ホーム 団地点描 室内メンテ 地域探訪 防 犯
ニュース
パソボラ
活 動
リンク

このページは印西市高花4丁目(高花第二団地)周辺の散策地を紹介しています

千葉ニュータウン(印西市)
高花第二団地 周辺地域散策
トップへ戻る


 ★ 近くにある「県立北総花の丘公園」はこちらから



結縁寺と
銅造不動明王立像

 高花第二団地の南西700mの所にある結縁寺は, (けちえんじと読む)奈良時代の初期、行基によって
創建されたといわれ、
寺名は平安時代の天慶年間(938〜946)に寺に入った真言宗の僧が春秋の二度
の「結縁灌頂」という仏縁を結ばせる儀式を行ったことに由来するといわれ、現在も地名となっています。

 結縁寺本堂に安置されているのが国の重要文化財に指定されている銅造不動明王立像で、国指定の
文化財の中で、銅造はこの像を含めて3像しかなく貴重なものです。                    
 土地の人からは、お不動様と呼ばれ,毎年9月28に開帳されます。                      

平成16年9月 近影
 




松崎T遺跡
縄文時代早期(7000年前頃)の炉穴や
古墳時代前期(1700年前頃)の竪穴住居
跡・方形周溝墓などが見つかっています。
松崎工業団地用地として稼働中

草深の森
H11,3,31 県民植樹運動推進事業として
印西市が緑の募金により整備し、気軽に森
の中の散歩が楽しめます。             

船尾(油免遺跡・第2地点)遺跡発掘現場

遺跡からは、縄文時代中期の土抗や、古墳時代から奈良・平安時代の竪穴住居・
堀立柱建物跡などが分布 していることが確認されています。
現在、この跡地は整地され船穂コミュニティーセンターとして生まれ変わっています。
船穂コミュニティセンター
写真は、船穂コミュニティセンターHP(http://www.funahokomisen.sakura.ne.jp/)より引用

 


源 頼政 伝承

結縁寺の東南300mの山林には、宇治平等院の境内で自害したといわれている
源頼政の首を埋めた場所として伝えられている
頼政塚があります。              

頼政は、死に際して家臣に「吾が首を持ち東国へ向かって行け。       
吾が止まらんと欲する処に行かば首が重くなって動かなくなるであろう。
 そこに塚を築いて首を葬れ」と遺言したとされており、家臣達は東国へ向かい、
急に首が重くなり動けなくなった所がこの辺りだったと伝えられています。
   
    
結縁寺の鎮守である熊野神社石段の手前には、頼政の遺徳を慕って伊勢の国
から訪れた女性が入定したと伝えられている
入定塚があります。        
 また、
結縁寺の西南にあるのが、頼政の首を運んできた馬を葬ったといわれて
いる
名馬塚で、時折馬の好物である人参が供えられているそうです。     


頼政塚