いわゆる「放浪の一匹狼のヒーロー」って、わりと「愛用の道具」を持っていませんか?
 例えば、刀・剣・銃みたいな「武器」とか、車・船・ロボットみたいな「マシン」とか。
「道具」は「道具」でも、ある意味では彼の「分身」とも、「自我の拠り所」とも言える「大切な存在」、すなわち《自分のモノ》。
 この、《自分のモノ》っていう、「所有」「占有」の感覚というのは、言葉を換えれば、「世界の中に自分の《居場所》を求める感覚」なのではないかと思うのです。
 映画館のシートにハンカチを置いて「席取り」するように、《自分のモノ》が存在する場所が、イコール「自分の《居場所》」。
 「なにものにも束縛されず、特定の住まいを持たず」さすらうヒーロー達にとって、《自分のモノ》は、「モバイルな《居場所》」という意味合いがあるのでは? 
 わたしは、そんなことを考えます。(してみると、人間というのは、広大な世界の中で、真に《居場所》を定めずに生きてゆけるほどには強くないってことなのか……)
 無論、武器・マシンのような具体的な《自分のモノ》を持たないヒーローだって多々いるわけですが、彼らが《居場所》を持っていない、もしくは必要としていないのか?というと、そうでもない……と思います。彼らの《居場所》は、おそらく彼らの「内側」にある。それは、或いは「夢」だとか「生き方」なんて名前で呼ばれるものなのかもしれない。
 そして、《自分のモノ》を持っているヒーロー達も、必ずしも《モノ》それ自体に執着しているわけではなく、その《モノ》が、「自身の内面を反映する存在」ということを自覚していて、その上で《自分のモノ》として大切にしている……のではないかと。

 で、キリコちゃんの場合ですが……。彼の場合、放浪のヒーローの一般例に反して、《自分のモノ》(=《自分の居場所》)を持っていないように見えるのです。でも、それってすごく「不自然」ないし「不安定」なのではないか? 故に、「フィアナ」という対象を得たとき、本来「AT」に向けるべき感情までも、彼女に投影してしまっているのではないか?

 すなわち、

◆キリコは、「フィアナ」と「AT」を混同しているのではないか?

 あるいは、

◆キリコは、「マシン(AT)」に恋するように「フィアナ」に恋しているのでは?

 ……と。どうぞ、しばしお付き合いのほどを。

 

──「キリコとフィアナとATと」冒頭より抜粋 

 

「なぜフィアナだったのか?」内容紹介

「なぜワイズマンがキリコに与えたのは、フィアナだったのか?」

  • 完全に自分の監視下においておける対象だから
  • キリコが「好みそうなタイプ」だから

 ……から始まり、

  • フィアナが(他の人間よりも)キリコの「教育」に「適しているから」

 を経て、

  • 彼女が、「女」だったから。

 の結論に辿り着くまで、です(^^;;)。

 または、

「なぜワイズマンはキリコの相手に“女”を選んだのか?」

 という問いに対して、

  • キリコもワイズマンも「男」であるから。

 ……という答えを得るまでの、まるで「禅問答」のような、「こじつけ」バナシ。

 


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