【連作短編小説・雨上りの街 第10話】


墓前の詫び言




 急に墓参りがしたくなった。どうしてもしなければならない気持になった。それで一人で、しばらく足が遠のいていた実家の墓にやってきた。

「どうしたの、急にお墓参りだなんて」

 親父の墓参りに行くと雅人が言い出すと、妻の千鶴は不思議そうな顔をした。

「いや、どうもしない」

「でも、お墓参りなんてもうずいぶんしていないでしょ」

「うん、このまえ行ったのはいつだったろう」

 法事のときには兄弟3人、うち揃って墓参をする。実家で暮らしている姉の玲子が日にちを決め、計画を立ててくれるので、雅人は黙ってそれにしたがって参加する。しかし法事以外に、雅人が最後に墓参りをしたのはいつだったろう。まったく思い出せない。

「なにか心境の変化でもあったの?」

「それほど大袈裟なものじゃないけど、まあ、たまには墓参りぐらいしてもいいかなと……」

「そうよ。私もとても気になっていた。うちの方のお墓参りは私と一緒に行ってくれるのに、自分の家のお墓参りはまったくしないんだもの」

「親父が死んで25年以上経つんだぜ。だんだん墓から足も遠のく。それに、俺は親父があまり好きじゃなかった」

「それがどうして急にお墓参りをする気になったの」

「まあ、ちょっと感ずるものがあってね」

「それじゃ私も一緒に行くわよ」

 妻はそう言ってくれたが、今日は親父の命日でもないし、気まぐれに墓参りをするだけだからと、雅人は一人で出掛けてきた。

 正月の松飾りがとれたばかりとあって、公園墓地は閑散としていた。マイクロバスでやってきた法事らしい黒づくめの一団が、管理棟の前にいるだけである。

 雅人は入口の脇に車を停め、売店で花と線香を買うと、空の手桶を提げて墓地の中の道をぶらぶらと歩き出した。歩きながら、ここに墓地を買ったときのことを思い出していた。

「お父さんがお墓を買うって言い出したのよ」

 玲子が電話でそう言ってきた。母も賛成しているという。

「へえ、まだそんな歳でもないのにね。どうしたんだろう」

 父はまだ57歳である。

「新聞に折り込み広告が入ったのよ、新しい公園墓地の。それを見て、墓地を買うって言い出したのよ」と姉は言う。

 交際の途絶えた故郷の墓に入るわけにはいかないから、父がいざというときに備えて墓を手に入れるというのは悪いことではなかった。

「でも、墓を買うとなると半端な金じゃないだろう」

「私もそれを心配したんだけど、お母さんは自分たちのお金でなんとかなるっていうの」

 そうはいっても、父はまるっきり甲斐性のない人で、母にそう蓄えがあるはずはなかった。

 おまけに父は半分失業状態だった。腕のいい溶接工だったが、職人気質がわざわいして、あちこちの町工場を渡り歩くような人生を送ってきた。景気がいいときには町工場の社長が三顧の礼で自宅に迎えにくるが、景気が悪くなると態よく使い捨てられた。腕一本で渡世が送れるうちはよかったが、造船の世界もだんだん機械化が進んで、溶接ロボットの出現で腕のいい職人も不要になってきた。頼みの腕も五十半ばになるとすっかり衰えて、溶接の世界から足を洗うほかはなくなった父は、しばらく看板屋のアルバイトみたいなことをやっていたが、それも長続きせず、いまは自宅で近所の子供たちに習字を教えている。勉強家で器用だが、金にはまったく縁がない人だった。

「それでどんな墓を買うの?」

「なんて言ったらいいのかしら」と姉はちょっと言葉を切ってから、「特売品なのよ」

「特売品?」

「うん、折り込みのチラシを見ると、たしかに安いの。それでお父さんたちも、このくらいなら自分たちにも手が出ると考えたらしいんだけど、ちょっとみすぼらしいの」

 父と母が折り込みチラシに載っている墓を見に行くというので、玲子も一緒についていった。その墓は、広大な公園墓地のいちばん奥の、日当りの悪い崖の下にあった。おまけに大谷石の縁石が隣と共有の団地方式の墓だという。

「団地っていうけど、普通の墓地はどこでもみんな団地みたいなもんじゃない」

「そうだけど、お墓って縁石で囲まれて、ここまでがうちのお墓、向こうは隣のお墓って境界線がわかるもんでしょ。それが、縁石が隣と共有だから、どこまでがうちでどこまでが隣かわからないみたいで、とにかく落ち着かないし、狭くてみすぼらしいのよ」

