永観堂 |
第八十六番 寺名 永観堂 寺号 聖衆来迎山無量寿院禅林寺 宗派 浄土宗西山禅林寺派総本山 所在地 京都市左京区永観堂町
SPOT 本尊 みかえり阿弥陀
「永観、遅し」
永観が念仏を称えながら堂内を回る修行をしていた時、本尊の阿弥陀如来が須弥檀を下りて、永観の前を歩いていた。永観が驚いて立ち止まると、本尊は振り返って、「永観、遅し」と言った。その時の姿を表していると言う。
遅れた人々を振り返って導こうとする弥陀の慈悲だと言われている。又、みずからの立つ位置をたしかめ、己を振り返れということらしい。
その姿の仏像があるのが、素晴らしいし、この話しが好きなので、わずか77cmの像であるが、会うのが楽しみな像である。
紅葉の永観堂のもう一つの見所だ。
Snap shot
総門
すごい人出である。
近くの南禅寺の駐車場は終日満車。さすが、紅葉の永観堂 池に映える紅葉 唐門(勅使門)と方丈前の庭
小判型の盛り砂は、市松模様多宝塔 放生池の近く
朱印
五木寛之の一言 紅葉が美しい永観堂の境内を歩いてみて感じたのは、法然の影響力と、縁なき衆生を救済していこうとする仏教の包容力の大きさだった。じつは、諸行無常という仏教のこころというものは、このもみじのなかにも表れているのではあるまいか。そしてもみじ狩りにくる人々のこころのなかにも、無意識のうちにそういう気持ちがひそんでいるのではないか。
kazu_sanの一言 今様の塔
境内にあった。「今様」とは和歌の一種で形式にとらわれないもので、後白川法皇が好んだと言われている。
碑文は、今様の代表的な歌。
「佛は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあはれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ」
梁塵秘抄 巻第二 佛歌から。
意味は
仏はお亡くなりになることなく常にいらっしゃるのだが、お姿を拝見することはできない。それが尊とくいらっしゃる。しかし、人の物音せぬ暁には、かすかに夢の中にお姿を現される。
何か、みかえり阿弥陀に通じているような気がしますね。
「永観 遅し」