| 【世相百断 第64話】 |
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| 憲法9条と自衛隊の現実 |
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第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
日本国憲法は前文第2項の恒久平和の原則を受けて、第2章で「戦争の放棄」を謳っている。条文は上記の第9条のみである。ご覧のように、一切の戦力の不保持、武力の使用の否認を宣言した、世界に例のない憲法である。 9条2項の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」は、大日本帝国憲法によってアジアを侵略し、さらには米英を相手にした無謀な世界大戦にまでのめりこみ、内外の国民に途端の苦しみを味わわせた軍事独裁政治への反省を込めた前文第1項「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする」ための、戦後政府に対する厳しい決意の具現化である。つまり第9条は前文の恒久平和の具体化として書かれている。 第1項で戦争と武力による威嚇・行使を放棄し、第2項で戦力の不保持と交戦権の否認を定めている。軍備も、それによる戦争行為も認めていない明快な条文、のはずである。第9条をこう直裁に読めば、国際法上認められる自衛戦争も、日本は憲法上できない。 そもそも日本国憲法はいっさいの戦争行為を想定していない。だから戦前の大日本帝国憲法のように宣戦・講和の規定ももっていないし、兵役の義務も国民に課していない。徹底して、一切の戦力の不保持と戦争の否認を掲げた憲法になっている。 だが現実には、日本は世界有数の巨大な軍備を保持している。その規模を概略数字で示すと、02年度末現在14.8万人の陸上兵力、4.4万人/140隻/39.8万トンの海上兵力、4.5万人/作戦機数480機の航空兵力を擁し、03年度当初予算で4兆9350億円(一般会計歳出比6.1%)、「中期防衛力整備計画(平成13年度〜平成17年度)」で「防衛関係費の総額の限度は、(中略)平成12年度価格でおおむね25兆1,600億円程度」を想定している。(平成15年版防衛白書) 私たちの目の前にある日本の軍備の現実と、憲法の恒久平和の原則、その具体的表現である9条の条文とはあまりにもかけ離れすぎている。 なぜこんな奇妙なことになったのか。 今では信じられないような話だが、1946年の憲法発布からしばらくは、政府は憲法前文と9条を文字どおりに解釈し、憲法は一切の軍備を禁止し、自衛戦争をも放棄したものとしていた。 憲法発布に先立つ同年6月28日の衆議院委員会で、共産党の野坂参三議員が「侵略戦争の放棄」だけにすべきで、「正しい戦争」をやれるようにすべきだと主張した。これに対して吉田首相は真っ向から以下のように反論した。
なんとも高邁な答弁ではないか。吉田首相の言うように、国家間の戦争は例外なく正義の戦い、自衛の戦いとして戦われてきた。前にも書いたことがあるが、世界の多くの国家に国防省はあるが、攻撃省または侵略省などというものはない。どの国も自国が行なう戦争は正義の戦争、やむをえざる国家防衛戦争だと主張してきた。それでいて20世紀は、いや、21世紀になってもいまだに、世界は、歴史は、すさまじい侵略戦争に血塗られつづけている。米国のイラク武力侵略も、イラクの大量破壊兵器による攻撃から、大規模テロ攻撃から、自国を守ることを大義に進められてきた。 北朝鮮のミサイル攻撃に先立って、先制攻撃をすることも自衛だという威勢のいい声が近年一部政治家の間に強くなっているが、大陸間を瞬時に大量破壊兵器であるミサイルが飛び交うほどに兵器が発達した現在、自衛のための戦争と先制攻撃あるいは侵略のための攻撃はほとんど区別がつきにくくなっている。 吉田首相が言うように、いったん自衛のためとして戦力を保持すれば、攻撃による損得勘定のプラスがマイナスよりはるかに大きい、つまり戦争が儲かるものだとふめば、どの国の政府も正義を掲げて不正義の戦争を、防衛を唱えて侵略戦争を行なうものなのである。 そういう面で憲法発布前後の政府は、日本が引き起こしたアジアの戦争の真摯な反省と正気をしっかりと保持していた。 ところが憲法公布後、世界は東西冷戦、つまり米国を中心とする資本主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営の対立に進み、やがて1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発する。これを機に、日本の軍備に対する姿勢は大きく転換する。 米国の占領統治下で、朝鮮戦争に参戦する米軍の後方基地と日本が位置づけられ、このための再軍備を強いられ、1950年8月10日、日本は警察予備隊を設置し、再軍備に踏み切る。