平成11年1月9日〜10日にかけて、東京で行われた「第3回全国青年組合学校」に参加してきました。今年は、全国から90名くらいの青年教師が参加していました。青森全私研で知り合った人も多く参加していました。
 さて、今回の記念講演は三上満(みかみ・まん)氏によるものでした。参考までに、三上満氏のプロフィールと主な著書をHP(ココ!)より一部転載しておきます。

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現 在  教育評論家、「子どもと教育・文化を守る国民会議」代表委員
現住所  東京都豊島区在住
家 族  妻、1男1女(それぞれ独立)
趣 味  登山、囲碁、将棋、園芸
1932年3月  東京赤坂で生まれる。
1955年3月  東大教育学部卒。
1955年4月  文京区立第一中学校をふりだしに中学校社会科教師となる。
1958年4月  勤務評定反対のたたかいのなかで、都教組文京支部副委員長となる。以後1972年3月まで同支部書記長など三役を歴任。この間、文京原水協事務局長をつとめる。三井三池、新島ミサイル反対闘争などにもオルグとして参加。
1973年4月  葛飾区大道中学校に転任。都教組葛飾支部教育研究会議議長、教文部長、非行対策委員長などを歴任、とくに非行克服の活動に全力をあげる。
1982年4月  都教組教文部長となり(三期)、離籍専従となる。以後副委員長(三期)、書記長(一期)、「ふたたび革新都政をめざす会」事務局長、委員長(二期)。
1989年11月 全日本教職員組合協議会結成と同時に議長に就任、全労連副議長。公務共闘副議長も兼任。
1991年3月  全日本教職員組合中央執行委員長に選出、95年3月に退任。
1994年8月  全労連議長に選出、96年7月に退任。この間、「非核の政府を求める会」常任世話人、全国革新懇世話人、原水禁世界大会実行委員会議長団、石播支援共闘会議議長などを歴任。
現 在  教育評論家。「子どもと教育・文化を守る国民会議」代表委員、「日本の教育改革をともに考える会」代表などをつとめながら幅広く教育分野で活動。また「世界子どもの平和像」ピースドリーム・サポーターズ代表、「上野東照宮境内に『広島・長崎の火』を永遠に灯す会」常任理事、「100年後の人々の手紙運動」実行委員長など多彩な分野で活動。東京豊島区社会保障協議会会長。

主な著書

教育関係を中心に31冊の多数の著作がある。 【主な著作】
◯ 「現代っ子の教師論」 (1969年 初刊・鳩の森書房 1982年再刊 労働旬報社)
◯ 「非行問題と学校」 (1982年 新日本出版社)
◯ 「各駅停車の教育」 (1973年 労働旬報社)
◯ 「眠れぬ夜の教師のために」 (1986年 大月書店)
◯ 「対談・めんどうくさいもの人間」 (1991年 山田洋二氏と対談 労働旬報社)
◯ 「学校ここにある希望」 (1994年 新日本出版社)
◯ 「宮沢賢治・修羅への旅」 (1997年 文・三上満、写真・小松健一 ルック社)
◯ 「教師への伝言」 (1998年 新日本出版社)
※ 他にも新聞・雑誌への連載、論文、エッセイなど多数。

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 さて、三上満氏の講演の内容は以下のようなものでした。三上満氏自身の教員体験を随所に散りばめながらの講演であったので、面白く聞くことができました。以下は、三上満氏の講演を、私なりに要約したものです。


 青年教師は若さという武器で、子供たちと真正面からぶつかっていこうとする。だから、青年教師は学校で子供と触れ合っていくなかで、子供に対して取り返しのつかない失敗をしてしまったと思うことが多々ある。しかし、子供の復元力(子供がショックから立ち直る力)というものは、教師の想像を超えて、はるかに強いものなのです。その原因は、子供の世界観が、非常に多様であるからなのです。子供は子供同士の中で、家庭の中で、自分の世界を持っています。しかし、教師側は、自分の100%で、あるいは100%に近い状態で子供と接している(教師の世界観が、子供にだけ向かっている)かもしれません。けれども、子供はそうではないのです。子供は非常に多様な自分の世界観を持っており、教師との関係は、その中のほんの一部に過ぎません。つまり、教師との関係で受けたショックを、他の世界で発散させていくのです。本当に取り返しのつかない事というのは、それほど起きるものではありません。

 しかし、だからといって、子供の復元力だけに期待してはいけないのは当然です。先輩教師から学ぶ(教えてもらう)などして、青年教師がしっかりしていくことは大切なことです。なぜなら、教師がしっかりしているか、いないかは、全て子供たちに、子供たちの将来に影響するからです。つまり、教師がしっかりしなければ、教師自身が困るのではなく、その教師と接している子供が困ることになるのです。

 教師がしっかりする・成長するためには、いろいろな方法があります。けれども、大切なのは「どうやって伸ばすか」ではなく、「何を伸ばすか」なのです。もちろん、先輩教師から学ぶことも必要ですが、「人真似でなく、自分のスタイル」を見つけることが最も大切なことです。どの教師も自分なりの子供との付き合い方というものを身に付けています。これは、各教師によって違いがあります。教師が、自分の長所を十分に生かしながら子供たちと接していこうとすると、それぞれに違いが出てくるのは当然なのです。