「でも、そんなに分不相応な墓はいらないんじゃないかな」

「それはそうだけど、お墓って一生ものでしょ」

「一生ものというか、死んでも使うものだ」

「でしょ。それに、宮沢家の墓があんな文化住宅みたいにみすぼらしいものじゃ、いくらなんでも悲しいわ」

 あのみすばらしい墓に父や母が入り、自分たちが墓参りに行くようになったら、そのたびに惨めな思いをしなければならない。なんでもうすこしまともなお墓を買ってやらなかったんだろうときっと後悔する、と玲子はいう。だからもうすこし広い、一戸建方式のお墓を買ってやりたいという。

「私たちがお金を足して、せめて1坪の普通のお墓を買ってやりたいんだけど」

「いいんじゃないの。姉貴にまかせるよ」

 それで、折り込み広告に載っていた団地方式の墓地からすこし離れた、普通の墓地を買った。墓地の1坪は普通の土地の1坪よりもかなり狭かった。まだ父も母も若いので、とりあえず墓地だけ手配して、墓石はまた時期をみて建てることにした。

「これでとにかく安泰だな。生きているうちに墓を建てると長生きするっていうから、そのうち折をみて墓石を買えば、うちの両親も何も心配なくいつまででも生きられるんじゃないかな」

 子供たちはそんなことを言い合っていたが、金だけでなく、人生すべてに恵まれなかった父は、あろうことかその半年後に肺癌で入院してしまった。手術もできない手遅れの状態と聞いて、子供たちはまた金を出し合い、買って間もない墓地にあわてて黒御影の墓石を建てた。数ヶ月後に、父は真新しい墓地の住人になった。

 父を埋葬した頃は、管理棟の脇には広い芝生の広場がひろがっており、その裏には池を配した築山もあった。公園墓地の名にふさわしく、墓参りに来た家族連れが広場や築山で子供を遊ばせていた。だが久しぶりに来てみると、広場も築山も消えて、みんな墓になってしまっていた。急斜面の崖まで削り取って、階段状の墓地になってしまっている。墓地を売り出した不動産会社は、どうやら金に替えられる土地はみんな墓地にして売ってしまう方針に切り替えたようで、いまではぐるりと崖際に階段状に墓地が並んだ風景は、なにひとつ潤いのない、荒涼としたものに変わってしまっていた。ものすごい数の鴉が、わがもの顔に墓地を歩きまわっている。

 ずいぶん足が遠のいていたので、自分の家の墓がどの区画にあるのかわからなくなっていた。いいかげんに見当をつけて、入口の水道で手桶に水を入れ、角の磨り減った大谷石の階段を登っていった。同じような墓石が林立する細い道を、あちこちに頼りなげな目線を配りながら歩いて行くと、やはり一本入口を間違えたようで、見覚えのある黒御影の洋風の墓石ははるか左手にあった。

 ようやくたどりついた宮沢家の墓は、しばらく誰も来ていないとみえ、枯れきった花が花立てに突っ込んだままになっていた。墓石も埃をかぶっている。

〈ずいぶんご無沙汰しちゃって悪かったな、親父〉

 雅人は弱々しい冬の日を浴びている黒い墓石に向かって胸の中で呟いた。エンジニアの雅人は、死後の霊魂の存在を信じてはいず、墓は遺骨を納めてある場所としか考えていない。しかし今日は自然にそんな言葉が胸の底から涌きあがってきた。

 枯れた花を取り除き、入口の売店で買ってきた花を花立てに刺す。

〈俺はすっかりご無沙汰してたけど、でも、足が遠のいているのは俺だけじゃないようだね。この花はたぶん、去年のお彼岸に姉貴が来て手向けたものだろう。みんなそれぞれ暮らしが忙しくて、なかなか墓参りまで手がまわらない。それに、時間が経てば親父の面影もだんだん薄れてくる。仕方がないことなんだよ、親父。なにしろ親父が死んでからもう25年以上が経つんだもの〉

 雑巾を持ってくるべきだったと気がついた。墓石の汚れが目につく。水をかけてごしごしこすってやればきれいになるだろう。車の中には掃除用のウエスが入っているが、取りに戻るのは面倒だ。

