my curry powder's shop

”カシーロ”

インド風土記

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料 理
 基本的には小麦圏と米圏に分かれる。それとべジタリアンとノンベジタリアンとに分かれる。
地域的に言うと、小麦は北インドで、米は南インド。ベジタリアンとノンべジョタリアンは地理的、地域的云々では無く宗教的色彩が濃い。
 北インドでは主に大きな葉の形をしたナン(小麦粉でもって、北インド特有の円筒形のカマド・・・タンドールで焼いた薄焼きパン)が多く、それと同じ生地にふすまを入れて鉄板で焼いたパン、チャパティも多い。  南インドでは田んぼが多いため主食は細長いインディカ米である。他にパロッタやドウサ類も食べられている。 具は北は肉系、南はシーフード。 >辛さ及びスパイスの配合はそれぞれの地域や家によります。
 北インドでは定食はターリと言い、ターリはお盆を意味し、お盆の上には金属製のボールが何個か乗っており、そこにサブジとカレーが入っている。そして真中には概ねナンかチャパティがのっている。 南インドではミールと言い、お盆の変わりにバナナの葉が使われている。ナンとチャパティの代わりにご飯である。
 それに忘れてならないのはチャイ。チャイ・・ミルクと砂糖がたっぷり入った甘くて大地の温もりのある紅茶。そんなチャイを朝目覚めた時、昼休み、午睡の後、日暮れに、遅い夜食の後、日に何度かチャイを飲む。チャイを飲むことはインドにおいては大切な時間なのです。チャイを飲むこと自体がその日一日といっても過言ではないのです。そう、一杯のチャイ、それは栄養源であり、憩いのときであり、ささやかな贅沢でもあるわけなのです。
だから、みんな一飲み、一飲みゆっくりとしたリズムでもってチャイを楽しんでいるのです。そこに幸せがあるように。

装 い
 インドの服は基本的には一枚の布を巻き衣として纏います。サリーやド―ティ(一枚布を腰巻のように下半身に巻きつけて着用)がそれにあたります。今日大都市部において洋装化の波に押され、特に男性は様変わりしています。女性や農村部や地方都市においてまだ一枚布を日常生活の中で装いとして纏っています。
 サリ―は気候、環境、習慣と深く係わり合い、身分、地方別などの象徴となります。また生地と着方によってオシャレから普段着(労働着)へと変化します。ただ、サリー自体は紀元前からの歴史の流れの中に在り続けたのではありません。サリーの原形はパリダナ―つまり男のド―ティと同じような着こなしであったが、イスラム進入後、ムガール時代に上半身にかけまわすようになりました。さらに歴史は遡って近代のイギリス統治時代に入ると下半身にペチコート、上半身にチョ―リ(ブラウス)を身に着けるようになり今日に至っています。だからサリ―が定着したのは200〜300年程なのです。もともと古代・中世において、ヒンドゥーの女性は上半身は露にしていました。それがたとえ王女・女王であっても。胸を露にする事は豊穣の印・・・地母神の象徴として彼女らは受けとめていました。そして高貴な女性のたしなみであると考えていました。歴史は浅いといえどもサリーもまた一枚布、巻き衣・・・一か所も裁断も裁縫もされずに紀元前から現代に入たるまでその生命を失うことなく生き抜いてきた輝かしい衣装と言えるでしょう。
 男性の場合もやはり、紀元前から現代に至るまでド―ティという一枚布の巻き衣を身に着けてきています。これもまた気候、環境、習慣、地域差などのよって形が異なってきます。それと似たようなもので形の違うルンギニ。ズボン風のピジャマ。上半身はクルタ(インドの代表的上着)。

宗 教
 インドにはヒンドゥー教・イスラム教・キリスト教・シク教・仏教・ジャイナ教・その他(拝火教・ユダヤ教など)があります。
ヒンドゥー教・・・・82.72%(4億5329万2086人)
イスラム教・・・・・11.21%(6141万7934人)
シク教・・・・・・・1.89%(1037万8797人)
仏教・・・・・・・・0.70%(381万2325人)
ジャイナ教・・・・・0.47%(260万4646人)
その他(拝火教・ユダヤ教)・・・・0.41%(222万639人)
 この統計は1971年のものであるから%と人口は変わっています。ただ勢力図は大体この通りだと思います。
 宗教は救いですが、真理ではありません。且つ又争いの種です。インド映画”ボンベイ”の中で名も無い市井の老女がいっています。”みんな同じ所に行くのに何故争うのか?”この言葉はいかなる高尚な書物よりも勝っています。 ・・・救いは真理を凌駕するのでしょうか?


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