| 【がんと向き合う 第50話】 |
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| 終末期をどう生きるか |
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終末期をどう生きるか、そろそろ真剣に考える時期にさしかかってきたように思う。 闘病に疲れたわけでもないし、延命治療を諦めたわけでもない。いいお医者さんに巡り会えて、キメの細かい治療をしていただき、すばらしい家族のサポートもあり、まだまだ頑張るつもりではいる。がんは奥深い病気であり、これから何が起きるかわからない。その〈何が〉には、思ってもいなかったマイナスの現象もあるだろうが、思ってもいなかったプラスの現象もあるかもしれない。根治は無理にしても、何かの拍子に病気が思わぬ快方に向かうということだってあるかもしれない。がんという病気は、患者が主体的に病気と向き合い、病気を治すんだという強い気持を持ち続けることが特に大事だといわれている。その基本姿勢を忘れたわけではない。 しかし事態を冷静に見詰めるなら、私の持ち時間は年単位から月単位に確実に変わってきていると考えざるを得ない。 特にこの夏以降の体力の急速な減退が著しい。食道は狭窄し、流動食以外は入っていかない。薬も満足に飲めない。胃の機能もかなり衰え、いまではカップ1杯の葛湯を飲むのに1時間もかかる。それでも全部飲めればいい方で、どう努力をしても飲み切れないときも出てきた。中心静脈栄養で基本的な栄養は補給できているとはいうものの、これでは日常生活もままならなくなってくる。今までできたことがだんだんできなくなってきた。ムックの朝の1時間の散歩は無理になって、家内一人に行ってもらうようになった。下痢やら発熱やらでしばらく夕方の散歩も中止していたが、先日久しぶりに30分のコースを歩いたら、ちょっとした上り坂や階段で息が切れて、ひと休みしないではいられなかった。心肺機能の低下に愕然とした。入浴も疲れるようになってきた。 腫瘍マーカーは徐々に上昇しているものの、まだ急速な悪化を示すまでには至っていない。腹膜に播種したがん細胞も、今のところはまだおとなしくしてくれているようだ。しかし体力がこう減退しては、免疫力も落ちるだろうし、それがやがてがんを勢いづかせるかもしれない。今はまだ小康を保っているが、病気は予断を許さないところにきている。 希望を捨ててはいけない。しかし願望ではなく、今まで以上に現実を注視しなければいけないところにきていると思う。 病気は、よくなるには時間がかかるが、悪くなるのはあっという間だ。9月24日に車を運転して伊勢原の日向薬師に彼岸花を見に出かけたときは、2ヵ月後に自分がこんなに衰弱しているとは予想もできなかった。この先、自分が思っている以上に早く町田までの通院ができなくなる事態がくるかもしれない。 その事態は何を意味するのか。私に終末期がやってきたということにほかなるまい。 それでもなお、延命治療をつづけるという選択肢も考え方としてはないわけではない。通院が不可能なのだから、入院をして治療をつづけるということになるが、現実にそんな病院があるだろうか。治らないがん患者を受け入れてくれる病院が現実にはあるとは思えないし、たとえあったにしろ、私はそういう選択をしたくない。 終末期に入ったら、よくなる治療は諦めて、残された最後の時間を、痛み・苦しみを取ってもらって、心穏やかに生きたい。 そのためにはそれなりの準備と心構えをしておかなければならない。 今から思えばまだかなり元気だった1年以上前から、私は終末期医療や緩和ケアについて情報収集に努めてきた。家内も、緩和ケアのセミナーに出掛けたり、折に触れて医療機関などで情報収集にあたってくれた。二人でいろいろ話し合いもした。そしてこの問題に関しての大筋の方向についてはほぼ結論に達している。 終末期をどう生きるかは終末期をどこで生きるかと不可分の関係にある。終末期を生きる場所としては、@自宅(在宅医療)、A緩和ケア病棟、B病院の三つがあって、日本医療学会が今年の10月から12月にかけて現在実施中のアンケート「がん終末期の医療をどこで受けたいですか?」の途中結果によると、@の自宅を希望する人が60%、Aの緩和ケア病棟を希望する人が40%、Bの病院を希望する人はゼロである。 同じ状況の進行性がん患者として、このアンケート結果はよくわかる。できれば自宅で最期を迎えたいというのが多くの人の偽りのない気持なのである。私も在宅医療を望んでいるし、家内も最期までこの家で私の面倒を見たいといってくれている。 ただし誰もが無条件で在宅医療を受けることができるわけではない。在宅医療が可能になるには、