〈親父がここへ入った当初は、それこそ毎日のようにおふくろが墓参りに来ては、墓石を磨いていたものな。まさかおふくろがあんなに激しく親父を想い、親父の死を悲しむとは思っていなかったよ〉

 火葬場で最後の焼香をして、父の柩が釜に送り込まれる瞬間、あの気丈な母が柩に取りすがって狂ったように号泣した。雅人たちは慌てて母を支え、柩から引き離した。誰にも予想外のことだった。母があんなに激しく泣いたのを見たのは初めてだった。このまま母は気が狂ってしまうのではないかと心配になるほどの泣き方だった。

〈おふくろは、子供たちもみな巣立ち、これから親父と二人、安楽な老後を過ごそうと思っていた矢先に、親父にあっけなく先立たれて、それが口惜しくて、親父がかわいそうでならなかったんだろうな。これから自分一人、どうやって生きていったらいいのか、足許に深い穴が空いたような心許なさもあったのかもしれない〉

 火葬場の号泣と、埋葬が済むと毎朝日課に墓参りを欠かさなかった母の姿を見て、まだ若かった雅人も夫婦の不思議さを垣間見たような気持になったものだった。

〈今は人情紙風船。離婚なんて当たり前の世の中になってしまったけど、そういう意味では親父たちは、縁の深い夫婦だったのかもしれないな。ようやく暮らしがいくらか楽になって、これから夫婦二人でささやかに人生を楽しめるってときに癌にやられちゃったけど、おふくろのあの悲しみかたを見たら、親父の人生はけっして不幸せじゃなかったのかもしれないと俺は思ったよ〉

 手桶の水を花にかけ、埃を払うように墓石の上にも勢いよくかける。

〈でも、若い頃は俺たち子供の前で始終夫婦喧嘩をしていた。そんな姿、二人とも子供たちには見せたくなかったんだろうけど、なにしろ三部屋の狭い家だ。いやでも見えてしまう。親父もおふくろも、やりたくて喧嘩を始めるんじゃないだろうけど、子供たちにとってはあれはいやなものだった〉

 喧嘩の原因は、いつも金だった。給料日の夜、父が帰ってきてしばらくするとかならずといっていいほど夫婦喧嘩が始まる。

 給料が日給月給だった父は、仕事に追われれば深夜残業や徹夜を幾日でもやり、仕事が切れれば家でぶらぶらしたりほかの会社に日銭稼ぎに出掛けたりしていて、毎月の手取りが一定していなかった。育ち盛りの3人の子供を抱えてやりくり算段している母は、だから毎日カレンダーに父の仕事ぶりをメモしていて、給料日が近づくと、今月は徹夜を幾日したから給料はどのくらいと、父が持ち帰る給料の額を頭の中で計算していた。ところが父が持ち帰ってくる給料は、いつも母が計算していた金額に足りない。それで夫婦喧嘩が始まる。

「今月は徹夜を8日やっているし、残業も35時間やっているはずよ。それなのになぜ徹夜が7日で残業が25時間しかついてないの」

 朝から深夜まで、家事をしていないときはほとんど手内職に精を出して家計不足を補っている母には、黙っていられることではない。

「そんなはずはないだろう」

 父は飯を掻き込みながらぼそぼそ言う。

「そんなはずはないって、私は毎日こうしてカレンダーにつけているんだから間違いないわよ」

「それはおまえのつけ間違いだ。会社が間違えるはずはない」

「私はつけ間違いなんかしていない。私も会社も間違えてないなら、誰が間違えてるのよ」

「だからおまえの勘違いだ」

「勘違いなんかしていない。給料が少ないのよ。この明細書のとおりなら会社が間違えているんだから、ちゃんと差額をもらってきてよ」

「そんなこと言えるか」

「なぜ言えないの。あんたが給料ごまかしているからでしょ」

「そんなことしているか」

 子供の耳を気にして初めはこそこそやりあっていても、埒があかない問答にだんだん母の声が大きくなる。そしてしまいには、あのときもあのときもあのときもあんたはこうやって私を騙して給料をごまかしたじゃない、と母の声はヒステリックになっていく。

 簡単に墓を清めると、雅人はライターで線香に火をつけ、線香置きに横たえる。風のない暖かい日で、頼りない冬の光の中を線香の煙がまっすぐに立ち昇っていく。今日は線香が燃え尽きるまで墓にいるつもりだ。

