一畑薬師 |
第七十四番 寺名 一畑寺 山号 醫王山(いおうさん) 宗派 臨済宗妙心寺派 所在地 島根県出雲市小境町 一畑薬師教団総本山
SPOT 薬師本堂
寛平6年(894年) 補然が創建。承応2年(1653年) 一畑寺に改名。
島根半島の中心部、標高200メートルの一畑山上にある。
「目のお薬師様」として、古くから全国的な信仰の広がりを持ち、1200段余りの石段(参道)でも有名。
「一畑」 の名の由来は地名(薬草畑の番号)であるといわれています。今でもこの周辺には、畑の付く地名が残っていて、薬の栽培が盛んであったことがうかがえる。
石段好きの五木寛之さんは天候不順により、石段での参拝は断念したとのこと。
私は時間がなく、車で山頂に行った。
一畑寺への参拝客のために作られたというローカル線、一畑電鉄がある。
五木寛之さんは、折角だからというので、「秋鹿町(あいかまち)駅」のホームに立ったとのこと。
私は、車窓からホームの写真を撮った。(笑)
Snap shot
宍道湖
比較的いい天気だったけれど波高しです。
道路にも波しぶきが飛んできます。オカリナの練習をする人
宍道湖の荒波に、オカリナはぴったしです。
島根県のアートです。一畑電鉄 車窓から
窓のこの波しぶきは宍道湖のせいです。
ちょっと車を停めただけで、このありさま。秋鹿町(あいかまち)駅
ローカル駅、そのものです。車窓から撮影
五木さんが立ち寄った駅です道の駅 秋鹿なぎさ公園 道の駅 秋鹿なぎさ公園から宍道湖を いよいよ一畑寺が近い ここで右折 ここで左折だ 駐車場から参道へ いい雰囲気の灯籠 参道 百八基の灯籠が並ぶ 参道からは宍道湖が見えます
あの荒波だった宍道湖が、ここからは静かに見える参道の石段。登ってくる人がいました。1200段、お疲れ様です。 山門 右側が参道の石段を登りきった所 書院 法堂 1809年の建立 仁王門への石段 仁王門 ガラス戸が入っているので仁王の撮影は難しい 境内全景
左から、薬師本堂、観音堂、鐘楼堂薬師本堂の扁額
山号の「醫(医)王山」 勝海舟の揮毫薬師本堂
トレードマークの「一」の提灯
びんづるさんもテカテカ。年間70万人の参拝者。薬師本堂の内陣
欄間の「木彫十三面花鳥額」は見事観音堂 観音堂正面の像は、観音の聖地、中国浙江省の普陀山からもたらされたもの。
後方の扁額「観世音」は京都清水寺元管主 故大西良慶師の筆。観音堂内陣 鐘楼堂
鐘は毛利輝元の陣鐘を改鋳したもの。戦時中に供出されたが、無事に戻ってきた。御霊水
前に立つと自動で井戸からの水が出てくる八万四千仏像
この前が「お百度道」本堂の裏を回って反対方向に出る。時間がない人は、「一度」でもご利益があるとのことです。ありがたいことです。これが仏像のごく一部。全部で84000体。 ぐるっと回って、本堂の横から撮影。右には八万四千仏像が、まだまだ続く。 薬師本堂から見下ろすと
正面が書院庭園。右が法堂十六羅漢 お茶湯
ご祈念したお茶が出ます。お持ち帰り用の徳利です。二種類の色があります。
母の分と2個買いました。「まるいちせんべい」や「まるいちまんじゅう」も売ってます まるいちまんじゅう。「一」の焼印がある。
これは参道のお店で買ったもの観音堂と回廊 ツワブキ
朱印
五木寛之の一言 出雲の地に長い歴史を刻んできた寺、今回ここを訪れて、人々のさまざまな悲しみや痛みを、やわらかく引き受け、抱きしめてくれる仏の存在というものを、肌で感じることができた気がする。
kazu_sanの一言 ご詠歌の石碑
目のくもり やがて晴れゆく 医王山 これぞ日本 一畑の寺
一畑寺の麓の村に与市という漁師がいた。
盲目の母親と二人暮らしであった与市は、ある日何気ないことから金色に輝く薬師如来を海中より引き上げた。
薬師如来のお告げにより、与市は、母親の眼病を治すために、千把の藁を身にまとい、近くの百丈が滝から飛び降りてお告げを実行しようとする。母親は、何とか思いとどめさせようと無我夢中で走り出す。
与市は飛び降り、千把の藁はバラバラになって転げ落ちていった。
与市の体に怪我はなく、我が子の身を案じて駆け寄った母親の目はしっかりと開いていた。
その後、与市は、この地を選び、四間四面のお堂を建てて如来をご安置し、自らは比叡山に上り出家をして名を補然と改めた。(開基の由来)
お寺の入り口に書いてありました。
ないものを欲しがらない あることを喜ばせていただく