法金剛院
番外
寺名 法金剛院
山号 五位山
宗派 律宗
所在地 京都市右京区花園
関西花の寺第十三番
SPOT
この地には平安初期の貴族・清原夏野の山荘があり、夏野の死後、山荘を寺に改めたものが当寺の前身である。
20年ほど後の天安2年(858年)、文徳天皇の発願で伽藍を建立し、天安寺と称した。
その後、平安末期の大治5年(1130年)、待賢門院(1101年 - 1145年)により再興された。 待賢門院は藤原氏の出身で、鳥羽天皇の中宮であり、崇徳天皇、後白河天皇の母である。
JR山陰線 花園下車 徒歩約5分。
蓮の花が有名なお寺です。
庭園(特別名勝)は平安末期の池泉回遊式浄土庭園で、ハスの花の季節は庭園一帯が、さまざまな種類のハスの花で埋まり、見事です。世界の蓮を集めたと言われている。
毎年観蓮会が開催されます。 2009/7/11(土)〜8/2(日)予定 早朝7:00から入場出来ます 16:00まで。


Snap shot
庭園全体 蓮と鯉
これは珍しい品種 上部から
キキョウ キキョウ
ホオヅキ ガマ
瑠璃柳 瑠璃柳
オニユリ ムラサキクンシラン
沙羅双樹 表門
中門 庫裏
庫裏 横から 礼堂
青女の滝 平安時代のもの。水は流れていなかった。 仏足石
仏殿 本尊 木造阿弥陀如来坐像 (重要文化財)- 平安後期の定朝様の阿弥陀像。坐高2.2m。仏師院覚の作と推定されている。優しいお顔である。

朱印

kazu_sanの一言
開基の待賢門院(たいけんもんいん)は、絶代の美貌であったと言われる。
息子二人が天皇になり戦うのが「保元の乱」である。

「なんとなく 芹と聞くこそ あわれなれ 摘みけん人の 心知られて」 西行

芹摘む人とは、高貴な女性へのかなわぬ恋を意味するという。待賢門院亡き後に歌われた西行の歌。

西行も恋したという待賢門院。
どんな人だったのだろう。


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