〈夫婦喧嘩が始まると、俺たちは隣の部屋で勉強したり本を読んだりしながら、息を詰めていたけど、みんなおふくろの味方で、親父に腹を立てていた。おとうちゃんは自分勝手だ。おかあちゃんが坐りダコができるほどに根を詰めて内職をしているというのに、また給料をごまかして好き勝手に使っている。みんな冷やかな気持で親父の言いぬけを聞いていた〉

 父のごまかしの手口は単純で、会社の事務員に頼み込んで偽の明細書を作ってもらい、それを給料袋に入れ、差額を着服する。母もその手口はとうに見破っていたのに、喧嘩になってもそこまで突っ込まなかったのは、心のどこかでごまかしを仕方がないものと諦めていたのかもしれないが、やはり悔しくて思わず愚痴や非難が口をついて止まらなくなってしまったのだろう。そう気がついたのは、雅人が子の親になり、思慮分別がいくらか身についた中年になってからだった。

 雅人は近所の和菓子屋で買ってきた餅菓子を紙袋から取り出し、包み紙を開いて墓石の前に並べる。和菓子屋の外の自動販売機で買ってきたお茶の缶を開け、茶呑に注いでそれも供える。父は下戸で、甘い物が好きだった。キンツバに鹿の子にドラヤキが二つずつ。みんな父の好物だった。こんなに買ってこなくてもよかったのだが、二つや三つ買うことができなくて、これだけ包んでもらってしまった。千鶴が聞いたら、男の買物ね、と嗤うだろう。

 雅人は縁石の端に腰をおろし、キンツバをひとつつまんで立ち昇る線香の煙に目をやりながら口に運ぶ。

〈女どうしの気安さで、おふくろは長女の姉貴にはよく親父の愚痴をこぼしていた。それが姉貴をとおして俺たちの耳にも入ってくる。だから親父がごまかした金でパチンコやマージャンを楽しんでいたのはわかっていた。だからあの頃は、毎月のように給料日に繰り返される夫婦喧嘩を聞くたびに、親父の身勝手が許せなかった。給料をごまかしておふくろを泣かせるのは、許しがたい背信行為だと思っていた〉

 母を泣かせる父が憎くて、雅人は父を殴りつけてやりたいと思ったこともある。しかし若い頃に柔道とボクシングを習っていたことのある父に刃向かえば、小学生の雅人は逆に投げ飛ばされてしまいそうだった。

〈あの頃は俺も感じやすい年頃で、大人の行為はなんでも許せなかったから、親父の行為なんかよけいに許しがたいものだった。でも、思い返せば親父もよく働いたよなあ。今の俺よりはるかに働いていた。なにしろ忙しいときには一週間に二度も三度も徹夜をこなしていた。それだけじゃなく、徹夜の明くる日の夕方まで働きとおす"通し"もよくやっていた。あんなに働いて、よく身体をこわさなかったもんだと、自分が中年になって親父の頑張りようがあらためてよくわかった〉

 父も母も働きづめに働いて、それでも貧乏のどん底のような暮らしから抜け出せなかった。

〈それに、毎日弁当ぶらさげて造船現場に通い、蒸し風呂のような船倉にもぐって汗まみれ、油まみれになって寝る間も削って働いたら、たまには生活の潤いというか、逃げ道というか、ちょっとした楽しみぐらいはほしくなるよな。親父は不器用で、女には縁がない。酒もダメ。博打は好きで何にでも手を出したけど、勝負に弱くて負けてばかり。ああ、思い出したよ。たった一度だけ、競輪で穴を開けて借金をこしらえてにっちもさっちもいかなくなり、おふくろに泣きついたことがあったそうだね。それに懲りて、二度と競輪はしなくなったとおふくろから聞いたことがある。そんな親父の楽しみは、だからパチンコか仕事仲間と囲むマージャンだけだった。たまにはささやかな楽しみでもなければ、夢中になって働けないよね。しかし貧乏所帯で、そんなささやかな遊びのための小遣いも持てない。知恵を絞って給料をごまかせば、子供に聞こえるようなやりかたで女房から責めたてられる。やっちゃあいられないという気持をこらえて、それでも男は家庭を支えなければならない。一家の主のつらさ、父親の哀しみを親父がこらえていたんだろうなと思い至ったのは、俺が人の子の親になってからだった。親の苦労というものは、自分がその歳にならないとわからないものなんだね〉

