるからかな。
そんなことを思いながら、再び歩き始めようとしたそのとき。
「普賢!」
急に手首を掴まれた。
※ ※ ※
「普賢、仕上げに綿菓子はどうだ?」
振り向いた先に、その姿はなかった。
「普賢?」
辺りをキョロキョロ見回すが、普賢の影も形もない。
てっきり後からついてきているものと思っていたのに…。
どうやら、はぐれてしまったらしい。
困ったのう、と頭を掻きながら、太公望はもと来た道を引き返し始めた。
どちらかというと、人ごみは苦手な普賢のことだ。雑踏から少しはずれたところに注意を向けながら、その姿を探す。
――どれくらい探し歩いただろうか。
一向に普賢を見つけることが出来ない。
辺りはもうすっかり暗くなってしまっている。
ふと、急に不安な気持ちに襲われる。
もちろん普賢は小さな子供ではない。はぐれても、一人で家に帰れる。
それなのに、この気持ちは何なのだろう。
はぐれたことに気付かなかった自分が、何だか腹立たしかった。
いつも一緒にいるからかのう…。
そんなことを思いながら、ふと視線を移した参道の木の陰に、その姿を見つけた。
「普賢!」
駆け寄って、その手首を掴んだ。
※ ※ ※
「望ちゃん!」
急に手首を掴まれ、ビックリしたように普賢が顔を上げた。
「探したぞ!」
「僕も。」
相手の姿を見つけ、お互いにホッとした表情になる。
「…そろそろ帰るか。」
「うん…。」
手首を掴んだまま、半分普賢を引っ張るような格好で太公望は再び雑踏の中を歩き出す。
「もう、はぐれたりせぬから。」
帰り道、混雑を避け、回り道した。参道をはずれ、土手へ降りて川沿いを歩く。
いつのまにか、手首を掴んでいた太公望の手が滑り落ち、気付くと二人、手をつないで歩いていた。
「…望ちゃん。もう、人ごみすいたよ…。」
「うむ…。」
もう辺りに人はまばらで、はぐれたりすることはない。
それでも、つないだ手を離さずにいた。
お互いに、中学生にもなってむさくるしいかなと思いながらも、伝わる温もりが何だか心地よくて、ずっと手をつないだまま歩いていた。
そういえば、小さい頃、悲しいことや辛いことがあったら、手をつないで眠っていたことを思い出す。
お互いの温もりを感じると、なぜか安心する。
何故かはわからないけれど、ずっと、ずっと、昔からーー。
「あ…。」
普賢が急に立ち止まる。
「どうしたのだ?」
太公望は、自分より少し遅れて歩く普賢を振り返った。
「いや、今日は星がよく見えるな、って…。」
空を見上げる普賢に習って、自分も上を向く。
街灯の少ない川の土手ということもあってか、街中にしては珍しく澄んだ星空が広がっていた。
「…ホントだのう。」
しばらく立ち止まって、頭上の天幕に散りばめられた光を眺める。
――どれくらいそうしていたろうか。
ふいに、つないだ手にギュッと力が込められる。
「望ちゃん?」
普賢の視線が、隣に佇む太公望へと移された。
「普賢…。」
きゅ〜。ゴロゴロ。
何やら、怪しげな音がした。
「うっぎゃあああっ!!もう限界じゃああッ!腹が…っ、腹がああッ!」
「エエッ?!」
右手で腹を抑え、太公望が前屈みになる。つないだ左手には、ジットリと油汗。
「何でもっと早く言わないのさ!」
「何でって、おぬしがまったり星なんぞ眺めておるからーーッ!」
大声で叫んでから、はうっ、と顔を引き攣らせる。
「ダッ…ダメだよ、望ちゃん!ここじゃ!家までガマンしてッ!」
「わっ…わーっとるわいっ!」
大慌てで、二人走り出す。
「大体、買い食いしすぎだよ、望ちゃんは!」
「ダァホ!!腹下しが怖くて、買い食いができるかいっ!」
呆れてこぼす普賢に、蒼白な顔をしながらも屁理屈をこねる太公望。
まだ遠い家への道を、大急ぎで走りつづける。
それでも。
言い合いをしながらも、ずっと、つないだ手はそのままで…。
時野みのる