【世相百断 第115話】


軍隊のないニッポン@





 もし日本に軍隊がなかったら、今、どういうことになっているだろうか。現実的な条件をいっさい斟酌せずに、想像力を働かせて軍隊のないこの国を想い描いてみる。

 軍備をもたない丸腰の日本は周辺国に甘く見られて、即刻どこかの国が攻めてくるだろうか。世界政府が実現できない相互不信と打算の渦巻く現実の政治世界の中では、そういうことが理論的な可能性としてまったくないとはいえない。

 では、具体的にどこの国が? 軍事的に反撃されないのをいいことに北朝鮮がミサイルを撃ち込んでくるか? でも、そんなことをして、北朝鮮にどんな政治的利益があるというのだろう。ミサイルをいくら撃ち込んだところで、日本を占領したり植民地にしたりすることはできない。ミサイルは軍事的な先制攻撃の手段でしかなく、それに続く軍事手段として日本領土内に軍隊を送り込み、軍事制圧しなければ、目的を果たせない。しかも、軍事的手段が成功したとしても、それにつづいて日本を占領地あるいは植民地にするには、軍事手段と政治手段が一体化した統治機構を打ち立てなければならない。米国のイラク侵略やベトナム侵略を見れば明らかなように、そこまでやるには膨大な軍事予算と軍事組織が必要だ。日本人の抵抗にも遭うだろう。国際的な非難や制裁も起きるだろう。それに打ち勝つためのパワーポリティックスも持ち合わせていなければならない。そんな力が北朝鮮にあるとはとても思えない。

 北朝鮮が日本に対して自らの政治的意図を実現させたいのであれば、日本が軍備を持っていようといまいと、非軍事的手段で、ということは外交的手段で交渉の機会をつくることが政治的にはもっとも現実的であるし、それ以外に可能性はない。

 そもそも北朝鮮が再々ミサイル実験を繰り返すのは、軍事的侵略の野心があるからではない。テロ国家とアメリカに決めつけられた軍事独裁政権は、それを口実にいつ自国が軍事攻撃されるかと怯えている。もし北朝鮮を軍事攻撃する国があれば、そっちも無傷では済まないぞ、ミサイルの反撃を受けるぞと、必死になって威嚇をしている。そして経済的に困窮の度をきわている北朝鮮は、その威嚇によってあわよくば何らかの経済的利益を得たいと願っている。それだけのことだ。

 こう考えれば、たとえ日本に軍隊がなくても、それをいいことに北朝鮮がなんらかの軍事攻撃を仕掛けてくる、などということがまずありえないことがわかる。

 ではほかの国は? 中国は? ロシアは? 

 これらの大国が日本に軍事攻撃を仕掛けてくる意図はなんだろうか。領土的野心? しかし広大な国土を抱えるこれらの国が、狭い日本を軍事侵略してまで領土的野心を満たしたいと考えるとは思えない。領土なんかあまるほどある。おまけに日本を占領なんかしたら、1億2千万の日本人を養わなければならなくなる。多大な政治的、経済的、軍事的リスクを負って、一次資源などほとんどない日本を軍事制圧下に置くメリットなどなかろう。

 だいいち、政治経済的にも文化的にもグローバル化した現在の世界にあって、こんな無謀なことをすればたちまち世界的な非難にあい、貿易や投資をはじめとする経済活動に重大な支障が出てくる。大国が丸腰の国を軍事侵略する政治的な利益など、ほとんど考えられない。

 それに、そもそも軍備をもたない日本を軍事侵略する名分が見つからない。

 中国やロシアにもできない丸腰日本への軍事侵略を、他のどの国ができるだろうか。

 たしかに全面的な戦争や日本への本格的な軍事侵略などという事態は現在の政治情勢ではありえないかもしれない。しかし局地的な軍事紛争が日本の領土内やその周辺で起きた場合、日本が軍隊を持っていないと不利になるのではないか。そういう考え方もありうる。

 では、それは具体的にどういう事態が想定できるだろうか。

 もし日本が軍備をもたないとしたら、竹島は即座に韓国領になってしまうだろうか。日中専管水域付近の石油開発は中国の独壇場になるのだろうか。こうした地域に韓国や中国の軍事艦船が出動して、日本を排除し、軍事的に領有権を主張するのだろうか。

 たしかに領土問題は厄介だ。しかし丸腰の日本に対して軍事的手段で一方的に領有宣言をすれば、やはり国際的な非難が起こり、これらの国にさまざまなマイナスが持ち上がる。日韓・日中の両国関係が険悪になれば、政治・経済的なマイナスも大きくなる。それだけのリスクを負って、微妙な領土問題を軍事的な手段で拙速に解決するメッリトがなければ、韓国も中国もそんな政治的な賭けには乗り出さない。日韓・日中の関係が良好に保たれていれば、こうした微妙な問題の解決こそ、軍事ではなく、粘り強い外交によって解決する道が選ばれるだろう。

 後で詳しく考察するが、日本の平和と安全を守るために本当に必要なのは、軍事力ではない。外交力を柱とする、非軍事的な手段だ。むしろ軍事力を持つことによって、平和と安全が危うくなることの方が多い。