 父に相伴するつもりで久しぶりに口にしたキンツバは、さほど甘くなく、なんとか一つ食べられそうだった。買ったときには熱かった缶飲料のお茶はほとんど冷めてしまっていた。

〈親父は身勝手だと、思春期の頃、俺はずっと思い込んでいた。でも、おふくろが朝から晩まで坐りダコをつくって内職で必死に家計を支えていたように、親父も徹夜や"通し"で命をすり減らすようにして子供を育ててきた。子供の目に母親の苦労はよく見えるけど、父親の苦労はあまり見えない。俺にもようやくそれがわかったのは、やはり四十になってからだった。父親って淋しいものだよね。うん、父親は淋しくて、悲しい〉

 あの夫婦喧嘩も貧乏がさせたことだった。

〈俺が中学生になったのは、テレビ放送が始まってしばらくした頃だった。まだ世の中全体が戦後の貧しさから抜け出せないでいたが、それを割り引いても、我が家は貧しかった。今だから笑って思い出せるけど、まったくどん底生活だった。なにしろ親子5人、失業保険で2ヶ月も3ヶ月も食いつないだこともあったものな。俺は貧乏がいやでいやでたまらなかったよ〉

 安物の学生服は、一度穿くとズボンの膝が丸く突き出て、そんなものを着て学校に行くのがいやでならなかった。運動靴に穴があいても、なかなか新しいのを買ってもらえなかった。小遣いがないから、友達と一緒に放課後繁華街にも行かれない。中学校に入った二学期から、雅人は新聞配達を始めた。

〈これも大人になってから気がついたんだけど、あんなに貧乏していながら、子供が習い事をしたいと言い出すと、親父もおふくろもダメとは言わなかったね。あの頃はあたりまえのように思っていたけど、苦しい暮らしの中でよくあれだけのことをやらせてくれたものだ〉

 雅人は小学生の頃から珠算と書道を習い始めた。珠算はめきめき上達して、習い始めて1年ほどして4級の試験を受けたときには、受験の朝、母は赤飯を炊いて、試験場まで送ってきてくれた。子供心にも、雅人は親の期待を感じた。珠算の県大会に雅人が出て、小学生の部で入賞したときには、父も母も嬉しそうにしばらく誰彼に自慢をしていた。

〈中学生になって、友達と一緒に学習塾に行きたいと言い出したときも、黙って行かせてくれたよね。苦しい家計の中から余分な月謝を出すのはつらかっただろうけど、そんなこと一言も言わなかった。俺はますます貧乏がいやで、みすぼらしいままの我が家がいやで、だから友達に家に来られるのが恥ずかしくてならなかった。劣等感の塊でハリネズミのようになっていた。さいわい多少勉強のできがよかったから、勉強で友達を見返してやろうと思っていた。だから、商店や公務員の家の友達と一緒に学習塾に行かせてもらえなかったら、救いようのない劣等感の穴倉に落ち込んでいたかもしれない〉

 父も母も、教育熱心な親ではなかった。勉強しろなどと言われたことはなかった。それでも、まだ3人に1人は中学校を卒業すると就職した時代に、子供たちをみな高校に進学させてくれた。

〈これも昔姉貴から聞いた話だけど、子供を高校に進学させると聞いて、親戚から批判めいたことも言われたそうだね〉

「そんな貧乏暮らしをしていて、子供に高等教育を受けさせることはないだろう。早く働かせれば、それだけあんたたちも楽ができるだろうって言われたそうよ。私たちの学費を貸してくれって頼んだわけでもないのに、大きなお世話よ」と姉は憤っていた。

 父も母も、苦しい家計をやりくりして、せめて子供たちが希望するなら高校だけは進学させてやりたいと考えてくれた。二人とも、貧乏人の子沢山の家に生まれて、尋常小学校しか行かれなかった。そんな家の子供たちは、よほどの才覚や幸運に恵まれないかぎり、親と同じ貧乏な人生を歩むことになる。尋常小学校を卒業すると、父は造船会社の養成工として、母は女中奉公で、中国で戦争をしていたきな臭い社会に一歩を踏み出した。

〈せめて子供たちには、という思いがやはりあったのだろうね。中学校を卒業させたら子供たちを就職させて、はやく暮らしを楽にしようと親父たちが考えたら、たぶん今の俺はなかった〉

 姉と妹は高校を卒業すると就職したが、雅人は親に学費を出してもらわず、奨学金とアルバイトで大学まで行った。大学に進学したいと雅人が言い出したときも、父や母は黙って認めてくれた。しかし入学金をどうやって工面してくれたのか、雅人にはいまだにわからない。

