飛鳥寺
第八番
寺名 飛鳥寺
山号 鳥形山
宗派 真言宗豊山派
所在地 奈良県高市郡明日香村飛鳥
SPOT
飛鳥大仏
飛鳥寺の本尊である。
寺が日本最古なら、この大仏も日本最古。
蘇我馬子の創建。創建時は東西200m南北300mという壮大な伽藍だったようだが、今はその面影もなく(約20分の1)、畑の中にぽつんとあり、寂しい。
お寺の池田氏が淡々と飄々と解説してくれる。最期に家内安全と旅行の安全を祈念して「合掌」で終わる、小気味よい。
この中は、写真撮影可である。


Snap shot
講堂 鐘楼
一人一回撞いてもいい。「上は有頂天より下は奈落の底まで響けよ」そう念じて撞く(笑)
蘇我入鹿の首塚
大化の改新で中大兄皇子にはねられた蘇我入鹿の首が板蓋宮から数百メ−ル飛んできたと言われる。
おじいちゃんの蘇我馬子が建てた、飛鳥寺の直ぐ近くである。
境内の万作
「まんさく」は万花にさきがけて「まず咲く」が転じた花名。
明日香路を歩く
橘寺
聖徳太子誕生所
橘寺
往生院 の 聖徳太子
橘寺
往生院の天井画。全国から寄進されたもの。全部で260枚。ミゴト。
橘寺近くの土産物屋さん
外観の雰囲気がいい。何も買わず(笑)
石舞台古墳
蘇我馬子の墓ではと言われている。
石舞台古墳
玄室の高さ4.7m、幅3.5m、奥行き7.6m。
圧巻である。

小高い丘の上にあり、地表に出ている部分が写真で(写真の人の高さと比較してください)、右側から石の下に入れる。
石室全体は高さ約4.7m、長さ約7.6m、幅約3.5m。推定築造年代は7世紀はじめ。蘇我馬子の墓とされているが不明。名前の由来は、狐が化けてこの上で踊ったからという説もある。要は何も分かってない。
近年発掘されたのではなく、いつの頃から、このようにむき出しである。江戸時代の本に、「石太屋(isi_buto_ya)」と呼ばれていたことが記されている。"いしぶとや"の古称が、いつの頃か"いしぶたい"に転化したのではとも言われている。この石舞台が全国の人々に知られるようになったのは、1848年に出た「西国三十三所図絵」などによってであるらしい。
蘇我馬子は飛鳥時代最大の実力者であり、功労者。次が彼の歌。

やすみしし 我が大君の 隠ります 天の八十光(やそかげ) 出で立たす 御空を見れば 万代に かくしもがも 千代にも かくしもがも 畏みて 仕へまつらむ 拝みて 仕へまつらむ 。

天皇の外戚ながら、この天皇賛歌。スゴイ人であったのは確か。
通説では、墓を覆っていた土を恨みに思った誰かが取り除いたということだが、怨霊の日本において、それほどの人は居ないと思う。最初から、こんな姿だと思うのだけれど、では、これは何?。それは分からない。
この場所から、ぐるりと周りを見渡すと、本当に何もない。古代飛鳥を偲べる場所だ。

朱印

五木寛之の一言
私たちが日本的なカルチャ−だと思っているものは多い。しかし、じつはあらゆるものはグロ−バルであり、インタ−ナショナルなのではないか。
kazu_sanの一言
栴檀(せんだん)は双葉より芳し

栴檀は、双葉が出たばかりの頃からよい香りがすることから、人より抜き出た才能を持った人はやはり子供の頃から違うと言う意味ですが
知る人ぞ知る知識に、実はこのことわざ、栴檀ではなく白檀(びゃくだん)と言ってたのが、どこで間違えたのかすり替わってしまった(笑)。この木の前でいくら鼻を動かしても匂いは、まったくありません。白檀は仏像や扇子、あるいは木魚などに使用される木なので、その香りはかなりする。つまり本来は《白檀は双葉より芳し》と言うべき言葉だったのです。
栴檀が、哀れに思えるお話しです。

写真は樹齢500年という栴檀の木。(橘寺)


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