観心寺
第五十五番
寺名 観心寺
山号 檜尾山
宗派 高野山真言宗
所在地 大阪府河内長野市
SPOT
金堂 国宝
観心寺は、701年に、役小角によって開かれた。平安時代に弘法大師が境内に北斗七星を勧請され、815年、本尊如意輪観音菩薩を刻まれて、寺号を観心寺と改称。
弘法大師に関係する京都の東寺と高野山を結ぶ道筋にある。
金堂の前は広いスペ−スがあり、このようにパノラマ的に全体を見渡すことが出来る。
息を飲む美しさが広がる。
後村上天皇陵


Snap shot
大門(山門) 山門を入った所
境内 後村上天皇御旧跡
約10ケ月であったが、日本の政治は、ここで執行された。
拝殿 鎮守堂 訶梨帝母天堂
金堂 国宝 弁天堂
御影堂 お砂踏み道場
四国八十八所の砂が埋まっている。1〜88まで番号が付けられていて、これに従って歩くと、御影堂を一周する。
後村上天皇檜尾陵の入り口
第97代天皇。後醍醐天皇の皇子。
ここは宮内庁の管理。
石段がかなり続く
ご陵
山頂にある。墓参りに息切れする。
開山堂(本願堂) 大楠公(だいなんこう)楠木正成 像
楠木正成は8歳から15歳まで観心寺で学んだと言われている。
建掛塔(たてかけのとう)
楠木正成が報恩のために三重塔を建てかけたが戦死により中断。その一層目。
大楠公首塚
湊川で戦死した、楠木正成の首が足利尊氏のはからいにより観心寺に届けられ、ここに祀られている。
藍革威肩赤腹巻 重要文化財
伝楠木正成所用と言われている。
霊宝館に展示されている
鐘楼
弘法大師礼拝石
ここに座り、厄除けと国家の安全祈願の為に境内に北斗七星を祀った。
北斗七星信仰
日本でただ一つの北斗七星を祀る。
七つの梵字の入った岩が、金堂の回りに祀られている。星塚という。これが一番目。貧狼星(どんろうしょう)
星塚は赤い旗が目印。結構な坂道が続く これが七番目の星塚
破軍星(はぐんしょう)
そしてお土産の「北斗の塩」
ご祈祷した塩、清め塩に使う。沖縄産。
霊宝館
大阪みどりの百選の石碑



当日の拝観券
観心寺の秘仏ご開扉    
観心寺の本尊の如意輪観音菩薩像(国宝)は、秘仏である。毎年4月17日と18日の2日間だけ公開される。幸いなことに今年(2004年)は土日になった。
金堂で30分ごとに丁寧な説明をしてくれる。堂内は人で一杯。元は33年に一度のご開扉であったが、昭和26年から、毎年公開されている。日本三大如意輪観音のひとつ(奈良県室生寺、兵庫県神咒寺−かんのうじ−)。榧の一本造り。秘仏のおかげで彩色も残っており、豊満な顔面は慈悲に満ちていて思わず頭を垂れる厳かさがある。
如意輪観音は如意宝珠を中央に持ち功徳(財宝・福徳・知恵)を施し人々を六道からの苦を救い輪宝(手裏剣の様な輪)を使い煩悩を処理させようとする菩薩で、名前の由来である如意宝珠・輪宝の他に蓮華・数珠を複数の手に持つ。膝を崩し足の裏を重ねた輪王座の姿は、世界を支配する座り方と言われている。
この金堂内には厨子は3つあり、中央が如意輪観音、他は愛染明王と不動明王。3つが同時に開くのは大法要の時だけと、説明してくれたお坊さんは「私はこの寺で生まれたが、まだ2回しかない..」いつか見ることが出来る?
−16.4.17− 


朱印

五木寛之の一言
官能的な秘仏の寺(五木さんは残念ながら見てない)、役行者の寺、弘法大師の寺、楠木正成の寺、そして花と星の寺。観心寺の記憶は地中にしみわたる雨粒のように、心の中に深くしみこんできたような気がした。
kazu_sanの一言
我が家の如意輪観音菩薩

森脇聖淳先生の作品。
先生は、学校の先輩。
ささやかな親孝行のつもりで、和歌山で先生の個展.即売会が行われた際に両親と同行し、これが一番いいと言うので、買った。暫く両親の家にあったが、今は我が家にある。

観心寺の秘仏が、如意輪観音菩薩なので、予てより狙っていたが、今年ようやく参拝することが出来た。


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