 軍隊を持たないからといって、即座に日本が軍事侵略をされるというようなことはどうも現実的には起こりそうもない。

『軍隊のない国家』(前田朗著、日本評論社刊)によれば、世界に軍隊を持たない国家は27もあるということだが、これらの国家が他国から軍事侵略された例はない。むしろ軍隊を持たず、中立政策を採ることによって、世界大戦でも独立を維持できたり、周辺諸国の武力紛争に巻き込まれずに平和を保つことができた例の方が多い。

 軍隊を持たない国家として有名なのは中米のコスタリカだ。この国は日本と同様、憲法で戦力不保持を謳っている。決定的に違うのは、日本が戦力不保持を謳いながら世界有数の軍備を保持しているのに対して、コスタリカは憲法の規定どおりに本当に軍隊を捨ててしまった点だ。言行一致のコスタリカと、現実政治と合わないからと戦力不保持の理念を捨てて憲法改正すべきという声がかまびすしい日本のこの決定的な国家理念の差を、私は忸怩たる思いで考えないわけにはいかない。

 だが日本だって、現行の"平和憲法"が公布されたときには、自国と世界の平和に対する崇高な理念を持っていたのである。現行憲法の公布直後に、その啓蒙のために中学1年生用に発行された教科書『新しい憲法のはなし』の中の以下の部分からは、日本が引き起こした戦争に対する痛烈な反省と当時の平和に対する国を挙げての熱意、崇高な理念がよく感じ取れる。

 こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないような、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『すててしまう』ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、他の国よりさきにおこなったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。

(『あたらしい憲法のはなし』文部省)

















 この平和に対する日本国民の熱意と崇高な理念は、その後の東西冷戦と朝鮮戦争勃発によって薄紙のように踏みにじられ、戦後保守政権によって軍拡に継ぐ軍拡がなされ、ときどきの国民の多数もそれを事後承認してしまう。そして現在、戦力不保持の憲法をもちながら世界有数の軍備を保有していることの巨大な矛盾に、多くの日本人はさしたる疑問すらもたなくなっている。

 国家は軍隊を持っていて当たり前? 軍備をもたない国家は平和と安全を維持できない?

 ほんとうだろうか? では、世界に軍隊を持たない国家が27もある現実をどう受け止めたらいいのか。

 コスタリカをはじめとして、軍隊を持たない国家はみな小国ばかりだ。日本のような大国の参考にはならないよ。こう言う人もいそうだ。しかしこれはおかしい。政治的・経済的・文化的に世界に一定の影響力をもつ日本なればこそ、非軍事的な手段でさまざまな国際的な政治課題を解決することができる。その力は軍隊を持たないこれらの国とは段違いに大きいはずである。軍事侵略されればひとたまりもないようなこれらの小国が非軍事的手段で自国の平和を守れているのに、段違いな大きな国力を持っている日本にそれができないはずはない。

 夢想に戻ろう。夢想とは言いながら、なかなかに現実的な話だ。

 軍隊がなくなることによってわれわれの社会にどんな影響が出てくるのか。誰が損をし、誰が得をするのだろうか。

 まず、軍隊を持たないとどんないいことが起きるだろうかを考えてみよう。

 軍隊をなくせば軍事費にお金がかからなくなる。4兆7700億円(平成20年度)の防衛費がいらなくなる。オオ、スゴイネエッ。財政が逼迫している現在、5兆円近い財源が新たに生まれれば、ずいぶんいろいろなことに利用できる。このお金を福祉・医療・教育・雇用の安定などに活用しようよ。破綻した老人保険制度を再建して、「後期高齢者医療制度」などという非人間的な保険医療システムをもっと血の通ったものにできるだろう。医師の処遇を改善して、医師不足も解消しよう。介護保険システムも改善して、本当に困っている人たちにもっと質のいい介護サービスを提供することもできそうだ。介護関係職員の処遇も改善して、介護が誇りをもって従事できる仕事にしたいね。

 OECD諸国の中では底辺に位置する日本の教育費をもっと充実させ、教師の数も増やそう。20人学級を実現させて、きめ細かい授業ができる体制もつくろう。大学をはじめとする研究機関の基礎研究の予算ももっと増やせそうだ。

 失業保険制度を充実させ、職を失っても安心して再就職活動ができる体制もつくれるだろう。公的な職業訓練機能も充実させたいね。せめてEU諸国並みの失業対策を講じることができれば、ワーキングプアを減らすことも可能になるだろう。

 安心安全の社会的ネットワークを機能強化できれば、社会はもっと安定し、人々の暮らしにもすこしは余裕が生まれ、不安で縮こんでいた消費活動もだんだん活性化していくのではないだろうか。

 こんなふうに夢想していくと、軍隊を持たないことが最大の景気活性策、福祉増強策になるのではないかと思えてくる。毎年5兆円近いお金が、再生産のサイクルに乗ることなく、軍備放棄したはずの日本の軍事組織の維持拡張や、訓練や機能の陳腐化でつぎつぎに捨てられていく高価な兵器の購入に消費されていく。軍隊を持たないことで、こうした膨大な浪費を社会保障や教育の充実のために使えば、それはまちがいなく庶民にとって"得"になる。