 さて、「何を伸ばすか」ということです。私の経験を、いくつか話しておきましょう。

 1つめは、「あきらめない」ことです。子供たちと接していく中で、「どうせこの子は…」と思うこともあるでしょう。しかし、それでも決してあきらめず、生徒を信じてやることのできる教師です。「A先生は、私のような出来の悪い生徒でも、あきらめずに教えてくれるもん」と言って、毎日放課後、厳しい補習を喜んで受けている生徒がいました。教師のあきらめないという姿勢が、成績が悪いから、素行が悪いからと周囲から相手にされなかった生徒の心を開くことがあります。

 2つめは、「大事なことは、きちんと教える」ことです。避難訓練の時のことです。サイレンが鳴り、避難訓練がはじまりました。その中で、廊下を反対方向に「トイレ、トイレ…」と言いながら、ふざけた様子で走って行く生徒がいました。その生徒を怒った教師がいました。真剣に怒ったのです。「命を守るための訓練をしているのです。その訓練の最中にトイレに行く人がありますか!さっさとグラウンドへ避難しなさい!」と、普段は怒らない教師が、真剣になって怒りました。私達にとって最も大切な命、それを守ることの大切さを教えようとしたのです。
このような事例からでも、教師の仕事が変幻自在でなければならないことが分かるのではないでしょうか?個々の生徒にあわせた対応はもちろん、個々の状況にあわせた対応も必要になります。教師は地力を養うことが必要なのです。

 そこで「教師の条件」を私なりに三点あげるとするなら、「陽気さ」、「大事なことは真剣に」、「ありふれた教師」の三点です。

 まず「陽気さ」とは、「未来の可能性を陽気に語ることができる教師」のことです。未来の社会は、子供たちが中心になってつくっていきます。つまり、未来を明るい展望を持って陽気に語ることは、子供たちのつくる社会を信じることになり、ひいては、未来の社会を作る子供たちを信じることにつながるのです。また、「日本の未来は暗い…。大変な時を迎える。そんな困難な社会を生きる君たちは、毎日真面目に勉強しないと大変なことになる」などと言いながら、教育活動を行っていては、子供たちのやる気もなえて当然です。明るい未来の社会を語りながら、子供たちに接していく必要があります。ただし、子供への信頼は等価交換ではありません。「信頼して欲しければ、○○しろ」という考え方ではなく、子供に何度裏切られても信頼し続ける力を身に付けなければならないのではないでしょうか?そのためには、それぞれの子供が持っている様々な良い部分数多くを発見し、どれだけの評価をするのか…ということになると思います。それぞれの子供の良い部分を発見し、きちんと評価して明るい展望を持って子供に伝えることによって、子供を信じる力を持てるようになり、子供からも等価交換ではない信頼を得られることと思います。

 次に「大事なことは真剣に」というのは、各教師が大事に思っていることを真剣に伝えるということです。何でもいいから、子供にこれだけは伝えたいというものを持っていると思います。例えば、私は「一肌脱ぐ」というのをよく言いますし、よく言われます。ほとんど口癖になってしまっていて、何かを頼む時は必ず「一肌脱いでくれ」と言っています。誰かに何かを頼まれた時は、「一肌脱ぐ」という気持ちを子供にも気づかないうちに伝えてきたようです。このように、気付かないうちに子供に伝えている大事なこと、意識して伝えていくことなど様々あると思いますが、教師が自分の人生での経験に裏付けられたものとして伝えるようにしなければなりません。「自分の人生で良かったことを生徒にも身に付けて欲しい」という順接でも、「自分の人生で悪かったことや困ったことを克服して欲しい」という逆接でもいいから、自分の経験に裏付けられたことを、自分の言葉で伝えることによって真剣さもまし、子供にも伝わりやすくなります。この「子供に伝えたいこと」は、教師から「生徒への要求」と言いかえることが出来ます。そのために、要求を発見するだけの経験を教師もして、それを態度や実行で伝える努力をすることが重要な点です。

 最後に「ありふれた教師」です。「教師らしい教師」と言われるような「完全な人間」ではなく、「ありふれた教師」とは「不完全な人間」のことです。この点を教師が認識することが大切です。不完全な人間である教師が、不完全な人間である子供とともに成長していこうとする姿に、子供たちも人間の素晴らしさを感じていくのではないでしょうか?教師にも「人間臭さ」が大切だと思うのです。完全な人間が、不完全な人間を見下ろすように、教師が子供を見下ろす視点で話をしても何も伝わらないのではないかと思います。この点を心がけることにより、生徒に対する接し方や、見方が大きく変わると思います。

 このように考えていくと、いろいろなタイプの教師、つまり、いろいろな面で不完全な教師がいることになります。いろいろな教師がいることが、教育の発展につながります。いろいろな教師がいて、いろいろな実践ができるのです。そのいろいろな実践に触れることで、生徒は育つのです。いろいろなタイプの教師が、お互いを信頼し合い、励まし合っていく中で、いろいろな実践がなされていくのです。不必要な教師はいません。ただ、ひとつあるとするならば、「とりすました偽善者」のタイプです。

 さて、長くなりましたが、教師の仕事は「悔い時々喜び」です。悔いのほうが多いのです。悔いのほうが多くないといけないのです。なぜなら、後悔し続けることによって教師は成長します。もう一度「喜び」を感じるために、後悔し、反省し、新たな実践をして、教師は成長するのです。みなさんの今後に期待します。がんばってください。
                                                       以上



                      愛媛の私立高校