 父は身勝手をして母をずいぶん泣かせたという子供の頃のイメージがなかなか払拭できなかったけれど、思い返してみれば、やはり命をすり減らすようにして働きに働き、立派に子供たちを育ててくれた。その父を、雅人はどうして殴ったりしたのだろう。

 あれは雅人が高校生のときのことだった。ある日、仕事から帰ってきた父が、しばらく社長の家の家事を手伝ってやってくれないだろうかと母に言い出した。奥さんが具合が悪くて寝込んでしまったのだという。

「小野沢さんも困っているんだ。お礼はすると言っている。だからしばらく通ってやってくれないか」

「でも……」

 母は困惑していた。3人の子供たちの炊事洗濯だけでも忙しい。内職をやめるわけにもいかない。

「な、行ってやってくれよ」

 そのやりとりを隣の部屋で聞いているうちに、雅人は猛烈に腹が立ってきた。

「俺は反対だな!」障子をがらりと開けるなり、父に噛みついた。「よその家の手伝いなんかにおふくろを行かせて、うちはどうなっちゃうんだ」

「おかあちゃんもたいへんだろうけど、しばらくはみんなで頑張って……」

「どうしてそこまでしなけりゃいけないんだ。奥さんが具合が悪いんなら、家政婦でもなんでも頼めばいいじゃないか」

「小野沢さんも困っているんだよ、小さい子がいるから」

「だから、どうしてうちがそこまでしなければいけないんだ」

「いままで小野沢さんにはずいぶん世話になっているんだ」

「親父は世話になっているかどうか知らないが、おふくろにそんな女中みたいなことさせるのは、俺は絶対に反対だ」

「女中じゃないさ。奥さんが元気になるまで、ちょっと手伝うだけだ」

「うちのこと放り出してよその手伝いに行かせるのは女中じゃないか」

「いいからおまえは黙っていろ。これは子供にはわからない話だ」

「俺はもう子供じゃない。都合が悪くなると子供扱いか」

「これはおとうちゃんとおかあちゃんの話だ。だからおまえは黙っていろ」

「黙っていられるか。母親に女中のようなことをさせると聞いて、黙っていられるか。そんなこと、よく言い出せるな。おやじ、それでも男か」

 なに! と父が立ち上がった。いつも温和な父の顔が怒りで脹れあがっていた。雅人もすっかり熱くなっていた。どっちが先に手を出したのかわからない。たぶん父が雅人の胸倉を掴んだのだろう。とっくみあいになった。障子が倒れた。

「やめてよ! ふたりともやめてよ!」

 母がおろおろと立ち上がった。雅人は小柄な父に馬乗りになっていた。

「私が悪かった。みんな私が悪かった。だから雅人、もうやめて!」

 むしゃぶりついてきた母の手で、雅人は父から引き離された。

「雅人、おとうちゃんに何をするの! おまえが悪い。おとうちゃんに謝りなさい!」

 仁王立ちになって畳の上の父を見下ろしている雅人に、母は半ば叱りつけるように、半ば哀願するように繰り返した。

 誰が謝るものか! 悪いのは親父で、こっちは間違っていない。雅人はぷいっと横を向き、そのまま下駄を突っかけると玄関を出た。

 夜の街をひたすら歩きつづけたが、怒りは治まらなかった。うちが貧乏だからこんなことを頼まれるのだと思った。貧乏が情けなかった。こんな頼まれごとを家に持ち返ってきた父が情けなかった。父の頼みをきっぱり断わらず、雅人が悪いと言った母が情けなかった。誰が謝るものか!

〈きっと下駄の音をがらがら響かせて、夜の街を走るように歩きまわっていたんだろうな。あんな親父にもうこれっきり口なんかきいてやるもんかと、胸の中で悪態をつきつづけていたけれど、そのうちさすがに歩き疲れてきた。歩き疲れてきたら、手が痛いのに気がついた。右の拳がずきずきしていた。それで初めて、親父を殴ったことに気がついた〉

 ようやくいくらか気持が鎮まって、仕方がないので家に戻ったら、母が家のまわりを心配そうにうろうろしていた。雅人は黙って家に入り、黙って自分の三畳間で布団をひっかぶって寝てしまった。