 軍隊を持たないコスタリカでは、実際にこうした政治が行われている。

 かつてコスタリカにも軍隊があった。その時代には、経済的にゆとりのないこの小国でも莫大な軍事費を使っていた。ところが1949年の新憲法成立によって軍隊は完全に廃止され、それまでの軍事費は教育と福祉に回されたるようになった。「兵士の数だけ教師を、兵舎を博物館に」というスローガンのもとに、軍事費ゼロ、国家予算の30パーセントを教育費にあてる財政構造をつくりあげた。

 この結果、コスタリカ国民は中米一の公的サービスを享受できることとなり、世界でも有数の教育国家に変貌した。識字率は94%である。

 とても現実的で賢い選択だとは思いませんか? コスタリカの例は、軍備放棄がただの理想論ではなく、現実的な政策選択であることを証明している。

 いくら軍事費を注ぎ込んで軍備を増強しても、それで国は発展しない。一国が軍備増強に走れば、それは周辺諸国の軍事的不安を呼び、軍拡を促す。相対的にみれば、ある国の軍備増強は中長期的なスパンでは軍事力の増強には結びつかず、軍拡競争によるさらなる軍事費の増加を招くだけなのだ。

 軍備に膨大なお金を使っても、社会の発展や国民の安心・安全はいつまで経っても実現できない。しかし同じお金を教育や福祉の充実に使えば、それは国の発展・社会の安定という形でかならず返ってくる。

 現実のコスタリカには、政治の停滞や汚職、人種差別などもあるようで、けっして理想の国家ではないようだ。しかし軍隊を持たず、軍事費を教育や福祉予算に充てた結果、中流階級が分厚く形成され、社会的格差の少ない平和な国家をつくりあげることができた。「軍隊不保持や死刑廃止に特徴的なように、コスタリカでは平和、生命、人権を尊重する政策や教育が進められてきた。他者への思いやりや尊重の意識が非常に高いことが指摘される。競争社会ではなく共生社会を目指し、福祉や医療や治安レベルの高さに特徴がある」(前田朗・前掲書)

「平和」とは、単に国土が武力侵略されない、周辺地域で武力紛争が起きないという"戦争のない状態"を指すだけではない。国民に必要充分な生活の権利を保障できるだけの社会水準を実現できてこそ、はじめて「積極的平和」を構築できたと言うことができる。

 さらに夢想は進む。

 軍隊を持たなくなれば、自衛隊員もいらなくなる。27万人のこの優れた要員を積極的に活用しようよ。海上保安庁の要員充実に充てるのはまさにぴったりの活用法だね。教員に転向できる人もずいぶんいるのじゃないだろうか。警察官の増員に充ててもいい。大規模災害復旧隊といった組織をつくって、これまでの自衛隊の災害出動に代える機能の維持も必要だね。災害復旧を専門にする組織なら、高価な兵器を使った実戦訓練など必要なくなる。災害復旧の訓練に特化して励めばいい。連度も装備も、災害復旧に特化して高度化できる。国際貢献のためのさまざまな機能を持った「国際貢献隊」のようなものもつくる必要があるだろう。非軍事組織だから、他国の軍事組織とは一線を画した平和実現のための国際貢献活動ができるようになる。

 こう考えてくると、軍隊を持たないことはわれわれ庶民にとってはいいことばかりのように思えてくる。

 だが往々にして、一方の得は他方の損になる。では、軍隊を持たないことによって誰が損をするのだろうか。

 考えるまでもなく、それは軍隊があることによって儲けている人たちだ。まず思い浮かぶのは、一式百億円、千億円単位の超高価な、実質定価なしの軍用機や軍事艦船、防衛システムなどを買ってもらえる米国の軍需産業と、それと一体になっている米国政権中枢だ。米国のおぼえめでたくして、それによって自らの地位の安泰を図っている日本の政治家もこの列に連なっている。日本はアメリカにとっての兵器取引の最上等のお客さんだ。同様にミツビシをはじめとする日本の軍需産業とそれと一体になっている保守政権の中枢。

 こうした軍備によって儲けている、利権を得ている企業や人がいる。こういう輩が政治・経済の世界で名誉や地位を得、支配欲を満足させている。

 こうした人種が得をしているということは、逆にいえばわれわれ庶民が自分たちのために使えるはずの税金を軍需産業に横取りされて損をしているということになる。

 どちらを向いた政治がなされているかということなのだが、現実には残念ながらこういう人種が戦後長年日本の政治を牛耳ってきた。コスタリカのように、平和意識の高い国民を志の高い政治家が束ねられてこそ、軍備放棄の福祉国家をつくりあげることができたが、日本は残念ながら政治も国民の平和意識も戦後年月が経つに連れて急速に風化し、平和憲法の空文化が進み、強大な軍備をもつ軍事大国を出現させてしまった。

(2008年11月24日)

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