【ムックと共に】 第47話


散歩このごろ



 ものみな移ろい変わりゆくのは人の世の常。ムックと暮らし始めて5年半。思い返してみれば、真っ白な縫いぐるみのようだった幼児のムックも人間でいえば中年にさしかかり、行動パターンもずいぶん変わった。

 子供の頃のムックは始終外を歩きたがった。散歩大好きで、わんわん公園に出掛けると仲良しの悪ガキ連中と取っ組み合って転げまわり、野良猫を追いまわし、怪しげな腐臭を身体にこすりつけて意気揚々と引き上げてきた。いきいきと動き回る幼児というのは人間も犬も愛らしいもので、そういう犬たちの姿を見るのは散歩に付き合うこちらも楽しかった。

 朝の散歩から帰ってきても、私や家内が外に出れば、自分も出たいと大騒ぎをした。

 散歩は1日2回、朝と夕方と決めていたが、隙あらば外に出たいムックが不憫で、用事があると一緒に連れて行くことになる。用事がなければ、私の休日にはサービス散歩と称して昼間30分ほど、近所の小さな公園まで往復してくる。

 夜寝る前に、近所を引き回して用を済ませていたが、したいようにさせておくとどんどん昼間の散歩コースに向かってしまう。すっかり親ばかになってしまった私は、ムックのあとについてまた夜の公園をひと回りすることになる。家内はムックの言いなりになっている私に呆れていた。

 とにかく四六時中外に行きたがった。

 それがこの春あたりからかなり様子が変わってきた。

 わんわん公園は花見の名所でもあり、桜の時期になるといつも静かな公園が団体客の占拠で足の踏み場もないほど混み合うようになる。犬連れはみんな敬遠して1週間ほどこの公園には近づかない。しかし花見客の乱暴狼藉は年々ひどく、かつ花が咲くか咲かない頃から花が散ってしまったあとまで、長期化の傾向だ。ここがいちばん好きなムックのために、花見客があまり多くない日は様子をうかがいつつ外周をそっと歩くようにしているが、爆竹を鳴らして騒ぐグループがいる。臆病なムックはこれが怖くてならない。何回かこういう体験をしているうちに、わんわん公園は怖いところになってしまったと刷り込まれてしまったようで、花見の時期が終わっても夕方の公園には行きたくないと拒絶するようになった。

 この公園に集まっていたわんわん仲間も、一人抜け二人抜けして、グループに入れない新しい犬も何頭か来るようになって、以前のように犬同士の揉め事が起きてもみんな笑顔ですます、というわけにもいかなくなってきた。息苦しくなって、公園に来てもすぐに帰ってしまう人、公園は散歩の通過地点になってしまった人などが多くなり、夕方無理にムックを連れて行っても、楽しい仲間と会えないことが多くなった。

 この公園にはもうひとつ、子供向けの小公園が併設されていて、そっちもムックの散歩コースに入っているのだが、最近ここで子供たちが遊びながらカンシャクダマを鳴らすようになった。公園は人間のための施設だから仕方がないのだが、これでムックはさらに公園が怖くなった。家の近くからもう、公園の方向には進もうとしない。

 ほかの犬との接し方もずいぶん変わってきた。以前はどの犬ともおとなしく挨拶ができたのに、このごろは自分より目下と思う犬にはすぐ威張るようになって、安心できない。犬の階級性が成長とともに強く出てきたということなのだろうが、現在仮同居中の次男のところのコーギー犬・ケビンを一緒につれていると、2頭で気が強くなり、この傾向がさらに強くなる。

 私のいうことはよく聞き、早朝や夜なら街なかでノーリードで散歩させても不安はなかった。横断歩道ではこちらが「ヨシ」というまでちゃんと待っていることができるし、車がきて、「ムック、端っこ」といえば道の端に寄って車の通過を待つ。ところがほかの犬との不意の出会いでムックに威張られては、トラブルになりかねない。噛み付くなどという心配はないのだが、とにかくノーリードで歩かせるわけにはいかない。あたりまえといえばあたりまえなのだが、常時オンリードで散歩するようになった。リードにつながれると、ムックの足どりがたちまちシオシオしてしまう。