独立を果たしていない被占領国としては現実政治の中で他に選択の余地はなかっただろう。 この警察予備隊の設置は、朝鮮戦争勃発からわずか1ヵ月半という短期間の中で行なわれたことにも表われているように、超憲法的なポツダム政令という米国の軍事圧力のもとで大急ぎで進められた。戦争の惨禍の記憶が国民の脳裏に強烈に焼きつき、今では想像もできないほど平和志向の強かった当時の社会状況の中で、当然、国民の側の危機感は高まる。これを反映して、7月29日の衆議院本会議では、「予備隊の性格は軍隊ではないか。国際軍に加入して海外に派遣するつもりはあるか」といった、現在のイラクへの自衛隊の多国籍軍参加(という名の"派兵")を予見したような質問が政府に浴びせられ、吉田首相は「(警察予備隊の)目的はあくまで国内秩序を維持するもので国際紛争を解決する手段としての軍隊ではもちろんない」と苦しい答弁をする。(『産経新聞』(1950年)7月30日(日)付朝刊) 日本の再軍備が、超憲法的なアメリカ占領軍の圧力のもとで強行され、これを糊塗するために「警察」という、実体を偽る名称で軍隊が創設され、これを正当化するしかない政府が苦しい憲法解釈でその場逃れをするというそもそもの再軍備当初の状況が、その後の日本の軍備と憲法の関係を、さらには米国の世界戦略に大きく取り込まれる自衛隊の運命を規定してきた。 警察予備隊設置から1年後の1951年9月に、日本は米国と講和条約を締結し、ようやく独立を果たす。しかしこの独立は、日米安全保障条約という軍事条約とセットの独立だった。日本の独立は、米国の世界戦略の軛から逃れられない方式のものだった。 この年の4月には海上警備隊も設置され、さらに同年8月には警察予備隊と海上警備隊を統合して「保安庁」が新設される。 この保安庁新設に際して、同年11月に政府は、「憲法第9条第2項は,侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず「戦力」の保持を禁止している」としたうえで、「戦力」とは「近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成を具えるものをいう」ので、「近代戦争を有効に遂行し得る程度のものでない」保安隊は戦力ではないという統一見解を発表した。兵員12万(地上軍11万、空軍120機、海軍68隻)の保安隊は警察上の組織であり、軍備ではない、つまり保安隊は憲法に違反していないという警察予備隊の論理を踏襲したわけである。 独立後も、核兵器を保持して対峙する米ソ両大国の冷戦の進行の中で、日本を社会主義勢力封じ込めの橋頭堡にしたい米国と、米国の経済支援の下で戦後復興を果たしたい日本政府の思惑は合致し、1953年10月には池田・ロバートソン会談で自衛力漸増の共同声明が発表される。 さらに翌1954年7月には、自衛隊・防衛庁が発足し、保安隊は陸上自衛隊と海上自衛隊とに改組され、同時に航空自衛隊が創設される。このときの自衛隊法第3条には「直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし」と自衛隊の目的が明記され、法律上も自衛隊はここに晴れて軍事組織となったわけである。 だが一方で、再軍備以来増強の一途をたどり、ついに自衛隊となった軍隊の現実と憲法の精神の乖離は埋めがたいものになってきた。もはや自衛隊は誰の目にも戦力であることは明白で、そうでないと言い張ることは内閣にもできなくなってきた。 そこでこの年に成立した鳩山内閣は、憲法9条の「見解」を以下のように改め、自衛隊は憲法に違反しない、つまり合憲だという統一見解を発表する。
どの時代、どの社会にも言葉を操るに巧みな官僚的人間はいるもので、「自衛のための抗争」は憲法にいう戦争ではないと言い出した。憲法のどこにも存在しない「自衛のため」という言葉を編み出して、自衛隊は合憲だという論理を作り出した。こうして自衛隊をめぐる、ときの政権の強引な憲法解釈の積み重ねの第一歩がはじまった。 同時に鳩山内閣は、9条の文言を逆手にとって、以下の統一見解も発表する。
1946年の衆議院における吉田首相の答弁からわずか8年にして、さらには1952年の保安庁新設時の「憲法第9条第2項は,侵略の目的たると自衛の目的たるとを問わず「戦力」の保持を禁止している」という政府統一見解からわずか2年にして、自衛のための戦争は合憲とされたのである。 だがこうした強引な憲法解釈による自衛隊の合憲性の主張は、自衛隊が強大になればなるほど苦しくなり、国民の支持も得られない。いっそうの軍備増強にも障害となる。 そこで鳩山内閣は憲法改正を考えるようになる。約50年前の憲法と自衛隊をめぐる政治状況と現在のそれがオーバーラップしてくるようではないか。
さらに翌56年の衆議院内閣委員会で鳩山首相の注目すべき答弁が読み上げられる。
