大覚寺 |
番外 寺名 旧嵯峨御所 大覚寺門跡 山号 嵯峨山 宗派 真言宗大覚寺派大本山 所在地 京都市右京区
SPOT 唐門(勅使門) 御影堂の前から撮影
開基は嵯峨天皇である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。また、嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を今に伝える寺でもある。
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大門 式台玄関 嵯峨流生け花 嵯峨流生け花 大玄関 松の間
襖の絵は狩野永徳筆 松に山鳥図(複製)宸殿の牡丹図 狩野山楽筆(複製) 五大堂‐大覚寺の本堂 こんなのもありました 中庭 左から
御影堂、御霊殿、五大堂霊明殿
総朱塗り。元は東京の日仏寺の本堂。御影堂(大正天皇の即位式に使用された饗応殿を下賜された) 心経殿
大正14年(1925年)建立の鉄筋コンクリート造の八角堂。
壁面は校倉造風である。内部には嵯峨天皇、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇の直筆の般若心経を収蔵し、薬師如来像を安置する。
内部は非公開で、開扉は60年に一度。正寝殿
内部は大小12の部屋に分かれる。
奥に玉座が見える。
正寝殿の襖絵 大沢池は中国の洞庭湖を模して嵯峨天皇が築造したものといわれている。 護摩堂。仏母心院跡と表示されている。
雰囲気あるなと写真を撮ったが、後で知ったことながら、時代劇には度々登場するとのこと。石仏
鎌倉期のものと伝えられる。これも映画に良く出る。心経宝塔(多宝塔) 名古曽の滝跡
現在復元整備され水も流れている。
藤原公任(966〜1041)の百人一首の歌が有名。
「滝の音は絶えて久しくなり成りぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」
平安時代には、もう流れていなかったということ。
朱印
kazu_sanの一言 大沢池
平安時代に嵯峨天皇によって作られた池は、眺めると妙に落ち着く。平安時代のように時間が、ゆっくり流れる。観月の名所でもある。
『紫式部日記』に寛弘5年(1008年)11月1日のこととして。
藤原公任が、「あなかしこ、このわたりに、わかむらさきやさぶらふ」
(失礼ですが、このあたりに「若紫」の巻に登場する姫君はいらしゃいませんか。)と聞いた。
当時読まれていただろう源氏物語に出てくる美女は、居ないのかと。作者の前で聞くというありがちな、おふざけですね。(この日記により、今年は源氏一千年紀と言われている)
それに対する、紫式部の答え。
源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上は、まいていかでものしたまはむと、聞きゐたり。
(光源氏に似ていそうな人もお見えにならないのに、あの紫の上が、どうしてここにいらっしゃるでしょうと、聞き流していたわ。)
痛烈ですね。美男も居ないのに、美女も居ないよ。
まあ紫式部という女性が、どういう人か分かる(笑)