 明くる日父を横目で見ると、左の頬が痛々しく脹れていた。しばらく、父と目を合わせなかったし、口もきかなかった。

〈あのとき姉貴たちはどうしていたんだろうな。まったく記憶にないんだ。とにかく親父と俺のあのとっくみあいには、あれ以後家族の誰も触れようとしなかった。ずいぶん長いあいだ、たぶん2週間か3週間、家の中の空気はぎこちなかった。そんな空気に姉貴たちが気がつかないはずはないのに、とにかくみんながぎこちなく何事もなかったように振舞っていた。そのうち、あんなことがあったことすら俺は忘れてしまった。結局おふくろは社長の家の手伝いには行かなかった〉

 数日前に、玲子から電話があった。痴呆が進んで在宅介護がたいへんな母を、ようやく特養ホームに入所させることができることになった。今後のことを一度兄弟で話し合いたいということだった。雅人は快諾し、用件が済むと、玲子が言った。

「そうそう、昨日大井さんという人が菓子折持ってご夫婦で訪ねてきてくれたのよ。あんた、大井さん知ってる?」

「いや、知らない」

「同じ町内に住んでいるかなり年配の人なんだけど、家が離れているんで私もまったく面識のない人なのよ」

「それで、その大井さんて人、何の用だったわけ?」

「お母さんの具合が悪いってことを誰かから聞いたらしくて、お見舞いに来てくれたのよ」

「へえ、またどうして」

「お父さんに昔たいそう世話になったっていうの」

 大井さんは新制中学を卒業すると小さな商店に就職したが、丁稚奉公に嫌気がさして、すぐに辞めてしまった。辞めたはいいが、不景気な時代で、中卒の若者にろくな働き口はない。どこへ勤めても、仕事はきつくて給料は安い。半人前の小僧っ子扱いだ。すぐにいやになって、長続きしない。働いたり働かなかったりと、腰の落ち着かない暮らしをだらだらつづけているうちに、悪い仲間と付き合うようになった。それを心配した中学校の同級生が、俺の親方に頼んでやるから手に職をつけて真面目に働けと、引き合わされたのが父だという。

「お父さん若い頃、学校出たばかりの人に溶接教えて、何人も引き連れてあちこちの現場をまわっていたじゃない」

「そうだったの」

「そうだったのよ」

 玲子はよく覚えているというが、雅人には父に関するそんな記憶はない。三つ違いの姉弟だが、玲子は総領だけに、雅人の知らない両親のエピソードや苦労を知っていて、こういう話になると雅人は姉にちょっと頭が上がらない気持になる。

「ああ、そういえば若い人がよく、とうちゃん、とうちゃんと親父のところに来て、ときどき一緒にマージャンなんかやっていたね」

「覚えている? あれ、みんなお父さんが育てた子飼いの職人さん」

「そうだったのか」

「大井さんもそうやってお父さんに育てられたんですって。しかも、悪い仲間から離れるときにちょっともめごとがあって、脅されたらしいんだけど、そのときもお父さんが出ていって話をつけてあげたらしいの」

「うん、若い頃の親父は、身体は小さくて普段はおとなしかったけど、腕っ節はなかなかで、近所の悪仲間には一目置かれていたらしいからね。そんな自慢話を子供の頃親父から聞いたことがある」

「ものすごく腕のいい親方にしっかり仕込んでもらったんで、おかげで一人前の溶接工として飯を食っていかれるようになったって大井さん言っていた」

「なにしろ三菱ドックの養成工あがりだからな。基本はしっかりしていたんだろう」

「お父さん、ずいぶんあちこちの造船所を転々としたじゃない。大井さんたちもそれについてあちこちの現場で働いていたんだけど、あるとき、例によってちょっといやなことがあってお父さんがそこを辞めることになったんだって。当然大井さんたちも一緒に辞めるつもりだったんだけど、おまえたちはもう一人前の腕を身につけている、だからここに残れって言われたんだって。俺みたいな流れ職人をいつまでもやっていると、暮らしが落ち着かない。ここはしっかりした会社だ。いずれおまえたちも所帯をもって身を固めなければならない。俺が社長にあとのことをよく頼んでおくから、ここでしっかり仕事をしろ。お父さんはそう言って大井さんたちを残して一人で辞めていったそうよ」

「ふうん、なんだか浪花節の世界だね」

「一家の主としてはあまり甲斐性があったとは言えないけど、とにかく若い人の面倒見はよかったみたいよ。それに、頼まれればいやとはいえない底抜けのお人好しだった。だからうちはいつまでも貧乏しどおしだったのよ。自分一人うまく立ちまわるなんてこと、まるっきりできないお人好しだったもの」

