教室に時計設置!

 新学期。いつものことであるが緊張する。せいちゃんでも緊張するの?と言われそうだが、やっぱり緊張する。この緊張をほぐしてくれるのは、せいちゃんの場合は生徒である。生徒の元気な顔を見ると、昨日までの「もう1日冬休みがあればなぁ…(きっともう1日あっても、更にもう1日と思うのだろうが…)」という気分もふっとんでしまう。

 せいちゃんのクラスは欠席が2名であった。新学期早々の欠席であるが、病気なので仕方がない。それ以外は、きちんと登校していた。ホッとする。なんだか学校に生徒が来てくれているだけで嬉しい。その日1日が明るくなる。単純だと言われるかもしれないが、そうなんだからしょうがない。これも毎学期のことである。もちろん、毎日そうなのだが、学期始めは特別なのだ。

 さて、今学期から教室に時計が設置された。「教室に時計もなかったのか!」と言われそうだが、なかったのだから仕方がない。これまでは、(学級担任によってはだが、)担任自らが教室に時計を設置している姿も見られた。最近では腕時計も安くなり、必ずといっていいくらい生徒自身が持っている。そういう意味では時計を置く必要はないのだが、やっぱり時計があると教室らしくなる。公共の場所には、必ずといっていいほど時計がある。やっぱり「チャイムと同時に行動する」学校に時計がなかったのが不自然なのであろう。

 せいちゃんも自分のクラスには時計を置いていた。PHS・携帯電話対策が主な理由であった。PHS・携帯電話などの普及により、多くの生徒がそれを活用している。中には時計代わりにする生徒も少なくない。授業中に平気で時間を確認するために、本来は校則で禁止されているはずのPHS・携帯電話をポケットから出してくる。また、定期考査などでは教室内にPHS・携帯電話を持ち込んではいけないことになっているので、時間を確認したい生徒が困る姿もしばしばであった。結局、時計をPHS・携帯電話持込み対策のために置いていたというのが、せいちゃんの理由である。案外、情けない理由だ。

 今回の教室に時計を設置した効果を、試験監督をしながら感じた。前を見上げる生徒が多いのである。残り時間の確認のためである。腕時計をしている生徒も前を見上げている。腕時計は自分の時間で、教室の時計は集団の時間をさすものだと思っているのだろうか?集団に示された時間を、集団の中のひとりとしてとらえているのだろうか?もしそうだとすると、教室の時計の責任は非常に重大である。せいぜい狂った時間をささぬように配慮しなければならないと思う。

最後に、これまで教室に置いていたせいちゃんの時計をどうしようかと思案中である。新しい時計に役目を奪われたせいちゃんの時計は、教卓の中で誰に知られるでもなく時を刻んでいるのであった。

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