現在の憲法と軍備の関係、さらには昨今一部で声高に唱えられている、北朝鮮のミサイル攻撃を防御するために先制攻撃でミサイル基地を叩くことも自衛行為だとの主張も、約50年前のこのときにすでに芽を出し、成長を始めていたのである。 1955年の保守合同以来、自民党は政権を維持し、その中枢は第9条を中心とする憲法改正を悲願としてきたが、ときどきの政権の軍備増強や憲法解釈を既成事実として追認してきた国民も、「改憲」だけは実現させず、衆参両院で改憲に必要な3分の2以上の議席を自民党に与えずにきた。 そこで政府はやむをえず、「自衛のための必要最小限度の実力」の保持は憲法上禁止されていないという説明を続けざるをえず、「自衛のための必要最小限度の実力」が先述した世界有数の軍備にまで膨張するという歯止めのない状況を出現させたわけである。 この「自衛のための必要最小限度の実力」が憲法上保持できるものとされるかぎり、日本の軍備は今後も国家財政の許すかぎり際限なく増強されつづけるだろう。なぜならば、「自衛のための必要最小限度の実力」には量的な規制機能がまったくないからだ。ある国の政治・軍事状況が日本の脅威とされれば、それに対応するための「自衛のための必要最小限度の実力」もまた相応に増強が必要になってくる。実体はともかく、政治・社会的な認識レベルで「脅威」が大きくなればなるほど、軍備増強に対する要求もまた高まる。軍備は常に、外的脅威を必要とし、外的脅威を口実に増強されつづけてきたし、今後もされつづけるだろう。 実際、1980年代には米ソ緊張緩和が進行したにもかかわらず、アジアにおいてはソ連、中国、北朝鮮の脅威が存在するとされ、これが軍備増強の根拠とされてきた。ソ連が崩壊し、東西冷戦が終結しても、中国が市場経済を導入して世界とのネットワークを維持しなければ国家の安定が維持できなくなっても、北朝鮮の国家運営が行き詰まっても、依然として「社会主義の脅威に備えるため」を口実に軍備は増強されてきた。 1994年の北朝鮮の核疑惑問題に端を発した米朝の政治的緊張の高まりから、9・11テロに反応した米国のイラク武力侵略にいたるこの10年は、政治・経済・軍事にわたる米国の独り勝ちの中で、貧困にあえぐ発展途上国の人々の怨嗟は米国に集中し、米国はこれまで以上に自国の権益を保持するために世界のあらゆる地域で武力の睨みを利かす必要が強くなったが、いかに世界唯一の超大国といえども、財政的・人的に自国一国では世界の警察官は務めきれない。こうした中でこの10年、米軍の補助機能としての自衛隊への要求はますます強くなり、政府はこれに応えて有事法制や周辺事態法などの法的整備をはじめとして、戦略・作戦・装備にわたる米軍と自衛隊の一体化が着々と進められ、自衛隊は戦闘やまぬ"非戦闘地域"イラクに派遣され、いまや集団自衛権も条件によっては合憲、とまで一部で唱えられるようになってきた。 自衛隊が海外で活動する事態になれば、いかになんでも「自衛のための必要最小限度の実力」だとは言い張れなくなってくる。集団自衛権も憲法改正も、こういう状況になって、憲法の平和理念と軍備の現実の覆いがたい乖離を一挙に埋めるために、今また声高に唱えられてきたわけである。また、こうした認識のできない民主党の、政権担当能力を示したいと改憲論議に打って出た、卑小で視野狭窄な方針が、改憲をにわかに現実的なものにしてしまった。 東西冷戦以後、日本は、自衛隊は、いっそう危険な状況に巻き込まれつつある、といえるだろう。 これが、我が国の平和憲法と軍備の現実である。 改憲がにわかに現実味を帯びてきた今、大きな乖離の両側に位置する憲法と自衛隊の関係をどうするのか、国民一人一人が真剣に考えなければならなくなってきた。それはとりもなおさず、この国を、この社会を、どういう国、どういう社会としてわれわれの子や孫に手渡すかという問題にほかならないからである。 自衛隊反対と唱えただけで、これだけ巨大になった軍備が自然に消えるわけはない。 では、自衛隊の現実をありのままに認知して、憲法改正によって乖離を消滅させれば、つまり日本を海外で戦争のできる普通の国にすれば、問題は解決し、この国は、我々の社会は、平和で国民が安寧な暮らしをできるようなものになるのか。テロの心配のない、他国から信頼され、尊敬される国になれるのか。 前者が不可能事であり、後者が平和な世界の実現のために採るべき方向ではないのなら、第三の道を模索するほかはない。 憲法の絶対平和の精神と巨大化したこの国の軍備を、では、現実の中でどう折り合いをつけ、始末していくべきなのか。 ひきつづきこの困難なテーマを模索していこう。 |
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| (2004年9月10日) | |||||||||||||||||
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