「それはたしかにそうだ」

「大井さん、お父さんに仕事をきっちり仕込んでもらわなかったら、その後の自分はなかった、足を向けて寝られない人だっていっていた。それなのに、お父さんが亡くなったとき、ちょうど関西方面に行っていて、死んだことを知らなかった。数年経ってから知ったらしいんだけど、ほんとうならまっさきに仏前に駈けつけて線香の一本もあげなければいけないのに、日にちが経って来づらくて、長いこと心の中で申し訳ないと思いつづけていた。ところがお母さんが具合が悪いと聞いたので、意を決してお見舞いと昔のお礼を言いにやってきたんだっていうの」

「ふうん、なるほどね。ちょっといい話じゃない」

「いい話でしょ。だからあんたにも話したくなったのよ」

 電話を切って、久しぶりに一人で父のことをあれこれ思い出していたら、長いこと忘れていたあの晩のとっくみあいを雅人は急に思い出した。夜の街を下駄を鳴らして歩きまわり、歩き疲れてふと、右の拳の痛みに気がついたことまで思い出した。40年近くも昔のことだった。そして思い出した途端に、申し訳ないことをしたという思いが込み上げてきた。今度の週末には、すっかり足が遠のいていた墓参りに行こうと思い立った。

〈あのとっくみあいをしたのは俺が高校生の頃だったから、親父は四十代半ばだったんだろうな。もう身体は俺の方が大きくなっていて、俺は力で親父を組み伏せたと思っていた。かっとなって、親父の顔を拳で殴りつけたことさえそのときは気がつかなかった。でもあんなに簡単に親父が俺に組み伏せられてしまったのは、今考えれば不自然だ。身体こそ俺の方が大きかったけど、俺は喧嘩のしかたひとつ知らなかった。衰えたとはいえ、若い頃に柔道とボクシングを習い、肉体労働で鍛えた親父の力はあんなものじゃなかったはずだ。俺の拳をよける敏捷さはすでに失ってしまっていたかもしれないけれど、親父がその気になれば、まだまだ俺を殴ることも、投げ飛ばすこともできたんじゃなかっただろうか。そう、親父はそれをしないで、俺に殴られ、組み敷かれるままになっていたんだ〉

 頬を腫らしていた父の顔を思い出して、雅人は目頭が熱くなってきた。

〈親父、すまなかったね。ほんとうに申し訳なかった。もし俺が、訳のわからないことを言いたてる自分の息子に家族の面前で殴られたらどんな気持がするだろう。たまらないよな。父親の権威なんて、親父の時代に比べたら、今日びすっかりなくなっちゃっているけど、それでもたまらない気持になるよな。家の中での父親の立場ってものが、根こそぎ吹っ飛んじゃう。それだけじゃない。俺はこんなことをされるためにこいつを育ててきたんだろうかなんて、救いがたい気持に落ち込んじゃうだろうな〉

 縁石に腰掛けたままじっと動かない雅人を甘く見たのか、鴉が1羽、近づいてきて供物の和菓子をねらっている。

〈でも、あのとき親父は、かっとして俺の胸倉を掴みながら、ここで息子を投げ飛ばしちゃったら、感じやすい息子のプライドはこなごなになってしまうって気がついたんだね。俺が同じ状況に立たされたら、息子を組み敷いてしまったかもしれない。だが親父は、父親の権威よりも、感じやすい年頃の息子のプライドを重んじてくれた。弱い父親じゃできないことだ。そう、もう親父を越えたと思っていた俺はまだまだひよこで、息子に侮られていた親父の懐は実はとても深かった……〉

 雅人はすっかり冷めてしまった缶のお茶をまた一口飲む。

〈親父に死なれて25年以上も経ってから気がつくなんて、まったく愚かな息子だ。きっと俺はまだ、親父を超えることができないでいる。一生超えられないかもしれない。実に不器用に、貧乏のしどおしで、巷に名もなく美しくっていうような一生を送って58歳の人生を終ってしまったけど、親父は俺よりもはるかに器の大きな人間だった〉

 線香はほとんど灰になってしまったが、残り端がまだ煙を上げている。その煙が絶えるまで、もうすこし父と話をしていようと雅人は縁石に坐りつづける。

(2003年7月26日)

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