 朝のわんわん公園は安全だと認識しているらしく、これまでどおりにその日の気分で幾つかのルートの中から選択して歩き出す。しかし夕方は、「怖くないから公園に行こうよ」といくら私がリードを引っ張っても、踏ん張って応じない。

 家内は強行で、そういわがままは許さないとむりやり引っ張って連れて行くこともあるらしいが、軟弱な私は、ムックの散歩はムックが主役でこちらは脇役と考えているから、嫌がるところに無理に連れて行きたくない。それじゃどうする? とお伺いを立てると、しばらく思案をしていたムック、やおらそのときの気分に任せて歩き出す。ロングリードを握った私は黙って彼のあとについていく。

 もともと行きたい所があるわけではなく、足の向くままだから、次の四つ角でもうどちらに行っていいのかわからない。ムックが迷っていると、「こっちへ行こうか」と語りかけながら私は適当にリードを引っ張る。ところが行く先が判然としていないのに、そっちはいやだと我を張る。「じゃ、こっちか?」と反対方向を示すと、うん、ほんとうは僕の行きたいところはそっちだったんだよ、といわぬばかりにムックもやおらまた歩き出す。

 こうして行く辻々でどちらに進むか迷いに迷い、白い犬と初老の男はだんだん普段歩いたことのない街にさまよいこむ。どこへ行くかわからない散歩というのもまた面白いものだ。

 目的地がないといっても、ムックが歩くルートは土地勘のある道が多い。しかしどうしたわけか、ときどきとんでもないところに連れて行かれることがある。

 このまえは、ほとんど行ったことのない道をムックに導かれるままに歩いていたら、先導役がとうとうどこへ向かったらいいのかわからなくなってしまったらしく、道の際で立ち止まってしまった。どうするんだ、とお伺いを立てると、しばらく迷っていてから、脇の小さな路地に入るという。こうしてつぎつぎに普段立ち入ったこともない路地をウォッチングする結果になった。抜けられるだろうと思っていた路地が角を曲がったら袋路だったり、そんなところ歩けるのかとびくびくしながら進んでいったら予想もしない広い道に出たり、そうやってさまよっていたら、路地の奥の駐車場でいきなりウグイスの声を聞いた。どうしてこんなに家の建て込んだところにウグイスがいるんだ。誰かがテープの鳴き声をスピーカーで流しているのだろう。私は信じられない思いで、なおもムックに引かれるままに付近をうろついていたら、本当にすぐ近くの木にウグイスが飛んできて、またいい声で鳴いた。ムックの気まぐれで、思ってもいない街中でウグイスの声を聞くことができた。

 夜はあいかわらず外に出たがる。私が飲んだくれてうたた寝をしていると、待ちきれなくなったムックは催促にくる。目を覚ますと、前脚を挙げて私をたたく。外に出してやると、道向こうの駐車場で用を足して、さっさと家に戻ってしまう。もう昔のように夜の公園に行こうとは言わない。面倒がなくていいが、寂しい気もしないではない。

 夜の散歩のお目当ては、じつは足を拭いてもらった後にもらえるジャーキーと、私と一緒に牛乳を飲むことなのだ。外に出ればおやつがもらえると思い込んでいる。だから私の帰宅の遅いときに、代役の家内が外に出してやり、おやつを忘れてしまうと、恨めしげな顔でいつまでも家内を見上げている。首尾よくおやつがもらえ、はい、今日のムックのイベントはこれで全部終了、と私に言われると、さっさと二階に上がり、私の掛け布団でのうのうと寝てしまう。

 以前は雨が降ろうが降るまいが外に出たがったが、このごろは雨の音を聞くとあまり外に出たがらなくなった。

 ムックは人間の年齢だとまだ40歳になったかならないかだ。体力的には今がピークなのかと思うが、子供の頃のようにがむしゃらに遊びたがらなくなったことはたしかだ。

 さいわい山歩きに連れて行くと、犬が変わったように活動的になり、一日歩きまわると疲労困憊するほど活発に動く。しかしやがていつか、毎日の散歩のように、もうしんどいよ、と言いはじめるのかもしれない。

 あと5年後にはどうなっているのだろうかなどと、ときどき自分の5年後と重ね合わせて考えてみたりする。

(2003年6月23日)

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