【がんと向き合う 第51話】


終末期日記 『明日の風』





 11月末をもって低濃度抗がん剤治療を終了した。

それ以前から、この治療法の限界を感じ始めていた。低濃度とはいえ、抗がん剤治療である。8ヵ月の治療で実質的に私が使える保険適用の抗がん剤がなくなってしまった。保険非適用のハープセチンが使えるかと思ったが、この薬に必要なタンパクが私にはないことがわかり、この薬も使えなかった。仕方がないので効果の薄くなった抗がん剤を使い続けていたが、腫瘍マーカー(CEA)の数値は上昇を続け、最後の血液検査の結果では数値が一挙に10も上がっていた。こんなことは初めてだった。治療は袋小路に入りつつあった。

それでも私は主治医に全幅の信頼を置いていた。患者サイドに立って、これほどきめ細かい抗がん剤治療をしてくれる医師はほかにいないと思っていた。抗がん剤が使えなくなっても、代替療法など、何かほかに治療法を見つけてくれると思っていた。

ところが誤解の積み重ねによる行き違いで、医師との信頼関係が突然根底から崩壊してしまった。突然治療を拒否された。

こうなると、もう治療の継続は不可能になる。だが落ち着いて考えれば、これは低濃度抗がん剤治療から離れるいい潮時だったのかもしれない。今はそう考えている。

使える抗がん剤がなくなったということは、私の病気が延命治療の時期から終末期に入ってきたことを意味する。こういう事態になるのはもう少し先かと思っていたが、事態は私が考えていたよりも急速に進行している。こうなったら、よくなる、あるいは延命を図る治療はもう諦めて、これまで考えてきたように在宅治療を受け、最後のときを家で静かに過ごしたい。

さっそくその準備に取り掛かった。

ただし終末期に入っても、これまで同様「がんと向き合う」は続けたい。がんに関する情報は巷に溢れているが、がん患者自身が発信したそれなりにまとまった情報は意外に少ないのは私自身が痛感してきた。そうした情報を探し求めている人は意外に多いのが「がんと向き合う」の掲載を始めてあらためてわかった。もともとこの『かわもと文庫』は地味な文学系のサイトで、訪問者もさほど多くはなかった。ところが「がんと向き合う」の掲載を始めると、訪問者数が桁違いに増えてきた。ありがたいことに、今では毎日数百人の方がこのサイトを訪れてくださっている。そうした未知の方からの応援メールも毎日いただくようになった。心意気として、病状が進んだからといってここで中断はしたくない。私の気力が続くかぎり継続したい。

これまで『がんと向き合う』は隔週で更新してきたが、ここへきて状況の変化が激しくなり、隔週更新では状況変化に追いつけなくなってきた。で、毎日更新する“がん患者の終末期日記”の形で、『がんと向き合う』とは別コーナーの『明日の風』というタイトルでデイリーに更新する形でできるところまでやってみようと思い立った。どこまで続けられるかわからないが、とにかくできるところまでやってみたい。終末期のがん患者がどんな事態に遭遇し、そこで何を感じ、何を考え、どう行動したか、それを逐一まとめていきたい。

これはけっして人さまのためではない。私自身のための作業なのである。

書くという作業は、私を包んでいるおぼろな形を成さない状況を客観的に見えるようにしてくれ、しかも書くことによって書き手が抱えている苦悩を昇華してくれるという本質的な効能がある。そうして、この作業の結晶が、私には見えないがどこかにいるにちがいない読み手に届いていることがわかったとき、書き手である私はさらに書くことの幸福を感じることができる。読み手である方のなんらかの参考になれば、さらに私の喜びは大きくなる。

子供のころ、親に連れられて見にいった時代劇の映画で、タイトルもストーリーもまったく憶えていないのだが、なかの一場面だけを最近ふと鮮やかに思い出した。貧乏長屋の住人たちが、長屋の路地で「明日は明日の風が吹く」と妙に明るい顔で囃したてている。失うものを持たない庶民の力強さとでも言ったらいいのだろうか。

そうだ、私にもまだ明日はある。昨日までのことに襟をつかまれ、今日起きたことに思い煩わされるのは人の常で仕方がないとしても、明日を見ることを忘れてはいけない。一日一日を大切に生き、明日の風がどう吹くかをいつも期待して見つめつづけよう。そう考えて、終末期日記のタイトルを『明日の風』にした。

デイリーの更新になるので、入り口はタイトルのすぐ下、これまで「テーマ再掲:今考えたいこと」に使っていた箇所にしました。興味のある方はここからお入りいただいて一読いただければ嬉しいかぎりです。

もちろん、まとまったテーマで書きたいものもまだいくつかある。それらは随時「がんと向き合う」に掲載していくつもりです。私にその時間と体力、気力が残されていれば、の話ですが。

(2008年12月2日)

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