等の条件が整っていなければならない。 現実には、在宅医療を希望しながらこれらの条件の幾つがが実現できずに、やむなく病院のお世話になる人が圧倒的に多いようで、『病院で死なないという選択』(中山あゆみ著・集英社新書)によると、01年の人口動態統計による末期がん患者の死に場所は、自宅がわずか6%、ホスピス2%。そして病院が92%である。中山氏は「日本のほとんどの末期がん患者にとって、最期の場所は病院以外ではありえない状況」だといっているが、これが末期がん患者を取り巻く現実のなのである。 「がんの撲滅」あるいは「がんの征服」などということががん治療の中枢で叫ばれているが、こうした「撲滅」や「征服」の網の目から漏れた進行性がん患者が毎年33万人も何らかのがんで死んでいる。こうした進行性がん患者の多くは、延命効果も定かではない標準治療としての抗がん剤治療で強烈な副作用に苦しみ、身体をぼろぼろにされ、そして最期の時をやはり望まない病院で迎えることになる。 交通事故死者数はずいぶん前に1万人を切った。最近は自殺者が3万人もいると社会的な問題になっている。しかし33万人もいる進行性がん患者が人間らしい最期を迎えるための社会的な体制も配慮も皆無といっても過言ではないのが、がん治療の覆いがたい影の部分なのである。国も医療現場も、治るがんには力を入れている。しかし私に言わせれば、がんは「撲滅」も「征服」もできはしない。言葉の正確な意味での「撲滅」「征服」とは、あらゆるがん患者がかつての結核のようにほぼ根治するということであり、そんなことはあと50年経っても実現できないだろう。 それならば、33万人の進行性がん患者にいかに効果的で優しい延命治療を施し、終末期に人間の尊厳を保った時間を提供するかを、がん治療体制の中に組み込むべきであり、それこそがまさにがん患者を病める人間として捉えたがん医療だと思うのだが、がんの「撲滅」や「征服」のみに照準を定めているかぎり、こうしたことはお題目として唱えられても、実現は遠いだろう。07年4月に施行された「がん対策基本法」でも、基本的施策に「がんの予防及び早期発見の推進」「がん医療の均てん化の促進等」「研究の推進等」は盛り込まれているが、進行性がん患者に対する施策は見当たらない。わずかに「がん対策基本法に対する附帯決議」の12に「緩和ケアの充実」が謳われているが、後で述べるようにその実態はお寒いかぎりである。 末期がん患者に対する施策が皆無に等しいなかで、多くの末期がん患者が望まない病院で最期の時を迎える。不幸なことだといわざるを得ない。 そもそも病院は病気を治す場所であって、死に至るまでの患者の生をいかに支えるかという"死を前提にした医療"はしていない。この点に関して、一般の病院はまったく無力なのである。
だから私は病院で死にたくない。ときどきに起こる症状にパッチワークのような対象療法をされて、私を人間として見てもらえず、家族も完全看護のなかで一見舞い客としてしか振舞うことができない入院生活のなかで生を終らせたくない。 これに対して在宅医療はずっと人間的である。住み慣れた場所で自由に日々を過ごすことができる。他人に気を遣わなくてすむ。これだけでも、入院生活に比べて天国と地獄の差がある。そして家族がいつもそばにいてくれる。 私自身の個人的な問題に立ち返って、では上に挙げた在宅医療を受けられるための幾つかの条件は実現できるだろうかを検討しておかなければならない。 まず第一の「ある程度の居住環境と経済状態があること」だが、これはクリアできる。1階の6畳間にすでに介護ベッドを運び込んである。東と南に大きな窓がある明るい部屋だ。部屋のすぐ外にはトイレがある。私がこの部屋で暮らすようになったら、家内も夜は一緒に寝ると言っている。 ベッド暮らしになっても、即、身体がまったく動かせなくなるわけではあるまい。がん患者の場合、本当に身体が動かせなくなるほど悪化するのは最後の2ヵ月ほどだといわれている。その短い期間のために大掛かりな改修は必要あるまい。最低限のことをして、あとは知恵と工夫でなんとかこの期間を乗り越えればいい。 経済的には、在宅医療も健康保険の適用になる。高額医療費助成も受けられるだろう。介護認定を受ければ、介護保険も使える。こちらも期間がそう長くはないだろうから、問題なさそうだ。 第二の「家族の支援」だが、これも問題ない。これまでの闘病の中での家族のサポートを見ていて、我がことながら、うちの家族は素晴らしい家族だとあらためて感じている。次男は歩いて5分ほどの距離に住んでいるし、長女も車で20分ほどのところに住んでいる。何かあればいつも気持よくサポートしてくれている。在宅医療になっても、みんなで家内を助けてくれることは間違いない。 第三の「在宅医がいること」だが、これもおおよその目処はついている。 インターネットで情報収集して、近くに在宅医療をしてくれる医療機関が幾つかあることはわかっていた。そのうちのひとつのウェブサイトを見て、そこにお願いしようかと思っていた。 しかし最近、区の訪問看護ステーションに家内が在宅医療の情報を聞きにいってくれて、在宅医療を受けるのならかかりつけのW医師がいちばんいいという情報を聞いてきた。 W医師には昨年2月に胃の不調を感じて診察を受け、けいゆう病院を紹介されて、胃がんが発見された。けいゆう病院からも精密検査の結果の連絡がいき、私も2回ほど途中経過をW医師に報告している。W医師は私の病状をある程度把握してくれている。人柄のいいお医者さんで、在宅医療に力を入れ、週の半分は在宅医療に費やしている。近くにこれだけ在宅医療に力を注いでいるお医者さんはいない。おまけにモルヒネの取り扱い等の資格も持っているという。がん患者もずいぶん診ているようだ。昔は横浜市立病院に勤務していて、以前家内が自分の治療で市立病院に通っていた時、医療相談室でやはり在宅治療医の相談をしたところ、W医師を推薦された。こんなお医者さんがかかりつけ医なのだから、お願いしない手はない。 先日、家内がインフルエンザの予防注射に出掛けたところ、W医師の方から私の病状を訊いてくれたという。お願いすれば、W医師は私の在宅治療を引き受けてくれるだろう。 これで第四の条件の「痛みのコントロール」もたぶん解決できる。 第5の「医療・看護・介護のサポートがあること」も、在宅治療医をW医師にお願いし、区の訪問看護ステーションを利用、家族のサポートで解決できる。 最後の「緊急時の受け入れ病院の確保」だが、これがいちばんの問題だ。 上述したように「がん対策基本法に対する附帯決議」の12に「緩和ケアの充実」が謳われているが、実状はお寒いかぎりである。 10月28日の朝日新聞によると、がん診療連携拠点病院ですら、拠点病院の最低条件として求められる医師の確保がままならないところがあるという。ましてや、緩和ケア部門の不備は著しく、緩和ケアに関わる医師と看護師の確保がままならないという。がん治療の現場は、治療体制の充実すら実現できず、ましてや緩和ケアの充実は、まだ手探りで進みはじめたばかりで、ニーズのほとんどを満たせない状況だというのが現実のようだ。 私もインターネットで調べてみたが、横浜市に緩和ケア外来がある病院はない。市民病院には緩和ケアの部門があるようだが、一般には開放されておらず、同病院の入院患者しか利用できないといわれた。 となると、緊急時には一般病院に行かねばならなくなるが、専門的な処置が必要な場合はともかく、緩和ケアでの緊急処置であればこれはできるだけ避けたい。 近くにただひとつ、緩和ケア病棟があるのが中区の港赤十字病院だが、ここも外来受付けはない。家内が港赤十字病院に行って聞いてきてくれたのだが、この病院では抗がん剤の治療をしていると緩和ケアは受けられないという。「抗がん剤治療をやめてから来てください」と言われた。その段階で、1度病院に相談に行く。相談日は週に1日だけ。病人ではなく、家族でもいい。しかし相談を受けてもらってから2ヵ月しないと入院できるかどうかの判定が出ないという。悠長な話だ。これでは私の場合、こちらの命が尽きるか判定が出るか、どちらが先になるかわからないということにもなりかねない。 ただ、救いもある。在宅医療を受けている人のために常時ベッドを二つ空けてあるというのだ。幸いW医院はこの病院の連携医療機関になっている。W医師に在宅医をお願いできれば、いざというとき、提携医療機関のメリットを活かしてこの空きベッドを利用することができるかもしれない。 とまあ、最後の条件に若干不確定要素はあるものの、なんとか在宅医療を受けられそうな目処はついた。 これだけ先行きの目処がつくと、かなり安心できる。実際には、その場になってみないことにはわからないことはたくさんあるだろうが、そこまでいまから取り越し苦労をしても始まらない。そうなればそうなったでまたいい知恵が浮かんでくる。 あとは今可能な"最善"の治療が受けられるように努力をするだけだ。 |
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| (2008年12月2日) | ||||||||||||||
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